───さてどうしたものか。
正直、兎は考えなしである。
なんとなく放っておけなかった、ただそれだけだ。
「……はっ。雑魚が無様晒しに来たかぁ?」
兎の顔を見た途端、【凶狼】は驚きから顔が嘲笑に変わる。
嘲っていた人が目の前に現れて、後に引けなくなったかそれとも彼の矜持か。
どちらにしても今の彼は褒められたものではない。
悪酔いが過ぎ、あまつさえ問題まで起きかけているのだから。
「……ベート。当事者の少年がいるのでは話が別だ。笑い話じゃ済まないよ」
「はっ!笑い話だろうが!身の程知らずの雑魚が!ミノタウロスに挑もうとしたってな」
「ベート!被害者の前だぞ!」
「アイズも怒って…」
───帰っていいですかね。
兎は喉から出かけたその言葉を何とか押しとどめる。
兎の登場により、さらなる喧騒に包まれるテーブルは結局【凶狼】を黙らせるために逆さ吊りを決定したようであった。
しかもものの数分で実行してみせるのだからすごいことだ。
「…ふぅ。すまないね。待たせてしまった」
「お構いなく」
「そうか。すまないが話を聞かせてもらってもいいかな?アイズの様子が気になるし、ミノタウロスの件の謝罪もしたい」
「…御意」
相手がどんなに思惑であろうとも、大派閥に請われてしまえば逆らう余地はない。
宴に混ざる、ような形で【勇者】との対談となった。
元の宴に戻ったようであるがここにいる者すべては聞き耳を立てている。
───帰りたい。
兎に視線が突き刺さる。
これまでの経歴が田舎一色だった兎にとってこの空気は毒だ。
心臓がキリキリと痛みを上げていくが何とか我慢する。
「ベル・クラネル君だったね?」
「はい」
【勇者】の問いに短く返事をする。
「ミノタウロスの件は申し訳なかったね。事故だったとはいえ君の命を脅かしてしまった」
「問題はなく」
「懐が深いね。ありがとう」
「要件は?」
「……」
無駄な問答は面倒だ、さっさと帰りたいからさっさと本題に入れ。
暗に兎はそう言った。
「そうだね。本題は、アイズのことだ」
「でしょうね」
「ああ。遠征の後から明らかに様子がおかしかったんだ。変わったことがあるとしたら君しかいない」
「……分かりませんね」
ミノタウロスと戦い、少し話して、帰った。
彼女の顔を見たのはものの数分、その場で何かあったかなどと言われても兎は困る。
真実、何もなかった。
それしか兎は言うことはない。
「…ロキ」
「嘘は言うとらん。少年、アイズたんと何か話したんか?」
「ミノタウロスについて少々。あとは…」
「ミノタウロスの両目を潰した」
【剣姫】が後ろに立って、面倒なことを暴露した。
兎にとって両目を潰したという事実は偉業と言うより恥辱だ。
殺しきれなかったというそれだけの現実であるが故に。
「彼が、ミノタウロスの両目を?本当かい?」
「うん」
しかし、兎の認識とは裏腹に酒場は驚愕で包まれた。
Lv1が、ミノタウロス相手に両目を奪う。
Lv1がミノタウロスに勝てないことは当然だ。
本来なら抵抗をする暇もなく恐怖に押し潰されて殺される。
押しつぶされずとも堅牢な筋肉に攻撃は阻まれ、『咆哮』によって死を迎えるだろう。
故に驚愕は当然の話である。
当の本人は恥ずかしいことに思っているが。
「…でもそれだけかい?」
【勇者】は【剣姫】にそう問うた。
確かに珍しく、兎は在野の強者に入るだろう。
二つ名もない彼はまだ駆け出しの冒険者にも見える。
しかしそれだけで【剣姫】がここまで興味を示すのか。
「【葦名流】をこの子が使ってた」
その答えは簡単に【剣姫】が出してくれた。
剣士である彼女にとってそれは大きな意味があることがすぐに分かる。
【葦名流】とはオラリオ最強の剣士と名高い【剣聖】が考案し極めた剣術。
彼らが知っているのはここまでだ。
だからこそだろう。
【未知】を知るために一斉に兎に視線が集まる。
「剣士として興味が湧いた、ってことだね」
「……うん」
その昔に【剣姫】は道場破りをした。
【タケミカヅチ・ファミリア】に対して。
狙いは一つ、ただ一つ。
そのまた昔に見た【剣聖】と【巴流】の剣術を教えてもらいに。
結果は、失敗。
【剣聖】にたどり着くこともなく【巴流】に打ちのめされて、その後に【九魔姫】にこっぴどく叱られた。
「…ベル君でいいかな」
「お好きに」
「ありがとう。それで」
「【葦名流】を私に教えてほしい」
【勇者】は口を閉ざして【剣姫】に後を託す。
真剣な顔で兎に頼み込んでくるが、兎はそれに応じるわけにはいかない。
「…できぬ」
兎にそんな資格はない。
未塾な兎に弟子をとって、剣を教えることなどできない。
今日、無力を感じた兎であればなおさらだ。
───あなたも同じか。
兎は目の前の少女の目を見て、そう思った。
戦うべき相手がいる、討ち果たすべき相手がいる。
何で彼女が力を求めているかは兎には分からない。
分かりはしないが察することはできた。
だからこそ、兎は断った。
「あなたに剣を教えるなど、無益だ」
そう言って兎は席を立つ。
兎に師事をしたとて彼女は何が変わるだろうか。
何も変わりはしない。
無駄な時間が流れるだけだ。
「…私はっ」
「己より弱いものに何を学ぶ」
戦闘経験も、格上との戦闘も、そしてステイタスも。
兎より【剣姫】の方が全てが勝っている。
勝てるところなどありはしない。
そんな兎が技術を教えられるわけがない。
「では、また」
引き止められることはなく。
まっすぐ扉に向かうことを許された。
扉の向こうは夜だがまだ明かりがある。
空にも星が輝いている。
「お、出てきたね」
「…神様?」
「待ってたよ?こんな深夜に一人で帰れるわけないだろ?よく考えておくれよ」
ボクも考えてなかったけどさ、とヘスティアは笑う。
「…申し訳ありません」
「うん。許す!さ、帰ろうか」
「はい」
兎の頬が綻び、少し笑みが飛び出す。
それを見てヘスティアは兎の手を掴んで帰路に引っ張り込む。
機嫌よく、鼻歌を歌いながら。
酒場が終わりました。
次は怪物祭ですね。
どうしましょう。
かなりの不定期ですね申し訳ありません。