紫煙燻らせ迷宮へ 作:クセル
『豊穣の女主人』と言う店は、女将であるミア・グランドが一代で築き上げた店だ。
かつては冒険者だった彼女は主神の赦しを得て【ファミリア】から半脱退状態でこの店を切り盛りしている。従業員たちは全員女性。中には訳ありな者も何人か混じってはいるが、全てを気前よく受け入れてくれるミアの存在もあり、この店は非常に明るい雰囲気を纏っている。
注文を取りに来た店員にちょっかいを掛けるドワーフに対し、慣れた風にあしらうヒューマンのウェイトレス。提供された料理に満足そうに舌鼓を打つエルフも居れば、卓をくっつけてお祭り騒ぎのヒューマン達も居る。
そんな店内には見た目は幼い少女がジョッキを掲げて客に混じり大笑していた。
「んでよぉ、ゴブリン倒して良い気になって後ろからコボルトに襲われちまってなぁ!?」
他の【ファミリア】の4人組のパーティの冒険者の席に交じってクロードが酒の肴を提供する。
「おいおい、大丈夫だったのか? その新人」
「あっはっは、悲鳴上げて転げ回って土塗れだよ、怪我は無かったけどな!」
いつの間にやら他のテーブルに座っていた客と意気投合して酒を呷る銀髪の先輩冒険者の姿に、少年は赤面しながら顔を覆い隠していた。
恥ずかしいやら情けないやら。笑い話として語られる内容に嘘が一つも無く事実である所為で彼女の口を強引に閉じると言った選択肢を少年の中から消し去ってしまっている。
「あ~、居るよなあ、そういう新人」
「あるある。ウチの【ファミリア】の新米も同じ事やらかしてたぜ」
「まあ、悲鳴上げて転げ回りはすれど、逃げ出したりしなかったからマシだがな」
「おっ、その新米見所あるな」
一人のドワーフが酒を呷ってクロードの話す『件の新米冒険者』をほんのりと褒める。
びくりとベルがほんのり顔を上げれば、他の冒険者達もうんうんと頷く仕草をしていた。何処か認められたような気分になったベルはほんのりと羞恥が緩まる。
そんなタイミングで、ベルの横にふわりとシルが腰掛けた。
「どうです、楽しまれてます?」
「シルさん……圧倒されてます。クローズさんは凄く楽しんでるみたいですけどね」
「ふふふ、ごめんなさい。私の今夜のお給金も期待できそうです」
鈴の鳴る様な店員の笑みに釣られ、あはは、と乾いた笑みを浮かべた少年は自らの懐のヴァリスの重みを確かめて目を逸らす。馬鹿みたいに飲み食いするクロードのおかげで、かなりギリギリになりそうだ、とベルが顔を引き攣らせていた。
そんな少年の横、クロードが居なくなり空いていた席にシルが腰掛ける。
「店の方は良いんですか?」
「給仕の方は十分に間に合ってますので」
シルがカウンター越しに女将に確認をとれば、女将は大きな鍋をかき混ぜながら頷いて応える。それを聞いたシルが改めて少年の方に向き直った。
「このお店、冒険者さん達に人気があって結構儲かってるんですよ。お給金も良いですし」
「……シルさんって、お金が好きな人だったりします?」
今朝の事、ベルは朝食を抜いてダンジョンへ向かっていたさ中に目の前のシルと出会った。その際にシルがお腹を空かしていたベルに自分のお弁当を差し出したのだ。お弁当の礼は、この店で夕食をとって欲しいというモノであって。
今朝の一件で売り込んだかのようなシルの様子にお金が好きな人かとベルが猜疑的な視線を向ける。
「ジョークですよジョーク、それに……この店には色んな人が集まるから……」
シルはそういうとカウンターから顔を上げて店内を見回した。
つられてベルが視線を巡らせれば、嫌でも視界に入るのは容姿だけは端麗ながら、ドワーフの様に豪快に酒を呷る幼女の姿。僅かに顔を引き攣らせたベルが彼女から視線を外す横で、シルが呟く。
「この店には沢山の人が集まるんです。沢山の人が居ると、色んな発見があって……私、目を輝かせてしまうんです」
瞳を細めて店内を眺める彼女の横顔に見惚れたベルが、思わずシルを見つめてしまう。それに気付いたシルが咳払いをすると、言葉を続ける。
「とにかく、そういう事なんです。知らない人と触れ合うのが、ちょっと趣味になってきているというか……その、心が疼いてしまうんです」
「……結構凄い事言うんですね。でも、それはわかる様な気がします」
シルの趣味にベルがほんのりと理解を示した所で、ふとベルは腰を叩かれて視線を下に向ける。
「えっと、クローズさん?」
腰の辺りを叩いていたのは、何処か据わった目をしたクロードであった。
「うす、少し一服してくる。シル、今度から喫煙可にしてくれってミア母ちゃんに言っといてくれよ」
「それは無理ですよ。諦めて外で一服してください」
何処か不貞腐れた様子で火の着いていない煙管を咥えてふらふらと千鳥足気味に外へ向かう彼女の様子にベルが心配そうに立ち上がりかけ、シルが微笑んだ。
「大丈夫ですよ。クロードさんは酔ってもしっかりした方ですし」
「そうですか」
シルに勧められて再度椅子に腰を落とした所で、ベルはふと気になった事を口にした。
「シルさんってクローズさんの事知ってるんですか?」
「はい、時々この店に顔を出してますよ。ただ、毎回『喫煙席は無いのか』って文句言ってますけどね」
三度の飯より煙管を吹かしてる姿をよく見るクロードのらしい文句にベルが苦笑いしていると、突然、どっと十数人規模の団体客が入店してくる。
店員に案内されて席に向かう種族がてんで統一されていない集団を見て、店内に居た客たちがにわかにざわめきだす。
「おい、えれえ上玉じゃねえか」
「馬鹿、
「あれが巨人殺しの【ファミリア】か……」
「第一級冒険者のオールスターじゃねえか」
「噂のあの娘が【剣姫】か……」
迷宮都市に住まう者なら知らぬ者の居ない大派閥。
そんな【ファミリア】の幹部である第一級冒険者が勢揃いして現れた光景に客達がどよめき、その様子を伺う。そして、少年もまた跳ね上がった心臓を抑えてカウンターを見つめていた。
つい先日、ミノタウロスに襲われ死に掛けた際に助けに来てくれた命の恩人。己が憧れた相手、それが突然にこんな形での再会する事なんてベルには予測できるはずもない。
そんな客たちの好奇の視線などとうに慣れた言わんばかりに【ロキ・ファミリア】の冒険者達は案内された席に着くと、運ばれてきた酒と料理を囲んで朱色の髪を揺らした人物が立ち上がる。
見る者に黄昏を連想させる朱色の髪、細めがちな瞳。その端麗な顔立ちには子らが無事帰還した事を喜ぶ神の色が見て取れる────彼女こそが、【ロキ・ファミリア】の主神ロキであった。
「ダンジョン遠征ご苦労さん! 今日は宴や! 飲めぇ!!」
主神の音頭を皮切りに、次々にジョッキを打ち付け合う。
そんな中、大派閥の幹部であり第一級冒険者として注目集めている女剣士、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは店内を見回した。常日頃から街中を歩く度に彼女が感じている好奇の視線とは異なる真っ直ぐで嫌味の無い視線の正体が気になったのだ。
「ほら、アイズも食べなってー」
「あの、アイズさん、これも美味しいですよ」
「どうしたのよアイズ、視線なんて何時もの事でしょうに」
「えっと、うん。そうだよね」
だが、仲間から声を掛けられてしまい発見するには至らない。
そんな大派閥の中に居る金髪の少女に見惚れ、眺め続けていた少年にシルが気を使って囁く。
「【ロキ・ファミリア】さんは、ウチのお得意さんなんです。彼等の主神であるロキ様に、私達の店がいたく気に入られてしまって」
この店に来れば憧れの人と会える確率が高まる。そんな風にベルはシルの言葉を言葉を胸に刻んでいた。
「そういえばさー、さっき入口で煙管吹かしてた子いたじゃん?」
「ん? ああ、居たわね、銀髪の、それがどうしたのよティオナ」
「なんかすっごい恨めし気にこっち見てたし、気になってさー」
「別に気にしなくて良いでしょ。やっかみなんていつもの事よ。それより団長、つぎます。どうぞ」
「ああ、ありがとう、ティオネ。だけどさっきから僕は尋常じゃないペースでお酒を飲まされているんだけれどね。僕を酔い潰した後、どうする気だい?」
「ふふっ、他意なんかありません。ささっ、もう一杯どうぞ」
「本当にぶれねえな、この女……」
騒ぎ合う仲間達に囲まれて、飲め飲めと勧められる酒に微苦笑を浮かべたり、隣の席の元気のいい女性と会話したり、小動物の様な仕草で口元をナプキンで拭いたり。
少年の視線はただ【剣姫】一人に注がれていた。傍から見ればストーカー紛いな行為ではあるが。
そして、視線をほんのりと気にしていたアイズは騒ぐ仲間達に囲まれていつしかその視線の事は忘れてしまう。
ふと、ロキを中心に遠征の話題で盛り上がる【ロキ・ファミリア】の席で一際大きな声があがった。
「そうだ、アイズ! あの話をしてやれよ!」
「あの話……?」
件の【剣姫】から二席離れた斜向かいに座る獣人の青年。
整った顔立ちは美形と呼んでも差し支えなく、それでいて男らしさも兼ね備えた獣人だ。
「あれだって、帰る途中で逃したミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ! そんで、ほれ、あん時居たトマト野郎!」
彼の言葉を聞いた少年の心臓が、先とは全く違う意味で跳ねる。
先までの熱に浮かされた様子から、一瞬で血の気が引いた表情で青褪めるベルの様子にシルが心配そうに彼の肩を叩くが、彼にはそれに構う余裕など微塵もありはしない。
「ミノタウロスって、17階層で襲い掛かってきて返り討ちにしたら、集団ですぐ逃げ出していった?」
「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上っていきやがってよっ、俺達泡食って追いかけてったやつ! こっちは帰りの途中で疲れてたってのによ~」
深層まで『遠征』に向かっていた【ロキ・ファミリア】。
帰路の際に
それを仕留め損ねて上層、5階層へと追い詰めた際。
アイズ・ヴァレンシュタインが仕留めた。
その場に居たのは────
「それでよ、いたんだよ。いかにもひょろくせえ
あの場に居たのは、今まさにカウンターで羞恥に燃える少年、ベル・クラネルだった。
「ほんとざまぁねえよな。ったく、泣き喚くぐらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねえっての。ドン引きだぜ、なぁアイズ?」
カウンターに伏せ、羞恥と悔しさに全身を焼かれる感覚に囚われている少年など、獣人の青年は露知らず。ただただ、酒の肴として嘲笑を続ける。
「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際に追い詰められちまってよぉ! 可哀想なぐらい震え上がっちまって、顔引き攣らせてやんの!」
「ふむぅ? それでその冒険者、どうしたん? 助かったん?」
「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったよ、なっ?」
青年の問いかけに、アイズは自身にもわからぬ心のささくれの原因を自問自答していた。
「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトみたいになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛えぇ……」
店内の片隅で耳を塞ぐことも出来ずにベルがその嘲笑を聞き続ける。
限界まで握り締められた拳は、爪が食い込み血を滴らせていた。
月明かりに照らされた銀糸の髪の美しさは、纏う紫煙で煤けた色を映す。
テラス席の手摺に腰掛けたクロードは、丁度半開きの窓から聞こえる嘲笑の声を聞きながら煙管を吹かしていた。
「あーあ……中にベル残してきちまったよ」
ふぅ、と紫煙をたっぷりと吐き捨てて内部に響く嘲笑の渦に彼女は不愉快そうな表情を浮かべ、店内の片隅で震える白髪の少年の姿を窓からちらりと見ると、煙管に新たな刻み煙草を詰めて火を灯した。
「さぁて、どうなるかねぇ」
店内から聞こえる【ロキ・ファミリア】のやり取り。
クロードは酒が不味くなるような唾棄の言葉を止めどなく吐き続ける獣人の青年の言葉に耳を傾けた。
『────弱くて、軟弱で、救えない、気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねえ。他ならないお前がそれを認めねえ』
全く持って止まる気配は無い。だからといってクロードは其れを止める気も無い。そも不相応な憧憬を抱いた少年の心を守ろう等という気等、彼女には微塵も無いのだから。
『雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインに見合わねえ』
言い切った。それを聞き届けると同時に煙管を吹かして入口を見る。
「ベルさんっ!」
バンッと勢い良く扉が開き、白い影が街を駆けていく。その後ろをシルが必死に追いかけていく姿をぼんやりと見届けていると、店内から遅れて飛び出す人影が現れる。
「…………」
出てきた金髪の女剣士を見て、ひゅぅ、と口笛を零すとクロードは彼女の背越しに見える少年の背を見て肩を竦める。
「ったく、面倒な事してくれやがってよ。んで、酒も不味くなるし最悪だ」
女剣士を追って店から出てきて彼女にセクハラかまして朱色の女神がビンタされているのを尻目に、クロードは煙管に刻み煙草を詰めながら店内へと足を踏み入れた。
視界に飛び込んできたのは今まさに取っ組み合いの喧嘩を始めそうな眉目秀麗なエルフと、件の獣人の青年の二人と、それを見守る者達の輪であった。
「……おい、テメェら」
静かに、けれども不機嫌そうなクロードの呼び掛けに今まさに始まろうとしていたやり取りが動きを止める。
「ああ? 誰だてめえ? ぎゃあぎゃあ喚くんじゃねえよ」
「すまないが、少し待っていてくれないだろうか。ベートを縛り上げる所だ」
「うるせぇ糞犬にエルフ、こちとら機嫌が悪ぃんだよ」
バリバリと無造作に頭を掻いて二人を睨むクロード。
唐突に乱入し、第一級冒険者同士のやり取りを横から止めた彼女に対し【ロキ・ファミリア】の冒険者達の視線が集まった。獣人の青年、ベート・ローガが口が過ぎた事は事実であるが他派閥、ましてや大派閥のトラブルに首を突っ込む真似をする者に奇異な視線が集まる。
「ああ、糞。まずは礼だな。礼を言いに来たんだよ」
「……はぁ? 何言ってんだこの
「ベート、口を閉じろ」
横槍を入れられて不機嫌さを隠しもせず、どころか殺気立ったベートの睨みに対し、エルフの女性が口を挟む。途端に声をかけたはずのクロードを置き去りに、エルフの女性は獣人の青年を縄で縛り上げ始める。相当な実力者であろう獣人の青年を、瞬く間に縄で縛り上げていく。
クロードは深く溜息を吐くと、頬を抑えて店内へと入ってくる派閥の主神を見やった。
「そこの
「なんやウチの事か……って、おー可愛い子やん、ウチを慰め────って煙たいな!?」
声をかけてきた銀髪の幼女、それもロキ好みの美幼女の姿に眷属にあしらわれて傷心のロキが抱き着こうとし、抱き着く寸前に大きく飛び退いた。
彼女から漂う僅かに甘い煙の香りにロキが彼女をまじまじと見つめ、入り口で恨みがまし気に睨んできていた少女だと理解すると片目を閉じた。
「なんや?」
「テメェらに色々と礼を言いたかったからな。」
「礼やと?」
────神々は、地上の人間が付く嘘を見抜く事が出来る。
故に、眼の前の少女が言った言葉が半分嘘で半分本当の事だと気付いたロキが頭を掻き、椅子に縛り上げられて固定されたベートと、それを囲む眷属達を見やった。
「まず、何の礼か聞かせてくれへん?」
「そうだね、僕もそれは聞かせてほしいかな」
朱色の女神との間に、するりと金髪の少年が割り込む。背丈は子供程だが、纏う雰囲気は大人のそれ。
クロード・クローズと同種族であり、成長してもヒューマンの子供程度の背丈にまで成長しない
「ひゅ~、【
何処かひょうひょうと、ふざけた様子でクロードが茶化すと、途端に周囲の【ロキ・ファミリア】の面々の目付きが変わる。
奇異の視線は警戒に、一部は殺気立つまでに至った視線を浴びながら、クロードは肩を竦める。
「いんやぁ? おたく等が逃がしてくれたミノタウロスに襲われてよぉ。そこの【剣姫】と【
「……キミが件の冒険者……ではなさそうだけれどね」
「ああ? ああ、あのトマト野郎な、アレはオレじゃねえよ」
手を振って否定しながら、クロードは懐に納めた煙管を取り出して口に咥える。
その様子を見ていたロキが『ダウナー系オレっ娘萌えー』と喚くのをそれとなく無視し、フィンは彼女の要件について当たりを付けていた。
おおよそミノタウロスに襲われた事に対する文句でも言いたかったのだろう、と。
「ああ、その件は申し訳なかった」
「んぁ? ああ、その件は別にどうでも良いんだわ。残った死体から魔石剥いで換金したしな」
何処か話がズレているかのような感覚にフィンが目を細める。クロードは何か誤魔化すというよりは、何処かズレた話題から何かを言いたげにしている様子だ。
「それだけかい?」
「んな訳ねえだろ。もういくつか礼を言わせろよ」
あからさまに礼を言いに来た態度ではない。むしろ文句を言いに来たと言われた方が納得できそうな彼女の口ぶりにフィンがほんの少し面倒臭さを覚え始めた。
「そうかい。申し訳ないけど単刀直入に言ってくれないかな」
「ん? ああ、礼ってのは、オレの後輩を【剣姫】が助けてくれた事だよ」
「…………ロキ」
「嘘やないみやたいやで」
単刀直入に用件を言って欲しい。そう頼んだところ返ってきた言葉にフィンが『嘘』ではないかと主神に確認をとるも、主神もそれが嘘ではないと言い切る。
だが他にも何かある、とフィンが僅かに警戒するさ中、クロードは煙管に火を入れた。
「ふぅ、んでよぉ、俺の後輩がなぁ? 今日稼ぎが良かったらしいんだわ」
「……それは、僕達に何か関係が?」
「ああ、ある。滅茶苦茶ある。聞く気は無いってか?」
やたら迂遠な言い回しに加えて、フィンの目から見て目の前のクロードの瞳孔が開ききった様な瞳は何処か常人離れした印象を受け、同時に考えが読めずに不気味な印象を抱かせる。
────それこそ、狂人染みた雰囲気を纏っている少女と言い切ってもいいかもしれない。
「まあ、聞けよ。テメェらが逃がしたミノタウロスに得物踏み潰されちまってなぁ。作り直すのにン万ヴァリスだとよ。残ってた死体の魔石じゃ足りねえでやんの」
「なるほど、武装の損失を埋めて欲しい訳かい?」
「別に? この件は文句言いたいだけだ」
店内の注目を一身に浴びている彼女の物言いに、周囲の客が奇異の視線を向ける。共に酒を飲んでいた者達も不気味なものを見る様な視線を彼女に向けていた。
「んで、少し節制しないとな、って思ってた矢先に、だ。後輩が稼ぎ良くて今日は奢りって言ってくれてよ」
「…………」
嫌な絡み方をしてくる少女に、フィンは表情を変えずに対応する。
元はと言えば自身の派閥がダンジョンでミノタウロスを上層にまで逃がしてしまった事が発端といえる。それを無下にするのは流石に派閥の体裁的な問題があった。
「んでなぁ、さっきまで楽しく酒飲めてたんだわ。テメェ等がトマト野郎の話題出した所為で酒が不味くなっちまったんだよ」
「……それは、悪かったね」
後ろで椅子に縛られて轡までかまされたベート・ローガがうーうーと喚くも、彼女はちらりとそちらを見てから、向かい合うフィンに笑みを見せた。
「ああ、ウチの後輩が逃げちまうぐらいには酒が不味くなってなぁ……ああ、そうだ忘れねえうちに、本命の礼を言わせろよ」
唐突に目の前のフィンから視線を外し、クロードは紫煙を吐きながら唖然とした様子の【剣姫】を見上げた。
「ウチの後輩を血塗れのトマト野郎にしてくれて、ありがとよ。しかも酒の肴として扱ってくれるなんてまあ、ウチの後輩がガチ泣きして喜ぶ事してくれやがってなぁ? どんな礼すりゃあ良いんだ、こういう時ってのはよ」
開き切った瞳孔で【剣姫】を真正面に捉えた彼女の放った言葉に、周囲に居た者が凍り付く。
【ロキ・ファミリア】が起こした不手際による被害を受け、挙句の果てに酒の肴として嘲笑された。それも、本人が居る目の前で。
「まさか、さっき逃げたのはもしかして……」
「おうおう、その通りだ。ウチの後輩が逃げちまってよ。せっかくの美味い酒が台無しだぞ」
紫煙を燻らせ、クロード・クローズが口元を歪める。
「っつー訳だ。色々と
バツが悪そうに視線を逸らす【ロキ・ファミリア】の面々。加えて、奇異の視線を向けていた客達も彼女の奇怪な言動の真意が『侮辱された後輩冒険者を庇う為』だと知り同情の視線を向ける。
「それは、申し訳ない事をした。すまない」
自らの派閥の行いが起こした事によって彼女と件の冒険者に傷を残した事に気付いたフィンが即座に頭を下げる。
「この店での飲食代は全て此方が出そう。加えて武装の新調費用も此方で」
「いらねェ」
即答。
頭を下げたフィンに対し、クロードは既に背を向けていた。
「金はいらねェよ。言いたい事は全部言ったし、飯代は明日持ってくる。得物が壊れたのは俺の自己責任。テメェ等の所為で酒も煙管も不味くなったのは事実だが、それ以上要求する気はねぇ」
嵐の様に【ロキ・ファミリア】の宴会を荒らすだけ荒らすと、煙管を吹かして立ち去っていく銀髪の少女の姿に全員が唖然としていた。
そんな中、今まで成り行きを見守っていた女将が声を上げた。
「────クロード、金は明日までに持ってきな」
「わーったよ。たく、今日も飯も酒も美味かった。後は店内で喫煙可だったら最高だよ」
「何があろうが店内は禁煙だよ。今のは見逃すけど今度やったら摘まみ出すからね」
「はぁ、一服の為に一々外出るのだりぃんだよなぁ……まあ、また来るわ」
振り返る事無く、ひらひらと手を手を振ってクロードは店の外へ出た。
「待って」
店を出てすぐを左手側に曲がった直後、声を掛けられてクロードは足を止めた。
「んー? んで、【剣姫】様はなんで追ってきたんだ? まだ礼を言われたりないか?」
「……ち、違う」
まだ店の前であり、テラスから奇異の視線が向けられているのを感じたクロードが面倒そうに頭を掻いて振り返る。
「なあ、アンタの楽しい宴を邪魔したのは謝るからよ。闇討ちなんて真似は控えちゃあくんねえかな?」
「ち、違います。闇討ちなんか、しません」
「ああ? じゃあ何の用だよ」
これ以上関わる気は一切無い。言いたい事を言うだけ言ったから帰らせろ、と刺々しく拒絶するクロード。
アイズはちらちらとクロードが去る方とは真逆の方向に視線を向けて、少し悩んでから問いかけた。
「あの、あの子は、あっちに行きましたよ」
「……あん?」
アイズが指差した先、ダンジョンのある中心部に聳え立つ巨塔を見やったクロードは肩を竦めた。
「知らねえよ」
「…………、行かないんですか」
奇怪な言動こそすれど、仲間想いの冒険者。アイズが彼女に抱いた印象はそんなものだった。だが、返答は予想外のものだった。
「だから、なんでオレが行かなきゃいけねぇんだよ。もう夜だぞ? 良い子は寝る時間ってな」
「仲間、じゃないんですか?」
「ああ? 後輩冒険者だな」
「迎えに行ってあげないんですか?」
「なんで?」
ごく普通に、気だるげに紫煙を燻らせた彼女の言葉にアイズは僅かながらに衝撃を受けながらも、返した。
「あの子、あのままだと……」
防具も無しに迷宮に向かう。それは確信に近いものだった。だから、あのままだと危ない。けれど自分では追えないから、追う事が出来なかったから。仲間である彼女に追って欲しい、とアイズがクロードを見つめると、彼女は鼻で笑った。
「防具も無しにダンジョンに行くアホの事なんざ知るかよ」
「…………」
「ったく、話はそれだけかよ。じゃあな」
吐き捨てる様に告げると、紫煙にくすんだ銀髪をなびかせて、彼女はベルと真反対の方向へと足を進めた。
「アイツが死ぬか生きるか、選ぶのはアイツだろうに。他人がぎゃあぎゃあ口出しすんなっての」
『薬物中毒キチガイダウナー系ヘビースモーカーTS幼女』
属性を並べると酷いですね。
こんな作品ですが一気にお気に入り増えて胃が痛くなってきますね。この後の展開、どうしよう。いやほんとに……こんなに伸びるとは思わなかったんです。出来心だったんです。