ドラクエ魔法持ちのTS転生者なんだけど現実世界というのが問題です 作:魔法少女ベホマちゃん
炎。
爆ぜるような炎が眼前に迫り、理呼子の頬は照り返しで熱くなる。
握り締めた手のひらからは母親の焦りが伝わり、ギリギリと痛み出すほど強く握られていた。
「おちついてください。皆さまおちついてください!」
デパートの従業員は、逃げ惑う人々の群れを制御できておらず、むしろ自分の声でいっそう興奮状態を創り出している。
――火災が発生していた。
すでに理呼子がいた七階より下層は炎に包まれているのか脱出路は上にしかない。
理呼子は考える。わずかな均衡で保たれている自らの平穏。イオとは違い、理呼子はいまだ一般人のまま魔法が使える数少ない人間のうちのひとりだ。
もしも、数年後。
もっと魔法が普及した状態であったのなら、理呼子は一般人のまま、その地位は安寧される。
イオのように少し買い物をするだけで、大混乱が生ずるようなことはないだろう。
けれど、いま理呼子が魔法を使ってしまったら、異なる結果になることは目に見えていた。
優先的に魔法を伝播されるほどの人物。
魔法の祖たる星宮イオに親しい人物とされ、耳目を集めることは間違いない。
人々の怒鳴。上へ下へと大騒ぎする人間たち。
煙で前が見えず、呼吸は苦しい。
トラマナを使えば、理呼子と母親は助かるだろう。いや万が一死んでしまってもイオが生き返らせてくれる。それくらいの確信はある。
けれど――、多くの人々は?
運がよければ、もちろん自力で逃げ出すことができる。
運が悪ければ、逃げきれずに死んでしまう。
逃げきれずに死んだあと、イオが他の人を生き返らせるかというと微妙なところだ。
星宮イオが魔法を発現してから、大規模な事故や災害は幸いなところ生じていない。もちろん、日本であっても小規模な事故や災害は毎日のように起こっている。これらの対処は基本的には大人たちに任せるよう言われており、イオもおとなしく従っている。
あくまでイオが出動するのは国が亡ぶとか――そういうレベルだ。
イオ自身は、ザオリクを使う使わないも大した問題ではないのだが、不公平だと言い出す輩が必ず出てきて収拾がつかなくなるのである。
「防火シャッターが閉まってる。逃げきれないぞ! どうすんだよ!」
理呼子に選択の時が訪れようとしていた。
☆
時間は少し巻き戻り。
理呼子は母親とデパートに買い物に来ていた。
特に何を買うという目的はない。
買い物自体がストレスを下げる気晴らしなのである。
親子の触れ合いでもあった。
理呼子の母――沖田日砂子は、我が子が魔法を使えるようになったことに、いまだ慣れないでいた。理呼子と手を繋ぐ。
小さな手。
その柔らかさも暖かさも、以前と変わらない。
けれど、初めてメラを見せられたとき、正直なところ日砂子は戦慄した。
娘に対する恐怖心を抱いたわけではない。
娘が超常の力を得ることによって、他者からどう思われるかが怖かった。
簡単にいえば、排斥されるのではないかという恐怖が先行した。
――星宮イオ。
もはや地球人類で知らない人はいないと思われるほどの超有名人物だ。
そのイオと理呼子は親友であるらしい。
顔をほころばし、無邪気に魔法を使うのは、親友であるイオへの共感行為であろうと考えた。
理呼子はさほど魔法を恐れていない。
もちろん、理呼子は親のひいきめを抜いても、落ち着いた子どもであったし、イオのようにハチャメチャな使い方をするような子ではない。
例えば、ルーラが使えるようになったとしても、いまでも送迎は普通に車を使っている。
あくまで平凡な娘のまま。
だから、これは娘の成長に対するアンビバレンツなこころなのだろう。
魔法という自分の知らない世界に飛びだっていく娘に対して、引き留めたいというこころと、見守っていきたいというこころが、ないまぜになっているのだ。
今、この瞬間も、理呼子の手を強く握っているのも、まだまだ子どもである理呼子のことを離したくないという想いからである。
「理呼子ちゃん。今日はお洋服でも買いましょうか」
「うん。ママ」
ふたりしてアパレルショップの中に入っていく。
中に入ると、色とりどりの衣服たちが目を楽しませる。
べつに買わなくても、品定めするという行為そのものが楽しい。
特に母親には娘をかわいらしく着飾る権利と義務がある。
「理呼子ちゃん。こんなのはどうかしら」
日砂子が選んだのは、黒をベースに白の格子がかかるワンピースである。
上質でお嬢様然とした一品だ。
理呼子も地味だのなんだの匿名掲示板では言われているもののれっきとしたお嬢様である。
「えー。これはちょっと私にはかわいすぎるかな」
「そうかしら」
「そうだよ。こういうのはイオちゃんのほうが似合うかな」
「イオちゃん……ね」
親としては複雑な心境だ。
星宮イオがただのアイドルであったらどんなにかよかったか。
思えば、幼稚園の頃から、娘は星宮イオにぞっこんだった。
子役の仕事を始めてからはかかさずグッズの類を集めていたし、雑誌の記事を切り抜いているほどのディープなファンである。
いっしょの学園に通っているからこそ、近くにいる有名人のような感じなのだろうと勝手に思っていた。それが蓋を開けて見れば、世界を揺るがすほどの重要人物である。
娘の人物眼を疑いたくはないが、娘が災禍に巻き込まれないかは心配だった。
もう既に十分巻き込まれているのであるが。
「理呼子ちゃん」
「なぁに。ママ」
「イオちゃんとは仲良しなのよね」
「そうだよ?」
「お家に遊びにきたりはしないのかしら」
日砂子は実際にその目でイオを見てみたかった。
イオとの接触は三歳くらいとの時だから、いくらでもチャンスはあったのだが、イオが忙しすぎるということと、そもそもの話、お嬢様たちは何かと忙しい。理呼子だって、それなりに習い事をしている。それになにより、イオ自身が前世からの陰キャ属性をひきづっていたせいか、まさか理呼子の好感度がいきなりマックスになっていたことなど考えもつかなかったのである。
今はそれらの条件はなくなっている。
「イオちゃんをお家に呼んでもいいの?」
「ええ。もちろんよ。友達なんでしょう?」
「うん」
理呼子はうれしそうにほほ笑んだ。
「あ、でも、どうやって来てもらうのがいいかな。トベルーラだと目立っちゃうし、イオちゃんは自分にモシャスかけるの嫌いみたいだし、リリルーラがいいかな。ね。ママどう思う?」
「そうね。リリルーラでいいと思うわ」
既にドラクエは履修済みである。
というか、一般教養のレベルでドラクエの魔法は普及しつつあるといってもいいだろう。世界のすみずみにまで魔法が広がれば、幼稚舎の絵本にすら登場するかもしれない。小学校に「呪文」なる教科が生まれるのは既定路線だ。
「ふふ。イオちゃんがお部屋にきたら……へへ。ママ。邪魔しちゃダメだからね」
くねくねと身をくねらせる理呼子。
妙な妄想でトリップしているのか、顔は紅く息は荒い。
自分の身体をかき抱いて、妄想のイオを手中に収めているのだろう。
「え、ええ……わかったわ」
娘が変な方向にいってないか、べつの意味で心配になる日砂子だった。
☆
最初、理呼子の耳には「わーわー」とわめきちらすような音が聞こえた。
梅雨の雨音のような、どこか遠くにぼんやりと響き渡るような声である。
喧噪の中にも、人の悲鳴は不思議なほどよく通り、人の不安をかきたてる。
「なにかあったのかしら?」
日砂子がつぶやいた。
いま、出てきたばかりのアパレルショップの店員に聞いてみる。
「いえ、こちらはなんとも……」
と、そのとき。
デパート内に緊急アナウンスが響き渡った。
――火災発生。火災発生。3階の衣服コーナーにて火災が発生しました!
あたりは浮つくように騒然となったが、いまはまだわずかに他人事だ。
「あ、やべーのかな」「三階って下だよな。どっちに逃げればいいんだろ」「上じゃね?」「馬鹿と煙は上にのぼるから下に決まってるだろ」「バーカ。いまの百貨店は耐火構造しているから大丈夫だって、すぐに鎮火するよ」「スプリンクラーもあるしな」
誰かが言った言葉で安心したのか。
みんなその場で足を止めて、ゆるやかな雰囲気になる。
そしてスプリンクラー。
慈雨のように降り注ぐ人工のシャワーに緊張感は打ち砕かれた。
七階では炎すら見えなかったが、これでさらに安心したのか、悪態をつくものまで現れ始めた。
「なんだよ。スーツが濡れるじゃねえか」「どうやって乾かせばいいのよ」「デパートに賠償請求できるかな」「できるんじゃね?」「このスーツ百億円したんだが」
しばらく、緊急放送もなかった。
七階にいた者たちは、従業員の姿を探したがどこにもおらず、どう動いていいかがわからない。
アパレルショップの店員に聞く者もいたが、彼等はテナント業者。あくまで小売店であり、場所を借りているに過ぎないから、従業員そのものではない。
状況は異常であるが、いまは違和感というレベルにとどまっている。
周りが水浸しになって、理呼子も日砂子も服がびしょびしょだ。炎や煙などはこちらに来ていない。最初に感じた異変から特に動きはない。
「ママ。ここにいていいのかな?
理呼子は日砂子に聞いてみた。
緊迫感と奇妙な弛緩の広がった空間に、得体の知れない不安を覚えたのだ。
「ここだとたくさんの視線があるわ。誰かに見られるかもしれない。リレミトって建物の入り口に出現するのでしょう?」
「うん。そうだよ。敵地じゃないけど、ここでルーラが使えるかはよくわからないし……」
ドラクエのゲームをした者なら誰にでもわかる。
ルーラによって
痛そうでもあるし、なにより恥ずかしい。
ゲームならともかく現実世界でルーラの特性を忘れるようなかしこさの無さは、さすがに人類を見渡しても珍獣レベルだろう。
「じゃあ――、下に向かう?」
「そうね。そうしたほうがいいかしら」
日砂子は迷いのある声で言った。
人間には同調行為というものがある。大勢の人間が同じ行動をしていれば、それにつられてしまうのである。いま、七階には30名近くの人間がたむろしており、従業員が来るまで動こうとする気配がなかった。
その待機という行動に釣られそうになる。
動かないのが正解ではないかと、合理的な行動なのだと、甘い誘惑のようにささやきかけてくる。
また、理呼子も迷っていた。
明らかな異常事態であるが、イオのように魔法を連発するわけにもいかない。
理呼子の現在のMPは60。ふしぎなきのみを一つだけ食べて3ほど上がっているが、それでも潤沢な魔法力とはいえない。
リレミトやトラマナをかけるだけなら簡単だが――。
周りで心配そうな顔をしている人々を見る。杖をついたおばあちゃん。理呼子よりも小さな子供。赤ちゃんをベビーカーに乗せたママさん。頭皮が薄そうなおっさん。
みんな不安そうな――、いや不安な状況ではないと自分に言い聞かせるような顔をしている。
彼等を見捨てて自分と母親だけが助かるのは簡単だ。
でも、それでいいんだろうか。
それが
いや魔法に正しいも正しくもないもないし、
だが――。
「うわああああ。火だあああああああああああ!」
男の人の絶叫する声が聞こえた。
どこからか這いよるようにして赤いチラチラとした炎が舐め広がっていく。
「なんかの薬品に飛び移ってるのか。火の回りが早いぞ?」「わかんねえけどヤバくねえか?」「ここにいたらまずいぞ」「に、逃げろぉ!」
すぐにパニック状態が広がった。
人々は思い思いに逃げ惑う。本能的に火のある方向へは逃げたくないので、エレベータと非常階段のほうへ向かった。
「ダメだ。エレベータが反応しない」「下の階は火の海だ。踊り場も無理だ」「緊急放送はどうなってるんだよ」
ドタバタと駆け巡る比較的体力のある人たち。
杖をついたおばあさんが誰かにぶつかりよろめく。
理呼子はとっさに支えた。
「大丈夫ですか」
「ええ、ありがとうねぇ……」
理呼子はちらりと日砂子を見た。
理呼子が何を言いたいのか、それだけで日砂子は察した。
サラリーマン風の髪の薄い男がわめきちらしながらこちらに向かってくる。
「防火シャッターが閉まってる。非常扉も施錠されてる。逃げられない」
理呼子たちのいる場所はいつのまにか炎に四方八方囲まれていた。
まっくろい濛々とした黒煙がすぐそばまで迫っている。
足の悪そうなおばあちゃん。赤ちゃんを抱えたお母さん。
小さな子どもたち。ついでに禿げ散らかしたおっさん……。
「ママ。今度デパートに行くときはモシャスで顔を変えてだね」
「理呼子はそれでいいの?」
「うん。だって、私もイオちゃんと同じ」
――正義の魔法少女だから。
「
理呼子がモシャスを唱えたのには訳がある。
いまだ、混乱のさなか。
窓を割ろうと試みたり、炎の中を突っ切ろうとしている者すらいる。
そんな中、小学生の理呼子がみんなをひとまとめにできるかというと難しい。
できることと言ったら、魔法で注目を集めることくらいだ。
幸いなことにコスチュームについては、仔細を思い浮かべることができた。なにしろ自分でデザインしたものである。それをイオが実際にリアルものとして出現させたことで、さらにイメージは固まった。
それならば顔も変えればと思われるかもしれないが、モシャスは高度なイメージを要求される。突発的に誰かの顔に変化するというのは理呼子のレベルでは難しい。あるいはイオの顔でもよかったのだろうが、さすがにイオに責任を押し付ける形になりそうでやりたくない。
やむを得なかったのである。
理呼子が着ている魔法少女の服はフリルたくさんのかわいらしいものであるが、色合いはイオと区別をつけるために緑色をしている。緑といっても輝くようなエメラルドグリーンではあるのだが、女の子的には若干不人気色であるのも否めない。
「うおおおおおおお。魔法少女現る!」「あっ! この子は!?」「どうした?」「ご存じないのですか。あの黒髪美少女はまちがいなく魔法少女戦隊イオレンジャーのひとり、通称地味子ちゃんですぞ」「なぁにぃ!」「地味子ちゃんの前で地味子ちゃん言うなよ」
ざわめく民衆たち。
理呼子は顔半分を覆う仮面をあのときつけていたのだが、仮面はイメージの範疇に含まれない。自分で描いたものではないからだ。イオの愛くるしい顔を仮面で隠すなど持ってのほか。自分のことはわりとどうでもいいと考えていたので、仮面はそこらで買ってきた実物の品だったのだ。
つまり、理呼子は顔をさらしていた。
とりあえずのところ、熱気を抑える呪文「フバーハ」と、環境適応呪文の「トラマナ」を唱える。幸いなことにどちらも複数対象の呪文だ。ひとりひとりにしか唱えられなかったら、魔法力切れになっていただろう。
光幕に包まれて呼吸が楽になり、みんなは新たな魔法少女の登場に歓喜に沸いた。
「みなさん。私についてきてください。おばあちゃんもこっちです」
「はぁ……ありがたやありがたや。天女さんだったんだねぇ」
理呼子に向かって拝みだしてしまうおばあちゃん。
「違うよ。ただの魔法少女だよ」
「私は置いていってもらってもかまいやしませんがねぇ」
「なに言ってるのおばあちゃん」
「私は足が悪くてねぇ。一度は治ったんだが、筋肉がないのはどうしようもないんだよ。老い先短い婆さんなんかよりみんなを助けてあげてくださいな」
「おばあちゃん。バイキルト!」
理呼子がやけくそぎみに魔法を放つ。
「むお!」
筋肉増強の呪文を受けて、おばあちゃんはその場で杖をムンと二つ折りにした。
イオのように永続的に効果を長引かせることはできないが、この場をしのぐことくらいはできるだろう。
みんなが歩ける状態になったのを確認し、理呼子が向かったのは上階へ抜けるための非常扉だ。
分厚いクリーム色をした扉を抜ければ、非常階段があるはずだ。
「鍵がかかってるんだ」
ひとりの男が言った。
見てみると、非常扉には緑色のレバーがついており非常の際にはレバーを押せと書かれてある。非常扉なのだから、当然開かないはずがないのだが――。
「なぜか開かないんだよ。熱で変形しているのかと思ったけど熱くないし」
焦ったように言う男。いまは原因を追究している時ではない。
理呼子はお決まりの呪文を唱えた。
「
びくともしなかった扉が簡単に開錠される。
非常階段はひときわ防火性能が高い。
火もこちら側までは追ってきておらず、すぐさまみんな屋上へと出ることができた。
このままヘリコプターなり救助はしごなりを待っていれば、無事救出されるだろう。
既に民間のヘリが火事の様子を撮影していた。
おそらく理呼子の様子も撮影されているだろう。
いまなら稀有なコスプレ姿の女の子で済むだろうか。
「ママ。中にまだ人がいるかもしれないから見てくるね」
「理呼子。もういいじゃない。あとは大人に任せればいいでしょう。消防士さんとかがんばってる人たちはたくさんいるのよ」
「うん。わかってるよ。でも――やっぱり見過ごせないよ」
関わった以上は見過ごせない。
ただそれだけの話。
偽善といわれればそうだろう。
いままで一度も災害救助に力を貸したりはしてこなかったのであるし、魔法を私的に使ってきただけだ。大局的に見れば、理呼子がここでひとりやふたりを救ったところで何も変わらない。
数の上では――。イオがやらかさないように適度にコントロールするほうが、何億倍もの人を救える可能性がある。
だが、その本質は結局のところ人の縁だ。
数は関係なかった。ただ、同じにデパートに買い物に来ていたという縁だけでもできることがないかと考えたのである。そして、実際にできる可能性は高かった。
屋上から取って返し、今度はワンフロアずつ見ていく。
既に炎と黒煙に包まれて視界は悪いが、トラマナのおかげで問題はない。
どこに人がいるかはほとんどわからなかったが、それも
探索範囲が狭いので何度もコールしなければならなかったが、幸いにして、7階に到達するまで人の気配はなさそうだった。
6階。
魔法力が枯渇しはじめて肩で息をしている。
無尽蔵に魔法が使えるイオと違い、人並みの魔法力である理呼子にとって、魔法力とは精神力的な何かである。原理はわからないが、とてつもなく疲れるのである。
これがゼロになったら一切の魔法は行使できない。
トラマナの制限時間もイオよりはだいぶん短い。
そろそろ引き返すべきデッドラインだ。
理呼子は爆ぜかえる火の粉を払いながら、元来た道を引き返そうとする。
そのとき、か細い声が聞こえた気がした。
「……たすけて!」
濛々とした煙は視界を奪い、呼吸も奪う。
炎の熱さがじわりじわりとトラマナのバリアを貫いてきている。
環境適応が薄まっている。
あまり時間はない。
理呼子は駆けだすようにして、声をあげた。
「どこにいるんです?」
「……たすけて」
もうほとんどMPがガス欠状態だ。
レミラーマを使いすぎた。これから、救助して戻れるだろうか。
ホイミとトラマナを一回ずつ――。使えるだろうか。
そしてたどり着いた先には絶望的な光景が広がっていた。
小さな五歳くらいの男の子が飛び散ったガラスの破片の上にうずくまっている。天井も一部崩落しているのか、バラバラの破片が降り注いでいる。
見たところ瑕はないが――それよりも恐ろしいのは、衣装棚か何かが倒れてきたのだろう。押しつぶされたような大人の女性が、ピクリとも動かず横たわっていることだった。
うまい具合に炎はまだ押し寄せていないが、時間の問題だ。
「お姉ちゃん。ママ。返事しないの」
「待ってて。助けるから」
バイキルト――。
唱えた瞬間にからっけつになったのを感じた。
そのまま衣装棚を持ち上げようとする。
顔を真っ赤にして、両腕に裂帛の気合をこめる。
それでようやくにして、衣装棚をどかすことができた。
「ママぁ。ママぁ……」
うつぶせに見える女性はそれでも動く様子がない。
回復させなきゃ……。朦朧とする意識の中で理呼子が思う。
「ほ……ほいみ」
精神が困憊し、ひねりだそうとしても何も出ない。
限界だった。もう一歩も動けない。指一本すら動かせない。
ドラクエのゲームにおいてはMPが枯渇しても、戦闘行動はとれていた。
だから、多少の時間をおけば、また動けるようになるだろう。
けれど、この子のお母さんを治して、いっしょに屋上までいけるか。
理呼子はその場でくず折れるようにして倒れた。
全身が重力に落ちるがままに任せた。
このまま眠ってしまえば楽になれるのだろうか。
「イオちゃん……」
最後に最愛の友人の名を呼ぶ。
炎にまかれても、最後には助けてくれるだろうか。
再び崩落してくる天井の欠片。
スカラをするほどの力もない理呼子はそのまま、迫りくる死に対応するすべき方法はない。
砕かれる!
しかし、それは理呼子のか細い肢体ではなく、人間の身体ほどはある大きな崩落した天井のほうだった。
「理呼子ちゃん!」
「え?」
幻想ではなかった。
イオが焦燥した顔で立っていた。
「どうして……」
「火災の現場についての報道を見ました。ビルの屋上に魔法少女姿の理呼子ちゃんが立っていたんでビックリして来てみたんです。あ、マホアゲルしますね」
新生ではない普通のマホアゲルで、すぐさま理呼子のMPは回復した。
ついでに、倒れていた母親にもベホマをし、トラマナもかけているようだ。
母親のほうはすぐに気がついたらしく、イオと理呼子に向かって何度も頭を下げていた。
六歳の男の子のほうもである。
「イオちゃん。私……」
ギュっとイオを抱きしめる理呼子。
なにしろ怖かったのだ。正義の味方を気取ってはみたものの。
やっぱり死ぬのは怖い。傷つくのも怖い。
それに一番怖いのは、誰かを救えないことだと思った。
「えっとぉ。じゃあ、とりあえずのところなんですけど消火しましょうか」
「え、どうやって?」
「うーん……メイルシュトロームとか?」
「イオちゃん。それだと出火していない階も全滅だよ……」
「じゃあ、バギを滞空させて真空状態にするんです。ご存じでしたか? 燃焼とは酸素がないと発生しないのです。つまり真空状態を創り出せばおのずと炎は消えます」
「あの……それだと、周りから一気に酸素が入って、かえって大爆発とか起こらないかな? 確かバックドラフトとかいうんだよ」
「はっはっは。なかなか厄介ですね。ザバあたりでちょっとずつ消すのがセオリーですかね」
「大人に任せようよ。人命は救助したほうがいいと思うけど」
「そうですね」
それからレミラーマをしてみて、要救助者を探してみたところ。
どうやら要救助者は全員救出済みのようだった。
「それじゃあ、わたしはルーラで帰ります」
「うん。またね。イオちゃん」
理呼子は既に三十人ほどの人間に魔法を見られている。
いまさらなかったことにはできないだろう。口どめをするにしてももう遅い。
何人かはヘリで救出されて、理呼子のことを口にしているに違いない。
屋上に帰ってみると、すでに大部分の人は救出済みだった。
母親の日砂子だけが待っていた。
「ママ」
「おかえりなさい」
ただの少女に戻る時間だ。
正義の魔法少女も悪くないけれど、理呼子はまだまだ甘えていたい。
――普通の女の子として。
ところで後日、こころのないマスコミ連中にイオとの関係を聞かれたとき。
理呼子は自信をもってこう答えたという。
「イオちゃんは私の嫁です!」
えてして普通とは、その人にとっての普通にすぎないのである。
理呼子は匿名掲示板で、地味子から百合子にジョブチェンジすることになった。
番外編的なやつです。最後は焦って書いているのが自分でもわかります。
時速2000字くらいだからなぁ……。感想と評価をください。
ダメだね~的なやつでもうれしいです。ほんとです。