紫煙燻らせ迷宮へ   作:クセル

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第二九話

「あの、今のパーティなら中層に行っても問題無いってエイナさんからお墨付きを貰いました」

 西の空が徐々に赤らみ始める頃。ギルドのロビーの一角で一組のパーティが会議を開いていた。

 少年の放った言葉を聞いたサポーターの少女が顎に手を当てて考え込み、青年はふむ、と唸る。そんな彼らと席を共にしていた銀髪の少女は、紫煙を燻らせながら少年を伺う。

「ンで、いつ行くんだ?」

 煙管を咥えた小人族の少女の質問に、リーダーの少年ベルは懐から細長い切符を取り出して皆に見せた。

「中層に進む前に『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』を用意しないと行っちゃダメ。とも言われたんで、明日は準備の為に一日使おうと思ってるんだけど。どうかな?」

 煙管を咥えた小人族を伺う様に、恐る恐ると放たれた言葉に青年、ヴェルフとサポーター、リリルカは大きく頷いた。

「ああ、俺も武具の調整に一日使いたいからな。明日は準備で……行くなら、明後日か」

「リリも、道具類の補充と確認をしたいです」

 二人の返事を聞いてから、煙管を咥えた少女、クロードは一つ頷いた。

「ああ、寸法もあるから明日の昼前に集合して『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』を買い揃えるのには賛成だ。だが、オレは自前のがあるから、オマエ等の分だけでいいぞ」

 彼女は自分の分はある、とベルが差し出した『割引券』を断る。

「そんじゃ、明日は一時間ぐらい遅めに集合で良いだろ。持ち込む道具類なんかで必要なモノがあれば言え、グラニエ商会の方で用意できたらしてやる。顔見知りだからちったぁ割り引いてもらえるからな」

 軽く手を振ると、残る面々を置いてギルドを立ち去るクロード。

 その背を見ていたベルは軽く息を吐くと、リリとヴェルフの二人に笑いかけた。

 数日前、ヴェルフの手引きによってベルのパーティに加わったクロードとの関係は、今も続いていた。それ処か、正式なパーティを組んでさえいる状態だ。

 パーティを組んだ初日こそ、次からパーティを組む事は無いだろうとすら思えるぐらいに最悪な空気を満たしたリリルカとクロードの関係だったが。それは僅かにだが改善が見られた。

 

 

 初日だったあの日、11階層探索を目前としたさ中に『インファント・ドラゴン』と遭遇(エンカウント)したのだ。

 出現階層11~12階層。

 個体数が非常に少なく、その潜在能力(ポテンシャル)は上層最高位。『迷宮の孤王(モンスターレックス)」が存在しない上層における実質的な階層主。 

 上層に5匹と居ない希少(レア)モンスターとの遭遇。クロードに言わせれば『幸運な出会い』というものだろう。勿論、皮肉だ。数多くの下級冒険者パーティを壊滅させているモンスターとの出会いを『幸運』等と冗談めかすのはクロードぐらいだろう。

 そんな稀有で運の無い遭遇(エンカウント)に対し、誰よりも真っ先に反応したのはクロードだった。

 その場で全ての冒険者に『逃げろ』と叫び、リリルカを庇いながら逃走を図ろうとした。結果としてその逃走は失敗し、リリルカと共に死に掛ける結果となってしまった。が、その際、ベルが新たに習得していた【スキル】の効果によって『インファント・ドラゴン』は一撃で消し飛ばされた事により死者は居なかったが。

 その一件の際、リリルカは自身が見捨てられる可能性が高いと考えていた。しかし、実際には足を引っかけて転倒したリリルカを、クロードは庇った。自らが扱う【煙槍】を幾本も重ねて盾の様にして。

 その日、帰還後の反省会を行った際、明日以降どうするかを話し合った結果として、次の日もクロードはベル達とパーティを組んだ。

 次の日にはリリルカからクロードに対する嫌悪感は薄れた。無くなってはいないものの、少なくとも普通に話をする程度には改善が見られた。クロード側の方も、リリルカの態度の軟化に伴い口の悪さも軟化した。ただ、互いに皮肉を言い合う部分はあるが。

 ベルは口の悪さと雰囲気の刺々しさからクロードに対して苦手意識を持っていたが、その苦手意識もパーティを組んでダンジョンに潜り、彼女の事を知る事でほんの僅かに和らいだのだ。

「な? 言った通りだろ?」

「うん」

 クロードの事をよく知るヴェルフの言葉にベルは大いに頷いた。

 何も知らない人が関りを持てば、間違いなくクロードとは揉める事になる。それは彼女の口が悪い事もそうだし、なんでもかんでも正論を振りかざすのもそうだ。

 だが、普段のクロードはそこまで口が悪くない。どころか、思い返してみればベルが冒険者になってすぐの頃は面倒見も良くしっかりと探索の基礎を文字通りに叩き込んでくれていた。あの頃の彼女を想い返せば、食事に誘えば普通に対応してくれるし。普段から罵倒と皮肉しか言っていない訳ではないのは明白だった。

 自分がクロードに皮肉と罵倒を返された場面を冷静になってみれば。鍛冶師の青年が言ってくれた内容と合致する。

「アイツは()()()()()()に関しちゃ手を抜かねえ」

「うん……」

 初めてクロードに苦手意識を持つ事になった切っ掛け。

 酒場で屈辱を味わい、悔しさから防具も身に着けずに護身用のナイフ一本でダンジョン。それも当時【ステイタス】不足で非常に危険な6階層まで足を運んだ。その後帰還したベルにクロードは皮肉と嘲笑を浴びせ、罵倒したのだ。

 それに対しあの時少年自身が感じたのは苛立ちと、悔しさだけだった。だが、後から思い返せば羞恥が湧き出てくる。

 それ以外についても、彼女が罵倒や皮肉を繰り出す時。それは決まって『命が関わる事』があった時だ。

 ダンジョン内での探索なんてその最もだろう。

 『命が関わる事』に関して、手を抜かない。そして、誰かが手を抜いているのを見たら、全力で皮肉と罵倒をぶつける。

「クローズ様は言い方はキツイですが間違った事は言ってないのです」

 肯定する様にリリルカが頷く。

 ベルが初めてパーティを組んだ時、碌な作戦も立てず、指示も出さずにいた。その場で罵倒と皮肉を言うのではなく、ダンジョン内で言った事に関しては、リリルカと合流した際に話を拒否したのを見たリーダーのベルが、そのままダンジョンに行くことを選んだのだ。

 思い返せば、あの場で説得してでも自己紹介するべきだった。それ以外についても、だ。

 今になって少年が思い返してみれば、ダンジョン舐めてるのか、とその時の自分に言いたくなってくる。実際、舐めていたのだから何も言えない訳だが。

「それに、言いたくはありませんし。正直認めるのも癪ですが。クローズ様は教えるのも丁寧です。口が悪いですが」

「ああ、確かに。丁寧に教えてくれるな。口は悪いが」

 苦虫を噛み潰したような表情のリリルカの言葉に、ヴェルフが大袈裟なぐらいに頷きを返す。

 二人の言葉に自然とベルも首を縦に振っていた。

 クロードの方針なのかは不明だが、わからない事をちゃんと『わからない』と言うと彼女は案外教えてくれる。ただし、皮肉交じりにではあるが。その知識も、かなり為になる事が多いが。皮肉にさえ目を瞑れば、その内容は非常にわかりやすく噛み砕かれたものだ。それこそ、一度聞けばすんなりと理解できるぐらいの丁寧さで。

 さらに、本当に危ない事をしそうな場合は罵倒混じりに皮肉を言ってくる。

「初対面の印象が悪いから付き合い辛いが。一度踏み込んじまえば良い奴なんだよなぁ」

 口が悪いクロード・クローズだが、なんだかんだと世話焼きな一面も持つ。

 リリルカの道具の補充の際には伝手の商人に口利きして、更に安価で手に入る伝手をリリルカに提供しているし。ヴェルフが欲した鍛冶道具類もその商人の伝手で用意してくれたりしているのだ。

 これに関して、リリルカとヴェルフが礼を告げれば、クロードは肩を竦めるのみ。

 潤沢な物資があればダンジョン探索も潤滑(スムーズ)に行える。それはパーティを組んでいるクロードにも恩恵があるし。鍛冶師が欲する道具を揃えてやれば、自身が注文する武装の質も上がる、等と言ってリリルカやヴェルフに協力的だ。

「…………はぁ」

「どうした、リリスケ?」

「リリ、やっぱりクローズさんとパーティ組んでるの気にしてる?」

 リリルカの放った溜息を聞き留めた二人の言葉に、リリルカは大きく首を横に振った。

「いえ、クローズ様とパーティを組んだのは正解だと思います」

 口が悪い事を除けば、彼女とパーティを組んで探索する様になってから安定度がグンと増した。

 リリルカが知る中でも、ここまでの安定のある探索を行っているのは、よほどの大派閥ぐらいで、リリルカが過去に相手していた中小派閥のパーティとは段違い。

 ベルと二人で組んでいた頃を思えば、不足していた知識、それも通常では得難いそれらを補ってくれている。それに対し不満なんてあるはずがない。

「…………」

「なあ、まだ不満か?」

「ヴェルフ」

 黙り込んだリリルカに青年が肩を竦める。そんな彼にベルが声をかけた所で、リリルカは小さく拳を握り締めた。

 パーティに対する貢献という意味では、クロードの行動の数々は大きい貢献度を誇る。

 ベルにリーダーとしてのいろはを叩き込んでくれている事もそうだし、道具の補充に自らの伝手を提供してくれたのもそうだ。そして、ダンジョン内での判断の早さ。パーティが危機に陥りかけると即座に救援を行う。

 口の悪さを除けば、本当に良い冒険者だ。自らの領分を超えさえしなければ、サポーターを馬鹿にする事はない。

 だからこそ、リリルカは────

 

 


 

 

 『インファント・ドラゴン』と接触した次の日。リリは訳あってダンジョン探索に同行できなかった。

 その日、リリルカが下宿先としていた店の店主が体調を崩し、倒れてしまったのだ。彼の世話の為にも、一日休む事を告げて大急ぎで下宿先に戻ったのだ。

 大方、倒れた原因がただの疲労だったと発覚して一息つき、リリルカが今頃ベル様達はダンジョンか、と考えていた時だった。

 クロードはその店に顔を出したのだ。

「よォ、倒れたって聞いたから見に来てやったぞ。ジジィ」

「おぉ、クロードじゃないか。煙管の調子はどうかね」

 突然出てきた彼女の姿に唖然として言葉も出ないリリルカを他所に、クロードは気さくそうに挨拶をすると、地精霊(ノーム)の店主は身を起こしてごく普通に出迎えた。

「え、えぇ……ど、どうしてクローズ様がここに……」

 今日は探索に行く予定を立てていたというのに、来なかったサポーターの元にわざわざ顔を出した。その理由は何かと考えたリリルカが震える声で尋ねる。

 彼女の脳裏には自分を匿っていた花屋が滅茶苦茶になっていた光景が浮かんでいた。

 まさか探索の邪魔となったボム爺さんに手を出す気か、と強張るリリルカ。

「あァ、今日の探索は中止だとよ。ベルはヴェルフに装備一式一新して貰う為に鍛冶場に行った。ンで、オレの方は鍛冶場なんぞに付き合ってらんねェし、欲しいものもあったからな。ついでに、そのジジィとは顔見知りだから見舞いに来てやった」

 あっけらかんと言い放ったクロードは、手にしていた籠をテーブルに置いた。その中には瑞々しい果物がいくつか入っている。

 思考停止してしまったリリルカを一瞥し、クロードは煎餅布団で腰を起こした地精霊(ノーム)と視線を交わした。

「ンで、ちとばかし探し物があってな」

「なんじゃ?」

「昨日に、煙管を一本ヤっちまった。新しいのが欲しい」

 クロードは『インファント・ドラゴン』に襲われた際、手にしていた煙管を投げ捨てて対応した結果、投げ出した煙管は見事に踏み潰されてお陀仏。それなりにお気に入りだったとはいえ一品物で手に入らないかもしれないと諦めかけてはいたが、この店ならまだ掘り出し物の煙管があるんじゃないかと顔を出した。

 丁度いい事に、ベルとヴェルフは別件で動き、リリルカも用事があって探索の予定もなくなったから余った時間で適当に見舞い品買って来てやった、と悪びれる事も無く告げる彼女に、店主は朗らかな笑みを浮かべた。

「ほぅ、そういう事か。リリちゃん、このお客さんに倉庫から煙管をいくつか出してやってくれんかのう」

「え? は!? いや、今日はお店はお休みですよ!」

「じゃが、お得意様がわざわざ来てくれたし……」

 彼の言葉を聞いたリリルカが目を真ん丸に見開き、クロードを指差して震える声を響かせる。

「お、お得意、様? クローズ様が、お得意様?」

「……失礼な奴だな」

 指差されたクロードが面倒そうに呟くのを他所に、店主は頼む、とリリルカに頼み込んだ。

 幾度かの問答の末、結局はリリルカが折れた。

 

 

 この店、『ノームの万屋』をリリルカが下宿先としている理由は【ソーマ・ファミリア】とのいざこざだ。身を隠す必要があった彼女は、幾度も盗品を売りに来ていたこの店を訪れた。この店の店主の人柄を見込んで「住み込みで働かせて欲しい」と懇願したのだ。

 店主は快く彼女を受け入れ、リリルカは迷宮探索に行く前の早朝と帰ってからに店の手伝いをしている。

 故に、この店の倉庫の何処に何があるのかはおおよそ把握している。

 倉庫の中に入り、煙管等の喫煙具が保管されている棚を漁りながら、リリルカは踏み台の上からクロードに視線を向けた。

 人の家の倉庫にずけずけと入り込み、そこらに置かれた物品を品定めする遠慮の無い姿は、いっそ清々しいまでに自分勝手だ。

 そんな彼女が自分の知り合いであるボム爺さんと懇意と知らなかったリリルカは、棚から木箱を引っ張りだしつつも、口を開いた。

「クローズ様は、よくこのお店を利用するのですか?」

「聞いてどうすんだよ」

 ばっさりと切り捨てられ、言葉に詰まる。話す気はない、とでも言いたげなクロードの様子に、リリルカは会話を諦めて棚から取り出した木箱を下ろそうとして、両手を差し出しているクロードと視線があった。

「……何をしているんですか?」

「あァ? 下ろすの手伝ってやんだよ。早くしろよ、腕上げてんの意外につれェんだぞ」

 ぶっきらぼうな言い草に戸惑いつつも、リリルカは手にした木箱をクロードに渡す。

 彼女はその木箱を持っていく。リリルカは残る一つの木箱を棚から引っ張り出して彼女に続く。

 居室(リビング)で白湯を呑んでいたボムの下に戻ると、木箱からいくつもの煙管を取り出しては検分していく。そんな彼女にそれぞれの煙管の特徴や値段なんかを語っていく店主。そんな二人の様子をリリルカは部屋の隅から見ているだけだった。

「そういや、手伝いなんざ雇ったんだな」

「おう、リリちゃんの事かのう。良い子じゃぞ」

「良い子ねぇ……随分と運の良い事で。羨ましいねェ」

 店主とクロードの間に交わされる世間話に、リリルカは耳を疑った。

 ダンジョン内であそこまで苛烈な怒り、罵倒や皮肉を口にしていた彼女が、笑っているのだ。

 それも、何処にも険悪な雰囲気の無い、日常会話の様だ。

 片や赤い帽子を外して禿げ頭を晒す年老いた地精霊(ノーム)

 片や頬に大きな傷を負った銀髪の小人族(パルゥム)

 前者は知り合いだからこそ懐が大きいのはわかる。だが後者は全く別だ。都市内で噂されている【煙槍】クロード・クローズの情報からは想像できない。序に、つい昨日探索を共にしていたリリルカですら信じられないぐらい和やかな会話をしている。

 耳を疑うなという方が難しい。

「コイツは、良いな」

「ほぅ……お目が高い。三〇〇〇〇ヴァリスでどうじゃ?」

「オイオイ、流石にそりゃないだろ」

「ジジイ、目利きには自信があるんじゃが……」

「これなら四〇〇〇〇ヴァリスは出すぞ」

「そりゃあ、お前さんが気に入ったからじゃないかのう?」

 買った。と何処か嬉しそうに代金と引き換えに煙管を受け取ったクロードを見て、リリルカは表情を強張らせた。

 四〇〇〇〇ヴァリス。たかが喫煙具にそんな大金を掛けている。リリルカからすれば信じがたい光景だった。

 武器や防具、下手をすれば何か知らの魔法効果のついた冒険者用の装身具(アクセサリー)にすら手が届く程の金額だ。普通の冒険者はそこまで金をかけない。

 どれだけ煙草好きなんだ、とリリルカが内心で吐き捨てる中、ボム爺さんは小さく欠伸を零す。

「それで、他に欲しい物はないかの?」

「いや、他は良い。無理言って悪かったな」

「構わんよ。それより、あの煙草の感想を聞かせてくれんか?」

「あの……ああ、アンタが押し付けた」

「ワシなりに善意じゃったんじゃがなあ」

「押し付けがましいのは善意とは言わねェよ。余計なお世話って言うんだ」

「余計なお世話を焼くの、ジジイの趣味だし……」

 素直に謝罪したり、相手を気遣ったり。そんな事をするクロードの姿に困惑していたリリルカだったが、僅かに皮肉交じりの返事が交じった事で「クローズ様だ間違いない」と確信した。

 少なくとも今まで自身が見てきたのはクロードの一面で会って、全てではない、というのは大いに理解する。

「さて、ンじゃオレは帰る。煙管はサンキューな。また何かあれば買いに来るよ」

「おう、気を付けてな」

 困惑しっぱなしだったリリルカを放置したまま、クロードは立ち上がり、出ていく。その後ろ姿を見ていたリリルカは、店主に一声かけて慌ててその後を追った。

「お爺さん、少しだけ行ってきますね」

「おう、行ってらっしゃい」

 裏手から飛び出してすぐ左右を見回し、クロードの後を追う。追ってどうするのか、までリリルカは考えが及んでいない。ただ、聞きたい事があるのは確かだ。

 追い付くまでに時間はそうかからなかった。

 真昼の太陽に照らされた小径の端で煙管を吹かす銀髪の姿があった。

「ンで、何の用だリリルカ・アーデ」

 追ってきているのに気付いていた彼女の方から話しかけられ、リリルカは僅かに身を震わせ、意を決して口を開いた。

「何故、あの時、リリを助けたのですか?」

「……あの時?」

「11階層で『インファント・ドラゴン』に襲われた時です」

 上層における最強のモンスター、翼こそ無いものの竜種である『インファント・ドラゴン』は凄まじい潜在能力(ポテンシャル)を持っている。

 そのモンスターが現れた通路の最も近くに居たのはリリルカとクロードだった。

 モンスターに気付いたリリルカが硬直して動けなくなった瞬間、クロードはリリルカの尻を引っ叩いて叫んだ。逃げろ、と。その後、リリルカはただ弾かれた様に走った。背後に迫る威圧感に泣きそうになりながら逃げようとして──他の冒険者が残したモンスターの躯に足を引っかけて転倒した。

 あの時、リリルカ・アーデは間違いなく死んでいた。【ステイタス】からしても逃げ切れないし、死ぬと確信すらしていた。ベルやヴェルフと離れていた事もあって援護も期待できない。そう思っていた。

 背後に迫る重圧に思わず振り向くと、小竜の足が迫っていた。その時のリリルカは潰されて死ぬ、と諦めた。

 だが、そうはならなかった。間に、人が割り込んだのだ。

 怪物祭(モンスターフィリア)の時に使用され、一躍有名になるきっかけを作った魔法を駆使し、小竜の踏み付けを止めた冒険者がいた。

 自身の事を嫌いだとか気持ち悪いだとか言い捨てた、銀髪の冒険者が、まるで自分を庇う様に攻撃を防ごうとしていたのだ。すぐに、ギシギシと軋む音を立てて押されて死に掛けたが、あの時はベル・クラネルが放った一撃で小竜は消し飛んだ。

 あの時、リリルカはクロードが自分を庇う等とは微塵も考えていなかった。

 クロードはレベル2、自分はレベル1のサポーター。過去にサポーターとして雇っていた冒険者達なら、迷わずリリルカを見捨てて逃げていただろう。自分の事を散々貶した彼女は、逃げるものだと思っていた。そのリリルカの予想は裏切られた。

 それ処か、自身の身を危険に晒してでも、リリルカ・アーデを救おうとした。

「どうしてですか? 嫌いだったんですよね。なのに……」

 クロードに対する問いかけは一つ。どうして自分を助けたのか。その問いを投げかけられたクロードの方は、溜息を零した。

「なんで、か……あの時言ったろ、オレはお前の護衛としてあの場に居た。だから助けた」

 他に理由なんざねェよ、と面倒臭そうに銀髪を搔き上げる姿にリリルカが吠える。

「意味がわかりません」

「…………はァ?」

「リリの事が嫌いだったのでしょう。醜いと思ったのでしょう。だったら見捨てていればよかったのでは」

 自分なんか見捨てていればよかったのでは。そんな言葉を投げかけられたクロードは、心底面倒臭そうに呟く。

「なンでかねェ……」

「何が……」

「命がかかってる場で、好きも嫌いもねェだろ」

 嫌いだから、気に食わないから、助けません。目の前で死ぬのを眺めて、指差して笑って侮辱して、だなんて。

「そんなクズ以下になんざなってどうすんだか」

 わからない、と続けるリリルカに、クロードは心底苛立った様に煙管を吹かし、葉を燃やし尽くすとその場に灰を捨てる。

「オレは逆にオマエの考えがわかんねェよ。嫌いだから、気に食わないから、そんなチンケな理由で足を引っ張ってどうすんだか」

「リリの事が嫌いなのでは……」

 嫌いだ、と断言するなら。行動の一貫性が無さすぎる。そこが理解できない、と呟いたリリルカに対し、クロードは大きく眉を顰めた。

「嫌い、ってのは文字通りだ。オマエは気持ち悪くて仕方が無い」

 心底そう思っている、そう言いたげに吐き捨てられた言葉にリリルカは顔を上げ、クロードを真っ直ぐ見据えた。

 リリルカ・アーデもクロード・クローズが嫌いだ。理由を聞かれたら、いくつも理由が上げられる。口が悪い事、自分を嫌っている事、同族なのに活躍している事、力を持っている事。だが、クロードがリリルカを嫌う理由を、彼女は知らない。

「どうして、リリの事が嫌いで、気持ち悪いんですか」

 嫌われる理由を問う。それは非常に勇気がいる事で、リリルカにとってそれはとてつもなく辛い行為だった。

「嫌いな理由、ね……」

 震える声で放たれた問いかけに、クロードは僅かに目を細めると、リリルカの瞳を真正面から捉えた。

 一切逸らす事無く、真っ直ぐ、嘘偽り無く。クロードは口を開く。

「自分でやらかした癖に、自分に責任がねェみてェに思ってる所だよ」

「────は?」

「気持ち悪いのは其処だ」

 告げられた返事を聞いたリリルカは、唖然としたままその言葉をゆっくりと噛み砕き、咀嚼し、呑み込んで理解を拒んだ。

「何の話ですか」

「トボけんなよ。オレが嫌いなのは、自分の仕出かした責任を、背負う事すらしてねェ所だ」

「だから、何を言ってっ」

「テメェ、冒険者から物を盗んだのは、冒険者が悪いとか言い訳してんだろ? 冒険者としてやっていく才能が無いから仕方なくサポーターしたとか思ってんだろ?」

 違う。

 前提条件として、どんな理由があれど選んだのは誰か。自分だろう。最後の最後で選択をするのは自分自身以外に誰がいる。

 才能の無さを理由に冒険者への道を諦めたのは自分自身だろう。

「気持ち悪い」

 最後の最後、死ぬ瞬間の事を想像すれば容易い。自分が選んだ事なのに、他の誰かの所為にする。あたかも自分は被害者だったかのように振る舞う。

 あの時ああしていれば、あの時こうしていれば、と醜く後悔しながら死んでゆく。

 

 ────その死に方を選んだのは自分(テメェ)自身だというのに。

 

 環境が悪かったから。

 才能が無かったから。

 運に見放されたから。

 自分は悪くない。とでも言うつもりか。

「まさか、一番悪いのは自分(テメェ)に決まってんだろ」

 たとえ環境が悪かろうと、たとえ才能が無かろうと、たとえ運に見放されようと、選択権を持つのは変わらない。

「オレはな、途中で理由つけて諦める奴が大嫌いだね」

 どんな理由があろうが、途中であきらめる選択をしたのは自分以外に誰が居る?

「今、オマエがその泥の中に居るのは、それを選んだのは、自分だろうに」

 クロードの放った言葉を聞き届けたリリルカは、僅かに目を吊り上げ、吠えた。

「そんなの、才能があるからこそ言えるんですよ!」

 非才、非力、そんな星の下に産まれたリリルカからすれば、クロードの言い分は滅茶苦茶だ。

 選んだのではない、選ぶしかなかったのだ。何処までも、選ぶ選択肢の多い人は勘違いしがちだ。自分達非才で非力な者達は選べる選択肢なんて無い。ましてや【ファミリア】という束縛があればなおの事。

 故に、クロードの言い分をリリルカは認められない。

「はぁ……だから、わかんねェかな……」

 バリバリと頭を掻いたクロードは、新しく煙草に火を付け、紫煙で肺を満たす。

 ふぅ、と紫煙をたっぷり吐き捨てたクロードは、リリルカの頂点を過ぎて徐々に日差しが傾き始める空を見上げた。

「オレ、言ったよな」

「何を……」

「────死ぬよりも怖いものがあるから、気にならねェって」

「……それは」

「オレはな、オマエみてェに、薄汚れた這いずって、恥知らずに『選ぶしか無かった』なんて糞みてェな言い訳重ねる様な惨めで哀れで情けねェ、そんな生き方なんかできねェよ。もしそんな状況になっちまうぐらいなら、わざわざ恥晒して生きたいなんて思わないね。オレなら、自分で選んだ選択で死ぬ

 リリルカ・アーデは恥を晒してでも生き足掻いた。

 だがクロード・クローズは恥を晒して生きるぐらいなら死ぬ。

 故に、恥晒しな生き方を続けるリリルカ・アーデがとんでも無く気持ち悪い。




 クロードくんちゃんの座右の銘は『武士道と云うは死ぬ事と見付けたり』ですね。間違いない。

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