───昔の私は明るくて人懐っこい子だったと思う。
生まれて間もない頃から、お兄ちゃんに対して凄く懐いているというのは分かっていた。
父と母に構ってもらうより、お兄ちゃんに構ってもらう方が楽しかった。
2人が忙しい時には代わりにお兄ちゃんが哺乳瓶を与え、オムツを替えて眠るまでずっと隣にいてくれたり、子守りをしてもらった。
具体的な思い出は無いけれど、ぼんやりとそうだったことは覚えてる。
お兄ちゃんが中学生になる頃には私は完全にべったりだった。
学校に行く前の号泣から、帰宅して塾に行く前の号泣。そして帰ってきてから寝るまでずっと、ずーっと隣で笑っていたと思う。
『おにいちゃんおにいちゃん!』
『なぁに?』
『まふゆね!今日友達と折り紙して遊んだの!』
『そっかぁ、楽しかった?』
初めて読んだ絵本、初めて折った折り紙。どれも幸せな思い出だ。
お兄ちゃんにとって、私の話を聞くのは楽しかったのだろうか。邪魔になってなかっただろうか。勉強に追われる日々の中、私と遊ぶ時間を必ず作って…辛くなったのだろうか。聞くのが怖かった。
だから、精一杯の気持ちをいつも込めていた。
『まふゆ大きくなったらお兄ちゃんと一緒に暮らすんだ!』
『お兄ちゃんとっても優しいから大好き!!』
『お兄ちゃんのお嫁さんになるー!!』
私の両親はどっちも自分の生きてきた道に誇りを持っていて、自分の正しいと思ったことを決して曲げない。良く言えば芯のある人、悪く言えば頑固な人。自分の価値観をお兄ちゃんに押し付け、小学生になった私にさえも、お兄ちゃんほどではないが『将来はこうあるべき』と催眠じみた教育をしている。
気付いた時には遅かった。当時、まだ親の言うことを素直に受け取って育ってしまう私を見て、お兄ちゃんは自分の事のように辛そうな顔をしていた。
『お兄ちゃん大丈夫?』
『......大丈夫だよ、まふゆ』
『まふゆ心配。最近お兄ちゃん夜遅くまで勉強してる』
『受験生だからね。これくらいしないと』
お兄ちゃんが受験生になってからは、学校と塾以外は外に出させてもらえなかった。多分違う。正確には出ないという選択肢しか選べなかった。『受験生なのに出かけるなんてお母さん、浩平の為にはならないと思うなぁ』を何度も耳にしていた。
───死にたいな
お兄ちゃんの背中を見て、私は育った。逃げ場の無い鳥籠の中のようだった。
だから私は、お兄ちゃんを鳥籠から追い出した。大好きなお兄ちゃんには自由に生きて欲しかった。
勉強するだけの、親の言いなりに生きていくだけの人生は私が背負おうと思った。
───消えたいな
私の9歳の誕生日。
お兄ちゃんにとって、私にとって最後の誕生日。私やお兄ちゃんの誕生日は決まって父さんは早く帰宅し、それに合わせて母さんは沢山の料理を準備したり、部屋の飾り付けをしてパーティーが始まる。食事をしながら和気あいあいと談笑し、主役への誕生日プレゼントを贈る幸せな時間。
今年も例に漏れずそうなるはずだった。
でも、今年はそうならなかった...。
『はいこれ。まふゆの誕生日プレゼントよ』
『わぁー!お母さんありがとう!』
『今日はまふゆが主役だからね。何でもしたいことをするといいよ』
『ほんとぉ!?じゃあ───』
お父さんがお酒の勢いに任せてそんなことを言う。
私はそれをいつもの調子で答えた。でも、間違いなくこのやり取りがきっかけだった。このやり取りがあったからこそ、お兄ちゃんは家を出る決意をしたんだと思う。
『まふゆ、お兄ちゃんと街にお買い物に行きたい!!』
───私の人生に、意味なんてない
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───誕生日
それは世界中誰にでも平等に訪れる大事な記念日。
でも、その日がどれくらい楽しくて、幸せかどうかは人によって違うしその差はとても大きいものになってしまう。
私にとってのそれはお世辞にも最高の記念日、とは言えず、特別感のあるとは言えないものだった。
もちろん、両親は祝ってくれる。
でも、それだけ。
一番に祝って欲しい人が、私の隣にはいない。
その気持ちも今となっては風化したように何も感じない、わからない。
1月27日という早生まれの私の誕生日を祝ってくれる友達はいた。小学生の時も、中学生の時も、高校生となった今でも。年も同じ学校にいられれば覚えてくれる子だっていた。でも、それだけ。
たまにある、友人と誕生日の話をする頃には私の誕生日は過ぎていて、いいんだよ、来年祝ってね。なんてクラスにいる優等生の朝比奈まふゆで微笑む。
「誕生日、おめでとう…ね」
私は自分の部屋で、窓を打つ雨の音を聞きながら呟いた。
雨が降る音、何も無い水槽のポンプの音だけが部屋の中に響く。
机横のサイドテーブルの引き出しをあけ、水色のシュシュを取り出す。
幼少期、お兄ちゃんが私に送ってくれた初めての誕生日プレゼント
使い込んだせいで色が抜け落ちゴムの伸びきってしまっている。
受験前の時期に送ってくれた最初で最後のお兄ちゃんからのプレゼント。
お母さんやお父さんの目を盗んでこっそり夜中に私の部屋に忍び込み、静かに2人でお祝いした日。あの時の私は本当に嬉しくて、お兄ちゃんが部屋に戻ったあとも1人ライトを照らしてシュシュを眺めていた。
そんな一日は、私の人生で一番嬉しい誕生日だった。
「今の私は…」
小さく零す。
祝われても昔のように喜べない、私は自分に言い聞かせるように思った。
分からないことだらけで、私が私自身を知らない今。
誕生日を祝われて、どんな風に思えばいいのだろう。どんな風に感じるのだろう。昔は優しいお兄ちゃんとの時間が何もかも楽しくて、一喜一憂していた。それが楽しいってわかっていた。
誕生日で私自身が見つかるなんて、高望みも願望もない。
時刻はもう夜の十一時を回っていた。
私は部屋の電気を消して、机に向かう。
今年の誕生日はナイトコードで迎えることになりそうだ
「ごめんお待たせ」
──────────────────────────
「──という事で本日の講義は以上になります。各自与えられた課題をしっかりこなして次に臨むように」
塾講師のその一言を切り口に、受講生は片付けを始め、各々教室を出ていく。
私はふうっと小さく息をついて、メモしたノートを適当に眺める。
1月27日は特に変わらない1日になっていた。
いつも通り起きて、朝ごはん食べる。お母さんに「今日は貴女の誕生日だし、お父さんも早めに帰ってくるみたいなの。まふゆも塾が終わったら早く帰っておいで。
定期的にお兄ちゃんに会っている私にとって、それは意味ありげな言い方に聞こえてしまい、一瞬返事に迷った。
だけど直ぐにいつも通り、「わかった。楽しみにしているね」って。
学校に行くと先輩、同級生、後輩、先生からもおめでとうって言葉をもらった。日野森さんや鳳さんからプレゼントをもらった。
日付変わった直後にはセカイでみんなと誕生日パーティを開いてくれてケーキやお菓子や持ち寄って盛り上がっていたと思う。
──でも、それでも去年と変わらない1日だった。
一番身近な人からの欲しい言葉を貰っていない。
なんでそう思うかはきっと、その人だから。それが嬉しいかどうか、なんで嬉しく思うかはわからない…と思う。だけど、その人から貰う言葉は他の人からの言葉よりきっと重みが違うんじゃないか。
直感でそう思う。
「…忙しいって言ってた気がする」
バイトに大学院のレポート、卒業に向けての論文。
お兄ちゃんは自分のやりたい事に向けてひたすらに走り続けている。
そんな彼の隙間に、私の入る隙間が無い。
この胸に霧がかかった感じはなんだろうか…。
お兄ちゃんのことを考えるとたまにわからなくなる。元からわからない、という訳じゃない。少なくともこれは、お兄ちゃんの中に私という存在が不要、と考えた時によくある。
「お母さん待ってるし、帰ろう」
誰もいなくなった教室で一人、つぶやく。
昨日の夜から降り続ける雨。
昨日より小雨気味になってるけど、それでも跳ね返る雨粒が靴やソックスをしっかり濡らして気持ち悪い。
雨は昔から苦手だ。
私の心模様を示している様で陰鬱。
このまま自宅に行かず、お兄ちゃんのマンションに駆け込もうか…。
お兄ちゃんに向ける感情。
これだけは自分の持ってる感情だって思う。
でも、自信が無い。ほかの事と同じなんじゃないかって。
小雨気味の雨が少しずつ止んでいく。
雨の量を確認し、私は水色の傘を閉じる。
「お兄ちゃん…」
歩みを止め、スマホから緑色のチャットアプリを開く。
ニーゴのメンバーから改めての祝福のメッセージと、部活動の同級生達のみ。
──お兄ちゃんからは、無い。
「…はぁ」
思わずため息が零れる。
何かが欠けてて心細く、心がズキズキと痛む。
前に絵名から、そういう時の痛みの感情を
今まさに感じている感情が、まさに
何となく、お兄ちゃんから昔貰ったシュシュを触る。
無意識に、お兄ちゃんに気にかけて欲しかったのだろうか。
お兄ちゃんと最後にやり取りしたのは、2日前。
───今日来る?
───行く。カレー食べたい
───あいよ
たったそれだけ。
お兄ちゃんの作るカレーはお母さんの作るカレーと違って
味は変わらずよく分からないけど、多分好きなんだと思う。
「お兄ちゃんに会いたい」
───呼んだ?
唐突に。
そう、ほんとに唐突に。
背後から聞きなれた低い声がした。
声をした方を見ると、そこには息を切らして両手を膝についているお兄ちゃんがいた。
「なん、で…」
「いや、ねぇ…はぁ、はぁ…我ながら情けない兄だよ、ほんと」
「日頃から運動してないからだよ」
「元から苦手なんだよ…はぁ…ふぅー」
小雨の中走ってきたからだろうか。
シャワーを浴びた直後のようにびっしゃりと濡れていた。
「まふゆ、誕生日おめでとう」
「あっ…」
私はお兄ちゃんの顔をまじまじと見る。
そこには穏やかな微笑みで、私を見るお兄ちゃん。
ドクンと胸が踊るのがわかる。「ありがとう」の一言が喉でつっかえて出てこない。
「…ほんとに久しぶりだな。まふゆに誕生日おめでとうって言うの」
「っ、そうだね。お兄ちゃんいなかったから」
「あー!そうやって冷やかすのかよ」
「事実だから仕方ない」
「うーわ、まふゆ冗談言える子だったのか…純粋無垢な我が愛しの妹はどこへ…」
がっくりと肩を落とす、珍しくオーバーリアクションをするお兄ちゃん。
「両手、出して」
「え?」
そう言われて私はお兄ちゃんの前に両手を出す。
お兄ちゃんは私の手を取って、手のひらの上に両手サイズの小包を乗せる。
プレゼント様にラッピングされたそれは───
「開けてみて」
「う、うん」
その中に入っていたのは、可愛らしい水色のシュシュと一緒に使うよう想定された同色のヘアピン。
「まぁ、クリスマスの時のと比較して見劣りするかもしれないけどね。
でも俺はまふゆにこれを送りたいと思った」
「…」
私の為に───
またひとつ、大きく鼓動が高鳴った。
「今つけてるシュシュ。俺が初めてまふゆにプレゼントしたやつだよな」
「うん」
「大事に使ってくれてありがとな。今日あげたヘアピンとかも、大事に使って欲しい」
当たり前だよ──
瞬時にそう思った。
「ありがとう…大切にするね」
「ん。せっかくだし今つけてみるか」
そう言ってお兄ちゃんは、ヘアピンとシュシュを袋から丁寧に取り出す。
それをそのまま私の前髪と、今つけてるシュシュを交換して同じ場所につける。
昔、私の髪をいつも整えていたから手馴れた手つきだった。
「おう。やっぱり似合う。可愛いよ」
「鏡無いからわからない」
「スマホ使えばわかるのに…不器用な妹だよ」
呆れながらも嬉しそうなお兄ちゃん。
お兄ちゃんは渡す側でしょうに、なんでそう嬉しそうなんだろう…
私の抱く疑問は私にはわからない。
「ありがとう…」
「さっきも聞いた。まったく…そんな嬉しそうな顔しちゃってさ」
そうらしい。
私にはどんな顔をしているかわからない。
でも、さっきまでの霧のかかった気持ちのつっかえは無くなり、ほんとり暖かいものになっていた。
私の欲しかった言葉───
曇りの空が薄れ、夕暮れが見える。
まるで、私の気持ちのようだった。
───家に着いてから、というものの
お母さんとお父さんと毎年恒例の夕飯を過ごした。
お風呂から上がり、塾や学校の課題をそっちのけでベッドに体を投げる。
お兄ちゃんからもらったヘアピンとシュシュを眺めては抱きしめる。
「…あったかい」
当然、私の体温で温められたからそれはそうなんだろうけど。
私には大切なお兄ちゃんからもらった誕生日プレゼントだから、想いが込められているような気がした。
数年ぶりに過ごしたお兄ちゃんとの誕生日。
たった数十分という短い時間だった。それでも私にとっては意味のある時間だった。
充分だった。
満足だった。
───もう、何も望まない。
「…お兄ちゃん、ありがとう」
コンコン、とノックの音が聞こえる。
「はーい!」
「まふゆ?今ちょっといいかしらー」
「今行くねー」
私は
お兄ちゃんからもらった誕生日プレゼントを箱に大切にしまい、ベッドの布団に隠す。
───ガチャ…