紫煙燻らせ迷宮へ   作:クセル

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第一一話

 本来ならば人で溢れ返っているはずの大通り。

 突然のモンスターの出現によってほとんどの市民が逃げ出し、今や怪物が刻んだ破壊の痕跡がいくつか残るのみとなっている。

 そんな通りの中央で小人族(パルゥム)の少女は溢れ出てくる鼻血を抑えて顔色を真っ青にしていた。

「ああ、ヤバい……」

 血が止まらない。加えて頭痛が彼女の脳内を搔き乱して視界が揺れ始める。

 ぐらり、と姿勢を崩しかけながらも、袖を真っ赤に染めたクロードは聞こえる咆哮に嗤いを零した。

「くひっ、おいおい……まぁだ、怪物の咆哮(こえ)が聞こえんぞ……」

 ついさっき格上の『ソードスタッグ』を()()()に変えたばかりだというのに、と少女は、ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を零して顔を上げ────表情を強張らせた。

 彼女が使用したのは瞬間的にイイ気分にさせる代わり、重度の中毒症状によって幻聴と頭痛を誘発する自作薬物の作用を持つ回復薬(ポーション)だ。それの副作用か鼻血が出ていた彼女は、てっきり今なお聞こえ続けていたモンスターの咆哮は幻覚だろう、と思っていた。

 しかし、それは違う。

「あ、ははっ……おい、おいおい……追加注文した、記憶はねェんだけどな」

 血塗れの袖で垂れてきた鼻血を拭い、大通りを我が物顔で歩む異形達を見上げたクロードは、引き攣る頬を強引に釣り上げ、腰のポーチをまさぐる。

 一匹は『トロール』。巨人のモンスターで知性は低いものの、その巨体から繰り出される攻撃は並の冒険者を防具諸共拉げ壊すのに十二分な威力を持っている。

 もう一匹は『バグベアー』。熊のような見た目をした大型級モンスター。野生動物としての熊の危険性を鑑みれば説明されずともわかる程の危険性を持つうえ、その両腕には鋭い大爪が備えられている。

「二匹、どころか……こうなると、もっと沢山逃げてんだろォな」

 口角を吊り上げたクロードは薬の効果が切れる前に、と煙管に煙草を入れようとポーチを漁り続け、その口角が徐々につり下がっていく。

 口をへの字に曲げたクロードは、完全に自身を標的と定めて速度を速める二匹のモンスターを前にし、呟いた。

「……さっきので使い切ったわ」

 既に『紫煙』は風に攫われてその場に無い。そして触媒であり紫煙の発生源として使用するはずの煙草も全て使い切った。残っているのは違法回復薬(ポーション)が数本と、治療用の包帯や止血剤等のみ。

 舌打ちを零した彼女は、このまま立ち向かっても打つ手が無いと即座に身を翻そうとして────微かに響いた声に足を止めた。

『────逃げても、良いんだぞ?』

 ぐるんっ、と声の聞こえた方向へと視線を巡らせる。

 周囲に立ち並ぶ建物の二階、もしくは三階から聞こえたと思しき声にクロードは視線を上げて探し回る。

(誰だ…………何処だ…………何処に、居やがる!)

 奥歯を強く噛み締め、口内に流れ込んだ血を吐き捨て、クロードは声の主を探そうとして────ズンッ、と石畳を力強く踏み付ける音を聞いた。

「────ぁ?」

『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 雄叫びと共に毛むくじゃらの巨腕を振り下ろそうとする『バグベアー』。

 自身が先ほど聞いた()がただの幻聴だと気付きながら、クロードは即座に身を投げ出しながら煙管を盾にし、弾き飛ばされる。

 ごすんっ、と鈍い音と共に、小さな体が呆気なく吹き飛ばされて大通り中央に設置されていたいくつかの露店を蹴散らしながら飛んでいく。

 壺や工芸品等が並べられていたらしい露店の商品陳列棚に突っ込んだクロードは、覆い被さっていた天幕の布地を払い除け、残骸の中から這い出た。

「ぐっ、ぁ……はぁ、ぜぇ……あぁ、糞……」

 腕に刺さった金属片を見やり、クロードは自身を攻撃した熊のモンスターを見やる。

 彼の怪物は得物が仕留め切れていない事に腹を立てたのか、咆哮を上げてクロードを真っ直ぐ見据えていた。その後ろ、トロールは露店の商売道具として置かれていたであろう魔石焜炉を両手で持ち上げていた。「おい……待て、んな……クソッ!」

 モンスターの腕力による全力投球。

 クロードが慌てて飛び退いた瞬間、魔石焜炉が露店に叩き込まれ────炎上。

 火を止めずに店主が逃げていたのか、それとも熱せられていた焜炉が他の可燃性物質に反応したのか、一瞬で大通り中央に炎が立ち込める。

「あぁ、痛ェな……クソ、クソッ!」

 炎に煽られながらも回避した先、待ち構える様に巨腕を振り上げた熊顔にクロードは得物を構えようとして────握って居た筈の得物が無いことに気付いた。

 それどころか、右腕が肘の辺りからぶらぶらと頼りなさげに揺れている。

「や、べぇ……!」

 彼女が気付かぬ間に、彼女の腕は折れていたのだ。そう、最初にバグベアーから放たれた一撃を防御した、あの時にはすでに。

 回避ではなく防御を選んでしまった。故に、クロードは今更回避行動はとれない。

 クロードが身に着けている軽装では、巨爪を防ぐこと等不可能だろう。故に、詰み。

「──────」

 もはや他にとれる行動の無いクロードは、優しく響く声を聞いた。

『誰もキミを責めないさ。そんな努力なんかやめて、好きに生きればいいんだ』

 何処までも優しく、気を使った様な、声。腑抜けた、気持ちの悪い、父親の声だ。

(五月蠅ェ……)

 幻聴であり、彼女にとっての走馬灯が駆け抜けていく。

 優しい、と言えば聞こえはいい。実際の所は婿養子として母の家に名を連ねただけの凡人で、居所が無いせいで気弱に育っただけの腑抜け。

 子供に無理をさせようとしない、良い父親だった。と言えば聞こえは良い。実際には『才能が無かった』と全てを諦めて養ってもらってる紐。

 そんな実父が、毎日の様に優しく()()を諭す。『キミには才能が無いんだ』と。

 カッ、と体の内側から発火した様な熱が溢れ返る。身を焦がし、心を焦がし、魂を焦がす。全てを焼き尽くさんばかりの怒りと憎悪。

 無駄だから、才能が無いから、そんな風に諦めて腑抜けた笑みを浮かべるあの父親に。

(あァ、クソ過ぎんだヨ……どいつも、こいつも)

 そして何より。

(頑張って、努力して、外法にまで身を染めて……この程度なのかよ)

 大きく振りかぶられた巨腕、自身の体を引き裂くであろう大爪を見やり、クロードは少しでも致命傷を避けようと努力を続ける。

 顔と胸を庇い、致命傷を避ける。運が良ければ救援が間に合って、運が良ければちょっと体を齧られるだけで済んで────()()()()()()

(────じゃあ、死んだ方がマシだな)

 結局、最後に生き残る奴は。運の良い奴だった。

 兄達にはクロードには無い溢れんばかりの才能があった。だが死んだ。糞程くだらない、陳腐な理由で命を落とした。そして、才能の無い凡人(クズ)だけが生き残った。

(そうだよ、いま、みたいに)

 刃が閃き、振り下ろされるはずだった巨腕がくるくると宙を舞う。

 クロードには知覚できない程の速度で突然に割り込んだ誰が、銀の射線を走らせる。

 呆気なく、バグベアーの腕は切り飛ばされた。そして、すかさず放たれた剣尖が熊のモンスターの胸を貫く。

 瞬く間に灰が舞い散る中、クロードは姿勢を崩して石畳に転げ、顔を上げる。

 その時には既に、もう一匹のトロールは灰塵となって風に乗って舞っていた。

(また……死に、損ねたか)

 瞬く間に、ほんの一瞬の間に、自身では手も足もでなかった怪物は。一人の冒険者によって瞬殺された。呆気なく、余韻も残さず、あたかも端からそんなモンスター等存在しなかったかのように、金髪の少女はとんっ、と石畳に軽い音を立てて降り立った。

「……大丈夫ですか?」

 金の長髪をたなびかせ、振り返った【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの問いかけに、クロードは軽く息を吐いて折れた腕を上げた。

「これが大丈夫に見えるなら、大丈夫なんだろうよ」

 皮肉気に呟かれた言葉を聞いたアイズが、直ぐに応急処置をしようと足を踏み出しかけ、止まった。

 遠くから悲鳴と怒号が響いている。逃げ遅れた市民がモンスターに追われているのだと察し、目の前の怪我人か市民、どちらを優先すべきか判断に迷うアイズ。そんな彼女にクロードは肩を竦めた。

「行けよ、オレはこう見えても冒険者だぜ? 腕一本折れただけの軽傷さ」

「……でも、血塗れですよ」

「優先すべきは冒険者よりも市民だろ」

 きっぱりと告げたクロードは立ち上がり、折れた腕の位置を調整しながら歩き出す。

「何処に行くんですか?」

「あァ? 市民救出に行く様にでも見えるか? これ以上は御免だね。【剣姫】様も来た事だし、邪魔者は帰る事にすんだヨ」

 肩を竦めたクロードは折れた腕を抑えながらふらふらと悲鳴の上がった方向とは反対へと歩んでいく。途中、圧し折れて転がった煙管に視線をやって、深く溜息を零している。

 その背を見たアイズは、直ぐに反転して悲鳴の上がった方向へと全速力で駆け出した。

 

 


 

 

 闘技場施設の直近にてクロードは治療を受けながらギルト職員から質問を投げかけられていた。

「それで、モンスターを倒した、と?」

「アァ、だからそう言ってんだろォ?」

 腕が折れたまま現場を離れようとしていたクロードは、運悪くモンスターを探し回っていた冒険者に発見されて保護されたのだ。

 傍から見れば片腕が折れ、血塗れの状態は保護するに値する状況故に仕方が無いだろう。だが、クロードとしては直ぐにでも白髪の少年と女神を追わなくてはいけない状況であったのだ。

 それ故に解放を望んだものの、いくらなんでもその怪我をほうってはおけない。自分達が対応する、と引き留められている。

「んで、白髪の新米冒険者と女神様は見つかったのか?」

「いや、まだそういった報告は上がっていないが」

「だったら、さっさと治療を終わらせろ。テメェら薄ノロ派閥がモンスター逃がした所為でこちとら大怪我なうえ、恩恵くれた女神様がぶっ殺される寸前なんだぞ!」

 荒い口調で吠えるクロードに対し、彼女を保護し治療院まで連れてきて様子を見ていた冒険者が表情を歪ませる。

「【ガネーシャ・ファミリア】を『薄ノロ派閥』だと!」

「アァ? モンスター逃がして市民に迷惑かけといて、何が『群衆の主』だ、嗤わせんなよ。テメェ等が薄ノロじゃなかったら、何だってんだ? どんな理由がありゃあ、他派閥の女神の(ケツ)追っかける様な発情猿を逃がすってんだ?」

 挑発的、というよりはもはや喧嘩腰で件の派閥、【ガネーシャ・ファミリア】の構成員である冒険者に声を張り上げるクロード。

 彼らが逃がしたモンスターに殺されかけ、挙句直ぐにでも追わなければ危ない状況に女神があるというのに怪我人は大人しくしていろ、と抑えられて動けない。

 まるで自作自演(マッチポンプ)の様な状況に彼女の苛立ちは最高潮に達しようとしていた。

 派閥を侮辱されて顔を赤くした冒険者が我慢ならない、と彼女に詰め寄ろうとしてギルド職員に抑えられている。

「お、落ち着いてください! それに、貴女もあまり挑発的な事を言わないでください!」

「退け! その無礼な小娘を黙らせろ!」

「あっはっは、無礼だなんだって吠える前に、さっさと自分達で逃がしたモンスターを自分達で始末しろ。自分のケツも拭けねェ【ファミリア】の癖に一丁前に吠えんなよ。一匹はオレが仕留めてやったんだろォがよ!」

 むしろ感謝して足でも舐めろ、とクロードが挑発し、激昂した冒険者の男が剣を抜きかけた所で、声が響いた。

「ああ、相変わらず口わっるいなぁ~」

 気の抜けた様な笑みを浮かべて現れたのは緋色の髪をした女神。

 つい先ほど、逃走したモンスターの鎮圧に協力した【ロキ・ファミリア】の主神、ロキだ。

「アァ? ロキか、何か用かよ」

「いやぁ~、いくらんでもガネーシャん所に喧嘩売るんは止めといた方がええって忠告しに来たんやで?」

 周囲に聞こえる程の大声のやり取りに聞き覚えのあったロキが様子を見に来たのだ。

「おい、ロキ、こいつら黙らせろ。テメェ等には貸しがあんだろ、手ェ貸せ。オレはさっさと行かなきゃいけねェんだよ」

 相当苛立っているのだろう、大派閥の主神を顎で使う様な言動にギルド職員が青褪めた。

 都市最大派閥の【ガネーシャ・ファミリア】に対し『薄ノロ派閥』等と侮辱し、都市最強派閥の【ロキ・ファミリア】の主神を顎で使う。冗談にしても酷い。

「んな事言われてもなぁ~……」

 対し、ロキの方は青褪めるギルド職員に軽く目配せをし、ガネーシャの眷属に声をかけた。

「この子の事はウチに任せてくれへん?」

「いくら協力に応じてくれたロキ派閥の主神の頼みでもできません。こいつは【ガネーシャ・ファミリア】を侮辱した」

「あァ? 侮辱ゥ? 事実の間違いだろォが、ンな事もわかんねェのか。本物(マジモン)の薄ノロじゃねェか」

「こいつ……っ!」

 もはや抑えるのも限界か、とギルド職員が白目を剥きかけ、ロキが大きく手を叩いた。

「はい、すとーっぷ。二人とも止めえや。特にクロード。今はウチの子らがモンスター探しに出て行ってくれとるから大丈────」

「五月蠅ェんだよ、黙れ!」

 宥めようとするロキの声を掻き消す様に、クロードが吠えた。

 ロキが眉を顰め、ガネーシャの眷属を留める。

「あー、こりゃあ……はあ~。とりあえず落ち着きいや。今の所、怪我人はぜ……アンタ一人やし。他に怪我人はおらん。ドチビも無事やろ」

「怪我人がゼロ? はっ、テメェが仕組んだのか? ()()()()()()()()()()()()()()?」

 濁った瞳でロキを見据え、クロードがショートソードの柄に手をかける。苛立ちは限界を迎えかけ、今すぐにでも爆発しそうな程に膨れ上がった怒気にロキは表情を引き締めた。

「まず、ウチは何もしとらん。せやけど、この騒ぎが何か仕組まれとるかもしらん、とは思っとる。情報も欲しいし、何があったんか教えてくれへん?」

「……オレを無視しやがった」

「無視?」

 わなわなと震えたクロードが苛立たし気にガネーシャの眷属を睨みつける。

調教(テイム)済みじゃなきゃ説明が付かねェよなァ? モンスターの習性を知り尽くした【調教師集団(ガネーシャ・ファミリア)】ならよォ?」

 爆発寸前の状態で抑え込んでいるクロードの睨み付けを受けて、睨み返すガネーシャの眷属。彼も頭に血が上って話を理解できていないらしい。

 しかし、クロードの話を聞いたロキはおおよそ察しがついた。そして、クロードが激昂しかけている理由も察した。

 要するにクロードは、この騒ぎは【ガネーシャ・ファミリア】が意図して起こした事じゃないのか。それに巻き込まれたのではないか、と勘繰り、キレている。

 そして口の悪さが祟って、ガネーシャの眷属をキレさせている。その結果、話が大きく拗れている訳だ。

「はぁ~、クロードたんは口の悪さ直した方がええよ~?」

「あァ?」

「んで、そっちも、とりあえずここはウチの顔に免じて今は引いてくれへん?」

「しかし!」

「頼むわほんま。それに、ウチとデートする予定やったアイズたん働かせといて、ここでガネーシャん所の子が問答しとるっちゅうんやったら……なぁ?」

 激昂していたガネーシャの眷属が一瞬で青褪め、正気に戻る。

 自身の派閥が起こした問題を放っておいて侮辱された事に対処する暇があるのに、他派閥の眷属を働かせる積りか、と。

「……っ、そこのお前、後で覚えていろよ!」

「テメェこそ忘れんなよ。武器の修理費と治療費、テメェらに請求するからな」

 最後まで挑発を止めようともしないクロードに対し、男は咄嗟に言い返しかけ、ロキに笑顔を向けられて舌打ちを零すとその場を去っていく。

「あの、ありがとうございます。神ロキ」

「ええよ、それよりこの子の相手はウチがするから他の応援行ったってえな」

「はい」

 一触即発の状況で青褪めていたギルド職員もロキに礼を告げると、他の所で職員に助けを求めてやってきた市民の対応の方へと駆け出していく。

 その様子を見ていたロキが振り返り、クロードの方へ視線を向けると。

「って、何やってんねん」

「あァ? さっさと、女神探しに行くんだよ。文句あんのか?」

 折れた右腕に添え木を着け高位回復薬(ポーション)をぶっかけただけの簡易な治療しかしていないクロードは、何事も無かった様に血塗れのまま女神を捜索に行こうとする彼女にロキは溜息を零しかけた。

「その怪我で動くんは良くないで」

「はっ、五月蠅ェな。どいつもこいつも……本当に、五月蠅い」

 ギリリッ、と奥歯を噛み締めたクロードが五月蠅い、五月蠅いと呟きながらふらふらと歩いていこうとする。

 半ば呆れながらもロキはそれに続こうとし、突然足を止めたクロードを見て首を傾げた。

「どしたん? 行くんやないん?」

「………………」

 クロードがじっと見つめる先を見やり、ロキは眉を顰めた。

『娘がっ、娘が居ないんです!? この騒ぎで逸れてしまって……』

『落ち着いてください。ご息女の特徴を教えてください……』

 混乱をきたす市民を誘導している様子のギルド職員達の方へと視線を向けている事に気付いたロキは、ほんの少し首を傾げる。

 先までの激昂寸前な様子から打って変わって、今のクロードは凪いだ様に大人しい。だが、その奥に凄まじい熱量が秘められているのは察しがつく。一体、彼女が何を見てそんな風になったのか察しがつかずにロキが眉を顰める横で、クロードは一点を見つめていた。

 ギルド職員に詰め寄っている男達が居た。

『俺の露店がモンスターに潰されちまったじゃねえか!』

『どうしてくれんだ、稼ぎがパァだぞ!』

『お、落ち着いてください。この件に関しては騒ぎが落ち着き次第、補填の方を……』

 声を張り上げて文句を叫ぶ露店商人達にギルド職員がわたわたと対応している。

 その様子を見ていたクロードは、何も言わずにそちらに足を向け、進んで行く。それを見たロキは荒事になるかもしれないと危惧して周囲の冒険者に視線を巡らせるが、この場にはロキの眷属は一人も居ない。加えて、戦力になりそうな冒険者はほぼ出払っており、残っているのは非戦闘員のギルド職員等ばかり。

 クロードが爆発したら不味いな~、とロキが表情を険しくした。

 そんな女神の思惑等知った事ではない、とクロードは大声でギルド職員に詰め寄る男達を無視して通り過ぎ、その奥、座り込んで頭を抱えている者達の方へ近づいていく。

「んぁ……? なんや?」

 喚く者たちに突っかかるのかと思えばそうでも無いのか、とロキが安堵しかけ、すぐに表情を強張らせた。

 あろうことか、クロードは頭を抱えて座り込んでいた集団の前で足を止めたのだ。

「あ、あかんかも知らんなぁ~」

 【ガネーシャ・ファミリア】への侮辱に関しては、彼女自身が逃走したモンスターと戦闘を行って負傷していた事もあり、性格的に仕方ないと庇おうとは思う。しかし、流石に市民に対して手を出すのは庇えない。

 止めようと足を進めるロキの前で、クロードは彼らを見下し、口を開いた。

「あァ、悪かったなァ? テメェらの露店潰しちまってヨォ? こちとら、【剣姫】様と違って強くもなんともねェ、ただの雑魚冒険者なんだわ。あんなクソデカなモンスター相手にチビっちまうぐれぇのな」

「な、なんだお前……」

「なんだって、謝りにきてやったんだろォが」

 後ろから見ていたロキが思わず吹き出しかける。少なくとも、謝りにきた者の態度ではない。上から目線で見下ろす彼女に対し、露店商人らしき男達は完全に怯んでいる。

 彼女が血塗れなのもそうだし、あの場で咄嗟に市民を逃がして彼らを庇った冒険者だから、というのもあるだろう。しかし、だとすると彼女が彼らに『謝る』理由がわからない、とロキが首を傾げる間に、クロードはへらへらと嗤いだした。

「オレみたいな糞雑魚冒険者が勝手に搔き乱した所為で、アンタ等の露店潰れちまってさァ? 悪かったよ」

「ま、待てよ。別にそこまで言ってないだろ」

「あァ? 『【剣姫】みたいにさっさと倒してくれれば俺の露店は潰れなかったのに』なんて文句垂れて何言ってんだ? どいつもこいつも文句ばっか一丁前に垂れ流しやがる。生まれ立ての赤ん坊かっての」

 男達が言い返そうと立ち上がるのを、クロードは見向きもしない。

 その様子に彼等も頭に来たのか立ち上がり、彼女を睨み付けた。

 ただでさえ混乱している市民を更に混乱させようとしているクロードの行動に、ギルド職員が青褪め、その中のハーフエルフの女性が慌てて彼女を止めんと飛び出してくる。

「待ってください。落ち着いて、クローズ氏も今は言葉を謹んで……」

「あァ? んだよ、エイナかよ」

 反省の色を見せないクロードと怒りの色を宿した露店商人達に挟まれたエイナがどちらから宥めるべきか、と視線を彷徨わせる間に、血がこびりついた銀髪を揺らしたクロードが懐から煙管を取り出し、口に咥えた。

「まァ、いいわ。今度からソイツ等がモンスターに襲われてても、オレは真っ先に逃げる事にするヨ。なんたって、ソイツ等は【剣姫】様に助けて欲しかったみたいだしなァ」

 オレみたいな糞雑魚冒険者が出しゃばり過ぎたワ、と吐き捨てると、エイナの制止を無視し、クロードは駆け出した。

 残った露店商人達にエイナが一言二言告げ、直ぐに別の対応に追われてぱたぱたと駆けていく。

 ロキは残った露店商人達が零す愚痴に僅かに耳を傾け、納得した後に肩を竦めた。

「そりゃあ、クロードもキレるかぁ……」

 

 


 

 

『【剣姫】はサクッと片付けてくれたのに、あの冒険者ときたら……』

『あの冒険者がもっと早く仕留めてくれれば……』

 人通りの少ない路地を駆けるクロードの鼓膜には、先の商人がぼやいた愚痴がこびりつき、反響していた。

 やけに苛立つ。異常な程に自身の沸点が低くなっており、喧嘩っ早くなっているのを自覚できる。加えて、幻聴が耐えやまず響き続け、彼女の精神を犯していた。

「クソ、クソ……【剣姫】みたいに? 出来る訳ねェだろ」

 冒険者として活動しはじめて早2カ月と少し。ランクアップすらしていない駆け出し冒険者の彼女に求めるのは酷と言える要求。────露店を潰された彼らからすれば、知った事ではないが。誰しも、その立場に立てば文句を零すに決まっている。彼女にも、それが理解できる。

「……るさいな」

 聞こえる。彼女の鼓膜にこびり付いて離れない台詞の数々が。

『あの天才音楽家の弟さん? 是非とも聞かせて欲しいわ』

『へぇ、この子があの剣道で優勝したアイツの弟か。一本、勝負してみようぜ?』

『あの人の弟なら、これぐらいわかるわよね?』

 無駄に重たい期待の言葉。期待されている、兄達の様な活躍を、兄達の様な天才性を、皆が期待するのだ。

『……えっと、とても、独創的だと思うわ』

『なんだ、アイツの弟だっていうからもっと強いと思ったんだけど、この程度か』

『こんな事もわからないの? 本当にあの人の弟?』

 何故、何故、何故。その期待に応えられない。何故、その期待に沿えない。

 努力を重ねても、何をしても、その期待に掠りもしない。何故、どうして?

「五月蠅い、五月蠅い!」

 楽器が奏でる不協和音が、竹刀を素振りする音が、本の頁を捲る音が、ペンを走らせる音が、耳にこびり付いて離れない。

 耳障りで、不愉快な音が途絶えない。薬の副作用だといのは、彼女にも理解できる。だが、耐えられるかどうかは別だ。

「五月蠅いなァ!?」

 人通りの無い裏路地、置かれていた木箱を蹴り砕いたクロードは、荒い息を吐きながら一歩を踏み出す。

 重い期待の数々。応えられないそれらは重く、苦しく、何より応えられない自分自身に苛立つ。そして、そして────。

『キミには才能が無かったんだよ』

 目を見開いたクロードは、煙管の吸い口を噛み砕いた。

 破片が唇に刺さり、血が零れ落ちる。黒ずみはじめた血塗れの首元に新たな赤色を付け加えながら、吸い口を噛み砕いた煙管を投げ捨てる。

「五月蠅ェんだよ」

 誰もかれもが、最後にはこう言うのだ。『才能が無かった』と。

「黙れよ」

 『才能が無かった』。と、都合の良い言い訳の様にそんな事を口にする。そんな者達の大半が────。

「くひっ、嗤えるよなァ……」

 引き攣ったような笑みを浮かべ、クロードは顔を上げた。

 目の前にはよじれた様な通路、壁から不自然に飛び出した正方形の部屋、入り混じる無数の階段。ともすれば騙し絵(トロンプ・ルイユ)と言われても納得しそうな程の雑然とした街が広がっていた。

 未だに鼓膜にこびり付いて離れない雑多な音にクロードは肩を揺らしながら、その奥から聞こえる僅かな戦闘音に耳を傾けた。

「……あァ、其処か」

 都市の貧民層が暮らす複雑怪奇な領域。都市設計をした奇人の名を称されたその場所は、『ダイダロス通り』。

 一度入れば二度と出てこられないとすら言われ、そして納得してしまえるだけの複雑怪奇な区画だ。

 その奥、微かにモンスターの咆哮が聞こえる。少なくとも、幻聴に囚われているクロードの耳には届いている。

「くひっ、こっちか……」

 まるでそこに住まう者達の様に、一切迷う事なく音の発生源に複雑怪奇な軌道を進んで行く。

 徐々に近づく戦闘音に、クロードは最後に残ったショートソードの柄を強く握り締め、音の出処らしき場所に近づく。

 大きな三軒の家に囲まれた袋小路。場所は特定できている。

 故に、クロードは迷わずその場へと突入しようとし────足を止めた。

 本来ならば白いはずの『シルバーバック』の背中が見えた。それは、灰色に染まっていた。

 つい先ほどまで激しい攻防があったのか、周囲には瓦礫が散見されるのに、モンスターは時を止めたかのように動かない。

 遂には、時を止めていたモンスターの体が、ボロリ、と崩れ落ちる。瞬く間にその体は灰となり、風に攫われて消えていく。

「……ンだよ、他に冒険者が居たのか」

 慌てて来て損した、とクロードがぼやこうとして────モンスターの陰に存在していた人物を見て息を詰まらせた。

 カランッ、と一本のナイフが石畳に転がり落ちる。

「………………」

 そして、歓声が響き渡った。

 隠れていたであろう市民達が顔を出し、口々に()()冒険者を褒め称える声が響き渡る。

 ぞろぞろと市民達が姿を現すのを他所に、呆然とその場面を見ていたクロードは、一人の男に声をかけた。

「おい、アンタ……ここに、シルバーバック、来ただロ?」

「ああ、アンタ冒険者かい。遅かったね、あの子が一撃で仕留めちまったよ! って、アンタ血塗れじゃないか、大丈夫なのか!?」

「あァ、治療済み。慌てて追ってきた、だけ……だヨ」

 白髪で、赤眼で、兎っぽい見た目の少年が『シルバーバック』を相手に、()()()仕留めた、と。

 誰もかれもが褒め称える中、人混みに埋もれたクロードは、口角を吊り上げて嗤っていた。

「くはっ……オマエ、ソッチ側なのか」




 一つ連絡事項。

 誤字修正下さった方々、誠にありがとうございます。

 ですが、幾人か誤解された方がいらっしゃった様ですので一つ連絡の方させていただきます。

 クロードのフルネームは『クロード・クローズ』です。

 そしてベルはクロードの事を家名(クローズ)の方で呼んでいます。

 そのため、ベルの台詞に関しては『クローズさん』という呼び方は間違いではないので報告の方は必要ありません。

 同じ報告が幾度も来ていました為、周知して頂けると助かります。

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