二つの刃が閃き血飛沫が舞う。赤い雫は深紅と深緑の異型に降り注ぎ、その体に新たな彩りを添えた。
ドサリ、と。青い異型が地面に倒れ、その体の下に赤い水たまりが広がってゆく。
――イユ……
今にも消えてしまいそうな掠れた声で想い人の名を口にし、震える手を冷たい地面に横たわる物言わぬ「彼女」に向かって伸ばす。
ああ、どうして――
徐々に遠のいてゆく意識の中で浮かんできたのは疑問。
どうして自分は生まれてしまったのだろう。
どうして自分は悪魔に取り憑かれてしまったのだろう。
どうして自分は生きることが許されなかったのだろう。
それは自問か、はたまた自分にこのような運命を背負わせた神への問い掛けか。
――どうして……
瞼が落ちると同時に少年――千翼はその短い生涯を終えた。
◆◆◆
ゆっくりと目を開く。初めに目に映ったのは白黒の市松模様。
そのまま顔を上げると、正面の少し離れた位置に紙束の乗った小さなテーブルと背もたれの高い椅子が置いてある。
次いで辺りを見回すと、周囲は暗闇で何も見えなかった。
「ここ、どこだ……?」
「ここは死後の世界です」
後ろから疑問の答えが聞こえ、千翼は慌てて振り向いた。
暗闇の中からカツカツと靴音が響き、やがて金髪を揺らしながら白いローブを着た妙齢の女性が――背中に一対の大きな純白の翼を生やした女性が現れた。
次々と起こる理解不能な出来事に千翼が目を見開いて固まっていると、女性は彼の脇を通過し、空いていた椅子に腰掛ける。
「死後の世界にようこそ、千翼さん」
「……あんた、一体何者だ?」
「私は若くして死んだ魂を導く天使。日本地区担当の者です」
未だに混乱する頭で、ようやっと浮かんできた疑問を口から絞り出すと、目の前の女性は自分は天使だと名乗った。
「すでに理解していると思われますがもう一度言います。千翼さん、貴方は死にました」
「……だろうな」
自分は死んだ。頭のどこかで理解していた事を他人から改めて伝えられ、奇妙な現実感と共に冷静さが戻ってくる。
少年が事実を受け入れ、会話が可能な状態になったことを天使は確かめると、ゆっくりと話し始める。
「ここは死者に審判を下す部屋でもあります。生前の行いでその人が天国へ行き、次の誕生を待つに相応しいか。はたまた犯した罪の重さに応じて罰を受け、地獄でそれを償うのか。それとも……」
「それとも?」
ほんの少しだけ間を開け、天使は続きを口にする。
「危機に瀕した異世界に赴き、そこで魔王を討伐して願いを叶えるか」
突然出てきた荒唐無稽な言動に、千翼の思考は停止した。
こいつは何を言っているんだ? とも言わんばかりに怪訝な表情を浮かべていると、それを見た天使は「説明しますね」と言いゆっくりと話し始めた。
曰く、とある異世界では魔王の侵略により人類は滅亡の危機に瀕している。
さらにその世界の死者は余りにも危険すぎる状況に生まれ変わることを拒否し、それに伴って人口は減る一方であること。
事態を重く見た神々は別世界で死んだ若い人間の魂を異世界へと導き、強力な力を授ける代わりに魔王討伐を頼み、それを成し遂げた者には願いを一つだけ叶えることを決定した。
「以上で説明を終わります。何か質問は?」
「……それって、本当なのか?」
「ええ、事実です。嘘偽りは一切ありません」
表情が変わらない天使を見て、彼女の先ほどの説明が紛うこと無き真実であることを千翼は確信する。そして千翼は力なく項垂れた。
「でも、俺は……」
「人を殺した」
天使の言葉に千翼の体が微かに震え、両手の拳が硬く握られる。
「本来であれば、殺人を犯した者は問答無用で地獄行きが決定します。ですが、貴方は出生に極めて特殊な事情があり、尚且つ殺人についても間接的、やむを得ない理由がありました」
目の前の少年の心境を知ってか知らずか、天使は構わずに言葉を続ける。
「天界の神々は貴方の処遇について様々な議論を交わしました。地獄行きにするには余りにも理不尽、かといって天国行きにするにも罪を犯したのもまた事実」
千翼はうつむいたまま、黙って天使の言葉を聞いていた。
「そこで神々は貴方に試練を課すことにしました」
「……試練?」
天使はその言葉を肯定するようにゆっくりと頷く。
「千翼さんが人間として生まれ変わるに相応しい魂の持ち主であるのか、貴方を異世界へ向かわせて見極めよう。これが神々の出した結論です」
「俺は……やり直せるのか……?」
それを証明できれば。と天使は付け加えた。
「無論、これは飽くまで選択肢の一つであり貴方が望めば地獄行きにすることも可能です。ですが……地獄は文字通り罪人を裁くための世界、貴方が想像を遙かに上回る苦痛がそれこそ何千年、何万年と続きます」
目の前の女性が真顔で言い放ったことから、それが脅しや誇張で無いことを千翼は本能的に理解する。
今の千翼に提示された選択肢は二つ。一つ目は異世界に向かい、そこで自分が相応しい魂の持ち主であることを証明すること。二つ目は地獄へ向かい、そこでいつ終わるかもわからない贖罪を続けること。
果たして自分は、人であることを証明するのが出来るのだろうか。直接間接問わず、大勢の命を奪った。やはり自分は――
――お前が人でなくなったら殺せ。母さんがそう言っているんだ。
違う、俺は人間だ。今度こそ、それを証明してみせる。千翼は閉じていた目を開き、ゆっくりと顔を上げる。その目には確かな決意があった。
「わかった、その異世界って場所に行く。そこで俺が相応しいことを証明してみせる」
その返事を聞いて天使は微笑む。
「わかりました。それでは規定に従い、これから異世界に向かう貴方に一つだけ『力』を授けましょう」
パチン、と天使が指を鳴らすと、千翼の足下に紙束が現れる。
驚きつつも千翼は紙束を手に取りそこに書かれている文書を読んだ。
「ステータスオールマックス、神殺しの拳、斬鉄剣、リボルケイン……」
「これから異世界に向かう貴方は、全てを超越した絶対的な『力』を一つだけ選ぶことができます。不死身の肉体、次元すら切り裂く魔剣、万能の魔法……どれでもお好きな物をどうぞ」
天使の説明を聞きながら千翼は紙束に目を落とす。しかし、彼が欲する物など初めから決まっていた。
「アマゾンズドライバー。俺が死ぬ直前に着けていたベルトを頼む」
「そう言うと思いました」
ニッコリと天使は微笑み、指を鳴らす。
すると千翼が持っていた紙束が一瞬で消え、入れ代わりに握り拳ほどの光の球が現れた。光球は徐々に形を変え、やがて奇妙な赤いバックルが付いた一本のベルトになった。
ベルトの存在を確かめるように千翼はバックルを撫でると、金属の冷たさに混じって細かな傷の感触が指から伝わってくる。
「それでは、異世界に向かう準備はよろしいですか?」
天使の最後の確認に首を縦に振ろうとしたところで、動きが止まる。
「どうかなさいましたか?」
怪訝な顔になった天使が千翼に尋ねる。目の前の少年は何かを考えていた。
やがて考えが纏まったのか、意を決したように千翼は真っ直ぐ天使を見据える。
「なぁ、ちょっといいか?」
「なんでしょうか?」
「もう一つだけ、欲しい物があるんだ」
「申し訳ありませんが特典は一人につき……」
千翼は静かに首を横に振る。
「違う、俺が欲しいのは――」
千翼は天使に自分が欲している物を伝えた。それを聞いた天使は考えるような素振りを見せ、やがて、
「そうですね。その程度でしたら問題はないでしょう」
そう言って指を鳴らした。
「それではこれが最後の確認になります。異世界へと向かう準備はよろしいですか?」
「大丈夫」
目の前の少年が頷く姿を見て、天使は両手を挙げ何かを呟く。すると彼の足下に白い複雑な幾何学模様――魔方陣が描かれた。同時に暗闇の天井からまばゆい光が降り注ぎ千翼を照らす。
さすがに千翼も慣れたのか慌てることも無く、これから起こる出来事に身を委ねるように立っている。
魔方陣と上からの光が徐々に強くなるが千翼は不思議と眩しさを感じなかった。いよいよお互いの姿が見えなくなってくる。
「ここだけの話ですが、向こうに着いたらまずは冒険者ギルドを探してください。そこで生活に必要なことは一通り教えてもらえますから」
完全に姿が見えなくなる直前に、千翼にだけ聞こえるように天使はささやく。最後に見えたのは、いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女の顔だった。
とうとう光が部屋中を白一色で塗りつぶす。それは一瞬で終わり、光が収まった後には椅子と天使だけが残されていた。
「行ってらっしゃい、千翼さん。あなたの旅路に幸運があらんことを……」
再び暗闇に包まれた天井を見上げながら、天使は旅立った少年の無事を祈った。
2021年2月14日:仁さんの台詞とその前の文章を変更