紫煙燻らせ迷宮へ   作:クセル

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第二四話

 木色をした壁面、背の低い草花が繁茂する広い空間。フロアの端にあった木の陰に身を横たえていた銀髪の少女が、身動ぎをして身を起こした。

 暫しの間、寝惚け眼で周囲を見回していた彼女は、頭を掻こうとして銀髪にこびり付いていた乾いた血に気付いて動きを止める。

「ンァ……なんだ、ここ……」

 若干の困惑と、混乱をしていた彼女は次第に蘇ってくる記憶に断片から、自身の身に起きた事を察した。

 【イシュタル・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の抗争を尻目に地上を目指していた彼女は階層の片隅、広間の隅の木の陰で休息をとる積りだったのだ。

 だが、度重なる薬物の乱用、そして大派閥同士の抗争に首を突っ込み、藪蛇を突いて女戦士二人と交戦。これを撃退するも、彼女自身の体力の限界が近かった。故にか、ほんの少し、数分だけ身を休める積りが盛大に意識を失って気絶に近い状態で倒れていた。

 それも、彼女が取り出した歪んで閉じなくなった懐中時計の時刻から察するにほぼ半日近く、である。

「……はぁ、なンつー悪運だよ」

 迷宮内で単独行動しているさ中に昏倒。

 岩陰に身を隠す様にしていたとはいえ、意識の無い無防備な状態で、半日の時を過ごした。

 運が悪ければ──否、普通ならばモンスターに見つかって八つ裂きになるはずだ。だが、彼女は運良く、ある意味運悪く昏倒中にモンスターに見つかる事も無く目を覚ました。

 とんでもない悪運(幸運)の持ち主だ。

「死んどけよ、クソが」

 自らに向けた呪詛を呟き、乾いて固まった血によって草花が絡む髪の毛を鬱陶し気に払うと、罅の入った喧嘩煙管を担ぎ直した。

 半日も眠っていて無傷。モンスターに見つからなかった等有り得ない事のはずだ。そんな事は容易に想像できる。大派閥二つの抗争によって周辺のモンスターが一掃されていたのだろうか。

「ンな筈ねェだろ」

 自らが考えた安易な推測を全否定して、周囲を見回した。

「何処だ、ここ」

 確認する様に言葉として口に出し、そこでようやく彼女は自身がダンジョンの何処に居るのか把握していないのに気付いた。

 周囲の風景やダンジョンの特徴から、上層。それも薄霧も出ていない事から9階層だという察しはつくが、9階層の何処に居るのかがわからない。

 懐から地図が描かれた紙を取り出し、血で真っ黒に染まったそれを見たクロードは舌打ちを零すと、破り捨てた。

 どの道、地図を見て現在位置がわかる訳ではない。ダンジョン内では方位磁針が役に立たない為、自らの位置を割り出す事が出来ないのだ。

 ダンジョン内で迷子になった場合どうするのか。それは至って簡単。

「他の冒険者、探すか」

 時刻は少し早めではあるが、この時刻ならば他の冒険者も居るだろう。とクロードは歩み始める。

 他の冒険者が今の自身を見たらどう思うか。間違いなく、ヘマこいて死に掛けた間抜けの冒険者、としか思われないだろう。

 中層に挑み、18階層を目指し、失敗して満身創痍で地上を目指す間抜け。もし叶うならば、こんな姿を誰かに見せたいなんて思わない。だが、今は恥を忍んででも他の冒険者に助けを求めなくては、死んでしまう。

「……あー、死にてェ」

 死にたい。死にたい。死んでくれ。終わりが来て欲しい。終わりたい、終わって欲しい。

 ふとした瞬間に湧き上がってくる自殺衝動に呟きが零れ落ちた。死にたい、もう疲れた。終わりたい。

 通路を進むクロードは、疲れ切った表情で周囲を警戒し、頬に刻まれた裂傷を撫でた。

「なァンで、死なネェンだよ」

 いっそ、死にたい。何度も、繰り返された言葉が心を埋め尽くす。それでいながら、体は自然と這いずる様にでも前に進んでいく。

 精神は研ぎ澄まされ、いつモンスターに襲われても大丈夫な様に。

 腰に括り付けられたへしゃげたショートソードも、罅割れて煙管としての機能が失われた喧嘩煙管も、どちらも即座に抜き放って反撃できるように。

 死にたい、死にたい、と繰り返す。けれども死ねない。否、死ぬことを赦さない。

 才能に満ち溢れ、明るい未来が約束されていた兄達が、呆気なくその未来を閉ざされたのだ。

 クロード・クローズは知っている。彼女の前世は知っている。

 兄達には才能があり、自身には才能が無かった事を。

 クロード・クローズは知っている。彼女の前世は知り尽くしていた。

 兄達は才能がある()()()()()()。その才能に見合う程の努力を重ね、相応しい能力を身に着けた。

 才能に胡坐をかいていた訳ではない。彼らは其れに見合った努力も重ね、そしてその才能に見合った能力を得たのだ。能力を得る為に、努力を重ねたのだ。

 誰よりも近い距離で、それを見ていたクロード・クローズは知っている。

「…………」

 兄達が注いでくれる愛情は本物で、彼等が重ねた努力も本物で、そこに確かな才能が添えられて、彼等は完璧で誰からも尊敬される頂点に登り詰めた。

 ──もし彼等が才能に胡坐をかき、努力を欠いた人物達だったら。クロード・クローズは、彼女は前世でそこまで歪む事は無かっただろう。

 だが、彼等は胡坐をかく事も無かったし、努力を欠かさなかった。

 そして、クロードは決して認めたくはないし、それを認めるぐらいなら自身の胸を切り開いて心臓を引き摺りだしても良いと断言するだろうが──彼の、彼等の父親は、才能に満ち溢れていた。

 何をさせても完璧。どんな小さな失敗もしない。神童ともてはやされ、兄達が得意とする学術、武術、芸術、どの分野でも父親であった男は完璧にこなして見せた。

 それは、当たり前の事でもある。男は、数多くの候補者から選び出された、才能を持つ人物だったのだから。

 ──だというのに。

 あの男は、()()()()()()()

 兄達が努力を重ねている間に、彼はただ屋敷でのんびりとしていた。

 兄達が成果を上げている間に、彼はただ屋敷で無為な時間を過ごした。

 あの男は兄達が積み上げていく功績の数々を、見ていただけだ。

 何もしない。彼はただ、与えられた屋敷で、種馬として子を作るだけ。

 クロード・クローズは知っている。

 あの屋敷で、父親であった男はクロードに幾度も声をかけた。

 無理だから諦めた方が良い、と。

 キミに才能は無いから、と。

 彼の父親は一目見ただけで、クロード・クローズ、彼には才能が無い事を見抜いた。

 クロード・クローズには認められない。

 動けるのに、努力できるのに、何もせずに腐った時間を過ごす事を認める訳にはいかない。

 兄達が妬ましい、羨ましい。自分にも才能が有ればよかったのに。そんな風に兄達に嫉妬を抱いた事だってある。だが、それ以上にクロードを苛んだのは、まぎれもない父親だろう。

 才能がある癖に、努力をしない。

 才能がある癖に、それを腐らせている。

 それなのに、あの父親はへらへら笑っていた。

「……はっ、嗤える」

 才能もあり、努力もした兄達は死んだ。

 才能がなく、努力をした自分は半身不随。

 才能があり、なにもしなかった父親は平穏無事。

「才能、使わねェんだったら、オレに全部クレよ、クソ親父────あ?」

 吐き捨て、出口のわからない迷宮を彷徨うクロードは、次のルームに足を踏み入れた所で、そこに冒険者の姿を認めた。

 軽装(ライトアーマー)に着替えている白髪の少年と、彼にプロテクターと小短剣を差し出す小人族の少女。

「ク、クローズさん……」

「この人が、ベル様の先輩ですか」

 驚愕した様子のベルと、彼の反応から知り合いかと問う少女。

 クロードにとって、ベル・クラネルは複雑な想いを向ける相手だった。

 兄達の様に、才能に胡坐をかくのではない。それに見合う努力を重ね、強くなっていっている。

 自らが駆け抜けた道を呆気なく踏み越えていくその才能には、狂おしい程の嫉妬心を抱かせ、その才能に胡坐をかかずに努力する姿に兄達の後ろ姿を見た。

 嫉妬してしまいそうな程の才能に、尊敬できる努力する姿。相反する二つが同居する彼に対し、クロードは大きく息を吸って、飛び出しそうな罵倒の言葉を溜息として消化した。

「ダンジョンでお着換えったァ、余裕だな」

「え、あっ、こ、これには事情があって!? っていうか、クローズさん、その怪我!」

「あァ? 気にすんな、少しヘマしただけだ」

 慌てた様子のベルの反応に眉を顰め、クロードは二度、三度と溜息を零してから、小人族の少女を睨んだ。

 二人の親し気なやり取りに口出しを控えるべきだろうと空気を呼んでいた小人族の少女、リリルカ・アーデは、ベルの知り合いらしい人物に睨まれて怯む。

 リリルカは自分を睨み付けてきている人物の事は知っていた。都市内でも一躍有名になった人物であったし、何より恩義のあるヘスティアのもう一人の眷属──【ファミリア】には所属していないが──である。知らないはずがない。

 彼女の性格について、リリルカは女神からいくつか話を聞いている。そして、睨まれる理由も薄らと察する事が出来た。

「リリ、クローズさんの怪我、見てあげてくれない?」

「お任せください」

 恩人のベル・クラネル。

 そんな彼が冒険者になった当初、ほんの少しの期間だけ世話になっていたという先輩冒険者。女神からももし見かけたら頼む、と言われていた事もあって、リリは怪我をした彼女を治療しようと近づいた。

「初めまして。リリルカ・アーデと────」

「薄汚ねェ寄生虫の名前なんざ知りたくもないね」

「っ────!?」

 唐突な罵倒交じりの皮肉。

 其処に含まれる侮蔑と軽蔑に、リリルカが僅かに表情を強張らせ、僅かに俯いて大きなバックパックを置き、中から回復薬(ポーション)や包帯等を取り出した。

「治療しますので、怪我を見せてください」

「あァ?」

 罵倒に対して叛骨的な反応を帰すでもなく、治療を続行しようとしたリリルカに対し、クロードは大きく口元を歪め、吐き捨てた。

「オレに媚び売ればベルともっとお近づきになれるってか? 出しにしようとすんなよ気持ち悪い」

「怪我を見せてください」

 皮肉交じりの言葉にリリはただ同じ言葉を反した。

 頑なな様子にクロードは眉を顰め、後ろではらはらした様子で見ているベルを見やると、リリルカに顔を近づけた。鼻先同士が触れ合うかどうかという程の距離で瞳を覗き込み、クロードは口元を歪める。

「カモとして殺そうとした奴に助けられて媚びて、薄汚くて気持ち悪すぎるぞ、オマエ。生きてて恥ずかしく無いのかよ」

 鋭く研ぎ澄まされた刃が、リリルカの心の柔らかな部分を大きく抉った。余りの鋭さに、斬られた事に気付かず、遅れていた理解が追い付いてきた所で、リリルカは口を引き結んで真っ直ぐクロードを見つめた。

「恥ずかしいですよ」

「は?」

「だから、これからは恥ずかしくない生き方をしようと思ったんです」

 ぴしゃり、と皮肉交じりの罵倒を封じ込めたリリルカは、徐に回復薬(ポーション)を染み込ませた布でクロードの頬を拭った。

 痛みで表情を歪めたクロードは、真っ直ぐな目で見つめてくるリリルカを見やると、捨て台詞の様に呟いて身を任せる。

「はん、オレだったら恥ずかし過ぎてとっくの昔に首括って死んでるね」

「リリはそれでも決めましたから」

 皮肉に対し、固い決意の言葉で対応するリリ。

 何を言っても無駄か、とクロードが完全に口を閉ざしたのを皮切りに、ベルはほっと一息ついた。

 リリルカ・アーデという少女は非常に複雑な立ち位置の人物だ。それは所属が【ソーマ・ファミリア】でありながら半脱退状態である事とか、過去に盗みを働いていた事とか、色々とあるが。なにより彼女自身が気にしていたのは、騙して殺そうとした相手であるベル・クラネルに命を救われ、挙句その後もこうしてサポーターとして雇われている事だった。

 女神の慈悲で活動している今、リリルカは女神からクロードについての話を聞かされていた。

『良いかい。クロード君はキミの事を絶対に好きにならない。毛嫌いして罵倒して皮肉の嵐が吹き荒れるだろう。あの子は言葉を選ばない。いや、的確に選んでくるかな。心の一番柔らかい所を躊躇なく刺し貫いてくる。痛いし、苦しいだろう。だけど、勘違いしちゃあいけない、あの子が口にするのは何処までも事実だ。否定のしようがない、事実なんだよ』

 リリルカにとって、クロードが放つ言葉の刃は痛く苦しい。そして同時に清々しいまでに事実だった。否定する要素が何処にも無い。正論という名の暴論。言葉の暴力。

 それは、いかなる者にも慈心を恵む、嘆願の庇護者であった女神が見せた悲し気な一面が告げた通りだった。

『キミが今後彼女に会った時、あの子の言葉を聞いた時、耐えれない。なんて弱音を吐くんじゃない。キミは心を入れ替えると誓った。ならばその事実を飲み込んでみせろ』

 今まで犯してきた行動の数々は消えて無くならない。

 その事実をただ突き付けているだけ。クロード・クローズという冒険者の放つ言葉はしかとした真実と共に添えられた皮肉だ。少なくとも、それに反論する事なんて出来ない。否、してはいけない。

 真実のみで構成された、無慈悲な刃は鋭い。それは自己嫌悪を抱く者に酷く突き刺さる。蓋をして、隠して、見ない様にしていた自分の汚い部分を抉りだして見せ付けてくるモノだ。

 それを、他ならないリリルカ・アーデ自身が否定する事は許されない。

「……気持ち悪い奴だ」

「…………」

 大半の者が反発し、即座に否定しようとする皮肉交じりの罵倒を真っ直ぐ受け止め、そしてそれでも行動を変えないリリルカの姿に、クロードは皮肉でもなんでもなく、本心の言葉を呟く。

 そんな様子を見ていたベルが大きく息を吐く。

 元々、リリルカとクロードの二人はいつか会わせる積りではあった。ヘスティア様が言い出した事であるが、リリルカもそれに賛同してクロードの都合の良い日を探そうとしていたのだけれど。

 クロード・クローズの【ランクアップ】、それも最短記録を大幅に塗り替えるソレによって彼女の都合が付かなくなった。故に、会わせる予定が遅れに遅れていたのだ。

 ベルも、まさかダンジョン内で会う事になるとは思ってもみなかったが。

 少なくとも、クロードがいきなりリリルカを半殺し──下手するとそのまま息の根を止める──等という事にならなくて一安心である。

「あの、クローズさん」

「……ンだよ、オレを笑いたいってか、良いぜ? 聞けよ」

 話しかけたベルの返答を聞く間でもなく、クロードは自らが仕出かした失敗を口にした。

 【ランクアップ】してからそう期間もおかずに、18階層到達の目標達成の為に準備を進め、見事に失敗して命からがら逃げてきた間抜けだ、と己が事だというのに嘲笑と皮肉すら交えて。

「ほら、おっかしいだろ? なんつー間抜けっぷりだ、嗤っちまうよなァ」

「ソロで、中層に?」

 皮肉と罵倒を受け止めてなお、平常心を保っていたリリルカでさえ呆気にとられる程の凶行。それらに本当なのか、と疑わし気な視線を向けてしまうほどだ。

 そしてベルはといえば、その話を聞いていなかった。

「……何か、おかしくないですか?」

「あァ? おかしい? オレの頭がカ?」

「いや、そうじゃなくて、モンスターの数が少なすぎません?」

 もはや嗤うしかないと自らの愚行を皮肉交じりに嘲笑していたクロードは、少年の言葉を聞いて眉を顰め──直ぐに目を見開いた。

 クロードにも少年の言った違和感に心当たりがある。死に掛けの状態で9階層に辿り着き、小休止の積りがそのまま昏倒していたクロードが、半日経過してもモンスターに襲われていない。

 ベルと小人族に出会うまで、思考の海に溺れながら歩き回っていたというのにモンスターと遭遇(エンカウント)すらしていない。

 通常なら有り得ない事だった。

「おい、お前等、今日は帰れ、今すぐ────チッ」

 クロードが警告を放とうとした瞬間だった。

『────ヴ────ォ』

 ベルが表情を強張らせ、動きを止めた。そんな様子を見たリリルカが目を丸くして驚き、クロードは武器を引き抜き、詠唱を始める。

【燻る戦火の残り火】

 フロアに通じているのは二つの通路。

 片方はクロードが歩んできた方向で、もう片方はベルとリリルカが進んできた方向。

 音の発生源は、後者。ベルとリリルカが歩んできた通路の先から、何かが来る。

「おい、ベル……クソ、役に立ちゃしねェ。おい糞小人(パルゥム)、テメェ、ベルを連れてけ」

「え?」

 さっさと連れて逃げろ、と、何もしていないのに呼吸が乱れ指が震えるベルを指差したクロードの姿にリリルカが困惑する。

 それはベルの異常もそうだし、非友好的な態度であったはずのクロードがまるで守ろうとする様に動いた事も困惑を加速させる。

「何を仰っているのですか」

「あそこに居るだろ、察しろ」

 何かが居る、というのはリリルカにもわかった。だがその上で、ベルを連れて逃げろ、と言った彼女の言葉をリリルカは上手く認識できなかった。

 クロード・クローズはLv.2の上級冒険者。並の状況ならば上層で彼女が負ける事は無い。通常時ならばリリは迷わず指示に従っただろう。だが、今は違う。

「その怪我で戦うおつもりですか!?」

 怪我の治療をしたリリルカだからこそわかる。いつから闘い続けていたのか、数多くの掠り傷に切り傷、打撲痕が刻まれている彼女は間違いなく満身創痍。戦える状況ではない。

 それならばLv.1とはいえ、万全の状態のベルに戦って貰った方が良い。そう考えても不思議ではない。

 通路の奥からそのモンスターが現れるまでは。

『…………ヴゥゥ』

 牛頭人身体、赤銅色の怪物。

「はっ、あのモンスター見て同じ事が言えんならな」

「な……なんで9階層にミノタウロスが」

 中層で出現するはずの強敵、ミノタウロスが姿を現したのだ。

「一ヶ月前の潰し残し、な訳ネェわな」

 つい一ヶ月ほど前に【ロキ・ファミリア】が上層にミノタウロスを逃走させる大失態を犯した。その時の生き残りという線は有り得ない。

 だとすると、何が原因だろうか、とクロードは片目を閉じ、煙管に火を入れた。

「ま、どっちでも良いか」

 自分だけにしか見えない幻覚ならば、適当に誤魔化してこの場を去る。だが、ベルとリリルカの反応から通路の奥から歩んできた怪物が幻覚でもなんでもなく本物だと認識したクロードが、得物をソレに向けた。

「はっ、大剣なんか持っちまって……糞、何処の差し金だテメェ」

 天然武装(ネイチャーウェポン)ではない、冒険者が持つ様な銀の大剣を持つミノタウロスに問いかけるも、明確な返答は無い。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 代わりに、ミノタウロスは弾丸になった。

 恐ろしい速度で広間を突っ切り、距離を一瞬の内に詰めていく。対し、クロードも同じ様に前に出た。

 互いに前進し、己が得物の間合いに入った瞬間。狂牛は的確に大剣を片手で袈裟に振り下ろした。対し、小さな少女は両手で逆袈裟に振り上げ、真っ向から打ち合う──風に見せかけて受け流す。

 轟音と共に欠片が飛び散る。呆気なく、砕けた煙管の破片がキラキラと舞い散った。

 怪物が誇る怪力を前に、少女が扱う小手先の技術は何の意味も持たない。濁流を前に小枝一本でどうにかできるはずがないのだ。

 小柄な体躯で無茶をしたクロードは姿勢を崩し、対するミノタウロスは悠然と、()()を放った。

「っぶねぇな!?」

 ギリギリの回避。

 崩れた姿勢をそのままに、振り抜かれる蹴りから身を引いたクロードは()()()()()を揺らしながら右手でへしゃげたショートソードを構えた。

 回避には成功した。だが、ほんの少し掠めた。左腕を、ミノタウロスの蹴りが、掠めた。それだけで()()()

 元から満身創痍だったとはいえ、たった一撃、それもほぼ回避に成功して掠っただけの一撃で骨折。そして、クロードの攻撃で損傷らしい損傷は与えられていない。

 そして、ミノタウロスの攻撃は其処で終わらない。

 大力に物を言わせて、大剣を片腕で振るう。

 濁流の如き猛攻の前に、小柄な体躯を活かした回避で懐に潜り込み、ショートソードを振るい──表皮を浅く斬るにとどまった。

 掠り傷。損傷と呼べる程の傷は与えられない。彼女が持つショートソードでは、到底斬れるはずもない。ましてや、壊れかけの剣なんぞ──折れて当然。

「ぐっ────!?」

『ヴォオオオオオオオオオッ!』

 放った斬撃がミノタウロスの膝に命中し、クロードの剣が折れる。酷使されていたソレは、強靭なモンスターの体皮に掠り傷を負わせてその使命を終えた。そして、ミノタウロスの反撃の膝蹴りがクロードを直撃。

 ゼロ距離で大砲でも撃ち込まれたかの様に少女の体は吹き飛び、フロア端の壁面に激突。ガラガラと音を立てて瓦礫に埋もれてしまった。

「ぁ……ぁ…………」

「ベル様!! ベル様ぁ!」

 眼前で繰り広げられた戦闘。

 否、戦闘とも呼べない、蹂躙に少年は恐怖に震えていた。

 先輩冒険者、それもつい先日、最短記録を大幅に塗り替えた先輩冒険者だ。そんな彼女が──負傷していたとはいえ──呆気なくやられた。

 Lv.2だった彼女に倒せない相手を、Lv.1の自分が相手取る。出来る筈が無い。

 恐怖に縛られた身体は震え上がり、それでも少年は《バゼラード》を握った。

 

 


 

 

 ズンッ、と響いた振動を感じ取ったクロードは、僅かに目を開けた。

 眼前に広がったのは、美しいエルフの女性の横顔だ。

「……リヴェリア・リヨス・アールヴか」

「目を、覚ましたか」

 折れた腕に添え木があてられ、いくつかの傷に手当てがされている。そう認識した瞬間に駆け抜ける鈍痛にクロードは身を捩り、響いた爆音に痛みを堪えてそちらを見た。

 思わず目を見開く様な光景が広がっていた。

 【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者がそろい踏み。

 【勇者(ブレイバー)】【九魔姫(ナインヘル)】【剣姫】【怒蛇(ヨルムガンド)】【大切断(アマゾン)】【凶狼(ヴァナルガンド)】。

 揃いも揃って、何を見ているか。その先に広がる光景に、クロードは完全に言葉を失った。

 

 ()()()()()

 

 つい一ヶ月前には駆け出しだった少年が、つい先ほどまで恐怖に震えて木偶に成り果てていた少年が、戦っていた。

「は、はは……なんだ、ありゃ」

 自身が持てる技量を以て挑み、呆気なく蹴散らされたミノタウロスを相手に、少年が互角の死闘を繰り広げている。

 それを第一級冒険者、才能を持つ者達が魅入られた様に見つめている。

 自身を治療していたらしいリヴェリアですら、すぐに視線をベルと怪物が繰り広げる死闘に奪われていた。

「…………」

 誰もが、彼を見ている。

 ベル・クラネルを見ている。

 非才の身ながら努力を重ね、外法にすら手を染め、死に物狂いで進もうとする自分ではなく。

 才能を開花させ、努力をし、正道を歩む少年を見ている。

「……あァ、クソだわ」

 才能が欲しかった。

 兄達の様に、ベル・クラネルの様に、並ぶ第一級冒険者達の様な、才能が欲しかった。

 ただ、才能を持っただけの者達ならば、クロードはきっとただ嫉妬するだけで良かったはずだ。そのはずなのに、クロードが見た彼らは誰もかれもが相応の努力をしていた。

 兄達も当然の事、ベル・クラネルとて普通なら折れる様な鍛錬を積んで強くなっていった。そこには、嫉妬してしまいそうな程の才能の差が確かにある。

「──────」

 だが、彼は、彼等は相応の努力の下にその才能を開花させていった。

 兄達しかり、ベルしかり。

 故に、嫉妬に狂う事だけは出来ない。

 今なおミノタウロスと死闘を演じ、けれども攻めきれずに徐々に不利になっていく少年を見据える。

「手詰まりか」

「決めつけるのはまだ早い……と言いたいところだけど」

 勝ち筋が無い。

 リヴェリアとフィンが冷徹なまでに観察し、叩き出した答えは正鵠を射ていた。

 だが、負けるとは、クロードには思えない。ここで負けて、それで終わり程度の人物ならば、もっともっと早くに諦めるか、死ぬかのどちらかだ。

 いっそ、ただ嫉妬し、八つ当たり出来る様な薄汚い相手だったら良かった。だが現実は違う。どこまでも真っ直ぐに、自らが持ち得る才能を磨き上げて駆け上がる。

 自分の様な見せかけの能力や悪運に生かされているだけではない。

 

 ────()()

 

「ファイアボルトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 爆散。

『───────ッッ!?』

 少年が放った止めの一撃により、上半身が粉々に弾け飛んだ。

 誰しもが暫しの間言葉を失ってその光景を目に焼き付ける。

 文字通り死力を尽くした少年が、物語のワンシーンを切り抜いた様に、一体の彫刻を化しているのを見て、【ロキ・ファミリア】の面々が遅れてざわめきだした。

 それらを見やったクロードは、身を起こすと、懐から煙管を取り出した。攻撃が直撃していたせいか、羅宇が折れ曲がったそれを見てから、吸い口を咥える。

 立ったまま気絶したベル・クラネルの【ステイタス】を覗き込む【九魔姫】と【剣姫】、そんな二人から内容を聞こうと注目する他の面々。

 彼らの視界に写るのは、ベル・クラネルという本物。

 付け焼刃で張りぼてで、誤魔化した才能で突き進むクロード・クローズではない。

 彼らの目に、映らない。()()()()()()()

「……羨ましいねェ」

 応急処置は終わっているが、体の節々が痛む。だが、それ以上に胸が痛い。




 クロードくんちゃんの二つ名考えなきゃです。

 【煙狂(インピュア)】とか【紫煙(エセリアル)】とか……。
 中二(ちから)が試されますね。

 面倒になったら【サンドリエ】にしよう。

 意味はフランス語で灰皿……。

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