紫煙燻らせ迷宮へ   作:クセル

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第三二話

 灰色の岩窟内は石の香りを含む湿った空気に満たされていた。

 乏しい光源が篝火の様に天井付近で揺らめき、薄闇の一部を不規則に切り裂く。薄暗い洞窟状の通路。

 周囲にはモンスターの気配は存在せず、嫌な静寂が場に満ちる。

 砂埃にまみれた全身は薄らと褐色に染まり、額から滴り落ちる汗を腕で拭えば不快なじゃりじゃりとした感触が精神を苛立たせる。

「はぁ……なんとか全員死んではいねェな」

 確認をとる様に土埃に塗れた銀の長髪を搔き上げた小柄な少女が声を上げる。

 その背後、これまた土埃を全身に浴びた白髪の少年が、赤髪の青年に肩を貸しながら歩いていた。その後ろには息を切らし疲弊しきった表情の小人族(パルゥム)の少女が続く。

「死んでは、な……」

「うん……」

「はい……」

 暗い雰囲気で返された言葉に、銀髪の少女、クロードが表情を歪める。

 『放火魔(バスカヴィル)』の異名を持つモンスター。ヘルハウンドの一斉放火を被った彼らは、あの危機的状況をやり過ごす事に成功していた。

 負傷し動けなかった鍛冶師の青年、ヴェルフはまだしも、動けるはずなのに硬直して動けなかったリーダーの少年、ベルとサポーターの少女、リリルカ。二人を他所に一人、クロードだけは動いた。

 絶望的状況ながら迷う事なく真っ先に詠唱を開始。一瞬だけ炎に巻かれた直後にはそれら全てを魔法の効果で撥ね退け、全員を叱咤。負傷したヴェルフを二人に任せてモンスターと交戦。

 その後、ヴェルフを回収して撤退。命からがらの逃走に成功していた。

 しかし、九死に一生を得た代価は非常に大きかった。

 少年が肩を貸している青年、ヴェルフは13階層での崩落の際に片足を潰され、一人では碌に歩く事も出来ない状態だ。リリルカは目立った外傷はないが、パーティ内で最も非力な彼女は此度の逃走劇の中で消費した体力が最も多い上、サポーターとして背負っていた大型のバックパックは一部がごっそりと無くなっており、回復薬(ポーション)を始めとしたほとんどの道具類が無くなっている。

 リーダーのベルは疲労感を滲ませてはいるが、肩を貸す程度には余裕がある。が、やはり疲労していない訳ではなく、肩で息をしていた。

 そして、パーティ内で最も声を張り上げ、皆を激励し、非力で死亡率の高かったサポーターの少女を積極的に庇ってパーティを支えた銀髪の少女、クロードは土埃には塗れていても負傷らしい負傷はしていない。

「『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』が無けりゃあそこでお前等三人は死んでたわな」

「……うん」

「三人、つかクロードもだろ?」

「オレは自前で『火耐性』のスキル持ちだ。あんなチンケな火で死にゃァしねェよ」

 煙管を吹かし、軽口を叩いて皆を先導するその姿に、ベルとヴェルフは微かに笑みを浮かべた。

 中層からの脱出を試みるパーティには、既に余裕は微塵も存在しない。

 リリルカが管理していたアイテムで残っているのは回復薬(ポーション)4本に解毒剤2本。高位回復薬(ハイ・ポーション)紛失(ロスト)して存在しない。ベルのレッグホルスターの中に残っているのも回復薬(ポーション)が1本。ヴェルフは使い切ってしまっていた。

 クロードの持ち物は自己用の特殊調合した回復薬(ポーション)2本に増強剤(クスリ)が3本。どれもが独自調合品であり彼女以外が使うのは強烈な副作用(リスク)が伴う。

 からからと軽い笑い声を響かせながら煙管を吹かすクロードにつられて笑みを零した三人はすぐに表情を暗くした。疲労が溜まり働かない頭脳を総動員しても計算してみても、現状を切り抜けるには道具(アイテム)手持ち(ストック)が心もとない。ただでさえ装備や道具(アイテム)の消耗率の高い中層で、ベルとリリルカは体力を大きく削られ、前衛を張っていたヴェルフに至っては足に重傷を負っている。

 ヴェルフの左足、膝から下は半ば潰れた様な有様になっており、中の骨が無事でないのは一目でわかる程だ。到底、戦闘をこなす事なんて出来る筈もない。

 4人のうち戦闘員1人が体力が削られて疲労状態。非戦闘員のサポーターも道具類を紛失(ロスト)手持ち(ストック)の余裕は無し。戦闘員の1人は負傷し戦闘不能どころか足を引っ張っている状態。余裕を保っているのは戦闘員一人のみ。

 絶望的な状況ながら、いつも通りに口の悪さを見せつつも仲間を気遣う彼女の姿に、3人は大きく心を支えられていた。

 しかし、それでも彼等の表情は暗い。

(縦穴から……()()()からなァ)

 ふと見上げた天上にぽっかりと空いた穴を見上げたクロードが不愉快そうに口元を歪めた。

 現在位置、()()()()()()

 彼等のパーティは落とし穴にはまっていた。

 13階層での天井崩落後、ヘルハウンドの群れをクロードが対応する間にベルがヴェルフを担ぎ、リリルカが先導して逃走を開始し────通路にぽっかりと口を開けていた落とし穴に転落してしまった。

 背後に迫るモンスターという脅威に急かされ、疲労が溜まり始めて視野が狭まっていたサポーターの少女が気付くのに遅れてしまったのだ。ギリギリで停止しようとするも、バランスを崩してその小柄な体躯は穴の中へ。それを見ていたベルは負傷したヴェルフを担いでおり、咄嗟に手を伸ばしたもののその手を掴む事は出来なかった。

 遅れてやってきたクロードが事態に気付いた頃にはリリルカは落とし穴の底に消え、表情を強張らせたベルとヴェルフが硬直していたのだ。後方から迫る濁流の如きモンスターの群れ、滑落したサポーター、負傷した前衛。余りの出来事に思考停止した少年を再起動させたのは、クロードの蹴りだった。

 ────チンタラしてんじゃねェッ!? 選べッ、見捨てて逃げるか、飛び下りるか!!

 ベルの頭の中は真っ白だった。非力なサポーターの少女が一人で落とし穴に落ちたら絶対に助からないのは明白。だが、追おうにも前衛のヴェルフが重傷を負っており自力での逃走は不可能。もし負傷していなくともLv.1の鍛冶師を中層で一人にすれば間違いなく死ぬ。

 唯一余裕のあるクロードも、ヴェルフを担いでモンスターの群れを凌ぐのは不可能。単独(ソロ)ならまだしも、負傷者を抱える余裕はない。それはベルも同様。

 最も確実な選択は、サポーターと鍛冶師を見捨てる事。Lv.2のベルとクロードの二人なら確実に逃げ切れる。だが、少年にそんな非情な選択はできない。かといって、助ける為にも自らが飛び込むのも憚られる。

 重傷を負った鍛冶師の青年を連れて行けば、確実に足手纏い。

 前者の選択肢はもっとも生存率が高い。ただしサポーターの少女は確実に死ぬ。

 後者の選択肢は絶望的に生存率が低い。パーティ全滅も十二分に有り得る。

 どうしたら良いのか、と選べなかった少年を、クロードは蹴り落とした。そして、彼女はそれに追従した。微塵も迷う様子もなく。

「申し訳ありません……リリの、不注意で……」

 体積が半分ほどに減ったバックパックを背負ったリリルカが、小さな体を更に縮こまらせて俯きながら、呟きを零す。

 迷宮の陥穽(ダンジョン・ギミック)の落とし穴に見事に嵌り、落下しているさ中、彼女の思考はめまぐるしく回転していた。非力なサポーターが単独でパーティから逸れた。残りの面々も余裕が無く、自らを助けに来る事は無い。それが理解できる程度には長い間落ちていた。もしくは、凄まじく思考が回っていたか。

 落下し地面に叩き付けられた衝撃で一瞬意識を飛ばし、一瞬で浮上する意識の中、自身の状況が染み渡る様に理解できていく。リリルカは泣き叫びそうになり────直後、ベルとヴェルフが落ちてきた。

 鈍い音を立てて転落してきた二人に唖然とするリリルカのすぐ真横に、クロードが着地する。

『ぐ────ッ、ッメェは!』

 少女の手が倒れたまま動かないサポーターの胸倉を掴み、半ば引き摺る様に立ち上がらせて鼻先が触れ合う距離まで顔を近づけ────怒鳴った。

『テメェは何してやがンだッ』

『────めんなさい』

 自らの失態を責められるのだとリリルカが青褪める。

 落とし穴に転落してしまった事。そのせいで他の皆が追ってきた事。その結果、全滅してしまうかもしれない事。自責の念に加えて、目尻を吊り上げて激昂する彼女に反論なんてできるはずがなかった。

 しかし────

『気絶してねェなら落とし穴に落ちたら直ぐに移動しやがれッ、危うく潰すとこだっただろうがッ!?』

 ────自責に駆られた少女の想像とは異なる怒声が響いた。

『ったく、怪我は? テメェも足をヤっちまったなんて言うンじゃねェだろォな?』

『ぇ、ぁ……足は、大丈夫です……』

『歩けるなら良い。ベル、さっさとヴェルフを連れて移動するぞ。テメェもボケッとしてねェでさっさと荷物拾え』

 転落した際に大型バックパックから溢れた荷物を手早く集めながら、クロードが指示を出す。

 落とし穴に落ちた事を責めるでもなく、落ちた後の行動、穴の真下から即座に移動して他の仲間が降りれる様にしなかった事を責められた。その後、リリルカは穴に落ちてしまった事を責められるでもなく、パーティの最後尾を歩いていた。

 思考を埋め尽くすのは自身が転落してパーティを『最悪の状況』に陥らせた自責の念だ。故に出た彼女の謝罪に、ベルとヴェルフが口を開くより前に、クロードが不愉快そうに舌打ちを零す。

 リリルカの体がびくりと跳ね、視線を落とす。

「ぼ、僕も余裕が無かったし仕方ないよ」

「ああ、何なら俺なんて前衛の癖に足をヤっちまって足手纏いだぜ」

 罵倒が飛び出す予兆に身を強張らせるリリルカに、ベルとヴェルフが庇う様に声を上げた。

 その言葉に盛大に眉を顰めたクロードは、大きく溜息を零す。どんな罵倒が飛び出すかと三人が身を強張らせる中、彼女は振り返って半眼で三人を見やった。

「恨みたきゃ好きなだけオレを恨めば良い」

「え?」

 三人の予想外の言葉を放ったクロードは、肩を竦めると未だにモンスターと遭遇(エンカウント)していない薄暗い岩窟の先に視線を戻す。

「ベル、テメェはあの場で迷いやがった。アレはダメだ、下手すりゃサポーターは穴の下でモンスターに襲われて死んでたぞ」

 戦闘力の乏しいサポーターがパーティから逸れた際、即座に判断しなければ死亡する確率が高い。だからあの場で数秒間迷ったのは論外。そう言い捨てた彼女は続ける。

「だからオレがテメェらを突き落とした」

 後ろからは抑えきれない程のモンスターの濁流が再度迫ってきていた。穴の前で立ち止まる余裕はない。だというのに二択を選べずに迷ったリーダーに代わってクロードが選んだ。

「オマエ等の命を勝手に預かったのはオレだ。文句言いたきゃ言え。代わりに俺も文句は言いたいだけ言わせてもらうがな」

 彼女は三人に背を向け、先を示す。

「ほら、文句なら歩きながらでも言えんだろ」

「どうして────」

 先導する様に進む彼女の背を見て、ベルとヴェルフが肩越しにリリルカを振り返る。

 最後尾で体積の減ったバックパックを背負う彼女は、震える声を上げていた。

「どうして、リリを責めないのですか」

 自らが引き起こした事態。パーティからの落後。その結果、パーティを『最悪の状況』に陥らせた。

 その原因となったリリルカを、クロードは微塵も責める様な雰囲気を出さない。ベルとヴェルフは気遣う様にあえてその話題を避ける節があるというのに、クロードはそもそも気にすらしていない。そんな彼女の様子にリリルカが声を上げると、髪に絡まる土埃を払いながら、クロードが呟いた。

「責めてどうなるよ、責めたら状況が良くなるか? 違ェだろ。ンな事考えてる暇があンなら、現在位置が何処なのか考える方が効率的だ」

 余計な事考えてねェで、状況を考えろ。そんな風に吐き捨てた彼女は遅れた皆を一瞥すると、顎で先を示す。

「早くしろ。ここで待ってても状況は好転しねェよ」

 先を急かすクロードの背に、ベルとヴェルフが追従し、遅れてリリルカも足を踏み出す。

 薄暗い岩窟内を照らす頼りない光源、規則性の無い燐光により暗影に分かたれる通路の先を見据えながら歩くクロードは、後ろを肩越しに見やって溜息を零す。

「オマエ等がどう考えてるのか知らねェがな。失敗なんか責めた所でどうにもなんねェだろォが」

 前を見据えたまま、後方で不安げにされると不愉快だ、とクロードは私論を説明していく。

怪物贈呈(パス・パレード)しでかしたクソ共ならぶっ殺す所だが。テメェは責める理由がねェ」

 悪意ある選択をした者ならば躊躇なく責める。罵倒する、中傷し、殴り、蹴り、叩き潰し、なんなら殺す。それはその人が()()()()()だからだ。

 そいつが選んだ結果、不利益を被る。または他者に不利益を与える。そんな屑ならば、躊躇したり容赦したりする理由がない。

「だが、失敗はそうじゃねェよ」

 自らが意識して選び、あえてそういう行動をとったのであれば、クロードはリリルカの脳天に喧嘩煙管を躊躇なく振り下ろす。だが、今回のそれはただの失敗。意図していた訳でも、そうしたくてした訳でもない。むしろ自らが望んでいない事になる、それが失敗だ。

「オレは選んでベルとヴェルフを突き落とした。それを責められんのは道理だろうよ」

 ベルとヴェルフを突き落とした。あの場で残してもモンスターの群れに追い付かれて死ぬのは目に見えていたし、クロード自身はサポーターを見捨てる気なんて更々ない。だからこそ、選ぶのに躊躇したベルを蹴り落とした。

 それを選んだのは間違いなくクロードだ。故に、クロードは責められても仕方が無い。無論、言われっぱなしになる気も微塵もないのは彼女らしい。

「オレがテメェに言えるのは慰めぐらいだろ」

 なんでオレがわざわざ慰めなんかしなきゃいけねェんだよ。と吐き捨てるクロードの背を見て、ヴェルフが肩を揺らして笑う。

「はははっ、クロードらしいな……」

 肩を貸していたベルがつられて笑みを零し、最後尾にいたリリルカは申し訳なさそうに縮こまる。

 そんな様子にクロードは眉を顰めると、顔も向けずに口を開いた。

「サポーター、テメェが失敗を気にしてんなら、少しでも生き残る為の方法でも考えとけ」

 うじうじしてるだけなら邪魔にしかならん。と言い捨てたクロードが迷路と化した薄暗い岩窟内を右に折れ、足を止めた。

「……はぁ、まぁた行き止まりかよ」

 呆れた様子で煙管を吹かしたクロードの視線の先。

 迷路の様に入り組んだ岩窟を右に折れてすぐ、目の前に立ち塞がる岩の壁。

 彼らは、完璧に迷っていた。迷宮内でなによりも絶対に回避しなくてはいけない事態とは、現在位置を見失う事だ。

 希少金属(アダマンタイト)を始めとした特殊な鉱物を含蓄するダンジョン内は特殊な磁気が発生しており、方位磁針の類が使用不可能である事から、通常の探索の場合は階層を繋ぐ階段、連絡路を起点に現在位置および経路を把握するのが基本となる。しかし、彼等は途中で数ある縦穴の一つへ落ちている。起点や目印となるものはあるはずもない。

 現在位置が地図(マップ)のどの辺りなのか割り出せず、闇雲に動き回っている状態だ。

 当然、正しい進路もわからずに動き回っている彼らは、幾度も行き止まりに遭遇している。先導していたクロードが砂が交じる髪を掻いて煙管を吹かす。

 クロードは脳内で地図作成(マッピング)を行ってはいるものの、彼女自身が中層全域の地図を網羅している訳ではない。最低限、13階層から18階層までの最短路とその周囲のみを覚えているだけである。それを頼りに現在位置の割り出しをしてみても、一向に彼女の知る通路に該当する所に当たらない。

 もう一度、戻って別の通路に行くかと振り返ろうとした所で、後ろに居た面々を見回して吐息を零す。

 あの業火から逃れ、落とし穴に転落してから一度も休憩を挟まずに歩き続けてそれなりに時間が経過している。加えて、元々体力をすり減らしていたリリルカは自責の念で更に衰弱し、ベルは肩を貸して歩いていて息を切らしている。重傷を負ったヴェルフは負傷の激痛を堪えており脂汗を滴らせている。そして、クロード自身も傍からみれば余裕がある様に見えるが、実際には余裕はない。

 薬品を混ぜた疲労感や緊張等を感じにくくなる煙草を喫煙する事で誤魔化しているだけで、実際の所はそこまで余裕がある訳ではない。しかし、クロードはそれを表面に出す気は無い。

 もしここでクロードまで疲弊した様子を見せてしまえば、ギリギリで均衡を保っている仲間の精神状態が悪化し、最悪の場合は自暴自棄になりかねない。そんな憂慮をした彼女は、皆を手招きしてその場に座り込んだ。

「休憩だ休憩、オマエ等も座れ。ンで、道具(アイテム)と装備の確認だ」

 僅かに戸惑う三人を促し、堂々とダンジョンの一角で話し合いを始める。

 先に口を開いたのはリリルカだった。クロードの激励に気を取り直したのか、何としてでもパーティを生存させようとする決意が見て取れる。

「まず、装備の確認です。治療用の道具(アイテム)ですが、回復薬(ポーション)が四、解毒剤が二、高位回復薬(ハイ・ポーション)はありません。ベル様達は?」

「俺は何も残っちゃいない」

「僕はまだレッグホルスターに回復薬(ポーション)がいくつか」

「オレの手持ちはオレ専用だ。他の奴に飲ませられねェからな……いや、むしろヴェルフに飲ませちまうか?」

 その場に胡坐をかいたクロードが、懐から若干紫がかった回復薬(ポーション)を取り出し、考え込む。

「前から思ってたが、お前のソレって何なんだ? 自分専用とか言ってたが」

 過去、幾度もパーティを組んでいるさ中にクロードが服用していた通常の回復薬(ポーション)とは異なるそれにヴェルフが言及すると、彼女は肩を竦めて答えた。

「まァ、簡単に言うと気分が良くなる薬だな」

「……それって、ギルドで禁止されている刺激剤の事ですか?」

 リリルカの驚愕した様子に、ベルが首を傾げる。

「その、刺激剤って何?」

「ベル様、簡単に言うと痛みや恐怖を感じにくくする薬などです。本来はもっと種類が多岐に渡りますが、そんな認識で構いません」

 簡易な説明を聞いたベルが、それって少し便利じゃない? と首を傾げていると、リリルカは大きく首を横に振った。

「とんでもない。痛みと恐怖を忘れた冒険者が何をしでかすのか……わかりますか?」

 ギルドが禁止する以前は冒険者に愛用されていた類いの薬ではあった。実際、ダンジョン内で感じる恐怖や緊張を和らげ、痛みによる戦闘時の能力低下や戦力低下を防ぐという意味ではかなり便利な代物ではある。だが同時に、痛みと恐怖が鈍った冒険者は、無茶な()()に挑む様になる。

 過去にはこういった薬物による無茶な冒険によって命を落とす冒険者が数多くいたのだ。更に、冒険者同士のトラブルの原因にも繋がり、結果的にギルドに禁止される事となった。

「ベル様はどれだけ恐怖を感じても、その薬にだけは手を出してはいけません」

 行き付く先は薬物によって精神をズタズタにされた廃人か、性格が豹変した狂人か。どちらにせよ碌な事にはならない、と固く禁じるリリルカの言葉にベルが素直に頷く。そんな彼らを他所に、クロードは呟く。

「そこまでの代物じゃねェよ。まあ、内容物のいくつかが禁制品だったりするが」

「駄目じゃないですか!?」

 驚愕したリリルカに対し、クロードは肩を竦める。

「そういやァ、どっかに冒険者の持ち物盗む小悪党の小人族(パルゥム)が居たなァ」

「ぐぅ……」

 クロードのアレコレをギルドに報告するのならば、リリルカのアレコレもギルドに報告する。と軽い脅しをかけるクロードに対し、リリルカが呻く。

 要するに互いに口を閉ざす方が利口だ、と呟いたクロードはヴェルフを伺った。

「ンで、ヴェルフ。痛みが酷ェだろ、無いよりマシだし、薄めて飲むか? 少しは楽になるが」

 未だに激痛を感じる足を一瞥したヴェルフが、迷う様な表情を浮かべる。

「大丈夫なのか?」

「薄めて飲めば副作用もそこまで大きくはねェよ」

「……副作用ってなんだ?」

「ちと気が大きくなるな」

 疲労を感じにくくなるのと、痛みが鈍くなる。当然、疲労が無くなる訳でも怪我が治る訳でもない為、無茶をすれば後で手痛いしっぺ返しを食らう事になるだろうが、痛みに呻きながら進み続けるよりは楽になる。そう告げられたヴェルフは唸る。

「いざという時に痛みで動けないより、マシだと思うがね」

 クロードの言葉を聞き、ヴェルフは恐る恐る頷いた。

 ただでさえ足を引っ張っている上、純粋に激痛を耐え続けるのも辛く感じているのだ。そこに垂らされた糸に縋りたくなる気持ちもあった。

「サポーター、空の瓶と水くれ」

「……大丈夫なの?」

 無言で空の回復薬(ポーション)瓶と水筒を渡すリリルカと、受け取るクロードを見ていたベルが心配そうに呟く。

「問題ねェよ。変な事しようとしたらオレ等で止めれば良い」

 痛みや恐怖が和らいだ結果、無茶しようとするならば周囲が止めれば良い。そう言うと、水で薄めたソレをヴェルフに差し出した。

「いっきにグイッといってみろ」

「お、おう……」

 渡されたそれを受け取った彼は、恐る恐る口元に近づけ、一思いに一気に飲み干した。

 心配そうに見ていたベルとリリルカの二人の前、ヴェルフが僅かに目を見開いた。

「おぉ……痛みがだいぶマシになったな。それに、疲労感が無くなった」

「大丈夫ですか?」

「ああ、全然平気だ。これならどれだけでも歩けそうだ」

 先まで激痛を堪えていたのが嘘の様に自信満々に笑みを浮かべたヴェルフの様子に、リリルカとベルが戦々恐々とした様子でクロードの持つ回復薬(ポーション)、の様な何かを見やった。

 とはいえ、痛みを堪える彼を見続ける辛さを思えば、少しでも楽になってくれた方が良いとベルもリリルカも自身を納得させる。そんな彼らを他所に、クロードはくどくどとヴェルフに注意を促していた。

「何度も繰り返すが、テメェの足はぐちゃぐちゃのまま。疲労感も感じにくくはなってるが疲労は溜まってる。要するに自分で限界が見極められなくなってるだけだ」

 それこそ平気平気と無茶をすれば知らぬ間に限界を超え、いきなり気絶する。なんて状況になる、とクロードに注意されたヴェルフは、ああ、わかった、と威勢のいい返事を返す。

 僅かに気分高揚の効果が出ている事にクロードは眉間を揉み、無茶したら殴って止めるぞ、と忠告しておくにとどめた。

「んで、状況の確認だな」

「……あの、リリから一つ良いですか」

 改めて現状を確認しようとクロードが口を開くと、リリルカが声を上げた。

「これはリリの主観なのですが……今いる階層は15階層かもしれません」

「…………!」

「それで?」

「まァ、そうだろォな」

 絶句した表情を浮かべたベルを他所に、ヴェルフとクロードは平然とした態度でリリルカの続きを促した。

「縦穴から落ちた時間もそうですが、この階層の特徴も13、14階層のそれより15階層のそれに近いです」

 縦穴の落下時間を思い出したベルがリリルカの説明が現実味の有るものだと理解して震えあがり、ヴェルフは絶望的状況だと理解はできても恐怖が湧き上がってこず、逆にその事に恐怖を感じていた。クロードの方はその可能性もあるか、と薄ら察していた為特に表情を変える事は無い。

 ただでさえ迷宮内で迷子になり危機的状況だというのに、現在階層がより深い15階層ともなれば地上への生還は絶望的なものに変わる。15階層、14階層、13階層を越え、安全地帯である『上層』に辿り着くのは現在の状況からして不可能である。

 モンスターは強く、更に迷宮は広く、ベル達も疲弊している。

 クロード単独の時は、現在位置を見失う様な状態ではなかった為になんとか帰還できたが、あの時とは状況が異なる。あまりにも絶望的状況に、クロードが肩を揺らして笑いを堪えた。

(どれだけ好意的に状況を見ても、死なないはずがねェ状況だ)

 自身の持てる全力を以てしても死ぬ状況。最後の瞬間まで止まる気は微塵もないが、それでも笑いが飛び出てくる状況。クロードは迫りくる死の気配に笑みを浮かべ、リリルカを見据えた。

「ンで、何か考えはあんのか?」

 地上に戻るには()()()他のパーティと出会うか、()()()階段を見つけるかが必要。どちらも確率が低すぎて賭ける気にもならない。そんな中、サポーターの少女は何か考えを持っていた。

「ここからが本題です。上層への帰還が絶望的であるのは間違いありません。ですが、ここであえて上層階層(うえ)へ上る選択肢を捨て、下の階層……()()()()()()()()()()()()()()()()

 最初、何を言われたのか理解できなかったベルとヴェルフが眉を顰め、クロードは立ち昇る紫煙に視線を向けた。

 そんな彼らを他所に、リリルカは説明を続ける。

「18階層はダンジョンに数層存在する、()()()()()()()()()()()安全階層(セーフティポイント)です。『下層』の進出を目指す冒険者達が間違いなく拠点として活用しているはずなので、そこまで行けば安全が確保されます」

 説明を聞いたベルが驚愕の表情を浮かべ、ヴェルフが腕組をする。刺激剤によって高揚しているとはいえ、その選択がどれほど無茶なのかヴェルフにすら理解できた。

 そんな彼らの横、クロードは大きく目を見開き、口角を吊り上げた。

「ンだよそれ────最高じゃねェか」




 これ18階層までカットオールで良いんじゃないですかね。
 本音を言うと、長くなりそうだから大幅にカットして18階層で保護された辺りまでいっきに飛ばす感じで。
 読者的には桜花君がどうなるのかの方が重要だと思いますし?

 迷宮決死行のイベントなんて、あったとしてもリリルカとの仲改善イベントとか、ベルとの仲改善イベントぐらいじゃないですかね。
 道中で薬物切れから精神不安に陥ってぶっ壊れクロードくんちゃん発覚とか?

 どれも大したイベントじゃないですね。

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