紫煙燻らせ迷宮へ 作:クセル
薄霧が立ち込めている。
朝靄を思わせる様に視界を白く滲ませる薄霧だ。
場所は、ダンジョン10階層。
ルームは広く、天井までの高さは一〇
木色の壁面は苔むしており、地面には短い草が生えて一見すれば草原にも見えなくはない。
この特色は8~9階層にも類似しており、違う点は薄霧。朝靄を思わせるソレだった。
その薄霧に包まれた階層。何も知らなければ地上の草原と見紛うそのルームの中で、霧の中に赤い火を灯して歩む
「……ったく、誰だァ? ンな所で血肉なんか使った馬鹿野郎は?」
不機嫌そうにルーム内に転がっている血肉、モンスターをおびき寄せる為の撒き餌の痕跡を睨む。
場所は10階層に入ってそう深くもないルームの一つ。中央付近には『
「使われたのはだいぶ前か……んで、尚且つドロップ品は未回収、ったぁ……何処の馬鹿だよ」
薄霧の中、微かに見える躯の方へと歩み寄ったクロードは、鋭利な刃物で一閃されて即死したであろうオークを観察して首を傾げた。
ルーム内に見える痕跡を纏めると、以下の通りだった。
一つ目、血肉の使用の痕跡。
二つ目、モンスターが『
三つ目、集まったであろうモンスターは圧倒的実力を持つ冒険者に一掃された。
四つ目、冒険者の死体は一欠けらも無い。
「……はぁ、何処かの馬鹿が無茶して喰われて、んで上級冒険者が後片付けした、か?」
薄霧の中に広がっている惨状からクロードが予測できる事はそう多くはない。
まず一組目の冒険者達がオーク狩りの為に血肉を使用し、全滅。それを見つけた上級冒険者がオークを掃討、その後、冒険者達の死体だけを回収して撤収した。
「無いな」
即座に考え付いた推理を全否定した。
9階層以前の階層から、10階層へを降りたつ冒険者は必ずギルドの専属アドバイザーか、先輩冒険者から強く注意を受ける。何故ならば、10階層からはモンスターだけでなくダンジョンそのものの
その一つが視界を悪化させている薄霧。
そしてもう一つが『
一見すればただの背景にしか見えない木や岩、植物であるそれらは、モンスターが手にした瞬間に変貌を遂げる。枝葉が失われた枯れ木は無骨な棍棒へ、ごつごつした大岩は重厚な大斧へ、咲き乱れる巨花の花弁は鋭利な短剣へ、巨木に絡み付く蔦は一本の槍へ。
ダンジョンが持つ厄介な特性の一つ。この生きているダンジョンが、モンスター達へ与える
「『
破壊されても地形が修復される様に、モンスターが壁面から生み出される様に、『
撒き餌である血肉を使ってモンスターをおびき寄せるなんて真似をするならば、付近にある『
だが、今クロードが見ている痕跡群にはその形跡が見られない。
「……何がしたかったんだかなぁ」
まるで、誰かが嵌められたようにも見える、と口の中で呟きを零した。
『
「…………流石に、死んだか?」
最近、目覚ましい成長を見せる少年がきな臭い派閥に所属するサポーターを雇ったらしい。
そのサポーターは獣人の子供で、背丈や髪色等の特徴は、時折話題に上がる手癖の悪い
もしかしたら、この場で嵌められたのはベル・クラネルではないか。助けに入った冒険者が居たのは確かで、件の人物の死体こそ残っていないが、命を落として躯だけは駆け付けた冒険者が地上に連れ帰った可能性はゼロではない。
「……はっ、馬鹿馬鹿しい」
女神ヘスティアにはしっかりとクロードから注意はしておいた。
ベル・クラネル本人と会うのは控えはしたが、女神から遠回しの忠告がベルに告げられた筈であり、それを聞いた上でそのサポーターと関わり続けて罠に嵌められたのだとしたら、クロードからすれば手の施しようのない状態だった、としかいえない。
「とりあえず、魔石は剥いどくか」
ベルがどうなったのかは二の次。今この場で気に病んでも仕方が無いと切り捨てると、クロードは懐から剥ぎ取り用のナイフを取り出してオークの首無し死体に突き入れた。
暫し無言で魔石を剥いでいたクロードは、この場にある両手両足の指の数を超える死体を見回して舌打ちを零した。
「よっぽど急いでたのか、それとも興味が無かったのか。剥ぎ取りを迷ってすらいなさそうだな」
その場にある首無し死体の数、そして残された灰山の数。倒されたモンスターの数は少なく見積もってもおおよそ四八匹。その殆どが魔石もドロップアイテムもそのまま放置されているのだ。
余程急いでいたか、そもそもこの程度の雑魚から得られる魔石の価値なんかに食指が動かない程の実力と到達階層を持つ冒険者であったのは間違いない。
残されているオークの死体はどれも首を一閃か、心臓を一突き。反撃も許されずに、どころかこのオーク達は自らの命を奪い去ったであろう下手人の顔すら見ていない可能性が有り得る。
一体、どれほどの手練れの冒険者が救援に駆け付けたというのだろうか。
鋭利な刃で一閃された首無し死体の一つを見つめたクロードは、ふと最近会った第一級冒険者を脳裏に思い描いた。
「……【剣姫】か? これ、やったの」
クロードの記憶の中にこのオークの首無し死体と重なる光景があった。
上層で
結果だけを述べると、ベル・クラネルは生きていて、件の
前者は自身の目で確かめ、後者はお得意様の冒険者様が話していた内容からの推測だ、とテランスから手紙で教えて貰った情報から知った事だ。
クロード自身が感じた事と言えば、前者については『魔法を得て更に加速した』であり、後者については『知るか、ンなもん』で
つい先ほどまでは。
「……死んだ、じゃねェだろォが。生きてんじゃねェかあのガキ」
冒険者よりも一般市民の方が多く、冒険者の間で顔が売れに売れまくっているクロードにしてみれば他の通りに比べて
カフェから聞こえる姦しいやり取りに思わず耳を奪われた。
その姦しさは男の取り合い。キャンキャンと吠えたてる様なモノではなく、バチバチと火花を散らすやり取りだった。それだけならクロードは足を止める事なんてするはずもない。だが、その時聞こえた声の片割れは彼女の知り合い────彼女に恩恵を授けている主神に声だったのだ。
「────
「いえいえこちらこそ。
「「………………」」
姦しくも刺々しいそのやり取りに視線を向けたクロードの視界に飛び込んできたのは、片や幼女、片や幼女。
いじらしくも可愛い幼い外見の幼女二人が────片方は身体の一部が幼女とは程遠いが────白髪の少年の両手をとって睨み合い、火花を散らす光景だった。
もはや呆れてものも言えない。片方は自らの主神。
ベル・クラネルを溺愛する幼女女神。片や見知らぬ子供、だが最近の噂と出来事、そしてベルの底抜けの優しさから誰なのか察する事は容易い。
もし、もしもこの時にクロードが武装していたのであれば。間違いなくベルの腕に抱き着いていた茶髪の小人族の脳天をカチ割り、その中身を大通りにぶちまけてやっていた事だろう。
厚顔無恥にも騙して罠に嵌めた相手の腕を抱き寄せ、姦しく喧しい男の取り合いに興じる? 冗談も大概にしろ、とクロードは内心で吠え立て、直ぐにその場を後にした。
「あァー、気持ち悪ィ奴だよ……ったく、次顔見たらぶっ殺しちまいそうだ」
ここ数日は大人しく新薬の開発を止め、既存の薬物のみでダンジョンに潜っていた為、慣れた副作用のおかげか苛立ちは少なく済んでいたというのに、あの光景の所為で苛立ちが増した、と無意識に懐から煙管を取り出そうとして、周囲の人々から向けられた視線に気付いたクロードは無言で煙管を懐に納めた。
クロード・クローズという冒険者の特徴はほぼすべての都市の住民に知れ渡っていると言っても過言ではない。
最短記録を大幅に塗り替えた、フィリア祭で活躍した冒険者。それも人前で盛大に魔法までぶちかましている。
特徴的特徴、それはくすんだ銀髪であったり、整った顔立ちであったり、いくつもある。が、その中でやはり目につきやすいのは煙管。喫煙している事だろう。
小人族でありながら人前で堂々と煙管を吹かすのは珍しい。ましてや普段から呼吸する様に煙を吹かしているのはクロードぐらいだ。故に、煙管を手にした小人族というだけで変に注目を集める。
「……あぁ、ムカつく」
大通りで目立てば面倒臭い。間違いなく鬱陶しい勧誘が待っている事は目に見えているのだから、苛立ちを抑えるべく吸おうとしていた煙管も直ぐに仕舞う。
吸えない理由は大いに理解も出来るし、自身も分かっていて即座に吸うのをとりやめる。だが、吸いたいのに吸えないという不満を抑える事なんぞ出来る筈が無い。
「面倒臭ェんだよなァ」
普段なら苛立ちを紫煙と共に吐き捨てて、中空に消え去るのを見送る。しかし今日は言葉と共に虚しく人々の放つ雑踏に掻き消されるのを感じ取る。
普段と違う、更に煙管を吸えない。苛立ちを抑えるべく懐から煙草代わりに燻製肉を取り出してガジガジと齧りだしたクロードは、その小さな体躯から異常な圧を放ちながら細道を抜けていく。
一般人であっても気付くそれを、冒険者達が気付かない筈が無い。
北西のメインストリート、冒険者で溢れ返った『冒険者通り』に出た外套姿の小人族は自然と注目を集めていた。
「おい、あれ、クロード・クローズじゃないか?」
「あの最短記録のか? 勧誘に行こうかな。主神に頼まれてんだし」
「馬鹿止めとけ、裏路地で潰された上級冒険者の話、聞いただろ」
「あれ、絶対クロード・クローズだよな……?」
パーティと思しき集団が迷宮探索の為の買い出しの途中ですれ違った人物に視線を奪われて直ぐに逸らして去っていく。
「なぁ、アンタ、最近最短記録叩き出したクロード・クロー……」
冒険者の一人がクロードに話しかけた瞬間、ギッ、と槍の突きと見紛わん様な眼光を以てして睨まれた彼は表情をこわばらせて両手を空高く上げて硬直した。
苛立ちが最高潮に達しかけているクロードは、周囲から向けられる遠慮の無い視線に更に頬を痙攣させ、額に青筋を浮かべながら固く筋張っている燻製肉をギチリ、と噛み千切っる。
「何か用か? 勧誘か? ぶっ潰すぞ」
「っ、な、なんでもない!」
ギザギザに噛み千切り取られた燻製肉が、ほんの一瞬だけナイフに見える程の威圧に声をかけた冒険者は悲鳴を零しかけながら反転して転がる様に逃げていく。
その背を見送ったクロードは残った燻製肉を再度咥えなおすと、広い大通りの先にある
正午を過ぎた中途半端な時間。ほとんどの冒険者がダンジョンに潜っているこの時間帯はギルドは非常に空いている。故に、姿を隠して訪問しやすい、とこの時間に訪れようとしていたクロードは背負っていた袋を担ぎ直すと、見知った受付嬢の姿を探す。
込み合う程の冒険者は居ないにせよ、苛立った様子の同業者が入ってきた事で余計な注目を浴びて更に苛立ちを募らせていたクロードは、目的の受付嬢の姿を見つけ、同時に会いたくもない人物と視線がカチ合ってしまった。
「……【剣姫】かよ」
「クロード・クローズ……さん」
「え? あ、クローズ氏……」
美しい金髪に、陶磁器の様な肌を持つ美人剣士。第一級冒険者の【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインその人だった。
「チッ、時間を改めるか」
「待って」
「ンだよ」
有名人と目が合った瞬間に嫌そうな表情を浮かべて回れ右をした瞬間。その人物から待ったがかけられる。
クロードは即応する様に苛立った様子を隠しもせずに肩越しに振り返った。
「あの、貴女に聞きたい事が────」
「オレは【剣姫】様みてェなお人に話す事なんざありゃしねェよ」
言い終わるより前に、その言葉に被せる様にして強引に話を終わらせる。
何よりクロードが最悪だと感じているのは、今のやり取りで周囲に居た少ない数の冒険者達が自分の正体に辿り着いている事だろう。軽く依頼品の納品と報酬の受け取りを、なんて考えていた過去の自分をぶちのめしてやりたい気分に染まっていた。
そんな取り付く島もないクロードの様子に、アイズは僅かに眉尻を下げる。
どうすればそんなに早く強くなれるのか。自分をして一年かかったLv.2へと至る偉業を、如何にして成したのか。自分が強くなるためにもその秘密を知りたい、と思っていたアイズからすれば、非常に困った状態と言える。
自身がいかに会話が苦手なのかはおおよそ理解している。そして、対話を成さんとしている相手はよりにもよってフィンですら『関わらない方が良い』と匙を投げる程のコミュ障────
まともな対話なんぞ端から期待は出来ない。だからと言って諦められない、とアイズはなんとか彼女との会話を成立させんと口を開こうとして、なんと口にすればいいのかわからずに僅かに唇を歪めて固まった。
対するクロードの方は既に自分の正体が周囲に露呈した事によって開き直っていた。此処まで来て引き下がって後日報告、なんて七面倒臭い。ましてや
【剣姫】が受付から離れたらそこで手続きする、と決め込んだ彼女はフードを取り払って不機嫌そうな表情で早くしろ、とアイズを促す。
周囲の冒険者も押し黙り、固唾を飲んで都市有数の第一級冒険者と話題沸騰中の問題児の様子を伺っていた。
そんな時だった。
「エイナさーん、話したい事がー…………あれ?」
「ベ、ベル君……」
急ぎ駆け足気味に入ってきた白髪の少年が凍り付くロビーの様子に気付いた時には既に遅い。
クロードが一方的に【剣姫】を睨み場を硬直させていた場に入り込んだ異物。空気が読めなかった、というよりは急ぎ過ぎて空気に気付かなかった哀れな兎が、【剣姫】とクロードの視線を奪った。
エイナがあちゃー、と額を抑え、アイズが僅かに目を見開き、クロードは
三者三様の反応の中、ベルの方も頭が真っ白になっていた。
「──────」
当然の事と言えるだろう。
数日前、派閥に所属してはいないものの同じ主神から恩恵を賜っていた先輩冒険者が、前代未聞の最高速で【ランクアップ】を果たしていた、と知り、それを知ってから話す処か顔を合わせても居ない先輩冒険者がそこに居て。
なおかつ、自身が恋焦がれて憧れて、憧憬の相手である第一級冒険者【剣姫】が居たのだから。
もしこれがクロード一人なら、怯えながらも話をしにいっただろう。だが【剣姫】まで居ては無理だった。彼の頭の中は完全に真っ白に染まり上がっていた────なお恐ろしいのは、そんな状態でありながら、体に放たれた命令は『逃走』の二文字の所だろうか。
表情をこわばらせたそのまま、白髪の少年の体が回れ右をした。
その様子を見たクロードは眉を顰め、アイズは彼の不自然な様子に「え」と小さく零し、エイナはベルの唐突な行動に目を見開いた。
「ベ、ベル君!? 待ちなさい!」
駆け出した。
凍り付く空気の中に飛び出してきた兎は脱兎の如く、駆け出したのだ。
背を向けて、一目散にギルドのロビーを飛び出していく。
それを見たエイナが思わず引き留めんと声を張り上げ、彼女の同僚達は少年の行動に理解を示した。
こんな修羅場なら誰だって逃げる。自分達だって受付嬢の仕事が無ければ直ぐに逃げたい。そう思う一同を他所に、クロードは舌打ちを零し、アイズは一陣の風となって彼を追った。
「……はぁ、おいエイナ、行ってやれ」
「え?」
「其処の受付嬢、テメェ代わりに対応しろ。
外から聞こえる情けない悲鳴、それが途絶えると同時に親指で外を示したクロードはすぐ横で暇そうにしていたヒューマンの受付嬢の長台に持ち込んだ納品対象のドロップアイテムが入った背嚢を叩きつける様にして置いた。
「エ、エイナ~」
「ミィシャ、手続きの仕方はわかるでしょう……?」
「そんなぁ」
背丈も低く顔立ちも整っていて可愛らしいはずなのに、そのすこぶる悪い目付きで全て台無しな少女の対応を本人から押し付けられた同僚の情けない悲鳴を、エイナは合掌と共に見送って長台の内側から出てベルの後を追った。
目つきが悪い、というか機嫌も悪そうなクロードを見てびくびくしながら対応した受付嬢は、いつ爆発するのかわからない爆弾の様な少女を前に半泣きのまま
「オッタル。あの子、また強くなったわ」
「重畳、ですか」
「ええ」
迷宮の真上に築かれた
銀髪の女神はワイングラスを手に取りながら、選りすぐりの従者と話題に興じていた。
「見違えたわ。【ステイタス】がどうこうじゃないの。魔法という切っ掛けを手に入れただけで、あの子の輝きは一層鮮やかになった……私の目には器が洗練された様に見えたわ」
テーブルの上にある魔石灯の光が蝋燭の様に揺れる。その光にグラスをかざし、水面に反射する光を眺める。
照らされる若い白ワインには色の深みは無い。勿論、味わいも。
フレイヤは、その透いた色合いを楽しむ様に瞳を細めて眺め、グラスに口付けた。
「……もう一名、名をクロード・クローズ、でしたか。其方の方は?」
従者に問われ、フレイヤは静かに若い白ワインの入ったグラスをテーブルに置き、深く、余りにも深すぎて赤では無く黒色に見える赤ワインの入ったグラスを取り上げた。
「そうね……目を凝らしているのだけれど、まだ見えないわ」
年代物の赤ワインは、深紅、ともすれば黒に近い色合いに僅かにゆらゆらと頼りない蝋燭の様な光が揺れ、芳醇な香りが鼻腔を擽り、舌を湿らせる程口に含めばそれだけで酔いしれそうな程の味わいを醸し出す。
ともすれば、直ぐに舌が馬鹿になってしまいそうな程に、芳醇で、それでいて癖が強過ぎる。
「此処まで見通せないのは珍しい。それでいて、しっかりと強くなっていっているわ」
────否、強くなる。とは少し違うのかもしれない。
「どちらにも共通しているのは、輝きを邪魔する淀みがある。ベル・クラネルの方はわかりにくいけれど、クロード・クローズの色合いはそれが全て」
ベル・クラネルにもクロード・クローズにも、どちらにも足る器はある。けれど芯が足りない。否、芯そのものはある、でもそれが曇っているのがベルで、曇りそのものがクロード。
「そうね、オッタル、貴方はどう思う?」
「どちらについてでしょうか」
「どっちも」
フレイヤが振り返り意見を求めた。まるで何のことも無いような質問の様に投げかけられた問いに、巌の様な獣人は暫し口を引き結び、考え込む。
「因縁かと」
「因縁……?」
「前者、ベル・クラネルに関しては、ですが。フレイヤ様がお話してくださった、その者とミノタウロスの因縁……払拭できない過去の汚点が、本人の預かり知らない場所で棘となり、苛んでいるのかもしれません」
オッタルの語った内容は、あくまで想像に過ぎない。その想像も、フレイヤが聞かせた話からのものであり、女神が聞かせたその話も、直接ベルの口から聞いた事はなく、あくまでそれらしい話が耳に入っただけ。
そして問題はもう一人の方。
「では、クロード・クローズはどうかしら」
「……嫉妬と羨望、そして反発、いえ、反抗と言えばいいのでしょうか」
「反抗、ねえ」
女神が求める問いに答えんと必死に考え込む従者に愛おしさを感じつつも、女神はほんの少し、ほんの一瞬だけ見え隠れしている件の冒険者の事を脳裏に思い描いた。
反抗的な態度。
相手が誰であれ、態度を変えない。
格上の上級冒険者複数相手でも、都市有数の大派閥である【ロキ・ファミリア】が相手でも、自らの態度を改める事は無い。
それはきっと、美の女神である自分の前でも変わらない。そんな確信すら有りそうな程に。
「私には見えなかったわ」
ベル・クラネルの様に透き通っていて、ほんの少しの翳りすらもわかる様な状態ではない。
全てが淀み、染みつく煙によって不明瞭な部分ばかりが目立つ。そのくせ、問題児そのものの行動を貫いて反省する気が全くない。
「オッタル。貴方には、クロード・クローズはどう見えたのかしら?」
「はい、私には彼の人物は────誰よりも
従者の言葉を聞いたフレイヤが、静かに赤ワインで唇を湿らす。
鼻腔を擽る芳醇な香りに、僅かに舌先に触れる深い味わい。ほんの小さな灯りではまともな色合いすら見えぬ黒に染まった様な赤ワイン。
「真っ直ぐな、芯。ロキもヘファイストスも、ヘスティアでさえ
名だたる神達が、口をそろえて『歪んだ子だ』と言い切るその人物に対し。武人は『真っ直ぐな芯を持つ』と言った。
「興味深いわ」
フレイヤは二つのグラスを並べてテーブルに置いた。
弱々しい光の中で、透いた色合いを見せる若い白ワインと、深い色合いながら、あまりにも深すぎて黒にも見える熟成された赤ワイン。
二つのグラスに揺れる水面に映った微かな光を目にしたフレイヤは口元に笑みを浮かべる。
「そう、そういう事」
弱々しい蝋燭の様な光如きでは、この深く染まった赤ワインの色合い等、見通せるはずもない。
「なら、オッタル。今度のあの子への働きかけ、貴方に任せるわ」
並べられた二つのグラスの内、若い白ワインのグラスをオッタルに差し出す。
「……して、もう一人の方は?」
「手出し無用。ただし、邪魔する様ならば、貴方なりに
深い色合いを持つワインを楽しむには、相応の光量が必要である。そして、揺らさなくては真なる色合いを見る事など出来やしない。
存分な光量は近くに
「……潰してしまうかもしれませんが」
「構わないわ。それに、それで潰れるのなら、その程度だったという事でしょう?」
その深く染まった色は、どんな色合いを見せるのか。想像に頬を緩ませる女神に、従者は深く頭を下げた。
「お望みとあらば」
クロードくんちゃんの精神が潰れるのが先か、肉体が耐えられなくなるのが先か。
チキンレース……楽しく、なってきましたね。
戦争遊戯編で終わらせる、と言ってましたが。
フリュネを皮肉ったり煽ったりさせたい欲がほんの少しだけあったりなかったり。ただ問題は、フリュネの性格だと『不細工が嫉妬してるよぅ~』で済んじゃいそうなんですよね。あの図太い神経は見習いたくなります。