この悲運の主人公に救済を!   作:第22SAS連隊隊員

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活動報告にも書きましたが、腰をやってしまい、しばらくまともに動けませんでした。


Episode11 「K」EEP A RELATIONSHIP?

季節は真冬を過ぎ、春が近付いてくる。最後に雪が降ったのも随分と前のことであり、今は降り積もった雪を暖かい日射しがゆっくりと溶かしていた。

アクセル郊外の屋敷、その広間では暖炉にくべられた薪が、パチパチと小気味の良い音を立てながら熱気を放っている。

屋敷の住人であるカズマと千翼はテーブルを挟んで向かい合っていた。二人の間には何かのメモや、設計図らしき絵が描かれた紙が乱雑に置かれている。

頭上に電球の幻影が現れると、鉛筆を咥えていたカズマはパチンと指を鳴らす。

 

「そうだ! 自転車なんてどうだ? ここの主な移動手段は徒歩か乗り合いの馬車だし、練習すりゃ誰でも乗れて、場所も取らない。これはきっと売れるに違いない!!」

 

対面に座る千翼はしばし考え、やがてゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、それは無理だと思う」

 

「え、どうして?」

 

「まず自転車に絶対必要なチェーンとブレーキ。これを作れるだけの技術力がないと話にならない。カズマだって、ブレーキのない自転車になんか乗りたくないだろ?」

 

「あ……」

 

千翼から問題点を指摘され、カズマは思いだしたように声を出した。

 

「それに、夜に備えてライトも必要だ。これは魔石を電池代わりにするか、タイヤで回すモーター式にすれば解決できる。だけど、その場合は魔石電池を作り、それでライトを灯す技術。モーター式は、それこそモーターを作らないと」

 

「確かにそうだ……」

 

次いで指摘された問題に、カズマは腕を組んで唸り声を漏らす。

 

「それだけじゃなくて、安全も考えて反射板も取り付けないと。転倒した時のことを考えて、運転の邪魔にならない軽くて丈夫なヘルメットやプロテクターも絶対にあった方が良い」

 

「……」

 

腕を組んだままカズマの頭が俯き始める。

 

「あと、タイヤもだ。人が乗って、尚且つ石やガラス片とかを踏んでも簡単にパンクしない丈夫なゴムチューブ。それに合わせて空気ポンプと修理キットも作らないと」

 

カズマの頭が九十度傾き、つむじが千翼に向けられる。

 

「自転車が故障したり壊れたりしたら、それを直すための工具も必要だし。自力で修理できない人のために、直せるだけの技術と知識を持った人間も要るな。修理工は俺たちでどうにか出来る問題じゃないけど」

 

俯いたまま耳を塞ぐように、カズマは両手で頭を抱える。

 

「一番の問題はこれら全ての部品、道具を量産できる体制と、同じ寸法で作れるだけの精度。多くの人に売れたら、それだけ沢山の部品と道具が必要になってくるし、やることもかなり増えるな」

 

もはや「自転車を売ろう」などと軽々しく言い出したことが恥ずかしくなったのか、カズマは頭を抱えて小刻みに震えていた。

その時、広間の扉が開かれ二人の少女が入ってくる。カズマと千翼へ近付くと、呆れたような顔をしながら口を開いた。

 

「カズマ、それにチヒロも。二人ともそんな物に籠もって遊ぶ暇があったらクエストに行きますよ」

 

「暖かくなってきてモンスターも冬眠から目覚める時期だ。早くしないと美味しい依頼を取られてしまうぞ」

 

めぐみんが言った『そんな物』――カズマがスキルで作った、日本の伝統的な暖房器具『炬燵』に籠もる二人を見て、めぐみんとダクネスは揃って溜息を吐いた。

 

「あのな、これは遊んでるんじゃ無くて立派な仕事なの。それも俺と千翼にしか出来ない仕事なんだ。例えばガソリンだの電池だの聞いて、お前達はそれが何で、どんなことに使うのか理解できるのか?」

 

「がそりん……?」

 

「でんち……?」

 

カズマの口から出てきた聞き慣れない謎の言葉に、二人の少女は揃って首を傾げる。ほれ見ろ、と今度はカズマが溜息を吐いた。

 

「ごきげんよう! ご近所の人気者バニルさんの登場である!」

 

広間の扉を勢いよく開けて、仮面の悪魔が爽やかな声と共に現れた。

 

「おお、バニルか。丁度良いところに……って、その体どうしたんだ?」

 

見ればバニルの体はあちこちがヒビ割れていた。歩いたり喋ったりする度にヒビから砂粒が零れ落ち、今にも崩れそうだった。

 

「ああ、これか。これはだな……」

 

「ちょっと……なんでそいつがここに居るのよ……」

 

カズマ達の前までやってきたバニルは自分の体について話そうとするが、それは地獄の底から響き渡ってくるような、ドスの効いた低い声に遮られる。

五人が声のした広間の出入り口を見ると、寝間着姿のアクアが、信じられないものを見るかのような目でバニルを睨んでいた。

 

「この屋敷には、私がそれはもう念入りに結界を張ったから、邪悪な存在は一切立ち入れないはずなのに……なんで……」

 

「結界……おお、あのチリ紙よりは丈夫そうなよく分からない物。あれは汝の作った結界であったか!」

 

ポン、とバニルが拳を手の平に打ち付け、思い出したような声を出す。アクアの眉間に皺が刻まれる。

 

「いやはや、我輩がちょっと触っただけで粉々に砕け散ってしまった。なにせ我輩は超~強い悪魔のバニルさんであるからな」

 

「……やだもー! バニルさんったら、やせ我慢しなくていいんですよー? そう言ってる割に、体が今にも崩れ落ちそうじゃないですかー。ほら、こことかこことか」

 

実にわざとらしく喋りながら広間に入り、アクアはバニルの体のあちこちを(つつ)き回す。触れた場所がボロボロと崩れ、土の破片となって床に落ちた。

 

「ハッハッハッ、心配ご無用。この体はいくらでも替えの効くいわばダミー。本体である仮面が無事な限り、我輩は不死身である」

 

「あらー、そうなんですかー。オーホホホホホ!」

 

「ハッハッハッハッハッ!」

 

悪魔と女神は向かい合いながら高らかに笑う。その様子に不穏な空気を感じ取ったカズマ達は、二人から距離を取った。両者の高笑いは時間と共に大きくなり、ついには叫び声と変わらぬほどになった。

やがて、笑い声が唐突に止む。水を打ったように静まり返る広間に、暖炉の薪が爆ぜる音だけが静かに響く。燃えて炭になった薪が崩れる音が聞こえた。

 

「こんの腐れ悪魔!! 塵一つ残さず浄化してやる!!」

 

「やるか、邪神より邪悪な駄女神!!」

 

アクアとバニルは飛び退いて距離を取り、相手から視線を外さないようにしながら身構えた。

 

「セイクリッド・ハイネスエクソ――」

 

「やめんか!」

 

渾身の浄化魔法を放とうとしたアクアの脳天に、カズマのチョップが炸裂した。詠唱が強制中断され、アクアは痛む頭を押さえる。

 

「いったーい!! あんた何すんのよ、今からあのクソ悪魔を浄化するのに!!」

 

「喧嘩するなら外でやれ。つか、バニルは俺たちと商売の契約を結んだ、いわばビジネスパートナーだ。その大切な取引相手に浄化魔法ぶちかまそうとすんな」

 

「契約を結んだ!? よりにもよって悪魔と!? あんた悪魔と契約を結ぶのがどういうことか理解してるの!?」

 

カズマと契約した件の悪魔を指差しながらアクアが叫ぶ。それを見たバニルは呆れたようにやれやれと肩を竦めた。

 

「誤解の無いように言っておくが、我々悪魔は相手を騙すような契約は絶対に結ばない。悪魔にとって契約はそれほどまでに重要なのだ」

 

「ちゃんと内容も確認したし、ウィズにも立ち会ってもらった上で契約を結んだから心配ねぇよ」

 

「じー……」

 

結んだ契約は安全なものであることをカズマは説明するが、アクアは全く信じられないのか、据わった目でバニルを睨んでいた。

 

「全く、これだからアクシズ教の女神は。我輩はそこの男達が作ったサンプルを見に来ただけであって、争いに来たわけではないぞ」

 

「そういうこと。ほら、邪魔になるからどいたどいた」

 

邪魔者のように扱われたことが余程腹に据えかねたか、アクアは頬を膨らませると足取り荒く暖炉前のソファに向かい、そのまま不貞寝した。

カズマは作ったサンプルを準備していると、バニルは興味深そうに炬燵をじっと見詰める。

 

「この背の低いテーブルに、やたらと分厚いクロスはなんだ?」

 

「それは炬燵って言って、俺と千翼の国の伝統的な暖房器具だよ。とりあえず入ってみろよ」

 

「では、失礼して……」

 

バニルが炬燵の布団を捲り、両足を中に入れる。始めは背筋を伸ばした姿勢だったが、次第に背中が丸まってきた。

 

「おお……こうしているだけで、どんどんやる気が削がれてゆく……。悪魔である我輩を堕落させるとは、なんと恐ろしい……」

 

流石の悪魔も炬燵の魔力には敵わなかったか、背中を丸めてリラックスした姿勢でバニルは呟く。

 

「本当はそれも提出しようと思ったけど、もう時期が過ぎてるからな。次の冬までにはもっと改良した物を作っておくよ」

 

「ううむ、これよりも更に快適な物を作るとは……。恐ろしくもあり、楽しみでもあるな」

 

悪魔が炬燵を堪能している間に、サンプルがその上に広げられる。背筋を正したバニルは、それらを一つ一つ手に取ってチェックを始めた。

 

「これはなんだ? 蓋の着いた金属の板のようだが……」

 

「それはライターっていうんだ。ここを指で押さえながら、勢いよく擦ると……」

 

ライターのホイールを親指で押さえ、それを素早く下に向かって降ろす。小さな火花が生まれ、ライターから顔を出した芯に着火し、小さな火が灯った。

 

「とまぁ、こんな感じだ」

 

「おお、ティンダーやマッチを使わずとも火種を生み出せる道具か。確かにこれは便利だな」

 

カズマお手製のライターを見たバニルは、感心したように声を漏らす。この世界の住民であるめぐみんとダクネスは、魔法も使わず火種を生み出した道具に、興味津々といった様子で目を見開いていた。

 

「これは? 見たところ何かのボードゲームのようだが……」

 

「それはオセロだ。俺の居た世界では誰もが知っているメジャーなボードゲームさ。ルールも簡単で、二人で白黒の駒のどちらかを選ぶ。そして相手の駒を自分の色の駒で挟むと、それをひっくり返して自分の物にできるんだ」

 

「なるほど、そして最終的に自分の色が多い方が勝ちというわけか。うむ、実に単純明快でわかりやすいルールだ。これなら子どもでも簡単に遊べるな」

 

その後もいくつかのサンプルを確認したバニルは、出来栄えに満足したのか何度も頷いていた。

 

「どれもこれも直ぐに商品として売り出せそうな物ばかりだ。ところで、作った商品の知的財産権を我輩に売るつもりはないか? 今見たかぎりだと……これらに三億エリスは出せるぞ」

 

『さ、三億エリス!?』

 

バニルが提示した金額にカズマ達はもちろんのこと、ソファで不貞寝していたアクアも起き上がって驚いた。

 

「そうでなくとも、毎月売り上げの一割を支払う利益還元でも構わん。それだと……月々百万エリスは固いな」

 

『つ、月々百万エリス!?』

 

次に提示された一ヶ月ごとの収益を聞いて、再び驚きの声が上がる。いつのまにかアクアが炬燵に足を突っ込んで、バニルに顔を近付けていた。

 

「まぁ、返事は急いでいないし、汝の人生を左右する重大な決断。ゆっくりと温泉にでも浸かりながら、よく考えて返事をするがよい」

 

それではこれで。バニルは商品サンプルを風呂敷に纏めてから別れの挨拶をすると、名残惜しそうに炬燵から立ち上がり広間から出て行った。その背中をアクアがあっかんべーをしながら見送る。

 

「三億か月々百万エリス……額が大きすぎて想像もできませんね」

 

「なんというか……俺とカズマがしていた仕事って、こんなにも大きな物だったんだな」

 

「三億……一ヶ月ごとに百万……高級シュワシュワ毎日飲み放題……」

 

バニルから提示された金額を聞いて、余りの額の大きさにめぐみんと千翼は困惑し、アクアは一人恍惚の表情で夢のような生活に思いを馳せていた。

 

「カズマ、これは非常に重大な決断だぞ。その時の気分で返事をしていい案件では無い」

 

「分かってるよ。それこそ温泉にでも浸かって、頭をスッキリさせた状態でじっくりと考えるさ」

 

三人と違って比較的冷静なダクネスは、カズマに釘を刺すように忠告する。始めは驚きの余り心ここにあらずといったカズマも、彼女の声を聞いて落ち着きを取り戻した。

 

「温泉……そういえば、こっちに来てから旅行なんてしたことないな……」

 

どこか遠い目をしながらカズマが呟く。

 

「お金が無くて生活費を稼ぐので精一杯。やっと生活が安定してきたと思ったら、とんでもない額の借金を背負うハメになって。更にその後は屋敷の弁償代と裁判騒ぎ。とてもじゃないけど遊んでいる暇なんて無かったわね」

 

「その借金の原因はお前だと記憶しているんだがな」

 

まるで他人事のように思い返すアクアに、カズマは睨みながら嫌味をたっぷりと込めて言い放った。

温泉、という言葉を聞いて、めぐみんは何かをブツブツと呟いている。すると、勢いよく立ち上がった。

 

「だったら、アルカンレティアに行きましょう!」

 

「「アルカンレティア?」」

 

「アルカンレティア!?」

 

「アルカンレティアか」

 

疑問の声が二つ、歓喜と感心の声が一つずつ上がる。

 

「温泉で有名な大きな都で、観光名所ですよ。誰もが一度は行きたいと言われるほどの場所です」

 

「温泉かぁ、今の季節には最高じゃないか! 金はたんまりあることだし、丁度良いから皆で行こう!」

 

「賛成!!」

 

「ですよね!」

 

「みんなで旅行か、楽しそうだな」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

一つだけ明らかにおかしな返事が聞こえた。皆が固まり、発言者であろう人物――千翼に視線が集中する。

 

「おいおい何言ってんだよ。みんなで行くんだから千翼も当然一緒だぞ」

 

「俺は遠慮するよ」

 

首を横に振って、千翼は自分の意思を表す。

 

「どうしましたか? もしかして、旅行が嫌いなんですか?」

 

「えと、その……」

 

千翼が答えに窮していると、アクアが納得したような声を出した。

 

「ああ、肌が弱くて温泉の成分が染みるのね。大丈夫! アルカンレティアにはそういう人のために、お風呂付きの宿もあるから心配要らないわ!」

 

「お前やけに詳しいな?」

 

「当然よ! なんたって私はアクシズ教の水の女神なんだから!」

 

カズマの疑問に、アクアは胸を張って答える。アルカンレティアとアクシズ教、この二つに何の関係があるのか理解は出来なかったが、一応は水を司る女神だから温泉に関することも詳しいのだろう。そうカズマは結論付けた。

 

「だってさ千翼。これなら一緒に旅行に行けるだろ?」

 

「私たちだけで楽しむのも忍びないですし、一緒に行きましょうよ」

 

「ああ、旅行は皆で行くからこそ楽しいんだ」

 

三人から説得され、千翼は気まずい顔になる。目を閉じ、俯いてしばらく考えると、やがて顔を上げた。

 

「……わかった、俺も一緒に行くよ」

 

「そうこなくっちゃな!」

 

カズマが満面の笑みでサムズアップする。

 

「アルカンレティアへ向かう商隊の乗り合い馬車は、毎日早朝に出ています。というわけで――」

 

「今日は旅支度をして、明日は早起きするわよ!」

 

おー! と四人が拳を突き上げた。

その様子を、千翼は複雑な表情で黙って見詰める。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝。

普段なら絶対に起きていないであろう時間に、カズマは朝靄が漂うアクセルの町を歩いていた。

アクアと共にかなり早い時間に起床した二人は、何時まで経っても起きない三人に業を煮やし。カズマは乗り合い馬車のチケットの確保、アクアは千翼達を叩き起こすこととなる。

町に着いてからふとバニルの事を思い出したカズマは、チケットを買いに行く前に魔法道具店に立ち寄ることにした。

 

「おーっす」

 

「おや、こんな早朝に訪ねてくるとは珍しいな」

 

店の扉を開けると、山積みの木箱の前でバニルが何かを箱詰めしていた。

 

「昨日言ってた知的財産権の話だけどさ、今からアルカンレティアに旅行に行くから、返事は帰ってきてからでも大丈夫か?」

 

「なんだ、そんなことか。構わんぞ。むしろ今すぐ返事をされても、金も設備も人手もない現状ではどうすることもできず困るからな」

 

「そりゃ良かった。ところで……」

 

ちら、とカズマは視線を横にずらす。

 

「なんでウィズが黒焦げになってんだ?」

 

そこには、店主であるウィズが全身煤まみれの姿で床に倒れていた。

 

「我輩がほんのちょっと目を離した隙に、またガラクタを大量に仕入れてな。さすがの我輩も頭にきたから、バニル式殺人光線をお見舞いしてやったのだ」

 

「ああ、なるほど……で、今度は何を仕入れたんだ?」

 

「飲めば気力、体力、魔力が溢れんばかりに湧き上がってくるドリンクだ」

 

バニルが先程から箱詰めしている物、手の平ほどの大きさの瓶をカズマに見せながらそう言った。

 

「エナジードリンクみたいなもんか。普通に売れそうじゃん」

 

「ただし、飲んでから二日後には起き上がることすら出来なくなる程の疲労感、倦怠感、筋肉痛が数日は続くというオマケ付きだ」

 

「うん、絶対売れないわ」

 

ドリンクの副作用を聞いたカズマは、即座に評価をひっくり返した。

 

「む……」

 

「どうした?」

 

カズマの声に答えず、バニルは無言で手に持つ瓶を見せてくる。その瓶は貼られたラベルが大きく破れていた。

 

「はぁ、これは買い取るしかないか……。くれてやる、どっちみち商品にならんからな」

 

バニルは持っていたドリンクをカズマに向けていきなり放り投げた。緩やかな弧を描いて瓶が宙を舞い、慌てて掴み取ろうとしたカズマの手の上で数度跳ね、ようやく両手に収まる。

 

「……まぁ、タダだし貰っとくよ」

 

効果よりも、その後の『オマケ』の方が何倍も大きいという、普通ならば絶対に金を出さないであろう代物。それをいきなり渡されたカズマは、困惑しながらも瓶を鞄の中にしまった。

 

「ついでだ、そこに転がっている消し炭も連れて行ってくれるとありがたい。そいつが居る限り金が貯まらんから、いつまで経っても計画が進まん」

 

「えー、なんでだよ」

 

「ちなみに其奴は大の温泉好きでな。アルカンレティアに行けば大喜びで温泉巡りをするであろう。ポンコツリッチーのことだから、うっかり混浴に入るかもな」

 

「任せとけ、これも俺たちのビジネスのためだ」

 

先程の実に面倒くさそうな表情と態度から一転、何とも頼もしい表情と態度で、カズマは頼みを引き受ける。

未だに目を覚まさないウィズを丁寧に抱きかかえ、慎重に背負う。その際に何かを確かめるように、何度も背負い直した。

それじゃあな。と別れの挨拶をし、店を出ようとしたところで後ろから声がかかる。

 

「ああ、そうだ。汝に一つ言っておきたいことがある」

 

「なんだ?」

 

「我輩と初めて会ったときに汝と一緒にいた、まるでこの世すべての不幸を背負ったかのような男についてだが……」

 

「……千翼のことか? まぁ、確かに幸運のステータスはとんでもなく低いけど」

 

いきなり何だ。とカズマが頭上に疑問符を浮かべる。

 

「もし汝があの男を本当に仲間だと思っているなら――信じてやれ。それがあの男を、引いては汝のためにもなる」

 

「はぁ? なんだよそれ。訳分かんねぇ」

 

「我輩は全てを見通す悪魔。その悪魔からのありがた~い忠告だ。素直に聞いた方が身のためだぞ」

 

普段は基本的に人をおちょくるような事しか言わない悪魔のバニル。その悪魔が極めて珍しく、真剣な声で忠告をしてきた。

もしや、何か裏があるのでは? それとも本当に善意からの言葉なのか?

不審と疑問混じりの眼差しを向けると、バニルは大仰な声と仕草でカズマを指差す。

 

「おおっと、勘違いされては困るぞ。もし汝らに万が一のことがあると()()()! ひっじょーに困るからな! そうならないために言っているだけである!」

 

「……まぁ、一応覚えとくよ」

 

今度こそ店を出たカズマは、背負ったウィズと共に朝靄の中に消えた。

 

 

◆◆◆

 

 

「もう、カズマったら。馬車のチケットを……って、なんでその腐れリッチー連れてきてんのよ……」

 

既に馬車乗り場で待っていたアクアは、カズマの姿を見るなり文句を言おうとしたが、彼が背負っている者を見て別の文句に切り替わる。

 

「こいつがいると金が貯まらないから、しばらく預かってくれ。ってバニルから頼まれたんだよ」

 

「信じらんない! よりにもよってこんなのと一緒に旅行に行くの!?」

 

相も変わらずカズマの背中で眠るウィズを指差しながら、アクアが声を荒らげる。そんな彼女をめぐみんとダクネスはまあまあと宥めた。

 

「よし、みんな荷物は持ったか? 出発前に最後のチェックはしといた方がいいぞ」

 

「確認するまでもなくバッチリよ! 昨日の内に何度も確かめたから!」

 

「私とダクネスはさっき確認したから、問題ありません」

 

「うむ」

 

「あ……」

 

三人が自信満々に返答する中、自分のリュックの中身を確かめていた千翼は小さく声を上げた。

 

「ごめん……財布忘れた……」

 

「馬車が出るまでまだ時間があるし、取りに行っても間に合うぞ。俺はチケットを買うから、行ってこいよ」

 

「うん、すぐに戻るよ」

 

申し訳なさそうな顔を浮かべ、ストールを(なび)かせながら千翼は屋敷へと駆け出した。

 

 

◆◆◆

 

 

朝の冷たい風を頬に感じながら、千翼は小走りで屋敷へと向かう。正門が見えてくると、その前で右往左往する人物がいた。

 

「う~やっぱり早すぎたかな……でも、めぐみんってばすぐに出かけちゃうし……」

 

左右のお下げと、両手の果物が盛られたカゴを揺らしながら、紅魔族の少女ゆんゆんが同じ場所を何往復もしていた。

 

「……ゆんゆん?」

 

「へぁ!? って、ち、チヒロさん? お、おはようございます!」

 

「お、おはよう……」

 

後ろからいきなり話しかけられ、ゆんゆんは奇妙な叫び声を上げる。声の主が誰なのか理解すると、慌てた様子で朝の挨拶をした。

 

「えっと、何か用があるの?」

 

「その……まぁ、用事と言えば用事なんですが……」

 

千翼に尋ねられ、ゆんゆんは顔を赤くしながら口ごもる。

ふと、彼女の姿を見て。千翼は『あの時』の事を思い出した。

 

「ゆんゆん、あの時はごめん!」

 

「へ? あ、あのとき?」

 

いきなり頭を下げ謝罪の言葉を口にする少年に、ゆんゆんは面食らう。

 

「せっかく奢ってくれたクレープも台無しにしちゃったし、途中で勝手に帰っちゃったし……本当にごめん!!」

 

千翼は再び頭を深々と下げた。千翼が謝罪する理由を理解したゆんゆんは、両手と首を激しく振る。

 

「い、いえ。気にしないでください! それよりもあの後は大丈夫でしたか? チヒロさん、具合が悪そうでしたけど」

 

「……うん、大丈夫。なんとも無かったから」

 

それは良かった。とゆんゆんが胸を撫で下ろす。あの時の真相は口が裂けても言えないし、言うつもりもない。彼女に嘘を付くような真似をしてしまい、少年の胸が罪悪感で痛んだ。

 

「ところで、めぐみんはいますか?」

 

「めぐみんなら……というか、俺たち今から旅行に出かけるんだ」

 

「……旅行?」

 

ゆんゆんが固まる。そのことに気が付かぬまま、千翼は言葉を続ける。

 

「裁判が終わってようやく落ち着いたし、賞金も手に入ったからみんなでアルカンレティアって所に旅行にいこうって。めぐみんなら町の馬車乗り場にいるから、何か用があるなら一緒に……」

 

少女の体が微かに震え始め、目にうっすらと涙が浮かんできた。

 

「りょ、旅行……みんなで楽しくお泊まり……美味しいご飯……お土産選び…………」

 

「……ゆんゆん?」

 

ここでようやく、千翼はゆんゆんの様子がおかしいことに気が付いた。だが、そのときは既に手遅れであった。

 

「チヒロさん! 私のことは気にせず旅行を楽しんできてくださいっ!」

 

それでは! と言って、ゆんゆんは涙を散らしながら走り去っていった。

少年の声が届く前に少女はあっという間に姿を消した。一体何だったんだろう。と千翼は首を傾げ、自分が屋敷に戻ってきた理由を思い出すと慌てて中に入った。

それから千翼は馬車乗り場に戻り、席の関係で誰が荷台に乗るか一悶着があったりと、慌ただしい出来事を挟みつつ馬車隊はアクセルの町を出発する。

あとは馬車に揺られながら、のんびりとアルカンレティアへの旅路を楽しむ――はずだった。

 

「千翼、今だ!!」

 

「ダクネス、ごめん!!」

 

「おかまいなくうううぅぅぅ……!」

 

澄み切った青空を背景に、女騎士が宙を舞う。やがて重力に引かれ落下を始め、嫌な音を立てて荒野に落ちた。

その上をダチョウのような鳥の大群が、次から次へと華麗にジャンプして通過し、その先にある大きな岩山の洞窟へと姿を消す。

 

「めぐみん、やれ!!」

 

「エクスプロージョン!!」

 

そこへすかさず爆裂魔法が炸裂する。辺り一帯の砂埃を一つ残らず吹き飛ばすほどの爆発が岩山を襲った。

すぐ近くにいたカズマ達は、爆発が収まったことを確認してから慎重に顔を上げる。そこには崩れた岩が、まるで墓標のように積み重なっていた。

 

「とりあえず、一件落着か……」

 

そう言って、カズマは馬車の屋根の上で大の字に倒れた。視界が澄み渡る青空で埋め尽くされる。

 

「旅行に来たってのに、なんでこんな目にあうんだよ……」

 

そのぼやきに答える者はいなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

アルカンレティアの到着は明日になるため、馬車隊は荒野で野宿することになった。防風と戦闘時には遮蔽物となるように馬車を円形に並べ、その中で人々は今夜の食事を取っていた。

焚き火を囲みながら乗客や御者達が夕飯に舌鼓を打ち、暖かい飲み物を口にしながら談笑している。

 

「はい、花鳥風月!」

 

大勢の前で宴会の神、もとい水の女神であるアクアが両手に持った扇子と、何故かウィズの頭に乗せられているコップから水を噴き上がらせる。見事な水芸を披露した女神へ、観客達は歓声と拍手を送った。

 

「やっぱあいつ、こっちで食っていけるだろ……」

 

もう一度芸を見せて欲しい、と懇願する人々へ芸のなんたるかを語るアクアを見て、カズマは顔を引き攣らせながらコップを傾けた。熱々のお茶が口から喉を通り、腑へと染み渡る。

お茶で温まった息を口から白い靄と共に吐き出すと、横目で隣に座る千翼を見た。粉末を溶かしたお茶を口に運びながら、突発的に始まった隠し芸大会を眺めている。

 

「昼間は本当に助かったよ。まさかあんなトラブルに巻き込まれるなんて」

 

「あれぐらい大したことないよ。とんだハプニングだったね」

 

そう言って、二人の少年は小さく笑い合う。

 

「前から思ってたけど千翼ってさ、仮面ライダーみたいだよな」

 

「仮面……ライダー?」

 

聞いたこともない名前に、千翼は聞き返す。

 

「日本で毎週日曜の朝に放送してる特撮番組だよ。主人公がベルトを装着して、ポーズを取って……変身! って叫ぶとヒーローの姿になるんだ。んで、怪人と戦うんだよ」

 

「へぇ、そんなのがあるんだ」

 

「俺も最初は特撮なんてガキの見る物だってバカにしてたけど、ある日たまたま見たらこれが意外と面白くってさ。それ以来、日曜日の朝だけは早起きするようになったんだ」

 

それまでは昼過ぎまで寝てて、起きたら夜中までゲームが当たり前だったなぁ。と懐かしむようにしみじみと語るカズマを見て、目の前の少年がどのような生活を送っていたのか察した千翼は、彼のプライベートには可能な限り触れないようしようと密かに決めるのであった。

 

「千翼もベルトを巻いて変身するだろ? それに俺たちはパーティー組んでから戦闘はずっと千翼に頼りっぱなしだし、まさにヒーローだよ」

 

『ヒーロー』という言葉を聞いて、千翼は微かに顔を曇らせて俯く。マグカップのお茶に映る自分の顔を見ながら、ゆっくりと首を横に振った。

 

「俺は……ヒーローなんかじゃないよ」

 

「でも、少なくとも俺にとって千翼はヒーローだ。冬将軍やキメラと戦ったり、デストロイヤーのときはコアを取り出してくれたり。俺が裁判にかけられた時は真っ先に面会に来て、弁護もしてくれたし。ほんと、助けられっぱなしで頭が上がらないよ」

 

いかに自分が千翼に助けられているのか、カズマは苦笑交じりに語る。

 

「色々と迷惑かけるかもしれないけど、これからもよろしくな」

 

 

◆◆◆

 

 

固い荒野の大地に簡素な寝具を敷き、毛布を被って商隊の人々は眠っていた。

この辺りで夜行性のモンスターはおらず、夜盗なども出たことがないので、最低限の見張りだけを立てて乗客や御者達は寝息を立てている。

 

「!」

 

カズマは突然起き上がった。周りを見るが、自分以外に起きている人影は見当たらない。どうやら見張りもいつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「なんだ……この違和感……」

 

何故かは分からないが落ち着かない。先程から背中にゾワゾワとした感触があるが、寒気とは違う。確認のために暗視のスキルを使って周囲を見回すが、動く者は居ない。

今度は更に千里眼のスキルを使って視界を拡大し、それに合わせて敵感知のスキルで脅威となる存在がいないか確かめる。馬車の向こう側、離れた場所から暗闇に紛れて人型の集団が、ゆっくりとこちらに近付いてくるのが視えた。その色は赤、つまりは敵性存在。

 

「みんな起きろ! なんかこっちに来てる!」

 

慌ててカズマは大声を出しながら、傍に置いてあった得物を手に取る。真夜中の静寂を乱す声に、次々と周りの人間が目を覚ます。

 

「な、なんだなんだ?」

 

「何も見えないわよ……」

 

「みなさん落ち着いてください! その場から動かないで!」

 

寝惚けた声と緊迫した声が、暗闇のあちこちから響く。すぐに松明に火が灯され、闇夜を照らした。

この騒ぎにカズマの隣で寝ていた千翼も目を覚まし、周囲の様子からただならぬ状況をであることを即座に理解する。

 

「カズマ、何かあったのか?」

 

「よく分からないけど、人型の何かが近付いてきてる。敵感知に反応があったから、敵なのは間違いない」

 

それを聞いた千翼は自分のリュックからアマゾンズドライバーを取り出し、素早く腰に巻いた。インジェクターをセットし、何時でも戦えるよう身構える。

護衛の一人が馬車の外側に向かって松明を投げた。火花を散らしながら炎の塊が暗闇を舞い、やがて荒野の大地に落ちる。それを光源に、暗闇の中で歩みを進める人型――体のあちこちが欠損し、死臭と腐敗臭を撒き散らす死者たちを照らし出す。

 

「ぞ、ゾンビだああぁぁ!!」

 

肉片と腐った体液を滴らせながら近付いてくる死者に、大勢が悲鳴を上げた。

既に馬車の周りはゾンビの大群に囲まれており、逃げ道は無い。

護衛の冒険者達が乗客を守るよう円を描く。ゾンビ達が一歩踏み出す度に、その輪は少しずつ小さくなっていった。

 

「ゾンビ……要するにアンデッドか。こういうときは!」

 

アンデッドに対するエキスパートをカズマは知っている。曲がりなりにも彼女は女神、不浄なる存在を許さず、命の理に反する者を認めない聖なる神だ。

普段が普段なので忘れられがちだが、その実力は本物。こういった事態にはうってつけの存在である。

今も寝ているであろう彼女を叩き起こそうとカズマは駆け出すが、既にその場所は多くのゾンビが集まっていた。

 

「わああ!? なになに!? なんでゾンビに囲まれてるの!?」

 

酒瓶に抱き付きながらいびきを掻いていたアクアは、目を覚まして悲鳴を上げた。せっかくほろ酔いで気持ちよく眠っていたのに、起きたら鼻を抓みたくなるような悪臭を漂わせる死者の群れ。これは悪夢なのかと自分の頬をつねる。

 

「アクア! 一発浄化魔法を頼む!」

 

「わ、わかった! セイクリッド・ターンアンデッド!」

 

酒瓶片手に水の女神が聖なる魔法を唱える。彼女の足下を中心に白い魔法陣が描かれ、闇夜を照らした。

 

『おおおおおぉぉぉぉぉ……』

 

そして、魔法陣に触れたゾンビ達はどこか安らかな表情を浮かべながら、腐り落ちた体が跡形も無く消え、そこから魂が天に昇ってゆく。

予想通りの結果に、カズマはガッツポーズを取った。

 

「ああ、もう! せっかく気持ちよく寝ていたのに最悪の気分よ! こうなったら徹底的にやってやるわ!!」

 

アクアが怒りと共に拳を握ると、息を大きく吸って浄化魔法を乱れ撃つ。

 

「ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッドオオオォォォ!!」

 

女神が魔法を唱える度に闇夜が白く照らされ、十体、二十体と死者達が浄化され天に召してゆく。その光景を見たカズマは安堵の溜息と共に冷や汗を拭った。

 

「これでもう大丈夫だな、さすがは腐ってもめが――」

 

「いやぁ、アークプリーストが居て本当に助かった」

 

「ここら辺は普段ゾンビなんか出ないはずだけど、珍しいこともあるもんだな。何はともあれ良かったよ」

 

普段は出ない? 護衛の一人が発した言葉にカズマは妙な違和感と既視感を感じた。

そういえば、魔王軍幹部のベルディアが死者の軍団を呼び出した際、何故か軍団は他の冒険者には目もくれずアクアだけを執拗に追い回していた。

それにキールダンジョンに彼女と一緒に潜った時も、何故かアンデッド系のモンスターばかりに襲われた。そしてそのとき、確か彼女(アクア)はこう言ったはずだ。

 

――きっと魂の救済を求めて、神聖な魔力を持つ私に引き寄せられるのよ。ほら、私って女神だし?

 

カズマはゆっくりと、浄化魔法を連発する女神を見た。

普段は出ないはずのゾンビ、神聖な魔力、魂の救済。点と点がつながり、答えを導き出す。

 

「あはははは! 私がいたことが運の尽きね! アンデッドの百や二百、どうってことないわ! さぁ、片っ端から浄化してあげるからドンドンかかってきなさい!!」

 

――すんません。俺の仲間がほんっとすんません。

彼女(アクア)が居なければ、恐らくは今回のゾンビ騒ぎも無かっただろう。昼間に続いて図らずも二度目の自作自演をしてしまい、カズマの心は今にも罪悪感で押し潰されそうだった。

当の本人はそんなこと知る由も無く。酒瓶片手に今も浄化魔法を唱え、ゾンビの群れを次ぎから次へと成仏させている。

 

「なんと美しい……」

 

「舞うように魔法を唱える姿……まさに女神だわ!」

 

そして、アクアは一晩中踊り狂いながらアンデッドの群れを浄化し続けた。

余談だが、魔法の余波を受けてリッチーであるウィズが危うく浄化されかけたらしい。

 

 

◆◆◆

 

 

「いやー、道中は本当に助かりました! こんなものしか渡せませんが遠慮無く使ってください!」

 

「い、いえいえ。お気になさらずに……」

 

商隊のリーダーである恰幅の良い男は、満面の笑みを浮かべながら六枚の紙をカズマに渡した。引き攣った笑みを浮かべながら、礼を言いつつカズマはそれを受け取る。

 

「それでは私はこれで。アルカンレティアの観光を楽しんでください!」

 

リーダーの男は馬車を走らせながら手を振る。それに対してカズマは遠慮がちに手を振り返した。

馬車の姿が完全に見えなくなったところで、カズマは先程受け取った紙――宿泊券に目を落とした。

 

「うわ、これってアルカンレティアで一番大きなホテルの宿泊券じゃない。本当にラッキーね!」

 

カズマの心苦しさなど知るはずも無く、脇からのぞき込んだアクアは歓喜の声を上げた。

昨夜のトラブルを起こした張本人に何か言おうと思ったが、今回ばかりは流石に言いがかりも甚だしいので、喉まで上がってきた言葉を何とか飲み込む。

宿泊券を懐にしまい、気を取り直してカズマは勢いよく振り返ると、そこには山の麓に作られた水と温泉の都『アルカンレティア』の街並みが広がっていた。

 

「何はともあれ、やっと着いたぜ!」

 

「ようやく来たのね、愛しのアルカンレティア!」

 

カズマとアクアは大はしゃぎし。千翼、めぐみん、ダクネスの三人は白と青を基調としたアルカンレティア、それに山と空が合わさった美しい風景に息を呑んでいた。

昨夜の騒ぎで危うく浄化されかけたウィズは、カズマの背中ですやすやと眠っている。

 

「と言うわけでようこそ! アクシズ教の総本山アルカンレティアへ!」

 

風光明媚な街を背景に、アクシズ教が崇める女神はそう言った。

 

『え?』

 

「?」

 

三人がアクシズ教の名を聞いて固まり、一人は意味が分からず首を傾げた。

 

「アクシズ教の総本山……?」

 

「嘘……ですよね?」

 

「あのアクシズ教の……」

 

カズマ、めぐみん、ダクネスが慄いていると、一人だけ話しについて行けなかった千翼がカズマに耳打ちする。

 

「カズマ、アクシズ教ってなんだ?」

 

「……ものすごく簡単に言うと、誰もが名前を聞いただけで震え上がる、下手したら魔王軍よりも性質(たち)が悪いって噂の宗教団体だ。そういやウィズが、デストロイヤーが通った後はアクシズ教徒以外、何も残らない。って言ってたな」

 

「……なんとなく分かった」

 

カズマの表情と口調で『アクシズ教』がどれだけ恐ろしい存在なのか、千翼は本能的に理解した。

 

「とにかく、荷物を宿に置いて……」

 

まずは荷物を置いて、それから観光を楽しもう。ここに至るまでの道中で二度も大きなトラブルに巻き込まれ、目的地までの道のりを楽しむ余裕など全くなかった。せめてこのアルカンレティアでその分を取り戻したい。

ここがアクシズ教の総本山と聞いてから、何故か嫌な予感が止まらないカズマは、それを振り払うように街へ足を向ける。すると、街の方から大勢の人が騒がしくやって来て、あっという間にカズマ達を取り囲んだ。

 

「ようこそアルカンレティアへ! 観光ですか? 洗礼ですか? それとも入信ですか?」

 

「アクシズ教に入信すると宝くじが当たったり、病気が治ったり、異性からモテモテになったり良いこと尽くめですよ!!」

 

「ここは入信ですよね!? やっぱり入信ですよね!? 入信するしかないですよね!?」

 

狂気に目を輝かせながら、アクシズ教の信者であろう人々は熱心に入信を勧めてくる。

恐怖すら感じる猛烈な勧誘に、めぐみんは小さな悲鳴を上げて震え、あのダクネスも思わず引き気味になっている。

 

「まぁ、なんて綺麗な青色の髪と瞳かしら! まるでアクア様みたい!」

 

「それは当然よ、なんたって私は――」

 

「すみません、急いでます!!」

 

アクアが余計な事を言ってこの場を混乱させる前に、カズマはそれだけ言って彼女をグイグイと人垣の外へ押し出すと、風のようにその場を立ち去った。

 

「あ! お、置いていかないでくださーい!」

 

一人先に逃げ出したカズマを見て、めぐみんが大慌てでその後を追う。残された千翼とダクネスも彼女の後に続いた。

 

『アルカンレティアは、いつでもあなた方の入信をお待ちしてますよー!』

 

背中から聞こえてきた大合唱に、カズマ達は冷や汗を流しながら身を震わせた。

 

 

◆◆◆

 

 

「はぁ、到着早々なんなんだ……」

 

荷物を置き、未だに目を覚まさないウィズを宿で寝かせたカズマは、千翼とダクネスと共にアルカンレティアの街を歩いていた。

アクアは「アクシズ教のアークプリーストとして、教団本部に遊びに行ってくる」と言って宿を飛び出し。それを見ためぐみんは「アクアがまたバカなことをしないか心配だから」と言って、彼女を追った。

先程のアクシズ教徒による勧誘攻撃に辟易としていたカズマであったが、気持ちを切り替えてアルカンレティアの観光を楽しむことにする。

 

「見ろ、大きな噴水だ!」

 

普段の厳格な雰囲気はどこへやら。鎧を脱ぎ、身軽な服を着たダクネスは、興奮した面持ちで広場を指差す。

そこには中央に女神の石像が置かれた、大きな噴水があった。その縁に人々が腰掛け、軽食を食べたり本を読んだりと寛いでいる。

 

「おー、水の都だけあって立派な噴水だな。女神像はかなーり美化されてるけど……」

 

カズマの最後の一言に、隣に立つ千翼は苦笑いを浮かべた。

三人で見事な造りの噴水を眺めていると、近くを通りかかった若い女性が石畳に躓く。

 

「あ、ああリンゴが!」

 

そして、女性の持つバスケットから真っ赤なリンゴが幾つも零れ落ちた。それを見たカズマ達は手分けしてリンゴを拾い上げ、女性に渡す。

 

「はい、どうぞ」

 

「親切にありがとうございます。よかったら……」

 

言いながら女性は懐に手を入れた。

 

「いえいえ、悪いですよ。これくらいどうってこと――」

 

「入信しませんか?」

 

そして、アクシズ教の入信書を三枚取り出し。それをカズマの眼前に突き付ける。

 

「ええと、これは……」

 

「私、一目見てわかったんです。あなた達のような親切な人はアクシズ教に入るべきだって。だから、入信しましょ!」

 

「結構です」

 

キッパリと断って、カズマは踵を返す。即座に女性が回り込んできた。

 

「大丈夫、毎週のお祈りとか説法を聞きに集まるとか、そんな面倒なことは一切ないから! 入信して、アクシズ教の素晴らしさを広める! たったそれだけでいいの!!」

 

「遠慮します! いらないです! 間に合ってます!!」

 

グイグイと入信書を押しつけてくる女性と、それを何とかして押し返そうとするカズマ。一体どこにそんな力があるのか、狂気に染まった瞳を輝かせながら、女性が少しずつ圧してゆく。突然の事態にどうしたらいいか分からず、千翼はカズマと女性の顔を交互に見ることしかできなかった。

あと少しで入信書がカズマの顔に押し付けられそうになったとき、横から伸びてきた手がそれを止めた。

 

「申し訳ないが止めて頂きたい。彼は入信する気がないと言っている」

 

丁寧に、それでいて毅然とした声でダクネスは女性を止めた。

一先ず二人を引き離すと、ダクネスは胸元から変わった形のペンダントを取り出した

 

「見ての通り私はエリス教徒。女神エリス様にこの身を捧げると誓ったので、改宗するわけには――」

 

「ぺっ!」

 

女性はダクネスの足下目掛けて遠慮無く唾を吐いた。三人が呆気に取られていると、女性はそそくさとその場を離れ、

 

「ぺっ!」

 

ダクネスに対してゴミでも見るかのような視線を送ると、去り際にもう一度だけ唾を吐いた。

 

「……」

 

「いや……なに今の?」

 

「ん、んんっ!」

 

「お前も感じるな」

 

 

◆◆◆

 

 

先程の女性は何だったのか。確かに気になるが、自分たちは旅行に来たのだ。

気を取り直し、改めてアルカンレティアを観光していると。

 

「誰か! 誰か助けて! この男が私に乱暴しようとするの!」

 

「なぁ、姉ちゃん。俺と一緒に楽しいことしようぜ?」

 

道の向こうから助けを求める女性と、その後ろから下品な笑みを浮かべた筋骨隆々の男が近付いてきた。

それを見た千翼は真剣な顔付きになり、女性を助けるため力強く一歩を踏み出す。

 

「千翼、ちょっと待った」

 

しかし、二歩目を踏み出そうとしたところで、後ろからカズマに肩を掴まれた。

 

「なにしてるんだ、早くしないとあの人が」

 

「違う、よく見てみろ」

 

カズマが今にも襲われそうになっている女性を指差す。

 

「ああ、ここにアクシズ教徒が! 強くてかっこよくて頼りになるアクシズ教徒がいてくれたら! そうしたらこんな邪悪なエリス教徒はすぐに逃げ出すのに!」

 

「へっへっへっ。そうとも、俺たちゃ極悪非道、冷酷無情のエリス教徒! 立ちション、食い逃げ、ポイ捨て。他にも様々な悪事に手を染めてきた根っからの極悪人だ! そんな俺でもアクシズ教徒だけには敵わない。もしこの場にアクシズ教徒がいたら尻尾巻いて逃げ出すだろうな!」

 

若い女性はアクシズ教の入信書をこれ見よがしに振り回しながら、実にわざとらしく喋っている。千翼は目の前の出来事が茶番だと悟ると、途端に醒めた目になった。そして三人は足早に女性と暴漢の脇を通り過ぎる。

 

「ああ、待って! 私を助けるためにアクシズ教に入信して! ここに名前を書くだけでいいの、たったそれだけでいいの!」

 

「アクシズ教に入信したら、俺みたいな邪悪なエリス教徒よりもムキムキになれるぞ? そうしたら人生バラ色。良いこと尽くめだ! なによりも、邪神を崇めるエリス教徒を蹴散らすことが出来る!」

 

それでもしつこく入信を勧めてくる二人に一切顔を向けず、カズマ達は更に足を速めた。それに合わせてアクシズ教徒であろう男女の足も速くなる。

 

「大事なのは信じる心! アクア様を信じる心に関して、アクシズ教徒はどんな宗教にも負けない! 入信すれば、エリス教がいかに欺瞞に満ちていて、アクア様がどれだけ素晴らしいかがきっと分かるわ!」

 

「そうそう。多数派だからってなんとなーく入信しているようなエリス教徒と違って、アクシズ教徒はアクア様を心の底から信仰している! そもそもエリスが女神というのが間違いで、あれは邪悪な――」

 

突然、ダクネスが立ち止まった。勢いよく振り返ると、なおもエリスとその教徒を侮辱する二人を睨み付ける

 

「いい加減にしてもらおうか。さっきから黙って聞いていれば、エリス教徒である私の前でエリス様を邪神などと……」

 

「「ぺっ!」」

 

男と女は揃ってダクネスの足下に唾を吐いた。そして踵を返して三人から素早く離れる。

 

「「ぺっ!」」

 

ダクネスに対して穢らわしい物でも見るかのような視線を送ると、去り際にもう一度だけ唾を吐いた。

 

「……」

 

「んんっ! 堪らない!」

 

「お前ほんと自重しろよ」

 

 

◆◆◆

 

 

「そこのお兄さん、アルカンレティア名物のアルカン饅頭はいかが? もし入信してアクシズ教徒になってくれるなら、割引するよ!」

 

「そこのお姉さん、お風呂で温泉気分を楽しみたくありませんか? 入信してくれたら、アクシズ教徒限定の入浴剤をプレゼントしますよ!」

 

「え、オススメの観光スポット? うーん、知ってるには知ってるが、そこはアクシズ教徒しか入れない場所なんだよ。ちょうど入信書を持っているから、今すぐ入信すればそこを教えるよ」

 

「久しぶり、元気してた? あたしよあたし……って、分からないわよね。だってアクシズ教に入信してから成功の連続で、学生時代と全然違うから。ねぇねぇ貴方もアクシズ教に入信しない? 私たちで同級生の皆にアクシズ教の素晴らしさを広めようよ!」

 

 

 

 

 

「クソがあああぁぁぁ!!!」

 

自分たち以外誰も居ない薄暗い路地で、カズマは叫んだ。

 

「なんだよ、なんなんだよここは!? 店に入れば入信、道を尋ねれば入信、目が合えば入信! 入信入信入信入信入信うるせえええぇぇぇ!!! こちとら旅行に来たんだぞ!? ストレス解消のために温泉に浸かりに来たんだぞ!? 入信に来たんじゃねぇんだぞ!?!? ここには頭のおかしい連中しかいないのか!?!? これじゃストレス解消どころか溜まる一方じゃボケえええぇぇぇ!!!」

 

肺一杯に吸い込んだ空気を雄叫びと共に全て吐き出し、カズマは膝に手を付いて貪るように息を吸う。

 

「な、なぁカズマ。一つ提案なんだが、みんなでここに移住しないか? 私はこの街がとても気に入ったぞ」

 

「おめぇもさっきから一々感じてんじゃねぇぞこのドMクルセイダーが!!!」

 

「んんんっ! もっと激しく罵ってくれ!」

 

せっかく温泉旅行に来たというのに、いざ到着してみれば待っていたのは狂信者達の執拗な勧誘の嵐。

硫黄の臭いを嗅ぎながらの歴史的な建造物の見学、ここでしか食べられない豪華な食事、仲間と相談しながらのお土産選び。そして何といってもカズマにとって最大の目的である混浴、ひょっとしたらそこで起こるかも知れない『ハプニング』。期待に膨らんでいた胸はあっという間に萎んでしまった。

こんなはずじゃ無かったのに。と呟き、カズマは盛大に溜息を吐いた。

 

「って……あれ?」

 

冷静さを取り戻したカズマは、あることに気が付いた。

 

「千翼、どこいった?」

 

 

◆◆◆

 

 

「まいったな……」

 

アクシズ教徒のしつこい勧誘を振り切っている内に、千翼はいつの間にかカズマ達とはぐれてしまった。

どうしたらいいものか。と頭を悩ませるが、自分もカズマもいい年である。いざとなったら宿泊しているホテルに戻ればいいと結論づけ、千翼は一人で異世界の観光を楽しむことにした。

アクセルとは違った街並みを楽しみながら、思わずよそ見をして歩いていると誰かにぶつかった。

 

「っ、すみません」

 

「おっと、わりぃな。にいちゃん」

 

体格の良い浅黒い肌の男に謝罪すると、向こうも特に気にしていないのか、短く謝罪の言葉を述べて去って行く。

二人の男がすれ違い――

 

「?」

 

千翼は振り返った。先程の男の姿は見当たらず、観光客や街の住人が通りを行き交っている。

 

「……気のせい、だよな?」

 

きっと疲れているのだろう。この街に到着してから絶え間なく襲いかかる勧誘のせいで、ちっとも心が休まらない。そのせいで勘違いしたに違いない。

自分に言い聞かせ、納得した千翼は再び観光を楽しむことにした。

 

 

◆◆◆

 

 

アルカンレティアを一望出来る高台に、その教会はあった。

街並みと同じく白と青で彩られた教会は、荘厳さと神聖さを感じさせ、その大きさも相まって見る者を圧倒させる。

教会を背に、あちこちから湯気が立ち昇るアルカンレティアを眺めていた千翼は、ほんの少しだけ視線を後ろに向けた。

 

「そこのお二方、もしかしてカップルですか? 結婚式を挙げるなら是非ともアクシズ教の教会で! もし入信していただけるなら――」

 

アクシズ教徒に話しかけられた二人組の男女は、悲鳴を上げながら走り去っていった。それでも教徒は諦めずに二人の後を追う。

こんなにも良い街なのにその一点(アクシズ教)が、その一点(アクシズ教)こそが全てを台無しにしていた。

信者がいなくなったことを確認してから、千翼は後ろを振り返る。今にも自分に向かって倒れてくるのでは、と錯覚するほど大きな教会が少年を見下ろしていた。

 

「教会……」

 

思い出すのは、生前の記憶。

少女(イユ)と共に教会へ逃げ込み、そこで彼女の時計(レジスター)が動き出してしまった。

それを何とかして止めようと野座間製薬本社に乗り込むが、目的は果たせなかった。そして二人で彼女の思い出の動物園に逃げ込み――

何かに引き寄せられるように千翼は教会へ向かい、出入り口の扉をゆっくりと開ける。

 

「おや。ようこそ、アクシズ教の教会へ」

 

左右に長椅子が並べられた巨大な礼拝堂では、一人のシスターが箒で掃除をしていた。

 

「ここはエリス教徒を除いた全てを受け入れる場所。休憩するも、祈りを捧げるも、待ち合わせに使うも自由です。どうぞごゆっくり」

 

前半の言動に引っかかる物があるが、それを気にしないようにして千翼は礼拝堂を眺める。正面と左右の壁からはステンドグラス越しの日光が差し込み、礼拝堂の中を色鮮やかに照らしていた。

幻想的な光景に見惚れていると、どこからか嗚咽が聞こえてくる。音の元を探して首を回すと、礼拝堂の片隅に隣接して設置された二つの小部屋に目が止まった。どうやら嗚咽はあそこから聞こえてくるようだ。

小部屋の片方から一人の男が出てきた。男はまるで憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした顔で、パッドがどうたらこうたら言いながら、やけに軽やかな足取りで礼拝堂を後にする。

 

「あちらは懺悔室です」

 

「懺悔室……」

 

珍しそうな顔で小部屋を見ていた千翼に、シスターが説明する。

 

「どのような人であれ大なり小なり罪を犯し、他人には言えない秘密や後ろめたいことがあるもの。そういったことを聞き届け、神に赦しをもらうための部屋です」

 

ドラマなどで見たことがあるが実際に、しかも異世界で実物を見ることになるとは千翼も思わなかった。

興味深そうに眺めていると、それを見たシスターは更に説明を続ける。

 

「アクシズ教ではそれだけでなく、単純に人に聞いて欲しいことや悩み事なども受け付けていますよ。もちろん、懺悔室で聞いたことは決して口外しないことをお約束します。また、当然ながらお互いの顔は見えないため、プライバシーに関してもご安心を」

 

「へぇ……」

 

どうやらアクシズ教は懺悔だけでなく、個人的な悩みや相談事も受け付けているらしい。

これで信者達があんな人間でなければ、どれだけこの街は素晴らしくなるのだろうか。実に惜しいものである。

ここでふと、千翼はシスターに尋ねる。

 

「あの、本当にどんなことでも聞いてくれるんですか?」

 

「ええ、どんなことでも」

 

「……どれだけ突拍子のない話や、あり得ないような話でも?」

 

「もちろんです。突拍子のない話でも、あり得ないような話でも、どんなことでも。それに、誰かに自分の話を聞いてもらうというのは、思った以上に心が軽くなってスッキリしますよ」

 

シスターが断言するのを見て、千翼は改めて懺悔室を見た。その顔は何かを覚悟し、決意した表情だった。

 

「懺悔室をご利用ですか? もし入信して頂けるなら、悩み事に対するアドバイスのサービスが――」

 

どこからともなく入信書を取り出したシスターを無視して、千翼は懺悔室に向かった。

二つの小部屋が隣接する懺悔室にはそれぞれ扉があり。片方には神父用、もう片方には懺悔用と扉に書かれている。

懺悔用の部屋に入り、中に置かれている椅子に腰掛けると部屋の反対側。つまりは神父用の部屋から扉の開閉音と、誰かが走り去る音が聞こえた。

 

「あー、あー。迷える子羊よ、よくぞ来た。さぁ、ここで汝が犯した罪の全てを話しなさい」

 

薄暗い部屋の中、目の前の小さな仕切りカーテンの向こうから若い男の声が聞こえる。少しでも威厳を見せるためなのか、若干声を作っているようだ。

 

「あの……少しいいですか?」

 

「なんなりと」

 

「その……ここはどんなことでも、それこそあり得ないような話でも聞いてくれるそうですが……」

 

「ここはアクシズ教の懺悔室。罪の大小、悩みの種類、話の内容を問わず全てを聞き届けます。神はきっとお赦しになるでしょう」

 

「……わかりました」

 

今度こそ覚悟を決め、千翼は息を吸い込む。それを緩やかに吐き出して呼吸を整えると、静かに語り出した。

 

「これは、俺がこの世界に来る前の話です――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これが俺の、俺が犯した罪の全てです」

 

自分が生まれた日本での出来事、そこで起きた、起こしてしまった惨劇の数々。そして死を迎え、転生によって異世界にやってきたこと。この世界で危うく犯しかけた罪の数々――

それら全てを、千翼は詳らかに語った。

千翼は今までカズマ達に自分の素性や食人衝動を隠してきた。それがまるで彼らを騙しているようで、日に日に積もる罪悪感は千翼の心を少しずつ、しかし確実にすり減らしてゆく。

そんな時にこのアルカンレティアで見つけた懺悔室は、まさに千翼にとって救世主であった。

異世界だの転生だの、果てはアマゾン細胞や食人衝動。どれもこれも余りに現実離れした非常識にも程がある話だ。突然やってきたどこの誰とも分からない顔の見えない人間から、いきなりこんな話をされて真面目に聞く者はまずいないだろう。それが狙いでもあり、そうしてもらえることが千翼にとってはこの上なく有難かった。

誰でもいいから決して他人には話せない、話すわけにはいかない事を聞いて欲しい。ただ『聞いてもらう』だけでいい。

そんな矛盾した悩みをずっと抱えていた少年は、藁にも縋る思いでこの懺悔室を訪れた。

胸につかえていた物の全てを口に出し、千翼は緩やかに息を吐く。

 

「……」

 

「……あの?」

 

「っ! あ、えー、よ、よくぞ話した。神は汝の罪をきっと赦すだろう。さぁ、懺悔室を出て前を向いて歩いて行きなさい」

 

明らかに先程とは声の様子がおかしい。自分の話す余りにも突拍子も無い内容に、途中から聞き流していたのか、はたまた居眠りでもしていたのか。どちらにせよ反応からして、千翼の話をまともに聞いている様子は全くなかった。

礼を言いつつ懺悔室を出て、思い切り伸びをした。懺悔をする前より身も心も軽くなったような気がする

掃除を続けているシスターに会釈をして、千翼は教会を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

「いやぁー危ないところだった。もうちょっとで揚げたてが売り切れる所だったわ」

 

少年が教会を出てから数分後、紙袋を抱えたアクシズ教の女神は、満面の笑みを浮かべながら神父用と書かれた懺悔室の扉を開けた。

 

「留守番ありがとね。お礼に一個くらいなら食べても……カズマ、どうしたの?」

 

懺悔室の中では、椅子に座り、机の上で組んだ自分の両手を無言で見詰める少年の姿があった。

その体は、微かに震えていた。




というわけで、アルカンレティア編です。
懺悔室のシーンは当初からどうしても書きたかったシーンの一つであり、千翼の過去をカズマが知るタイミングはここしかないと思っていました。
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