ドラクエ魔法持ちのTS転生者なんだけど現実世界というのが問題です   作:魔法少女ベホマちゃん

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音楽室のカナデさん。ついでにニフラム。

「そういえば、音楽室のカナデさんって知ってる?」

 

 魔法クラブのコンテナ。いつものメンバー。

 そして軌道寺みのりは、声を抑えて秘密の話をするようにひそひそと言った。

 機密性の高いコンテナの中なので、これは単なる雰囲気づくりだ。

 みのりの怪しい感じに、怪訝に思いながらイオは首をかしげる。

 

「学校の七不思議のひとつなんだけどね」

 

「七不思議ですか。うちにもそんなのあったんですね」

 

 イオは聞いたことがなかった。

 

 この学園は比較的新しい校舎で構成されていて、開放的な雰囲気になっている。

 

 良家のご子息とご息女が通うことから、初等部の登下校はけっこう厳しい。家から迎えがくる場合が多いのである。クラブ活動を行ったとしてもせいぜいが五時くらいまでには帰宅する。

 

 初等部の段階ではひな鳥よりも手厚く保護されており、七不思議を醸成する『夜』の時間までいることは少ないのである。もちろん、多少の例外はあるが。

 

 それともうひとつ理由がある。

 イオ自身が、そういった話を避けているからだ。

 

「初等部では聞いたことないかもしれない。だって、カナデさんがいるのは中等部だからね」

 

「ふ、ふぅん……そうなんですね」

 

 イオは声をひきつらせていた。

 隣に座っている理呼子が、イオの手を握る。

 あたたかな感触に、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 

「イオちゃん、もしかして怖いのダメな感じ?」と理呼子が聞いた。

 

「そ、そんなことあるわけないじゃないですか。絶対無敵魔法少女イオちゃんですよ。いもしない幽霊なんかに脅えるわけないですよ!」

 

 イオが必死に否定すればするほど、逆に露わになってしまう。

 イオの弱点。

 ホラーが苦手である、と。

 

「完全におびえちゃってる……」

 

「そんなわけないですし! 幽霊なんていませんよ!」

 

「存在を否定するところが逆にあれだな……」とルナ。

 

 そう。

 イオはビビりだった。

 だいたい世の中の多くの物事が怖いのであるが、その最たるが名状しがたきモノ。

 つまり、幽霊とか亡霊とか、そもそも怖い話とかが苦手だ。

 

 死を経験しているイオがなぜ幽霊ごときをと思われるかもしれないが、こればかりはなんとなくとしか言いようがない。虫が嫌いな人がいたり、辛いものがダメだったりする人がいるのと同じく、本能的な部分でダメなのである。

 

 妹のユアがへらへら笑いながら『世にも奇妙な物語』を見ているときも、自分自身は絶対にトイレに行けなくなると考えて、部屋に引きこもっているのである。

 

 あとから、ユアにホラー系のストーリーを聞かされて、イオつむりになってガクブルするクソ雑魚お姉ちゃんであった。

 

「だいたい魔法を使える存在がここにいるのに。なぜ幽霊がいないと言い切れるんだ」

 

 ルナは当然の疑問を口にした。

 魔法を使える存在イオがいる以上、この世界には奇跡も魔法もあるのだ。

 そのお隣さんである幽霊や妖怪といった存在がなぜいないと言い切れるのか。

 これがわからない。

 

「そりゃ……まあ、あのですね。そんなの存在しちゃダメなんです」

 

 イオはとんちんかんな答えを出した。

 

 単に怖いから、否定したかっただけなのである。

 

「超常の存在に逢ったことは認めているのに、なぜ幽霊は例外なんだ」

 

「幽霊なんて科学的な存在じゃありませんし」

 

「科学者だって形而上学的な存在を信じることもある」

 

「ルナちゃんもわたしが逢ったのは神さまだって信じてるんですか」

 

「それはわからないな。私自身はわからないものはわからないと答えることにしている。そもそも、いるかいないかわからないものを、いないと否定する理由もあるまい」

 

「まあそうですけど……」

 

「話を戻していいかな?」とみのり。

 

「どうぞ。聞きたくもないですけど……」

 

 よっぽど嫌な話題なのか、イオは耳を塞いで聞いている。それでも逃げ出さないのは、みのりがイオに聞かせたい理由があるから話をしていると思ったからだ。

 

「音楽室のカナデさんはね。7年前に中等部の生徒だったんだって」

 

「ひぇ……」

 

「あの、ここまだ怖いところじゃないよ?」

 

 みのりは苦笑した。

 話に入る前にコレだと、実際に七不思議としての語りをおこなったらどうなってしまうのか。

 いまは、隣にいる理呼子に半ばすがりつくようにして聞いている。

 理呼子のほうはイオに頼られて満足そうだ。

 

「みのりさんの声が怖いです」

 

 さりげに失礼なイオである。

 客観的には、麗しい美少女の声である。

 ただ、今のイオからすれば、たとえ天壌の女神が同じセリフをしゃべっても怖いと思っただろう。

 

「じゃあ、明るい音楽でも流しながら聞く?」

 

「そうですね。陽気なグルーブのやつをお願いします。サボテンが躍ってるようなやつで。そうだ。サンバとかどうでしょう。リオのカーニバル的なやつで」

 

「あったかなぁ。そんなの……」

 

 みのりはピアニストなので、クラブの中にクラシック音楽などを持ちこんでいる。

 いろんなジャンルを聞くことがピアノの上達につながると信じているので、明るいサンバもあるかもしれない。

 

「あったよ!」

 

「でかした!」

 

 必死すぎるイオであった。

 しかたないので、サボテンが躍ってるようなナンバーをかけながら話すことになった。

 雰囲気ぶちこわしである。

 

 ただ――これも前段であるから、完全にビビらせてしまっては元も子もないとみのりは判断した。イオに話を聞いてもらわなければ困るのだ。

 

 なぜって――。

 そりゃビビりまくってるイオを堪能するためである。

 もとい、こわがりなイオはかわいいと思ったからだ。

 

 もちろん、これもイメージ戦略の一環である。

 イオの配信作業は滞りなく進み、いまのところ5000万人を突破しそうな勢いである。もちろん、アンチも沸いているが、それはもう数が多くなれば宿命だと思わなければならない。

 比率的には9割がたは良い方向で捉えられている。

 いままでの努力の結果だ。やらかさない程度に人間味を見せつつ、イオが人並みの感性であり、善性を持っていると思われなければならない。

 もともとセルフブランディングは、イオが完璧超人でないほうがいいのである。

 

 だから、イオが怖がりであると聞いたみのりの行動は早かった。

 わずか、十日ほどで企画立案し、魔法カンパニーで稟議を通したのだ。

 ちなみに、理呼子とみのりは外部協力者ということになっている。

 

「ふふ……」

 

 決してイオの泣き顔が見たいという仄暗い欲望ではないと言っておこう。

 たぶん。おそらく。きっと。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 音楽室のカナデさんはね。七年前に中等部の二年生だったんだって。

 そうだよ。いまの私と同じ年齢だね。

 そして、私と同じピアニストだったの。

 

 もちろん、学生だもの。

 ピアノでお金を稼いでいるわけじゃない。

 職業的なピアニストじゃない。

 

 けれど、ピアニストかそうじゃないかって、お金だけの問題じゃないと思うよ。

 それにどれだけ情熱と時間を傾けられるか。

 要するに、どれだけ本気かってこと。

 

 カナデさんはたぶん本気だったんだと思う。

 だから、私はカナデさんをピアニストだと考えている。

 たぶん、将来プロになりたいって思っていたんだろうね。

 

 ねえ。イオちゃん。

 アマチュアのピアニストがプロのピアニストになりたいって思ったらどうすればいいと思う?

 

 そうだね。

 膨大な練習が必要になると思う。

 カナデさんもね、練習したんだ。

 たくさんたくさん練習したんだよ。

 

 特にコンクールが近かったこの時期は、昼も夜も問わず練習したんだって……。

 

 そう、音楽室にあるグランドピアノでね。

 

 イオちゃんは中等部にあるグランドピアノを見たことある?

 

 そっか。初等部のピアノしか見たことないか。普通そうだよね。初等部の子が中等部の校舎に来ることもないしね。

 

 中等部にあるグランドピアノは、スタインウェイっていう高額のピアノが置かれていたの。

 一点一点手作りで、だいたい高いのは二千万円くらいするかな。

 初等部のやつも結構高いピアノだと思うけど量産品だし、やっぱり音が違うかなって思うよ。

 

 特にコンクールとかで使われるのはスタインウェイのピアノが多いの。

 だいたい大きなコンクールになればなるほど、ピアノは調整が必要になってくる。

 例えば、世界最高峰のコンクールでは、ピアノをずっと前から備えつけておいて、冷暖房や日々の掃除の影響を受けないように、最高の状態を保つように調律されるんだよ。

 

 逆に言えば、ピアニスト側はそこに置かれているピアノに合わせなければならない。

 言葉にするのは難しいけれど、ピアノが最高の状態を保っているのなら、人間もピアノに合わせていく感じ。ピアノが発している無声の主張に耳を傾けなければならないの。

 

 ……もちろん、それにも莫大な時間がかかるわ。

 

 だから、コンクールと同じピアノで弾けるっていうのは、ものすごく重要なことなの。

 上を狙おう。プロになろうと思うならなおさらね。

 弘法は筆を選ばずなんて言うけど、あれは嘘。

 やっぱりいい道具を使ってこそだと思うのよ。

 

 カナデさんは当然、お家にもピアノを持っていたんだけど、さすがにスタインウェイのピアノは持っていなかった。だから――、夜も遅くまで弾いていたんだって。もちろん、学園の許可はとってよ。難しいところだけど、カナデさんは将来が有望視されていたの。だから、例外的に夜の八時までならということで許可することにしたらしいわ。

 

 そして、ある日事故は起こった。

 七年前。イオちゃんが三歳のとき、大きな地震があったの覚えてる?

 そう、そのときカナデさんは偶然ピアノの練習をしていたの。

 

 集中力を極限まで高めて、身命を賭けて取り組んでいたの。

 だから、地震がきても気づかなかった。

 そんなことないだろうって思うかもしれないけれど、なにかに没頭するなんてこと、人間だったら誰でもあることでしょう。

 

 カナデさんはピアノに人生を賭けていたし――、たぶんそのときは最高にノッていたんだよ。

 一流選手が、周りの時間が止まったかのように感じる状態になることがあるけど、たぶんそんな感じ。ゾーンって呼ばれているけどね。わたしも何回か経験したことあるけど、周りがすごく静かになって、指先とピアノの鍵盤だけに世界が集中していくの。

 

 だから、揺れなんてわからなかったの。

 ……ピアノの鍵盤蓋が地震で閉じてしまいそうになっていても、彼女は演奏を続けたわ。

 

――きゃぁぁぁぁぁ!

 

 夜の校舎に初めて、ピアノ以外の音が響いた。

 鍵盤蓋はかなりの重さを誇る。5キロ程度はあるかしら。それが、中学生の華奢な指先に振りおろされたらどうなるか。

 

 ギロチンで首を斬られたみたいに――、カナデさんの指先は無残なことになっていたの。

 もちろん、本当に切れたわけじゃない。けれど、彼女の指先は人差し指から小指までメチャクチャに骨折していた。

 

 もう二度と同じ演奏ができるかわからない……。

 

 少なくともコンクールには絶対間に合うはずがない……。

 

 そんな絶望にうちひしがれた彼女は、そのまま窓から身を投げたの。

 

 それでも未練が残っちゃったのか、いまでも時折あらわれるんだって。

 

 誰もいない校舎で、グチャグチャになった指先で、例のピアノを弾いているの。

 

 ピカピカに磨き上げられて当時の事故の状況なんて何一つ伝えていないスタインウェイのピアノが、なぜか彼女が弾いてるときだけは血塗られていて、ひたひたと真っ赤な血が白い鍵盤をしたたり落ちてるんだって。

 

 カナデさんは白い鍵盤を赤く赤く染めあげながら。

 

 いまもピアノを弾き続けているんだって……。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 サンバの音をBGMにしながらも、みのりの話は真に迫るものがあった。

 もちろん、そんな話など嘘っぱちであるし、実のところピアノはヤマハ製だ。

 ただ、みのりが交通事故にあって、ピアノを弾けなくなったのは真実だった。

 あのときの絶望――、イオが魔法を使って癒すまでの絶望は()()だった。

 だからここまで気持ちをこめることができたのである。

 

 イオは震えあがっていた。

 

「あ、あの、その血塗られたピアノってそのまま置いてあるんですか」

 

「そだよー」

 

「な、なじぇ、処分しないんですか」

 

「高いからね。学校側も許可したのは悪いけど、客観的に見れば事故が起こって、その事故がもとでカナデさんは自殺しちゃったわけだし、つまりは誰も悪くないんだよ。悲しい事実があったってだけ」

 

「なるほど……で、ですっ」

 

「バイブレーションイオちゃんになってるんですけど」

 

 理呼子が言う通り、イオはぷるぷる震えていた。

 みのりは心の中でニヤリと笑う。

 

「そ、それで、わたしはなにをすれば……いいんデス?」

 

「イオちゃんの魔法にターンアンデッド系のがあったよね」

 

浄化呪文(ニフラム)ですか」

 

 ニフラムは語源不明であるが、効果としては敵を光の彼方に消し去る呪文である。

 シリーズごとに微妙に違うが、アンデッドには効きやすいようだ。

 浄化あるいは悪霊退散的な効果があると考えられる。

 

「そそ、ニフラムね。もしよければカナデさんを成仏させてあげられないかなって。私も同じピアニストとして、それに学校の責任者の娘としてなんとかしてあげられないかなって思うんだよ。ね、お願いイオちゃーん」

 

「そ、そそんなの、ただの見間違いに決まってます」

 

「私もそう思うんだけどねー。イオちゃんが確認してくれたら、みんなも安心するじゃん。音楽室のピアノを怖がって、授業に身が入らないと困るしね」

 

「でもぉ……」

 

「イオ、ニフラムについてはどういう効果なのかわかるか」

 

 ルナが絶妙なタイミングで聞いた。

 今回のプロジェクトは、ニフラムの効果を調べるためでもある。

 特に、ニフラムについては――光の彼方に消し去るという効果が重要である。

 これは人間にやった場合にはどうなるのか。

 下手すると即死呪文よりも厄介なのではないか。なぜなら死体すら消失するのであれば、生き返らせることもできないのだ。

 

 もしも、イオがなにげなく全世界にニフラムしたらどうなるのか――、考えるだに恐ろしい。

 

「ニフラムについては光の彼方に消し去るというものです」

 

「試したことはあるのか」

 

「ありますよ。ダンゴムシAさんにやったことがあります」

 

「んー。確かにイオちゃんがニフラムしてたね。覚えてるよ」と理呼子。

 

 三歳児のときのことをさりげなく覚えている記憶力である。

 

「そのときどうなった?」

 

「ダンゴムシAさんは光の彼方に消えましたけど、次の日には別の花壇で元気に生きてましたよ。ニフラムはべつに即死攻撃ではないですね。おそれるほどのものではないと思います」

 

「それは別個体じゃないのか?」

 

「いいえ違います。わたしがダンゴムシAを見間違うわけありません。そもそもですね。ドラクエ5で、山賊ウルフっていうヒト型の敵がいるんですけど、ニフラムで消し飛ばしても別の場所で普通に出逢えたりするんですよね。つまり、その場所から退散させる呪文なのではないかと思います。バシルーラに近いですかね」

 

「うーむ。殺してないから経験値も入らないという理論か」

 

 もちろん、このあたりのことはイオ以外の全員で話し合ったことだ。

 

「なんというか()()()()()()()()()()を散らす感じですかね。たぶん微細なものほど散らしやすいんだと思いますよ。実は幼稚舎の頃に、花粉症とかPM2.5とかで咳こんでいた子がいましてね。田中くんって言う子なんですが、なんとも見ているだけで辛そうで、花粉を散らすために建物ごとニフラムしたこともありました」

 

「ばっか……もし人が消えてたらどうするつもりだったんだ」

 

「いや、そういう感覚はなかったですね。ダンゴムシAの件もありましたし、せいぜいが少し移動するぐらいかな、と。それに――、感覚的に消し飛ばせるものを指定できる感じでした」

 

 魔法の感覚と言われればイオ以外には知りえないところなのだろうが――。

 

 ルナは頭を抱えそうになった。

 

 まったく事の重大さを理解していないイオは、()()()()()()()()()()使()()()()()のである。やらかしたのは五年以上前だから何も問題が起こらなかったということだろうが、実に危なっかしい。こんなやらかしは無数にあるのだろう。

 

「……そのときは結果どうだったんだ」

 

 気を取り直して聞くことにするルナ。

 

「うーん。なんか一時的に気分はスッキリしたんですが、花粉症の子がべつに治った感じはしませんでしたね」

 

「当たり前だろう。全世界の花粉がなくなったわけではないんだからな」

 

 

「今思えば解毒呪文(キアリー)したら治ったんでしょうけど、キアリーは毒を治すとばかり思っていましたから、あきらめちゃってました」

 

「そうか……」

 

 しかし、思わぬところで明らかになった新事実。

 

 自分にかけたから制限があるとか、他にも理由はあるかもしれないが、ルナのなかのある仮説とも一致している。

 

「例えば、ニフラムが微粒子を散らす効果があるとすれば、量子テレポーテーションを起こしてると考えることもできるな」

 

「量子……なんですって?」

 

「量子力学の世界だ。簡単に言えば、自然は確率的にしか存在しないという学問だな。その解釈によれば、ある物質はAという場所にもBという場所にも確率的にどちらにも存在しうる。観測者によって観測されることによって、どちらに存在するかが初めて確定する」

 

「んん……はい」

 

 イオはルナの言ってることがわからなかった。

 わからないことがわかったので、そのまま飲みこむことにしたのだ。

 

「ニフラムはこの量子力学の重ね合わせ状態を利用して、Aという場所からBという場所に瞬間的に移動させているんじゃないか?」

 

「わかりません」

 

「問題ない。わたしにもわからん」

 

「なんですかそれ……」

 

「普通にお祓いしてるだけかもしれんしな。ただ量子テレポーテーションを行っているのなら――、例えば、人間の中のウイルスとか細菌、あるいは放射線なんかも散らせるかもしれない」

 

 そう。

 ニフラムが使えれば、また魔法でできる幅が広がるのである。

 

「まあ、あれだ。悪霊なるものがどんな存在かはわからないが、おそらくは虚ろな微粒子的な存在なのだろう。あるいは別次元からこっそり顔を覗かせている虚子的な存在かもしれない。いずれにしろ、そういったものを散らす効果がニフラムにはあるのだろう」

 

「よくわかりません」

 

 泣きそうな顔になるイオである。

 

「大丈夫だ。もし悪霊がでてきても、ニフラムを使えばいいだけだ」

 

 ルナは不敵に笑った。

 

 イオはぶんぶん頭を振って否定する。

 

 とりあえずのところの危険性もなくなったので、もうあとはホラーパーティくらいしかないのである。ちょうどそのとき、サンバが終わり『オレ!』という声が響き渡った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 わたしは死地にいた。

 夜の校舎は昼と違い、雰囲気からして異なる。

 夏だというのに、うすら寒さ感じるのはなぜだろう。

 

 理呼子ちゃんもいる。

 ルナもいる。

 みのりさんもいる。

 

 けれど、音楽室についてくるのはみのりさんだけということになった。

 なにかのご都合主義のように、人数が多すぎるとカナデさんは現れないらしい。

 なんだよそれ。恥ずかしがり屋さんかよ。ちくしょう。

 

 中等部の一階には職員室があり、そこでふたりは待機。

 電気のついた明るい部屋でな!

 

 廊下は薄暗かった。音楽室は二階だ。

 懐中電灯を使っても、廊下の端すら見えない。

 無駄に広いんだよ。この校舎! うううっ。

 

 怖い。メチャクチャ怖い。

 しかも、今回はルナの魔法実験ということでなぜか配信することになっている。

 みのりさんはカメラを撮影しつつ、プロンプターを背負っている。

 プロンプターはリュックみたいに背負えるようになっていて、暗闇でも緑色に光るぞ!

 ただしぼんやりとした光だから、せいぜいが非常口の明かりと同じくらいだ。

 

 みのりさんに話しかけたいし、すがりつきたいけれど。

 配信の関係で、友人の姿をさらすのはNGだ。

 声と名前をさらすのはOKだって言ってくれたけど。

 わたしを撮影するために、適度な距離を置いてるし……。

 本当はいますぐみのりさんのおっぱいに帰還したい。甘えたい。ぷにっとしたい。

 けれどそれも許されない。

 

「さぁ……いこっか」

 

「はい……」

 

 わたしは死地を行進する。

 

『イオちゃん……ホラーだめやったんやな』『歯がカスタネットみたいになってるやん』『かわいそうかわいい』『かわいそうなのは抜けない』『何を抜くっていうんですかねぇ』『撮影者の声が若いなぁ』『かわいい……』

 

 昼間に聞かされたカナデさんの逸話がロールバックする。

 指をぐしゃぐしゃに潰されたカナデさん。

 ふつうにかわいそうだ。わたしがもしそのときに魔法を使っていれば、ベホマで楽勝に治癒できたのに。

 

「よく考えればですね……」

 

 視聴者に向かってわたしは話しかける。

 もう怖すぎて、何か音を発していないと耐えられなかったんだ。

 

「カナデさんはべつに悪いことしてないですよね。無理に昇天させず気が済むまでピアノを弾かせてあげるというのもよいのでは?」

 

『7年間も無念で弾き続けてるんやで』『成仏させたげて』『イオちゃん腰がひけまくってる』『涙目イオちゃんが使えすぎる件』『ふぅ……』『かわいい……』『イオちゃんがんばぇー』

 

 わかっていたけれど視聴者は、わたしをいじることに対しては明朗な結束がある。

 普段、バラバラなくせに。

 

「うぐううう……っ、なんでわたしだけぇぇぇぇ」

 

『なんでもクソもあるかい』『世界で唯一の魔法使いだからね』『しかたないね』『世界はイオちゃんの魔法を待っている』『ぃぃ……』

 

「そういえば――、知ってるイオちゃん」

 

 べつにメダパニをしていないのに混乱の極みにあったわたしに、みのりさんが冷静な言葉を投げかけてくる。

 

「ひえ、なんですか?」

 

「いま、イオちゃんいるところ……階段があるでしょ。そこ、十三階段って呼ばれてるんだよ」

 

 わざとなのかなんなのか、みのりさんはささやくような低いボイスで、昼とはまったく異なるおどろおどろしさを醸し出していた。

 

「十三階段ですか」

 

「そう。普段は十二段なのに、こんなふうに夜の学校で遊んでいる子がなにげなく数えながら登っていくとね。増えるんだよ。一段。つまり十三階段になるの」

 

「そ、そそうなんですね。ははは、じゃあ他の階段を登りましょうか」

 

「全部同じなんだって」

 

「詰んでます。詰んでますよ。もう帰りましょう!」

 

 みのりさんは頭を振る。

 許してくれないらしい。なんでぇ。

 

『Sっけあるなこの子』『ん。待てよ……』『どうした雷電』『そもそも十三階段なんじゃね?』『ああ、なるほど……』『あわあわしているイオちゃん』

 

「さぁ……数えてみようか」

 

「なぜ数える必要が!?」

 

 わからない。みのりさんがわからない。

 

「もし、ここにも悪霊が隠れていたら浄化してたほうがいいでしょ」

 

「それは……、そうかもしれませんけど」

 

「じゃあ、お姉さんといっしょに数えようか」

 

「はい……」

 

「最初はゼロからだからね。足をあげたら一段数えるの」

 

「わかりました」

 

 

「「0」」

 

「「1」」

 

「「2」」

 

「「3」」

 

「「4」」

 

「「5」」

 

「「6」」

 

「「7」」

 

「「8」」

 

「「9」」

 

「「10」」

 

「「11」」

 

「「12」」

 

 え……。

 

 お、終わってるんですけど。

 

 あと一段足をあげたら、階段を登り切ってしまう。

 

「「13」」

 

 ひ、ひえっ。

 たすけ。

 

「あはは。冗談だよイオちゃん。数え方の問題もあるけど、べつに増えてないよ」

 

「そ、そうなんですね。よかったぁ」

 

 ほっとしてしまうわたし。

 緊張がやや弛緩し、しかし逆に本命が近づいてくるのを感じる。

 

『ほっかわ』『む……よく考えたらこれは』『どうした雷電』『大佐よく考えてみてくれ。いまのカウントアップを巻き戻してみるとどうだろう』『なるほど……0のところを連続させれば』

 

 コメント欄がなにか盛り上がっているが、わたしはそれどころではない。

 いよいよ音楽室が目の前に近づいていた。

 

 そして――、音が鳴っていたのだ。

 切なそうな、途切れそうな、そんなピアノの音が。

 

 みのりさんを見る。

 彼女はこくりとうなずいた。

 ヤバい全身が地震にあったみたいにガクガクしてきた。

 そういえば、カナデさんも地震のせいで……指を。

 ひええ。

 

 でもここで待っていても何も解決しない。

 校舎の中に幽霊がいる状態を続けるというのも、よく考えれば怖い。

 

 サクっとニフラムして、サクっと解決するだけだ。

 

 わたしは裂帛の気合で、ドアを開け放った!

 

 部屋の奥まったところ壁際には、音楽家たちの顔が懐中電灯の光に照らし出されて不気味に笑っているように思えた。

 

 そして、ピアノ。

 黒一色のピアノがひとりでに鳴っている!

 

 ドドドドドドドド。

 

 心臓がありえないくらいの速さで鼓動を打っていた。

 引き寄せられるように近づく。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息が苦しい。

 呼吸ができない。

 緊張で肺が収縮している。

 

 引きずるように足を動かし、ようやく見える範囲にきた。

 

 鍵盤が動いている。

 

「イオちゃん。見て!」

 

 みのりさんが指さした方向を見た。

 これは――ピアノの中腹に刻み込まれた黄金の文字。

 

 YAMAHA。

 

 うそだろ。ピアノがスタインウェイからYAMAHAに変わってる。

 

「化けピアノです。みのりさん。離れてください!」

 

「いや、あのね、イオちゃん?」

 

「ええい。浄化(ニフラム)浄化(ニフラム)浄化(ニフラム)浄化(ニフラム)!」

 

 校舎の窓という窓から、浄化の光が漏れだした。

 

『うお、まぶしっ』『イオちゃん暴走する』『恐怖の閾値を越えてやけくそモードになったんやな』『目が……目がぁ……』

 

『ぐおああああぁぁぁぁぁぁぁぁ』

 

『あれ、上のコメントなんか消えてね?』『ン?』

 

 

 

 ☆

 

 

 

「え、モニタリングですか」

 

 イオはポカンとした表情でみんなを見た。

 

 すっかり腰が抜けてしまい、その場で女の子座りをしている。

 いつのまにか校舎は明るくなり電気がついていた。

 

「そうだよ」

 

 理呼子はヨシヨシして、涙ぐんでいるイオを慰めている。

 

 つまり、昔風に言うとドッキリ大成功というやつだった。

 今度こそイオはホッとしすぎて、その場で、ぐてえっと突っ伏すのだった。

 

 ニフラムの効力は見る限り、ピカっと光っただけであるが、そもそも幽霊なんてそんなに知覚できるものでもない。

 

 視聴者の受けは悪くなかったということも付言しておく。




魔法があるんだから、そりゃ多少はね……。

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