紫煙燻らせ迷宮へ   作:クセル

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第三四話

 迷宮決死行の末に18階層に辿り着いた少年達のパーティを救助した彼の派閥の厚意により、食事へと誘われたベル達は、【剣姫】に連れられて営地の中心部に足を運んでいた。

「おい、アイツ……」

「【煙槍】だ……」

 開けた中心部、多数の人が大きな輪になって座り込んでいた。彼らが囲んでいるのは焚火──ではなく、いくつもの携行用の魔石灯だ。それの光景は営火(キャンプファイア)を彷彿させる。

 そんな彼等から不躾な視線を向けられたのは、銀髪の小人族(パルゥム)の少女だ。

 頬の傷跡を不愉快そうに歪め、視線を鬱陶しそうにしながらも案内された彼女は、人気のない場所を勧められ、静かに腰を下ろした。

 周囲から向けられる奇異の視線に少年は緊張した様子で生唾を飲み込み、知り合いの顔を見つけたヴェルフが口をへの字に曲げる。リリルカは悪目立ちしないようにと慎重さを見せる。

 彼らが席に着いたのを確認すると、一人の少年が立ち上がった。

「みんな、聞いてくれ。もう話は回ってると思うけれど、今夜は客人を迎えている。彼らは仲間(おたがい)の為に身命をなげうち、この18階層まで辿り着いた勇気ある冒険者だ。仲良くしろとまで言うつもりはない。けれど同じ冒険者として、欠片でもいい。敬意を持って接してくれ」

 【ロキ・ファミリア】団長、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナの言葉を聞いた者達が揃ってベル達を一瞥し、その中に交じる銀髪の少女、クロードを見て不愉快そうに眉を顰める。

 過去に【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)に殴り込みをかけた事のある人物。そんな相手に対して仲良くしろというのではなく、冒険者としての自尊心に訴える形の口上をフィンは述べたのだ。とはいえ、過去に【ファミリア】に対し敵対した者に対する心情を察するに効果は薄そうだ、とフィンが内心吐息を零した所で、件の冒険者達の一人が立ち上がった。

 くすんだ銀の長髪に、大きな裂ける傷跡が目立つ外套(オーバーコート)。整った顔立ちの中で瞳は何処か捻くれたような光を宿し、右頬には真新しい傷跡が目立つ。

 【煙槍】クロード・クローズ。

 過去に【ロキ・ファミリア】に対し殴り込みを仕掛けた事もある冒険者。原因が自分達にあったとはいえ、その一件の事情を知らぬ者からすれば警戒対象でしかない冒険者。

 現在ともに行動している【ヘファイストス・ファミリア】ともトラブルを起こしている。今回救援した者の中で扱いが最も難しい人物だ。

 そんな彼女が立ち上がった。

 つられて、警戒した様子でロキ派の冒険者が腰を浮かす。咄嗟にフィンが手で制し、真っ直ぐクロードと視線を交わした。

「どうかしたかい?」

「演説を止めて悪い。だが、礼は言わせてくれ。助けてくれて感謝している。ありがとう」

 その場で大きく頭を下げたその姿に、僅かなどよめきが発生する。

 我儘で不遜、頭を下げる事は絶対にないであろうと思われていた人物の感謝の言葉と一礼に皆が呆気にとられる。そんな中、クロード本人は頭を上げると、ちらりと周囲で驚く面々を見回して更に言葉を続ける。

「恩はまた機会があれば是非返す。その上で、だ……オレなんかが居たら空気が悪くなンだろ、邪魔みてェだからテントに引っ込んどく」

 気を利かせた様に肩を竦めたクロードの姿に、フィンは僅かに口元を緩めた。

「その必要は無い。先も言ったが、キミ達は客人だ。キミ達側から何か揉め事を起こす気が無いのであれば何の問題も無い」

 クロード自身が空気を読んだような謝罪をした事。それに気付いたフィンはそれを踏まえた上で皆に訴えかける。あくまで今回は客人、彼女が問題を起こさぬ限りはそう扱う。と。

 周囲の者達も、あえて問題を起こそうとしないクロードを見て、視線を逸らした。フィンは『クロードが揉め事を起こさなければ』と言ったのだ。言外に自分達側から揉め事を起こす気はないと言い切ったのだ。それに背く様な行動をとる訳にもいかない。

 軽い会釈と共に頭を下げたクロードが腰を落としたのを見たフィンは、改めて声を上げる。

「……それじゃあ、仕切り直そう」

 仕切り直す様に、皆の手元にそれぞれ食糧が配られる。

 一人につき二つ、三つの果物だった。

 瓢箪型の赤い漿果と琥珀色で糖度の高そうな蜜をたっぷり滴らせるふわふわの綿花ににた果実。およそ地上でお目にかかる事のない珍しい果物にベルは興味深そうにそれを見やり、クロードはゲテモノでも出てきたかのように表情を歪める。

「これ、18階層でとれたものだよ」

「18階層に果物が!?」

 この階層で取れたものだと知らされたベルが驚き、綿を蜂蜜に浸したかのような果実、綿菓子(ハニークラウド)を手に取り、一口齧った。

 瞬間、少年は口元に手を当てて何かを堪える様に震えはじめた。その様子にクロードは肩を竦めると、同じモノを摘まんで齧る。

 蜜が滴る程、という表現がよく似合う綿に似た果肉は、一瞬で口内を糖度の高い蜜で満たす。通常時に食すにはいささか過剰ともとれる糖度の濁流にクロードは大きく表情を歪めた。

「コレを飯にすんのはキツイだろ……」

 叶うなら肉を、と文句を言いかけた少女は大きく口を開けて残った綿菓子(ハニークラウド)もろとも、その文句の言葉を飲み込んだ。

 あくまでも【ロキ・ファミリア】の厚意によって収穫物を分配してもらっただけ。自分達が助けられておいて飯にまで文句を付ける訳にはいかない、とクロードは口内に残る甘い蜜に口を曲げ、残る食糧に視線を落とす。

 携行用のブロック食と、薄められたスープ。そして残る赤い漿果。どれに手を付けるかとクロードが悩み始めたその時。

「アルゴノゥトくーん!」

 元気そうな声で誰かの名を呼ぶ声が響く。

 特に気にもしていないクロードは、その声に反応したベルに訝し気な視線を向けた。

 少年を挟む様に唐突に現れた双子のアマゾネスの姉妹。彼女らに絡まれて頬を赤らめる少年の姿に、クロードは大きく肩を竦め、リリルカは柳眉を逆立てて剣呑な雰囲気を持ち始める。

 そんな背景を気にした様子の無いアマゾネスの双子──都市でも有名な双子の第一級冒険者、妹の方であるティオナ・ヒリュテが天真爛漫な声で問いかけた。

「どうやったら能力地(アビリティ)オールSに出来るの?」

 その質問に少年が表情を強張らせ────クロードは手にしていたブロック食を落した。

 助けを求める様に周囲に視線を巡らす少年は、知り合いらしき人物に絡まれて本気気味の悲鳴を零すヴェルフと、剣呑な目付きをしたリリルカ、そして呆然とした様子のクロードを見て孤立無援を悟る。

 そんな彼が焦る横で、クロードは無言で落としたブロック食を拾い上げ、土を払って齧りつく。全力で駆け抜けたクロードではたどり着けなかったオールS(いただき)。それを成し得たという少年は、質問にどう答えるかと悩んでいる。その光景に、クロードは土が混じり不愉快な歯ざわりとなったブロック食を強引に流し込み始める。

 無心に、溢れ出しかけた嫉妬心諸共不愉快なじゃりじゃりとした土の食感を飲み込んでいたクロードは、聞こえた()に眉を顰めた。

 

『────ぐぬぁっ!?』

 

 迷宮(ダンジョン)内で決して聞こえる筈の無い、知り合いの声。

 副作用を抑える煙草が無くなって暫く経っている。遂に幻聴の症状が出たか、とクロードは溜息を零しそうになる。そんな彼女の横、双子の姉妹に挟まれた少年が慌てた様子で立ち上がった。

「すいません、行かせてください!」

 返事を待たずに駆けていく白髪の少年と、その後を追って駆けていくリリルカ。その姿を見ていたクロードは僅かに眉を顰め、つい先ほど聞こえた声が、幻聴でも何でもない本物だったのではないかという疑念を覚えた彼女は、遅れてヴェルフと共に駆け出した。

 野営地の外へと抜け、森が切れ切れになっていく。視界の奥に見えるのは高くそびえる岩の壁。そして口を開けた洞窟。17階層と18階層を繋ぐ連絡路だ。

 木々の合間を抜けて辿り着いた其処には、既に異常を察知して駆け付けた【ロキ・ファミリア】の見張りの姿が見える。そんな彼ら肩の間から少年が顔を出す。その後姿を見ていたクロードは、僅かに目を見開き、頭をガリガリと掻いた。

「おおおおお……!? あ、あんな巨大なモンスターが居るなんてっ聞いてないぞ!?」

「あっはははははっ!? 死ぬかと思ったー!」

 四つん這いになって息を整える女神、ベルとクロードに恩恵を授けているヘスティアの姿がそこにあった。

 地上では未帰還という事で騒ぎになっただろうというのは想像に易い。しかしそれを差し引いたとしてもダンジョンに侵入を許されない神が潜ってくるのは余りにも酷い。加えて、たとえ許可されていたとしても万が一にでも女神が命を落とせば、その瞬間に眷属であるベルとクロードは恩恵を失う。それがどれほど致命的なのか想像も出来なかったか、とクロードが天井を仰ぐ中、女神は少年の姿を見つけ、駆け寄っていく。

 ひしりと少年に抱き着く女神の姿に、クロードは胡乱気な半眼を向けていた。そんな彼女は次にもう一人の人物──神物(じんぶつ)に視線を向けた。

「ンで、そっちの(バカ)は何処のどいつだ?」

「やぁ、初めまして。オレはヘルメス。キミは……クロード・クローズかい?」

 女神の横で笑っていた青年神、ヘルメスが立ち上がりながら視線を向けてきた少女に声をかける。

 その声色に含まれる探る様な色合いに、クロードは不機嫌さを僅かに滲ませながら口を開いた。

「女神を連れ込んだのはテメェか? デートするにゃァ、ここはちと物騒過ぎンだろォがよ」

「いや、ヘスティアを連れてくるつもりは無かったんだ。申し訳ない」

 誠心誠意謝る様子を見せる男神の姿に、クロードは表情を更に険しくする。

 一目見た感想は、誠実で真っ直ぐで心優しい男神というものになるだろう。だが、どうにもキナ臭いとクロードが眉を顰める中、ヘルメスは大袈裟な仕草でベルにも挨拶していく。

「ああ……会いたかったよ」

 その様子を見ていた銀髪の少女は、訝しみつつも残る面々に視線を向けた。

 覆面の冒険者──立ち振る舞いからクロードの知っている人物であろう冒険者に、水色の髪をし眼鏡をかけた女性冒険者。此方は都市でも有名な人物で【万能者(ペルセウス)】の二つ名で知られる道具製作者(アイテムメーカー)

 そして、残るは統一された配色や様式の防具や戦闘衣(バトル・クロス)を見に纏った同一派閥に所属しているであろう三人の冒険者。

 その姿を見たクロードの表情が、一瞬で消え去る。

「ンだよ、良く(ツラ)ァ見せる気になったなァ……?」

 彼らの姿にクロードは覚えがあった。

 13階層にて、クロードの警告を無視して怪物贈呈(パス・パレード)を敢行して逃げていった派閥のパーティだ。

 彼らの鎧に刻まれた地面に突き立つ剣のエンブレムを見たクロードは、口元を大きく吊り上げた。

 

 


 

 

「────申し訳ありませんでした」

 救助されたパーティであるベル達に貸し与えられたテント内。

 女神と再会した後、彼等は一度このテントに戻っていた。この場に居るのはベル達四人と、女神、そして件の怪物贈呈(パス・パレード)を行った【ファミリア】の三人。

 気まずい空気が流れる中で、一人の少女が正座し、手の平、額まで地面に付いて謝罪を行っていた。

 そんな綺麗な土下座を披露する少女の前、被害者であるベルは彼女が行う、いっそ神々しさすら感じる土下座に戦慄している。

「……いくら謝られても、簡単には許せません。リリ達は死に掛けたのですから」

「まぁ、確かにそう割り切れるものじゃないな」

 リリとヴェルフの二人は、土下座をする少女──【タケミカヅチ・ファミリア】の(ミコト)を前にしても、険のある音声を崩さない。

 そんな二人の後ろ、最も離れた位置にいるクロードは剣呑な光を帯びた瞳で彼等を睥睨していた。そんな彼女の手は武器の柄を撫でている。

「あの、その、本当に……ごめん、なさい……」

「リリ殿の怒りももっともです。いくらでも糾弾してください」

 瞳を前髪で隠した千草(チグサ)という少女と、生真面目な(ミコト)の誠心誠意籠った土下座に謝罪。

 冒険者同士におけるモンスターの押し付けは、迷宮内では日常茶飯事の行為だ。むしろ、それを上手く利用する技術を持つ事こそ、ダンジョン内で生き残る為の秘訣だとも言われている。

 それこそ、いつ自分達が危機的状況に陥り、加害者(しかける)側に変わるともわからない。故に、冒険者はそこに悪意が無い限り『怪物贈呈(パス・パレード)』には一定の理解を払わなくてはならない。というのが冒険者達の中での常識ともなっている。

 しかし、今回の事件(ケース)において、ベル達は死線を彷徨う様な羽目に遭っている。いくら理解を払うと言えど限度はあるのだ。そんな希少(レア)事件(ケース)にヘスティアは『うーん』と唸る。

 ミコト達は十二分に誠意と謝罪を見せている。とはいえ感情的に納得しろと言われても無理だ、というリリルカとヴェルフの主張もわからなくもない。

 故に二人の言い分を否定できない、と悩むさ中、後ろで武器の柄を撫でていたクロードが鋭く目を細めながら、口を開いた。

「テメェ等の中で、リーダーは誰だ?」

 剣呑を通り越し、殺気交じりの言葉を放った彼女の様子に千草が震えあがり、命が再度頭を下げる。

 一触即発どころか、既に敵愾心に満ちているその様子には、加害者である彼等も13階層時点で察しが付いていた。あの時、【タケミカヅチ・ファミリア】の接近に気付いた彼女はあの時『殺すぞ』とすら言い切っていた。

 現にいつでも武器を抜ける様にと、手元に武器を持ったまま一瞬たりとも気を許した様子無く桜花達を睨み付けているのだから。

「リーダーは俺だ。あれは俺の出した指示だ。責めるなら、俺を責めろ」

「ほぉ、テメェがリーダーか……頭も下げずに随分とまァ……エラそうな奴だな。ちったぁそこの土下座女みてェに平伏したらどうだよ?」

 腕を組み、肩幅に足を開いたまま仁王立ちをしている男、【タケミカヅチ・ファミリア】の団長であり、パーティのリーダーを務める桜花という大男にクロードが声をかける。

「俺は、今でもあの時の指示が間違っていたとは思っていない」

 土下座していた命よりも前に出て、巨漢の桜花が言い切った。

 翻そうともしない信念の籠った言葉。その内側に秘められているであろう固い決意と決断にベルが驚きの表情を浮かべ、ヘスティアが青褪めた。

「ほぉ……良い度胸してンじゃねェの」

 自分は何一つ間違っていない。信念のもとに巨漢の口から放たれた言葉にクロードは煙管を取り出し、空っぽの火皿を見てから、桜花を真っ直ぐ睨み付けた。

「恨まれて当然って(ツラ)ァなんぞしやがって」

 彼は秤にかけた。仲間の命と、見ず知らずの他人の命を。その上で、巡り巡る恨みを受け止める覚悟でいる。だからこそ、謝罪の言葉は口にする事なく、ただ受け止めるという決意だけを見せたのだ。

「……それをよく俺達の前で口に出せたな大男」

 口を吊り上げたヴェルフが桜花を睨み付ける。

 一触即発な雰囲気にベルが戸惑った様子を見せ、ヘスティアは成り行きを見守る様に腕を組んで黙り込む。

 そんな彼らを他所に、銀髪の少女は空っぽの火皿を指先で撫で、呟いた。

「そォーかそォーか、よォーくわかった」

 理解した、とわざとらしく言葉を区切ったクロードは────喧嘩煙管を振り抜いた。

 ゴッ、という鈍い音と共に桜花の側頭部を鈍器が穿ち抜く。小さな体躯からは全く想像も出来ない怪力の一撃に、巨漢がテントを突き破って外に吹き飛んでいった。

「桜花殿!?」

「桜花ッ!?」

 命と千草が悲鳴を上げ、ヴェルフが無言で大刀を抜き、リリルカは軽く目を伏せて女神の手を引いた。

「クロード、加勢するぜ」

「ヘスティア様、下がりましょう」

「ちょ、ちょっと待って!」

 一触即発の雰囲気に焦っていた少年の制止の声。それをクロードは鼻で笑い、ヴェルフは吠えた。

「ベル、こいつらは俺達の命を軽視しやがったんだぞッ!?」

 黙って頭を下げていれば良いものを、よりにもよって『オマエ等の命なんかどうでも良かった』と言い捨てたのだ。そんな事を言われて黙って居られる程、ヴェルフは腑抜けた人間ではない。

 千草が吹き飛んでいった桜花を追ってテントの外に駆け出し、命が二人の前に回り込んで土下座を繰り出した。

「申し訳ありません! どうか、どうかお赦しをッ!?」

「退いてくれ、俺はあの大男に用があるんだ」

 赦してやってくれ、と縋る命の姿にヴェルフが鬱陶し気な表情を浮かべ、クロードは──彼女の脳天に煙管を振り下ろした。

 鈍い打撃音と共に、命の頭部が地面に埋まり込む。

「ッるせェな、テメェの【ファミリア】はヨーするに、喧嘩売ってンだろ? 下っ端が頭下げて済む話じゃねェーだろォが」

 派閥の団長、パーティのリーダーであった桜花が喧嘩を売った──穏便に済ます事の出来た話し合いの中で、相手の命を軽視する発言をした。それに対しヴェルフが怒った様に、クロードもまた怒っ(キレ)ていた。

「テメェにとっちゃァ、仲間が大事だったんだろォがよォ……オレからすりゃあ、オレの仲間が大事に決まってんだロ。その前で、命を軽視するったァ……テメェ、よっぽど死にてェらしいな」

 テントの外に投げ出された桜花を追ってテントを出たクロード。そんな彼女を他所に容赦なく頭部に一撃食らって昏倒して地面に埋まる命を見たヴェルフは頭が冷えた。

 大男、桜花に文句を言いたくはあったが、一切躊躇なく土下座していた少女の頭部に武器を振り下ろしたクロードの行動はかなりやり過ぎだと感じたのだ。だが、クロードが激怒する理由には理解を示す。

「ヴェ、ヴェルフ! み、命さんっ、大丈夫ですか!?」

 成り行きについていけない心優しい少年が、頭が地面にめり込んだまま動かない少女に駆け寄って助けようとする。そんな様子を見ていたリリルカは、女神に問いかけた。

「ヘスティア様、止めなくて良いのですか……?」

「……ボクには、クロード君を止める権利なんか無いよ」

 悲し気に呟いた女神は、桜花を追ってテントを出ていくクロードの背中を見つめていた。

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の野営地。

 その中でも他派閥の冒険者が急遽泊まる事になった一つのテントから、いきなり冒険者が投げ出されてきた。

 その異常な光景に見張りは何事かと慌て、団長に報告する為に何人かが駆けていく。

 つい先ほど、怪物贈呈(パス・パレード)の被害にあった眷属を助ける為に主神自らがダンジョンに潜ってきたという噂は既に出回っている。そして、その女神を連れてきた冒険者についても、だ。

 その内、何人か居た中で三人の統一された装備を身に着けた様子から何処かの【ファミリア】の冒険者だと察せられる者達と、ベル・クラネルたちが顔を合わせた時に空気が重くなった事から、彼等が怪物贈呈(パス・パレード)をしでかした者達ではないか、という推測が出回っていた。

 故に、その件でのトラブルか、と見張りが迷惑そうな表情を浮かべるさ中、件の冒険者がそのテントから出てきた。

 くすんだ銀髪に頬の傷、そして小柄な体躯の小人族(パルゥム)の冒険者。

 彼女は立ち上がろうとしてふらつく巨漢の冒険者を見据えると、武器を構える。滲み出る殺気から、本気で殺傷しようとしているのを察した見張りが止めるかどうか躊躇する。

 怪物贈呈(パスパレード)した冒険者に対し、された被害者が報復をする。というのは特に珍しい事ではない。

 一定の理解を払う必要はあるが、払わない者だってそう珍しくないのだから。ましてや、クロード・クローズという冒険者ならば間違いなく報復するだろうな、というのを過去の行動から察する事は容易い。故に、彼等は積極的に止めようとするのではなく、これ以上被害が出ない様にとテント周辺を固めておくにとどめる。

 そんな周囲を他所に、クロードはふらつきながらも立ち上がろうとしていた桜花に容赦の無い追撃を加える。

 初撃で平衡感覚を揺さぶられ、未だに真っ直ぐ立つ処か、起き上がる事すら難しい巨漢の男に対し、小柄な少女が幾度も殴打を叩き込む。鈍い肉を打つ音が断続的に響き、男の苦悶の声がそれに混じる。

 いたぶる様に、といった様子ではない。本気で殴り殺さんばかりの勢いの殴打の中、それでも巨漢の男の方は急所を庇って生きながらえていた。

 平衡感覚は真っ先に揺さぶられ、反撃はおろか立つ事は出来ない。けれどもこれが報いか、と彼は必死に攻撃に耐え── 一人の少女の声でその猛攻は止まった。

「止めて!? これ以上桜花を、痛めつけないで!」

 必死の様子で、震えながら放たれた言葉にクロードは動きを止め、地面に倒れた桜花の背に足を乗せながら首を傾げた。

「なァに言ってンだ……」

 桜花を足蹴にしながら、クロードは胡乱気な視線を千草に向ける。

「そもそも、自分は関係ありませんって(ツラ)してんじゃねェよ」

 クロードの動きは、早かった。

 武神タケミカヅチの眷属という事で、鍛えられておりそこらの冒険者に比べて非常に優れている上、それなりに【ステイタス】が上がっているとはいえ、千草はLv.1。そんな彼女からすればLv.2のクロードの動きは余りにも速い。

 近づいてくる、と警戒して動き出そうとした頃には既に彼女の攻撃は千草を捉えていた。ゴシャッ、という鈍い音と共に、少女の顔中を喧嘩煙管が捉える。

「千草ァッ!?」

 平衡感覚を失い、立ち上がれない桜花が目の前で殴り飛ばされた少女の体が地面に投げ出されるのを目撃し、絶叫を上げる。

 響いた絶叫に銀髪の少女は口元を吊り上げ、愉し気に嗤い、桜花を睥睨した。

「絶叫なんざ上げて、どォしたよォ? なァ……?」

 そう言いながら、クロードは鼻血を噴き出して倒れた少女の頭部を踏み付ける。僅かに漏れ出た呻き声から死んでいない事はわかるが、朦朧としているのか動きは鈍い。

 更に、銀髪の少女は腰からショートソードを取り出し、朦朧とした様子の少女の腕に突き刺す。

 一瞬、目を見開いた少女が激痛に意識を覚醒させ────絶叫を響かせた。

「クハッ、良い悲鳴上げんじゃねェの」

「待て、止めろ! 千草は関係ない! 責めるなら俺を責めろ!?」

「あァ? テメェ、何偉そうに指図してンだよ」

 何が自分を責めろ、だ。加害者の癖に、まさか自分の言う事を聞いてもらえるとでも思っているのか。

「ンな訳きゃァねェだろォよ。そもそも、テメェ等俺の忠告も聞かなかった癖によォ」

 言ったよなァ、『それ以上近づいたらぶっ殺す』と、獰猛に頬の傷跡を引き攣らせた笑みを浮かべるクロードの姿に、桜花は信じられないといった様子で目を見開く。

「命令をしたのは俺だ!」

「命令に従ったのはコイツだ」

「千草は怪我をしていて意識が無かった! アレは全部俺の責任だ!?」

 戻りかけの平衡感覚を駆使し、必死に立ち上がった桜花が吠える。

「あァ? ああ、そういや、このガキが怪我なんぞして危機に陥ったからオレ等が被害受けたのか……」

「やめろっ!? それ以上千草を傷付けてみろ、絶対に許さんぞッ!?」

「……はァ? 赦さねェってのはこっちの台詞だボケ」

 何勝手に被害者ぶってんだ、ぶっ殺すぞ。と不愉快そうに首を鳴らしたクロードは、おもむろに喧嘩煙管を両手で持ち、頭上に掲げた。

 足元にはぐったりして動けない千草と呼ばれた少女。それを離れた位置から見ていた桜花は目を見開き、何をしようとしているのか察し、あらん限りの絶叫を上げる。

「止めろォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?」

「ッるせェってな」

 黙ってぶっ殺されてろ、と銀髪の少女はかつて叫んだ言葉の通りに実行しようとして────。

「ぐぅっ……!!」

 ────金属同士の打ち合う音色と共に、クロードが振り下ろそうとした喧嘩煙管は一本のナイフによって止められる。

 片膝を突いて手を伸ばしていた桜花が目を見開いたまま止まり、止めを刺そうとしていたクロードは自身を止めた人物を見て更に力を込める。

 攻撃を止めたのは、白髪の少年だった。ギシミシとクロードの鈍器と少年が持つナイフが鍔迫り合いをし始めた。

「────なぁ、ベル……そりゃァ、どういうつもりだ?」

「クローズさん、やり過ぎですよっ」

 必死に歯を食い縛り、両手で握られた喧嘩煙管を受け止める少年は歯を食い縛っていた。

 ベルは横から強引にナイフを差し込んで攻撃を止めたのだ。姿勢も悪く上手く弾く事が出来ない。だが同時にクロードの方も下手に下がる事は出来ない。

 本来なら鈍器で有る以上、勢いをつけて殴りつけなければいけない為、今のクロードは一度下がって勢いに乗った一撃を繰り出す必要がある。しかし、もしここで下がれば少年が姿勢を立て直してしまう。

 疲労状態を加味した上で、今のクロードではベル・クラネルに打ち勝てない。だからこそ、いち早く仕留めるつもりだったのに、とクロードが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 その時だった。

「双方止まれ!」

 声をかけてきたのは、報告を受けた上で静観を決め込もうとするも、その後に響いた絶叫故に対処せざるを得なくなった【ロキ・ファミリア】首領、フィンだった。

 彼は桜花、千草、ベル、クロードの順で視線を巡らせると、続ける。

「今すぐ戦闘を止めてくれ。僕達の野営地でこれ以上の狼藉を働くというのなら、僕達にも考えがある」

 周囲を取り囲むのは、【ロキ・ファミリア】が誇る精鋭。第一級冒険者である【剣姫】や【大切断(アマゾン)】、【怒蛇(ヨルムガンド)】の姿もある。

 もしこれ以上暴れるなら、鎮圧する、と戦力を見せ付ける彼らに対し、クロードは不機嫌そう眉を顰めた。

「喧嘩売ってきたのはコイツらだぞ。邪魔すんじゃねェよ」

「邪魔をしたのは申し訳ない。だが、この場での殺人は控えて欲しい」

「あァ?」

「僕達の派閥の野営地で他派閥の冒険者が命を落としたとした、ともなれば僕達にも迷惑がかかる。それに、キミ達は僕達に借りがあるはずだ。今すぐ、戦闘を止めてくれ」

 反論を潰す様に理路整然とクロードの反論を潰したフィンは、反応を伺う様にクロードを見据えた。

 苦々しげな表情を浮かべた銀髪の少女が、徐々に力を抜く。それに合わせて白髪の少年も力を抜き、互いに武器を離した。

「さて、原因は……そちらの派閥の様だね」

 未だに立ち上がる事が出来ないでいる桜花を見て、フィンは溜息を零した。

「どうにも、当たって欲しくない勘ばかり当たるね」




 怪物贈呈(パスパレード)は日常茶飯事。
 いつ自分達が加害者(しかける)側に回るかわからないから、冒険者は一定の理解を払わなくてはならない。

 ……はぇー、冒険者ってすっごいクズ。いや、酷いな。
 善性だと思ってたタケミカヅチファミリアですらこの常識で動いてるみたいだし。あくまでも死線を彷徨った今回のベル君の一件が例外みたいな感じらしいですね。
 いやぁ……それでも普通は謝罪から入らないかなぁ……。

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