紫煙燻らせ迷宮へ   作:クセル

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第一〇話

 わいわい、と楽し気な大声が溢れ返る大通り。

 時刻は朝の九時を過ぎた頃。普段なら殆どの冒険者は迷宮に、市民は各々の仕事に掛かり切りであるはずの都市は今やお祭り一色に染め上げられていた。

 リボンや鮮やかな花などで飾り付けられ日常に比べ鮮やかになった通りのど真ん中や隅には、数え切れない程の出店が立ち並び、香ばしい匂いや何かを焼く音を振り撒いている。

 頭上を見上げれば紐に通された色取り取りの旗が風に靡いていた。旗の紋様は【ガネーシャ・ファミリア】を示す象頭に、モンスターを示す凶悪そうな獅子の影絵(シルエット)

 空から降り注ぐ陽光は今日という日を祝う様でもあった。

「…………」

 そんな雑踏の片隅、眼の下に薄らと隈を作り恨めし気に陽気な太陽を見上げた銀髪の少女が居た。

 興に乗って昨日の昼から一睡もする事なく調合をし続けていた彼女には弾んで聞こえるはずの雑踏が奏でる足音すらも憎らしい。 

 今日は【ガネーシャ・ファミリア】主催の怪物祭(モンスターフィリア)。都市外からも物珍しさから足を運ぶ物好き達も合わさって、普段以上の活気に包まれた都市の光景に少女、クロードは溜息と共に紫煙を吐き捨てる。

 そんな彼女の横、贔屓にしている商人の男が大声を上げて売り込みをしていた。

「新商品だよー! そこのお兄さん、どうだいこの煙草! 一服分だけ試しに吸ってみな、アンタも直ぐに虜さ!」

 声に誘われて愛煙家らしき者達が彼の差し出す試供品を一服し、即座に購入を決めて財布の紐を緩めていく。

 多額の利益をすさまじい速度で上げていく商人の男を見やり、クロードは肩を竦めた。

 クロードが与えた素材一覧(リスト)からたった一晩で配合の分量を割り出した男の──正確には彼のお抱えの調合師──には呆れながら、クロードは渡された煙草を吸って呟く。

「なんかエグいな、これ」

「あー、やっぱそう思うか? 材料はあれであってるんだよな? っと、後は任せる」

 雇っているらしい売り子の少女に出店を任せると 彼はクロードの横にあった木箱に腰掛ける。

「あってる。だが、これは……混ぜ過ぎだな」

「量が多かったか?」

「いや、()()が多すぎ。もっとさくっとふわっと軽めに混ぜないといかん」

 まあ、これでも十分にイケるが、と煙管に残った煙草を吸いきると、傍に置かれた灰鉢に灰を捨てた。

「んで、コレ作るのに何人潰れたんだよ」

「二五。ダイダロス通りの貧民で試したが、ありゃヤバいな」

「……酷ェ事しやがんな」

 調合した試作品は、迷宮都市の貧民街として知られるダイダロス通りに住まう貧民を使って試した、と悪びれる様子もなく告げる男にクロードが半眼を向ける。

「酷いも何も、あんな臭っせぇ貧民街でのさばって飢え死にしそうな奴らにとっちゃ救いだろ」

 天国にまでブッ飛べる薬でキモチイイままイけたんだから。と呟く。

「ギルドに引っかかったらどうすんだよ」

 いくらなんでも同時期に死者が多数出ればギルドも腰を上げる。そうなれば彼も逃げ続けられまい。芋づる式に自身にまで辿り着かれるのは御免だ、とクロードが警鐘を放つ。

「安心しろ。あそこじゃあ薬物中毒な(ラリってる)奴なんか珍しく無い」

 管理しているらしき神も居るが、アレもとある神様が黙らせてて見て見ぬふり。ギルドだってまともに調べたりなんかしない。バレる事なんて万が一にもありえない。

 そんな風に嘯いた彼の言葉にクロードは僅かに眉間に皺を寄せる。

「あの貧民街の神様っていやぁ、ペニア様だったか……? 」

「おうおう、『手垢に塗れた汚いお金を置いていけ~』だなんて嘯くババアだよ」

 吐き捨てられる言葉の内には煮詰められた様な苛立ちが見て取れる。

「なぁにが『富は精神を堕落させる。豊かさは体から労働を奪う』だ糞女神が。さっさとくたばって天界に帰りゃ良いんだよ」

 『貧窮』の女神ペニア。神々からも毛嫌いされている女神であり、富を蓄える富豪や商人なんかからも大いに嫌われ唾棄される程の女神であった。

 当然、眼の前の商人の男もその女神を毛嫌いしている。事ある事に『金寄越せ』『飯寄越せ』『貧乏になれ』と遠回しに説教紛いな事をされれば人によっては不愉快にもなろう。

「あの糞女神様はどうにも煙草はヤらない性質なんだよなぁ。クソ、優しい優しいディオニュソス様に酒なんて贅沢品恵んで貰ってる癖に」

「ははぁ……」

 こりゃあ、根深そうだ。とクロードは視線を僅かに逸らした。

 実はクロード、過去にペニアに恵みを分けて貰った経験がある。冒険者として回復薬(ポーション)や武具代等でまともな食事にありつけるのが難しかった成り立てほやほやの頃だ。

 空腹で腹を鳴らしながら街を散策していた彼女の前に現れ、少しのヴァリスを握らせてくれたのだ。

「まあ、嫌うのはわかるが其処まで言ってやるな」

 商人の男はかの女神ペニアを毛嫌いしているが、クロードは嫌うどころか好感を抱いている。故にほんの少し庇う様な呟きを零した。

「はん、あの女神の事を好いてるのは貧困な奴らだけさ。そもそも、貧困を脱しようとする努力すらせずに貧困に喘ぐ奴らの何がエラいんだか……『貧窮』だけ見て中身を見もしない屑女神だよ」

 自分には才能が無い。なんて嘆いてできるはずの努力すらせずに貧困に喘ぎ、女神の救いの手に縋り続ける『ダイダロス通り』の愚図共にはお似合いな女神さ、と商人の男が鼻で嗤う。

「俺もお前も、その()()()()()()()()をして這いずり上がってるんだっての」

 たとえギルドが禁ずる方法だったとしても、足りない才能を補う為にそれらに手を染めるのだ。それすらせずに才能の無さを理由に努力を止めて底辺で這い蹲る屑共と違い、男も、そしてクロードもどちらも非合法に手を染めてでも、足りないモノを埋めようとしているだけだ。

「だろ?」

 それを聞いたクロードは僅かに口元を引き締め、肯定した。

「同感だ」

 僅かに固い返事を聞いた商人の男がほんの少し首を傾げるも、クロードは肩を竦めて誤魔化した。

 それ以上の追求は無駄だと感じたのか、それとも話を変える為か商人の男は笑みを深めて問う。

「んで、新作は? その腰の回復薬(ポーション)か? それとも懐の缶か?」

「おいおい、オレが常に新作を用意してると思うなヨ。なんか出店で大々的に売ってんの見かけたから様子見に来ただけだっての」

「おう、だがその回復薬(ポーション)はアレだろ? 俺が渡した調合法(レシピ)のやつだろ」

「……いや、少し改良した奴だよ」

「なあ、一口くれねぇか?」

 頼み込む様に両手を合わせる男に、クロードは溜息交じりに試験管に収まったそれを渡した。

「へぇ、なんか少し澱んでんな。それに……色が濃い。おう、こりゃあ匂いだけでキマっちまいそうだな」

「だろ? ちなみに、薄めて飲まないとヤバい奴だ」

「…………」

 コルク栓を外して香りを嗅いでいた男が付け加えられた言葉に表情を強張らせ、無言で栓を戻した。

「……どういう意味だ?」

「一瞬でキマるぜ? だが、その後に激しい頭痛と幻聴が聞こえる事だろうよ」

 この大通りの雑踏を十倍ぐらいに濃縮した音を奏でる合唱団(オーケストラ)を頭の中に専属で雇える。と冗談めかして告げるクロードに試験管を返した男は両手で身を抱いて震えあがる。

「おお、こわっ。相変わらずヤバいもん作ってるヤバい奴だな」

「そのヤバいもんを売り回ってるお前もヤバい奴だろ」

 互いに苦笑を零し合う。どちらも危ない道を全力で駆けている者同士なのは変わりない。

「んで、希釈液か?」

「ああ、今あるか?」

「……悪いな、今は無いなぁ。倉庫にはあるだろうが、今すぐいるか?」

「いや、明日までに用意してくれ。それにしても……」

 まさか自身の独自(オリジナル)調合法(レシピ)を一晩で九割近い再現度のモノを完成させ、挙句に量産して怪物祭(モンスターフィリア)の出店で売り出すとは思わなかった。とクロードは溜息を零す。

「つか、ここまで堂々としてて大丈夫なのか?」

「問題無い。ほら、来たぞ」

 商人の男が示した先、店員の少女に声をかけるギルド職員の男性の姿があった。彼は手元の資料を覗き込みながら少女と一言二言交わすと、少女から手の平に収まる小箱をこっそりと受け取ると確認用紙に署名(サイン)を書き込んで次の出店へと足を運んでいった。

「……おいおい、買収済みかよ」

「はっはっは、こういうのは得意でね」

 出店の管理、監視を行っているらしいギルド職員までしっかりと買収を済ませる等、完璧な根回しにクロードは半眼で商人を見やって呟く。

「オマエ、まさか……」

 自分に調合法(レシピ)を聞く以前から計画していたのか、とクロードが胡乱気な視線を向けると男は慌てた様に両手を上げた。

「待て待て、この場所を売り場にしたのは前々からだし。他の売り物を出す積りだったのを急遽変更しただけだ」

 それに、分け前だってしっかり払うって約束したろ。と腕の良い違法薬師(クロード)の反感を買わぬ様に言い繕う商人の男。

 そんな彼にクロードは懐から取り出した金属缶を差し出して告げる。

「これに入るだけ。とりあえずクレ」

「ああ、希釈液の他に必要なモノがあれば言ってくれ、いつもの宿に届けさせるよ」

「了解」

 金属缶に煙草を詰めて貰い、受け取るとクロードは壁に預けていた背を離した。

「行くのか?」

「ああ、面倒な女神様が見えちまったんだ」

「あの糞女神か?」

「そっちじゃねェよ」

 クロードの視線の先、雑踏の中を少年と上機嫌なツインテールの女神の姿があった。

 クリームたっぷりの焼き菓子で女神が「あーん」と食べさせようとしている女神と、それに動揺して視線を彷徨わせ、結果としてクロードを見つけて目を見開いていたのだ。

「ほほぉん、あの白髪のお前がホの字の奴か? ──あいたっ」

「今度そのネタを口にしてみろ。今度は足が捥げるまで蹴るぞ」

 揶揄う商人の足を軽く蹴り上げたクロードは片手を上げると、金属缶を懐に納めて少年の下へ向かう。

「む、何だベル君、ボクの食べかけたものは口に出来ないって言うのかい?」

「い、いえっ!? そういうことじゃなくて、そのっ……そっ、それよりもクローズさんが居ますよ! ほら!」

 歩んでくるクロードを見たベルが慌てて彼女を指差して示す。その様子に女神は僅かに機嫌を悪くした様に膨れる。

「まさか、ボクとデートしてるさ中に他の女の子の話をするなんて。キミは本当にもう……あいたっ」

 ぽすんっ、と膨れた女神の後頭部に軽い衝撃が走る。

 クレープを手に振り返ったヘスティアが見たのは、半眼で呆れ返ったクロードの姿だった。

「クロード君! クロード君じゃないか! キミはこういったお祭りには微塵も興味が無いと思っていたけど、見に来てたのかい?」

「よう、ヘスティアにベル。とりあえず移動しろ、そこの店主の視線が痛い」

 クロードに示され、ベルが振り向くとクレープ屋の店主が生暖かい視線を少年に向けていた。

 傍から見れば女神といちゃついてる所に嫉妬した少女が割り込んだ様にしか見えない事に気付いたベルが表情を強張らせる。その様子に店主が、ぐっ、と親指を立てて少年に笑いかけた。

「いやっ、ちがっ、そういうのじゃ……」

「ベル君、ほら行こうじゃないか! 勿論、クロード君もね!」

「はぁ……ダンジョンに行く積りなんだが……って、聞いてねぇし」

 ともすると何処か壊れた様な上機嫌さで二人の手をとった女神に先導され、ベルは困った様な笑みを浮かべ、クロードは不機嫌そうに口をとがらせた。

 

 


 

 

「────んで、ヘスティアはわかるがベルはどうしてお祭りに? ダンジョンに行ってるもんだと思ってたんだがね」

 闘技場から響く大歓声が外にまで響き渡っており、中で行われる調教(テイム)劇がよほど激しい事を知らせる闘技場周囲。

 楽し気な女神に振り回されて歩き回っているうちに辿り付いた最も混雑している地域に疲れた様なクロードの問いかけに、ベルは、はっ、と思い出した様に小さなガマ口財布を取り出した。

「そうだ、僕、シルさんに財布を届ける様にお願いされてて!」

「……? あのシルが? わざわざ財布を?」

 抜け目無いシルが、財布を忘れる? そんな事が有り得るのか。と普段のシルとの付き合いから首を傾げるクロードを他所に女神が小さく首を傾げる。

「誰だいそれ?」

「はい、酒場の女の子なんですけど、財布を忘れてお祭りに出かけちゃったみたいで────」

 テンションが高すぎて話を聞いてくれなかった女神がようやく話を聞いてくれるとあってベルがしっかりと説明しようとして、途端にヘスティアは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 数日間ヘファイストスの所で頼み込み、ようやく頼みの品が出来て向かった先、眷属二人と出会いお祭りを回れる奇跡的な出来事があって浮かれ切った女神が一気に現実に引き戻された様に半眼でベルを見上げる。

「まぁた、女の子かいベル君」

「え? いや、あの神様、何か勘違いしてませんか?」

 人に頼まれただけです。とベルがあわあわと言い訳を重ねているのを尻目に、クロードは買った串焼き肉を頬張り────響き渡った悲鳴に目を見張った。

「え、悲鳴?」

「なんだいなんだい? 何があったんだい?」

 遠くから響き渡る悲鳴に人々が一瞬立ち尽くし、何があったのかと悲鳴の聞こえた方向へと視線を向ける。

 丁度、ベル達の視線を塞ぐ様に大荷物を載せた馬車が立ち往生していた為、三人には何が起きているのかはわからなかった。

『ガァアアアアアッ!』

「ひぃっ!?」

 大荷物を載せた馬車の荷台が弾け飛ぶ。載せられていた瑞々しい青果が宙に舞い、甘い香りを場に満たす。

 危うく引き潰される寸前だった馬が嘶き、御者だった男が転げ落ち────人々に悲鳴を上げさせる原因が現れてベルとヘスティアが凍り付いた。

「な……モ、モンスター?」

「どうして、こんな街中に……」

「……【燃え上がれ、戦火の残り火】

 全身に真っ白な体毛を生やしている。ごつい体付きの中で異常に隆起した両肩と両腕が目立ち、銀の頭髪が背中に流れ尻尾の様に伸びている。

 『シルバーバック』。

 余りにも突然の出来事に人々は凍り付いて動きを止めていた。

 腰を抜かす者、青褪めて口を覆う者、頬を抓る者、呆けて口を空けたまま見上げる者。そんな中に交じる女神と少年を他所に、一人の小人族が詠唱を唱え煙管に火を入れながら叫ぶ。

「呆けてんな市民(クソ)共ォ! 全員、逃げろぉおおおおおっ!!」

 その警鐘を皮切りに、呆けていた市民達が絶叫を上げて散り散りに逃げていく。それを尻目に叫ぶと同時に駆け出した少女は、左手に普通の煙管を、右手に喧嘩煙管を握り締めシルバーバックへと突っ込んでいく。

 叫び飛び出してきた小柄な少女に対し、シルバーバックは腕を振るった。

 ガコンッ、と拘束具と喧嘩煙管がぶつかり合い火花が散る。

 周囲の邪魔な市民をどかす為に叫んだ所為で奇襲として成立せず、呆気なく防がれた事に舌打ちを零しながらクロードは悪態を付く。

「クソッ、【ガネーシャ・ファミリア】は何してやがんだ!」

 拘束具が付いたままという事はつまり、この『シルバーバック』は怪物祭(モンスターフィリア)の見世物として地上に連れてこられたモンスターと言う事になる。

 本来ならば厳重に檻に閉じ込められ、万が一にでも脱走なんて出来ない様にしているはずのそれが街中に現れるなんぞあってはならない。

 とはいえ、ある意味この怪物は運が無い。見える範囲に武装した冒険者が居たのだから。

「クローズさんっ!」

 自身の名を呼ぶ声に振り返ったクロードは逃げずに女神と共に立ち尽くす少年を見やり、苛立たし気に吐き捨てた。

「ぼ、僕も……た、たたか……」

「うるせぇ糞餓鬼が、ブルって動けねぇ足手纏い庇う余裕なんかねェんだよ! わかったらさっさと逃げろ!」

 明らかに狼狽して足を震わせ動けない様子の少年。一応、彼もダンジョンに行く気だったのか防具もしっかりと身に着け武装はしているが、とてもではないが戦えそうな雰囲気ではない。

 ヘスティアに視線を向け、クロードは告げる。

「さっさとその兎連れて逃げろ!」

「……わかった、クロード君、気を付けるんだよ!」

 彼女の実力からして、目の前のモンスターに遅れはとらないだろうとヘスティアがベルの手を取り、背を向ける。

『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 凄まじい大咆哮。

 背を向けて逃げようとした女神を見たシルバーバックは、咆哮に怯んだクロードを飛び越えてベルとヘスティア目掛けて突っ込んでいく。

「えっ?」

「……神様!」

 間一髪、少年が女神を抱えて飛び退いた瞬間。数舜前まで二人が居た空間をモンスターの巨躯が押し潰した。

 飛び散る瓦礫片に紛れて転がる二人を見て、クロードは目を見張る。

(嘘だろ、オレじゃなくて二人を狙った? ────有り得ねェ!)

 本来ならば攻撃しようとしたクロードに意識(ヘイト)が向いて他に視線をやるなんてありえない。

 新米では相手にならない強さとはいえ、上層に出現し、頭が回るタイプのモンスターではない。目の前の敵から叩き潰そうとする単調な獣染みた行動をとるはずの怪物が、攻撃者(クロード)ではなく逃亡者(ベルとヘスティア)を狙うのは有り得ない。

「────こりゃあ、【ガネーシャ・ファミリア】を後でとっちめねェとな」

 調教(テイム)されている。

 本来ならば有り得ないその行動は、調教(テイム)によって教え込まれたモノの可能性が非常に高い。  

 彼の神、ガネーシャは自らを【群衆の主】を名乗っており、その在り方は善神そのもの。他の神を嵌める様なやり方は絶対にしないと言える。つまり他の神が何かしでかしたか、【ガネーシャ・ファミリア】を貶める為の行為か。

 どちらにせよ、彼女の行動に変化はない。

「此処で潰すッ!!」

 きょろきょろ、と呑気に舞い上がる土煙に紛れたベルとヘスティアの二人を探すシルバーバックの背中目掛け、クロードが喧嘩煙管を振るおうとし────

「クロード君っ、危ない!」

 ────女神の放った警告に身を引く。

「んぁっ!?」

 最後の踏み込みを留め、横っ飛びに跳んだ瞬間。少女の居た空間に、ザンッ、と鋭い空を切る音が響く。

 飛び退いて人気の消えた大通りの端に転がったクロードが顔を上げると、其処には別種のモンスターの姿があった。

 姿形は牡鹿によく似ている。しかし決定的に違うのは、雄々しく生えた角が鋭い刃となっている所だろう。二回り程大きいその目は爛々と真っ赤に染まり、クロードを真っ直ぐ見据えて前足で地面を蹴っていた。

「────嘘だろ、中層のモンスターじゃねェか」

 『ソードスタッグ』剣の様に鋭い角を備えた牡鹿のモンスター。出現階層は中層。

 視線をやれば、彼のモンスターが通ってきたであろう通りにあったモノは片っ端から切断されて転がっている。それこそ、木組みの屋台から、鋼鉄製の魔石灯まで。その切れ味がどれほど鋭いのかを物語っていた。

 そんな中層の怪物がクロードを標的と捉えて嘶いている。

 突然現れた乱入者を他所に、シルバーバックはヘスティアを狙って手を伸ばしており、ベルが慌てて女神を抱えて逃げ出していく。

 最初に攻撃を加えたはずのクロードの事など頭に無いのか、そのまま二人を追っていく雄猿を他所に、クロードは溢れ返る冷や汗を零しながら牡鹿と対峙した。

「くはっ……ヤベェ……このモンスターはヤベェ」

 防具とか以前に、あの剣角に触れただけで叩き斬られる。だったらシルバーバックの方がはるかにマシだし、そもそもシルバーバックならまだしも、中層の怪物なんて相手にしていられない。

 ダンジョン内で人目が無いならまだしも、街中で遠くから観戦してる(バカ)まで居る所で奥の手も切れない。

「……あァ、クソ過ぎるだろ」

 他の冒険者は応援に来ないのか、と大通りの中央で紫煙を燻らせたクロードは、直ぐに諦めた様に溜息を零し、横っ飛びに飛び退いた。

 ギャリギャリギャリィイイイッッ、と剣角の先で地面を削りながら突っ込んできた牡鹿の突進を回避しながら、横っ腹を殴ろうとするが攻撃距離(リーチ)が圧倒的に足りない。

 クロードが手を伸ばして喧嘩煙管が届く限界の範囲(リーチ)ですら、剣角の範囲(リーチ)内である。回避の為に距離をとっていたのでは攻撃が出来ない。

「──クソッ!」

 二度、三度と大きく円を描いて突進を繰り返し続けるソードスタッグに対し、クロードは回避するので手一杯だ。

 能力(ステイタス)と体格さえあれば真正面から受け止めて叩き潰す所だが、彼女にはそんなものはない。

 回避し続けてもジリ貧である事に加え、ベルを追って行ったシルバーバックも彼女からすれば気掛かりの一つだった。

 もし、もしも、だ。万が一にでも少年が女神を守り切れず、命を落とす事があれば。

 少年が死んだのなら、運が悪かったな、と鼻で笑うだけで済む。しかし女神が死んだのであれば────それはつまりクロードの恩恵が無効化される事を意味する。

 全身全霊で回避を繰り返してようやく生き残っている状況で恩恵を失うなんて、考えたくも無い事だった。

「……クソ過ぎ、マジで、クソだなこのっ!」

 やり過ごそうにも、大通りから外れた下手な細道では剣角の回避すらままならずに切り刻まれてお陀仏。大通りでは能力(ステイタス)差から逃げる事も出来ない。

 故に、彼女に出来るのは女神が死なない事を祈りながら救援を待つ事のみで────

(糞喰らえってんだ)

 吐き捨てた。

 心の底から、自身の考えを唾棄する。

 能力(ステイタス)が足りない。状況が悪く魔法やスキルが使えない。運に見放された。

 そんなちんけな理由で、自らの置かれた状況を打開しようともしない。そんな腐った人間(クズ)に堕ちる事など、彼女には耐え難い拷問にも等しい事だった。

「くはっ、見てろよ神々(クソ)共」

 大きく息を吸い、何度目かの突進攻撃に対しクロードは地を蹴った。木組みの屋台を足掛かりにして大通りの左右の店の壁を蹴り、更に高く。そのすぐ真下を、モンスターの剣角が抉る。

 真下を駆け抜けたソードスタッグは即座に反転し、中空から落下中のクロードを標的に定めた。

 ただ落ちる事しか出来ない彼女は、次の攻撃は回避できない。

【肺腑は腐り、脳髄蕩ける────堕落齎す、紫煙の誘惑】

 落下しながらの詠唱。加えて一瞬だけ喧嘩煙管から手を放して腰のポーチから回復薬(ポーション)────薄めていない濃度の濃い方────を取り出し飲み干し、懐から取り出した金属缶の中身を一気にぶちまけ、着火。

 迫る剣角を前にクロードは多量の紫煙を纏いながら獰猛に嗤い、中空に舞う喧嘩煙管を両手で引っ掴んだ。

 紫煙をソードスタッグの剣角が切り裂き、彼女の身体を切り刻まんとした瞬間────クロードが両手に持った煙管を全力で振るう。

「これでも、喰らってろぉおおおおおおおおおおおおっ!」

 喧嘩煙管と剣角が真正面からぶつかり合い、甲高い音色を響かせた。

 ミシリッ、と軋む音が響き、次の瞬間には剣角が圧し折れ、牡鹿の巨躯が押し返される。

 飛び散る剣角の破片を他所に、大きく後ろに弾かれたクロードはその勢いのままに転がりながら大きく怯んだソードスタッグを睨み、詠唱を唱える。

【此の世に満ちよ、汝等に与えられた火の加護よ────戦場に満ちよ、汝等の加護(のろい)が齎す災厄よ】

 転がりきった所で、満ちた魔力を周囲に散った煙に向ける。

 怯みはしたし、剣角の片方を圧し折られた。それでも戦意を漲らせたままのソードスタッグは残された片方の剣角で切り刻まんと、三度目の突進を────出来なかった。

 牡鹿が足を進めんとするが、動けない。

 風に流されてしまいそうな程に頼りない紫煙が、まるで堅牢な拘束具を思わせる程の拘束力を持って牡鹿を抑え込んでいた。

「くはっ……ああ、糞……鼻血が出やがる」

 ボタボタッ、とクロードは鼻から血を零しながら牙を剥く様な、獣を思わせる様な笑みを浮かべて牡鹿を真正面から見やった。

 灰に染まった瞳の奥、燻る炎を思わせる深紅の色が浮かび上がる。燃え残った火の光に、牡鹿は何を想ったのか怯えた様に後退ろうとする。しかし、紫煙の拘束は解かれていない。

「おいおい、ビビんなよ……それでもモンスターか?」

 鼻血を袖で拭い、それでも溢れてくる血をクロードが舐め、右手を牡鹿に差し向けた。

 瞬間、周囲でただ揺蕩うだけの紫煙が形を変えていく。

 鋭く尖った杭だ。一度刺されば抜けなくなるように、大きなかえしのついたそれらが数え切れない程の数が切っ先を牡鹿に向け、全方位から囲んでいる。

 怯えて恐怖した様に身をくねらせ、拘束から脱しようとする牡鹿。

 クロードはそんな様子を気にするでもなく、開いた手を、閉じる。

 瞬間、その動きに反応した様に無数の杭が一斉に牡鹿目掛けて飛来した。瞬く間に刺さる所が無くなる程に杭を突き込まれ、針の筵ならぬ杭の筵状態だ。

「終わった、か」

 鼻血を拭いながら彼女が魔法を解くと、紫煙で形作られていた無数の杭は空に溶ける様に消えていく。

 穴だらけの原型を留めない肉の塊を前に、クロードは軽く息を吐いた。

「ああ、クソッ、鼻血が止まらねェぞ。こんな副作用は想定外だな……」




 オクスリ過剰摂取の副作用で鼻血ブシャー。

 加えて、この後中毒症状の幻覚とか幻聴とかで気が狂っちゃ────元から狂ってますね。なら問題ありません。

 なにも、もんだい、ない。いいね?

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