この悲運の主人公に救済を!   作:第22SAS連隊隊員

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今回の話は間違いなく一番の難産でした……。本当に疲れた……。


Episode13 「M」ORTAL COMBAT

「誰かいるな……」

 

岩陰に隠れながら、千里眼のスキルで源泉の周りを偵察していたカズマは呟く。

山頂の源泉、その傍で誰かがしゃがんでいた。湯気でよく見えないが、輪郭からして恐らくは男だろう。

自分の武器をしっかりと確認してから岩陰を出たカズマ達は、ゆっくりと人影に近付く。そばまで寄ると、人影はの正体は浅黒い肌のがっしりとした体格の男だと分かった。

カズマ達の足音に気が付いた男が振り返ると、一瞬だけ驚いたような顔を浮かべて立ち上がり、すぐに険しい顔付きになる。

 

「なんですか、あなた達は? ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」

 

「あんたが温泉を汚した犯人ね! 大人しく――」

 

「すみません、俺たち温泉の質が悪くなった原因を調査してまして。もしかして源泉になにかあるんじゃないかと」

 

アクアが余計なことを言ってトラブルになる前に、カズマは素早く彼女の口を塞いで押さえ込んだ。何とか捕縛を抜け出そうとアクアは暴れる。

 

「それは管理人である私の仕事であって、あなた達のような部外者がやるべき事ではありません。さぁ、仕事の邪魔になるから帰った帰った」

 

「ですよね……。ほら、アクア。管理人さんが言っているんだし、ここは専門家に任せて俺たちは帰るぞ。アルカンレティアには戻れないから今日はどっかで野宿して、調査結果を聞いてから改めて行動したほうが良い」

 

いつの間にか大人しくなったアクアから手を離し、カズマは来た道を指差して下山を促す。

アクアは今も自分たちを睨む男をじっと見詰めると、おもむろに口を開いた。

 

「ねぇ、あんた誰?」

 

「誰って……聞いてなかったのか? さっき管理人だって……」

 

「管理人って、口髭を蓄えた頭の禿げ上がっているおじいさんよ? 私、昨日会ったわ」

 

アクアの言葉を聞いて、源泉を後にしようとしていた面々は足を止めた。踵を返すと、不思議そうな目で管理人を名乗る男を見つめる。

 

「……すみません、言い方が悪かったですね。私は具合が悪くなった管理人の代わりに、源泉の調査を頼まれまして」

 

「待ってください。入り口にいた門番は『管理人のおじいさんが誰もここを通すな』と言って源泉の調査に向かったと言ってましたよ。本当に管理人は具合が悪いんですか?」

 

管理人の代理で来た。という男にめぐみんが即座に矛盾点を指摘する。カズマ達の視線が疑問混じりの眼差しになった。

 

「……ええと、そうです。私は管理人と一緒に来たのですが、その……途中でおじいさんの具合が悪くなりまして。それで私に調査を任せて先に下山を」

 

「それはおかしい、入り口からここまでは一本道だ。もし管理人が途中で引き返したのなら、私たちと会っているはずだ。ここに来るまで誰とも会わなかったぞ」

 

どこか焦っている様子の男は、額に薄らと冷や汗を浮かべながら、たどたどしい口調で説明する。

それに対してダクネスが間髪入れずに反論し、男は大きく肩を震わせた。カズマ達の目がいよいよ不審者を見るそれとなる。

 

「ええと……その……。あ、ああそうだ! もしかしたら管理人は具合が悪いから、道を外れたのかもしれません! こんな寒い季節に遭難でもしたら大変だ。すぐにでも探しに」

 

「お前、人間じゃないだろ」

 

言い終える前に、千翼の鋭い声が遮る。男の顔が驚愕に染まり、肩が竦み上がった。

 

「チヒロ、それって本当なの?」

 

アクアの言葉に、千翼は男から目を離さず頷く。

 

「間違いない。一目見たときからこいつは人間じゃ無いって直ぐに分かった。最初は何か事情があるかと思ったけど、さっきからいい加減なことばかり言って怪しすぎる」

 

初めてウィズに会ったとき、彼女の正体を一目で見抜いた千翼は確信を持って断言した。カズマ達は静かに各々の得物に手を掛ける。

 

「さ、さっきから一体何なんですか、あなた達は! 立ち入り禁止の場所に勝手に入ってきたかと思えば、次から次へと言いがかりを! これ以上居座るつもりなら通報――」

 

「遅れてすみませーん!」

 

怪しい男が苦し紛れに通報をちらつかせると、一触即発の緊迫した空気に似つかわしくない和やかな声が響く。

カズマ達と男が声のした方を見れば、息を切らしながらウィズが山道を走ってきた。

 

「もしかしたらと思って源泉と動物の死骸を調べていたんですが、私の思った通りでした! 恐らく汚染の原因は――」

 

ウィズと目が合った男は、慌てて顔を逸らした。そして先程よりも更に焦った口調でカズマ達に立ち去るよう命ずる。

 

「と、とにかく!! さっさと立ち去ってください!! これ以上何か言うなら――」

 

「あー!」

 

男の姿を見たウィズは口を押さえながら指を差した。男の肩が今までで一番大きく跳ね上がる。

 

「ハンスさん、ハンスさんじゃないですか! やっぱり貴方だったんですね!」

 

まるで旧知の仲のように、自称管理人の男の名前を親しげに口にする。

 

「ウィズ、知り合いなのか?」

 

「はい、あの人は私と同じ魔王軍の方でして。デッドリーポイズンスライムのハンスさんです。久しぶりですね、最後にあったのは魔王城以来でしょうか?」

 

カズマの質問にウィズは嬉々として答える。『魔王軍』という聞き捨てならない言葉に、五人は一斉に身構えた。

 

「はぁー……そうだよ、俺は魔王軍幹部のハンスだ」

 

他ならぬウィズが言ったため、男――ハンスは諦めたように白状する。先程までの丁寧な口調と打って変わって、本来の喋り方であろう乱暴な言葉遣いになった。

 

「ったく、あとちょっとで汚染が終わったってのに……。おいウィズ、俺とお前との間には『戦闘に携わる者以外に手を出さない限り、お互い干渉しない』って取り決めがあるだろうが。ここは俺の正体に気が付いても、空気を読んで黙っているのが筋ってもんだろ。そんなんだからバニルからポンコツだの能無しだの言われんだよ」

 

「ひ、酷い! ハンスさんまでそんなこと言うんですか!?」

 

最近入った新人店員だけでなく、旧知の仲の者からも見下されたウィズは涙を浮かべた。

 

「さて、計画はバレちまった訳だが……どうする?」

 

「どうするだって? そんなの決まってんだろ」

 

カズマの言葉を口火に、パーティーメンバーは持っていた荷物を投げ捨て、各々の得物を構えた。

アクアは花を象った杖の石突を勢いよく地面に打ち付け。

めぐみんは紅い宝玉がはめ込まれた杖を天に掲げ。

ダクネスは大剣を両手で握り締め、切っ先をハンスに向ける。

千翼はアマゾンズドライバーを腰に巻いて、インジェクターをセットした。

 

「今宵の刃は、血に飢えている――」

 

カズマは腰に佩(は)いた刀の柄を握り、ゆっくりと鞘から引き抜いた。静かな音と共に鯉口から、鏡のように磨き上げられた刀身が闇夜と星を映しながら姿を現す。

血払いをするように横一文字に振るうと、鍛えられた刃が大気を鋭く斬り裂いた。ゆっくりと左手で柄を握ると、切っ先をハンスに向けてゆらりと構える。

 

「行くぜ、相棒――」

 

「ちゅんちゅん丸です。ちゃんと名前で呼んでください」

 

「だーもー!! 人が格好良く決めているときにその名前を呼ぶんじゃねぇ!!」

 

何とも気の抜ける名前を口にしためぐみんに、カズマは愛刀――ちゅんちゅん丸を振り回しながら叫んだ。

カズマが冒険者として駆け出したときから使っていたショートソードに代わる新たな武器。アクセルの鍛冶屋に頼んで、賞金と自分が知りうる限りの知識をつぎ込んで作ってもらった特注品――日本刀。

男なら誰しもが憧れるであろう武器を手に入れたカズマは、それは喜んだ。そしてこれから苦楽をともにする相棒の名前は何にしようかと、あれやこれやと悩んでいる内に、めぐみんが銘を刻む札を勝手に刀に貼り付けてしまった。

『ちゅんちゅん丸』という名前を書いて。

 

「まぁ、ともかく。どうやら魔王軍は相当な人手不足らしいな。まさかスライムが幹部だなんて」

 

「あぁ?」

 

明らかに自分を侮っているカズマを、ハンスは鋭く睨み付けた。

 

「こいつの初陣がスライムなのは残念だが、一応は魔王軍の幹部。そこは我慢すると……」

 

「ねぇ、カズマ。まさかとは思うけどスライムに勝てると思ってるの? 弱っちぃくせに」

 

「俺だってレベルアップして強くなってるっつーの! つか、どんだけ俺が弱いと思ってんだよ!」

 

めぐみんの余計な一言で台無しになった空気を仕切り直そうと、かっこ付けてちゅんちゅん丸を振っていたカズマにアクアが水を差す。

 

「スライムって言ったらあれだろ。主人公が一番始めに戦う、経験値とお金が一しかもらえない雑魚モンスターの代表格。デッドリーポイズンなんて大層な名前が付いてるけど、毒なんてアークプリーストのお前が居れば……」

 

「一体どこの世界の話をしているんですか? スライムは時にベテラン冒険者さえ仕留める強敵ですよ」

 

「……マジで?」

 

めぐみんが黙って頷いた。

 

「スライムは体が液状だから、物理攻撃は殆ど通用しない。それに体に纏わり付かれたら引き剥がすのは極めて困難だ。そのまま顔を覆われて窒息死、なんてよくある話だぞ」

 

「……マジで?」

 

ダクネスが黙って頷いた。

 

「カズマさん、ハンスさんはデッドリーポイズンスライムの変異種で、極めて強力な毒を持っています! 剣だろうと鎧だろうとあっという間に溶かすことが出来ますし、体に触れようものならそこが一瞬で腐り落ちてしまいます! 触られたら即死だと思ってください!」

 

「……マジで?」

 

ウィズが黙って頷いた。

 

「カズマ、さすがの私でも跡形もなく溶かされたら蘇生は出来ないわよ。あいつに喰われたら、その時は潔く諦めてちょうだい!」

 

「……マジで?」

 

アクアが黙って頷いた。

 

「カズマ、悪いけど俺は物理攻撃しか出来ない。確かカズマは魔法が使えたよね? 申し訳ないけど攻撃は任せた!」

 

「……マジで?」

 

千翼が黙って頷いた。

まるで錆び付いた機械のように、カズマは首を軋ませながら改めてハンスを見た。毒々しい色の煙を吐きながら拳を鳴らし、カズマを睨んでいる。

 

「で、やんのか?」

 

「すみません、見逃してください」

 

刀を素早く鞘に収め柄をハンスに、刃を自分に向けて右脇に置き。カズマは両膝と両手を地面に付いて深々と頭を垂れた。

感心するほど美しい土下座を披露したカズマに、一同は押し黙る。

 

「ちょっとカズマ! さっきまでの勢いはどうしたのよ!」

 

「うるせー! 俺みたいなへっぽこ冒険者が、触っただけで死ぬような猛毒スライムに勝てるわけないだろ!!」

 

余りにも情けなさ過ぎる絶叫に、千翼達は顔を引き攣らせた。

 

「そうそう、わかってるじゃねぇか。管理人のジジイみたいに下手に抵抗せず、勝てないと分かったなら逃げるのが賢い人間ってもんだ」

 

「あれ……そういえば管理人のおじいさんは? ここに来ているはずですが」

 

めぐみんは未だに姿を見ていない管理人を探して、キョロキョロと辺りを見回す。門番は『管理人が誰も通すなと言って、源泉へ向かった』と言ってたので、ここへ来ていることは間違いないはずである。

 

「それは俺の擬態だ。なんたって俺はスライム、その気になれば種族、年齢、性別を問わずどんな姿にだって擬態することができる。それを使って門番を騙したんだよ」

 

「なるほど。ということは管理人のおじいさんは無事――」

 

「ああ、それなら俺が喰ったぞ」

 

事もなげに言ったハンスの一言に、カズマ達が固まる。空気の温度が数度下がったような気がした。

 

「お前……いま、なんて……」

 

「だから、管理人のジジイなら俺が喰ったぞ。さっき何でも擬態できるといったが、それには相手を喰って情報を取り込む必要がある。しかし、やっぱ老人ってのは食い出がねぇんだよなぁ。小腹も満たせねぇ」

 

そう言いながら、ハンスは不満げに腹を擦る。

――きっと何かの聞き間違いだ。頼むからそうであってくれ。

微かな希望に賭けてカズマはハンスに尋ねたが、それはあっさりと打ち砕かれた。

 

「ともかく、俺とやり合う気が無いならさっさと失せろ。俺はこの源泉を潰したら晴れてあの街からオサラバできるんだ。邪魔しないんだったら見逃してやっても――」

 

「あああああぁぁぁぁぁ!!」

 

カズマ達の背後で赤い爆炎が噴き上がった。人型の紅蓮の炎は雄叫びを上げながらカズマ達の間を通り過ぎ、ハンスへと突撃する。

 

『BLADE LOADING』

 

人型の右腕から長剣が生えた。そして炎の中から青い装甲を纏ったアマゾンネオが姿を現し、助走の勢いを乗せて大上段から思い切り刃を振り下ろす。

凄まじい殺意が込められた突然の攻撃に、驚いたハンスは冷や汗を垂らしながら思わずその一撃を躱した。

 

「お前えぇ!! お前えええぇぇぇ!!」

 

「な、なんだいきなり!」

 

ネオの怒声と迫力に気圧され、ハンスは次々と襲いかかってくる白刃を必死に避ける。

 

「人を!! 人を喰ったなぁ!!」

 

「それがどうした! 俺はスライム、喰うことが本能だ!」

 

何度目かになる攻撃をハンスは避けようとしなかった。冷静さを取り戻したのか、先程までとは違いその顔には余裕の笑みが浮かんでいる。

ハンスの左肩を長剣が捉えた。そのまま並外れた膂力で刃が押し込まれ、袈裟斬りに男の体を――斬り裂けなかった。

 

「!?」

 

手応えに違和感を感じたネオは、本能的に飛び退く。ハンスから十分な距離を取って着地したところで、右手のブレードを見た。白銀の刃は中程から刀身が溶けて無くなっていた。

 

「言っただろ、俺はデッドリーポイズンスライム。取り込んだ物は人だろうが金属だろうが、あっという間に溶かして吸収できる!」

 

ハンスの左肩に銀色の刃が突き刺さっていた。しかし、血は一滴も流れず、ハンス本人も痛みを感じている様子は全くない。

カズマ達が驚きで目を見開いていると、刃はあっという間に跡形もなく溶かされ取り込まれた。

 

「先に手を出したのはそっちだからな、もう容赦しねぇ。一人残らず喰って――」

 

「カースド・クリスタルプリズン!」

 

カズマ達の後ろから冷たい女性の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、ハンスの左腕が巨大な氷塊に飲み込まれた。

 

「管理人さんを食べた? ハンスさん、あなた、自分が何をしたのか理解していますか?」

 

女性――ウィズが一歩踏み出すと。足の周りの地面が凍り付く。ハンスは何とか腕を引き抜こうと必死に藻掻いていた。

 

「冒険者の方々はモンスターを狩ることで生計を立てています。だからこそ、同時に自分が狩られる覚悟も持つべきです」

 

ウィズが反対の足を踏み出す。先程よりも広範囲の地面が凍り付いた。普段の柔和な雰囲気は完全に消え去り、心理的にも物理的にも背筋が凍るような声で喋るウィズに、カズマ達は震えが止まらない。

 

「騎士の人たちも、税を取る代わりに戦えない人々に代わって、彼らの生活を守っています。それが彼らの仕事であり使命ですから」

 

徐々にウィズの纏う冷気が勢いを増してゆき、彼女の周りを氷の粉が舞い踊る。ウィズはゆっくりと、ハンスに向かって手の平を向けた。

 

「ですが、管理人さんは明らかに無関係な人です。そしてハンスさん、あなたはその無関係な人間を食べた!」

 

「ま、待てウィズ! ジジイを喰ったのは計画を進める上で仕方なかったんだ! あれは必要な犠牲であって――」

 

「言い訳は聞きません。さようなら、ハンスさん。ちゃんとあの世で管理人さんに謝ってください」

 

ウィズの手に魔力と冷気が集まってゆく。このまま行けば、十分に収束させた魔力が絶対零度の一撃となってハンスに襲いかかり、愚かにも氷の魔女の逆鱗に触れた男は粉々に砕け散るだろう。

 

「カースド・クリスタル――」

 

――悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!

 

身動きの取れないハンスへ止めの一撃を放とうとしたウィズは、遠くから木霊する声に思わず魔法の詠唱を止めた。

 

「おい、この声ってまさか……」

 

頼むから幻聴であってくれ。祈りながらカズマ達がゆっくりと後ろを向くと、彼らが歩いてきた山道を何本もの松明が照らしていた。

 

『悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!』

 

そして、アクシズ教徒達が物騒なスローガンを繰り返し唱えながら、徐々に近付いてくる。

 

「アクシズ教の連中、こんな所まで来やがったのか!」

 

「丁度良いわね、源泉を汚した犯人を今から処刑するところだったし、これを見たら私への疑いがようやく晴れるわ!」

 

恐ろしい執念を見せつけるアクシズ教徒達にカズマは顔を青ざめ、アクアはこれでようやく自分の無実が証明できると喜んでいた。

 

「いたぞ! やっぱり源泉を狙ってやがった!!」

 

「待って! 今回の騒ぎの犯人は私じゃなくてあいつなの! あいつは魔王軍の幹部で――」

 

「この期に及んでまだ嘘を言うのかー!」

 

アクアが何とかしてアクシズ教徒達を落ち着かせようとするが、彼女が何か言う度に信者達はヒートアップし、逆にますます状況が悪くなる。このままではマズいと、カズマ達も説得に加わった。

そして、ハンスはこの隙を逃さなかった。右手を振り上げて凍り付いた左腕に手刀を振り下ろす。肘が砕け散った。

 

「もう終わりだ! ここに居る奴ら全員喰ってやる!」

 

ハンスの失われた左腕から毒々しい色の液体が溢れ出し、徐々に人の形が失われてゆく。

 

「しまった!」

 

ウィズが再び魔力を収束させて魔法を放とうとするが、遅かった。ハンスは人としての形を完全に失い、黒や紫の入り交じった粘液と化す。

 

「こ、これは……」

 

「あの嬢ちゃんの言ってたことは本当だったのか!」

 

目の前で男がスライムに変貌する一部始終を見たアクシズ教徒達は、驚きでざわめいた。

 

「ね! 私の言ったとおりでしょ!」

 

「危ないからこっち来い!」

 

信者達に自慢げに胸を張るアクアの首根っこを掴み、カズマは迫り来るスライムの粘液から、彼女を無理矢理引き離した。

地面を侵食しながら無秩序に広がろうとしていた液体は、突如として巻き戻し映像のように一箇所に集まり始める。それだけでなく、まるで元の質量を無視するかのように徐々に大きくなり始めた。

大人の目線の高さほどだったものが、段々と見上げるほどになり、ついには首を真上に向けても天辺が見えないほどに巨大化する。

 

「おお、なんと大きなスライムだ! 毒さえ無ければ連れ帰って私のペットにしたいのに、実に惜しい!」

 

「ちょ、ちょっと大きすぎませんか……?」

 

「ね、ねぇウィズ。あいつってあんなに巨大なスライムなの?」

 

「いえ、これはどう見てもおかしいです! ハンスさんはここまで大きいはずでは……」

 

「まだ大きくなるのか……?」

 

ふと、カズマは上を向いていた視線を下に向ける。そこで見た物は、スライムの下の部分がどっぷりと源泉に浸かっており、湧き上がる湯を片っ端から吸い上げていた。

 

「あいつ、源泉を吸って水膨れしてやがる!」

 

異常なまでの巨大化の原因がわかり、カズマは叫んだ。このままではハンスは際限なく大きくなり、アルカンレティアを直接襲ってもおかしくない。一刻も早く事態を解決させるために、ウィズに向き直る。

 

「ウィズ、さっきみたいにハンスを凍らせてくれ!」

 

「す、すみません。流石にあの大きさとなると、私でも……」

 

「じゃあ、めぐみんの爆裂魔法であいつを!」

 

「やめてー! そんなことしたらスライムが飛び散って辺り一帯が汚染されちゃう!」

 

「ああ、もう! どうすりゃいいんだよ!!」

 

頼みの綱であるウィズでも手に余り、ならばここは最大火力を誇るめぐみんの出番だとカズマは叫ぶが、二次被害を懸念したアクアによって却下された。打つ手が無くなったカズマは頭を抱えて叫ぶ。すると、ウィズが恐る恐る手を挙げた。

 

「あ、あの……一つだけ、ハンスさんを倒せるかもしれない方法があります」

 

「あるのか!? どんな方法なんだ?」

 

「外側ではなく内側からハンスさんを凍らせれば、倒せるかもしれません!」

 

ウィズの提案したハンスを倒せる方法を聞いて、カズマ達は一瞬理解が追い付かなかった。一拍の間を置いてようやっと脳が彼女の発言を理解し、今度は寸頓狂な声を上げる。

 

「内側って……あの猛毒スライムの中からか!? そんな手段は俺たちには無いぞ!?」

 

「武器に冷気を纏わせる魔法があります。それで内部を攻撃して、中から凍らせることが出来れば!」

 

「なるほど、じゃあ俺の弓矢にそれを使ってくれ! そのまま狙撃スキルで奴をぶち抜けば!」

 

「カズマ、いくらなんでもそれは無理です! あのスライムの猛毒を見たでしょう? 矢を放った所で、凍らせる前に溶かされるのがオチですよ!」

 

「それと……言いそびれたんですが、あのサイズのハンスさんを凍らせるとなると、魔力が全然足りなくて……」

 

「やっぱり八方塞がりじゃねぇか!」

 

一筋の光明を見出したカズマであったが、それはあっさりと消え失せた。再び絶望的な状況に陥り、頭を抱えて叫ぶ。

 

「俺がやる」

 

しかし、希望はまだ残されていた。

 

「俺のブレードに魔法をかけて、あいつの体をぶち抜くんだ。そうすれば奴を倒せるはずだ」

 

触れただけで死に至らしめるような猛毒スライムを貫く。そんな危険極まりない役目を買って出たのは、千翼だった。

 

「ぶち抜くって……まさか、あのスライムに飛び込むつもりですか!?」

 

「無茶だ! いくら何でも無謀すぎる!」

 

「チヒロ、さっき言ったでしょ! 跡形も無く溶かされたら流石に蘇生できないわ!」

 

成功する保証など全く存在しない、文字通り命懸けの提案に三人娘が声を張り上げる。

 

「でも、これ以外に方法があるのか?」

 

千翼のもっともな言い分に、三人はそれ以上言い返すことが出来ず、唇を噛んで押し黙る。それを黙って見ていたカズマは、千翼を見据えると覚悟の程を確かめるように問い掛けた。

 

「頼めるか? 失敗したら間違いなく死ぬぞ?」

 

千翼は、黙って大きく頷いた。

 

「分かった……。だったら、俺たちも出来る限りのサポートはするぜ!」

 

その様子を見たカズマは、自らも覚悟を決めると不敵に笑った。

 

「攻撃手段は出来た。次の問題は魔力だ。ウィズ、具体的にどれくらい必要なんだ?」

 

「ハンスさんを確実に凍らせるためには、それこそ私の全魔力を使わないと……。めぐみんさん四、五人分は必要です」

 

「要するに、全然足りないってことですね……」

 

「魔力……魔力……」

 

ウィズの「魔力が足りない」という言葉を聞いて、何か思い当たる節があるのかカズマはブツブツと呟く。やがて、その『何か』を思い出して手の平に拳を打ち付けた。

 

「そうだ、あれがあった!」

 

急いで投げ捨てた自分の鞄を漁り、中身を次から次へと外に放り出すと、何かを掴んでカズマは歓喜の声を上げる。

 

「あったぁ!!」

 

掴んだ物を頭上に掲げた。それは、ラベルが大きく破れたドリンクの瓶だった。

 

「あれ、それは私が先日仕入れた栄養ドリンク……」

 

「バニルから効果は聞いてる。これで魔力の問題は解決だ! ウィズ、早くこれを飲むんだ!」

 

カズマの持つそれは、旅行に出発する前に仮面の悪魔(バニル)からタダでもらった『飲めば気力、体力、魔力が溢れんばかりに湧き上がってくるドリンク』であった。まさにこの状況を打開するに相応しいアイテムである。

しかし、ウィズは何故か申し訳なさそうな顔をしながら、眉の角度を下げた。

 

「すみません……そのドリンクを仕入れたとき、バニルさんが『お前もたまには客の気持ちになれ!』と言って私に無理矢理飲ませたのですが、リッチーになって体質が変化したせいか。殆ど効果が無くて……」

 

「アンタはまず自分で商品を試してから仕入れなさいよ!!」

 

「だ、だって。私はともかく、普通の人ならきっと欲しがると思って……」

 

これで問題を解決出来ると思ったカズマは口をきつく結んだ。本人に効果がないなら、残された手段はウィズを除いた五人の内の誰かにドリンクを飲ませ、それをウィズがドレインタッチで吸収するしかない。

ウィズ本人は先程言ったとおり効果がない。だからといって無限に等しい魔力を持つアクアは、リッチーである彼女と魔力の相性が最悪のため無論却下である。

では、アクアに次いで豊富な魔力をめぐみんなら――と考えたが、爆裂狂いの彼女の事だから、調子に乗って持て余した魔力を爆裂魔法を連発することで発散してもおかしくない。そんな事になれば裏山は跡形も無く吹き飛ぶであろう。その可能性を考慮して、彼女に飲ませるわけにはいかなかくなった。

残る千翼とダクネスだが、この二人は元々魔力のステータスが低い根っからの前衛型である。特に千翼に至っては魔力の数値がゼロ。仮にこの二人に飲ませた所で、小さな器に水が湧くのを一々待ちながらポンプで汲み上げるようなもの。余りにも効率が悪すぎる。

だとすれば、ウィズがドレインしても彼女にダメージが無く、余った魔力を暴走させる心配も無く。前衛二人よりも魔力のステータスを持つ人間が飲むしかなかった。それは即ち――

 

「ああクソっ! 結局こうなるのかよ!!」

 

カズマは瓶の蓋を開けると、口を付けて真上を向いた。そのまま喉を鳴らしながら一気に中身を飲み込んでゆく。

一滴残さず中身を飲み干したカズマは、瓶から口を離すと大きく息を吐いた。そしてなぜか、瓶を持つ手が震えていた。

 

「キタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキターーーーー!!!!!」

 

持っていた瓶が音を立てて握り潰された。耳や鼻から蒸気が勢いよく噴き出し、汽笛のような音が鳴り響く。少年の体が小刻みに震え、目が血走っていた。

 

「す、スゴイ! か、体中に力が(みなぎ)る! い、今ならすべてを滅ぼせそうな気がする!!」

 

「ね、ねぇ。あのドリンク本当に大丈夫だったの……?」

 

「だ、大丈夫です。少なくとも体が爆発するようなことはありませんから……」

 

呼吸をする度に鼻から蒸気が噴き出すカズマを見ながら、アクアとウィズが不安げに言葉を交わす。ぐるり、とカズマの首がウィズの方を向いた。小さな悲鳴を上げてリッチーが竦み上がる。

 

「ウィズ、ドレインタッチで俺から魔力を吸収してくれ! 時間が無いから俺もそっちに魔力を送る。遠慮はするな!」

 

「わ、わかりました!」

 

二人は互いの手を握ると「せーの!」の掛け声で同時にドレインタッチを発動させた。ウィズはカズマから魔力を吸収し、カズマはウィズへ魔力を送る。

凄まじい勢いでカズマから魔力が吸い取られていくが、それを上回るペースで体の底から新たな魔力が湧き出してくる。

 

「ウィズ……まだか……!」

 

「もう少し……もう少しです!」

 

それを聞いてカズマは唸り声を上げながら、先程よりも勢いを強めて魔力を彼女へと送る。対するウィズも歯を食いしばり、更にペースを上げて少年から魔力を吸い上げる。

常人ならばとうに気絶してもおかしくない程の魔力を吸われても、カズマはまだ意識を保っていた。一刻も早くウィズの魔力を満たすために、全身全霊を込めて送り続ける。

そして、ついにその時は訪れた。

 

「充填完了! 魔力満タンです!」

 

「よし、それじゃあ魔法を――」

 

「スライムが動き出したぞー!!」

 

アクシズ教徒の誰かが叫び、その場にいた全員の視線が途方もなく巨大になったスライムに集中する。十分大きくなったと判断したのか、巨大スライムの膨張はいつの間にか止まっていた。

源泉からゆっくりと離れると、地面を浸食しながら少しずつカズマ達とアクシズ教徒の集団がいる方へ近付いてくる。

 

「みんな、この源泉は俺たちの財産だ! 自分の物は自分で守るぞ!」

 

誰かが威勢良く叫ぶと、アクシズ教徒達はその声に応えるように『おー!!』と叫んで腕を突き上げる。

 

「このスライム野郎! これでも食らいやがれ!」

 

「アルカンレティアから出て行けー!」

 

アクシズ教徒の集団は、持っている物を片っ端から巨大スライム目掛けて投げ付けた。

石鹸、饅頭、鍋、箒――ありとあらゆる物が幾重もの放物線を描きながら、黒い球体に殺到する。投げられた物は命中するも、それらは全て瞬時に溶かされ、跡形も無く吸収された。

巨大な黒い球体から何本もの触手が伸び、それらはハンスに当たらず地面に落ちた饅頭や酒瓶に触れたと思うと、一瞬にして溶かして吸収される。

 

「ハンスの奴、食い物を優先してるのか?」

 

「さっき『小腹も満たせない』って言ってましたし。きっと空腹なんですよ」

 

あれだけの巨体なら、そのまま源泉に飛び込むだけで目的(汚染)が果たせるというのに、ハンスはそばにある源泉は無視して、地面に落ちている食べ物に夢中になっていた。それを見てカズマの頭脳に閃きが走る。

カズマは素早く周囲の状況を確認し、自分たちが取るべき行動を頭の中で思い描く。この場でやらなければならないことは全部で四つ。

一つ目は汚染された源泉の浄化。今こうしている間にも、ハンスによって汚された湯がアルカンレティアの各温泉へと供給されている。仮にハンスを倒せたとしても、街の温泉が全滅しては意味が無い。そうなったら本末転倒である。

二つ目はハンスを倒す場所の確保。あちこちに源泉が湧いており、更に大勢のアクシズ教徒がいるこの場では、下手に立ち回れば双方に被害を及ぼしかねない。それを避けるためにも、源泉からも信者達からも離れた場所にハンスを誘導する必要があった。

三つ目はアクシズ教徒達の安全確保。素直に逃げてくれれば苦労はないのだが、巷で『狂信者の集団』『魔王軍よりも質が悪い』『アクシズ狂徒』と呼ばれるだけのことはあり。誰一人として逃げようとせず、それどころか自分たちの源泉を守るために、今も巨大スライムに挑んでいる。

四つ目はハンスの撃破。これは頼みの綱である千翼とウィズの仕事である。この二人の内、どちらかが欠けていたら、あの巨大スライムを倒すことは叶わない。そのためにもそれまで二人は安全な場所にいてもらう必要がある。

それぞれの仕事に的確な人物は誰か。カズマは素早く役割分担を決めると、五人の方を向く。

 

「みんな、聞いてくれ! これからハンスを倒すための作戦を伝える!」

 

いつになく真剣な少年の声色に、五人も自然と顔と意識が引き締まる。

 

「アクアは汚染された源泉の浄化、めぐみんは爆裂魔法をあの地点にぶっ放して出来る限り大きなクレーターを作ってくれ、俺がそこにハンスを誘導する。ダクネスはアクシズ教徒達の護衛を頼む!」

 

「分かったわ! 浄化は私の十八番よ!」

 

「了解です! 特大の一撃をお見舞いしますよ!」

 

「任せろ! 壁役は私の専売特許だ!」

 

三人からの頼もしい返事を聞き、カズマは大きく頷く。

 

「千翼とウィズは一緒に安全な場所で待機して、俺がハンスをクレーターに誘い込んだら来てくれ。そしたらウィズは千翼のブレードに魔法をかけて――」

 

ここでカズマは言葉を句切り、千翼を見た。

 

「トドメは任せたぞ、千翼」

 

「分かった」

 

千翼は静かに、されど確かに頷いた。

カズマが拳を突き出すと、千翼はそれに自分の拳を突き合わせる。

 

「ようし、それじゃあ行動開始だ!」

 

六つの掛け声と、六本の腕が上がった。

 

 

 

 

 

持っていた物を投げ尽くしたアクシズ教徒達は、一旦ハンスから距離を取り、相手の出方を窺っていた。散発的に石や折れた枝などが投げ込まれるが、それらは黒い球体に触れると一瞬で溶けて消える。

スライムになったハンスは、信者達の攻撃を気にしている様子も無く、地面に落ちた食べ物を片っ端から触手で消化して取り込んでいた。本来の姿になって理性よりも本能が強くなったのか、源泉を汚すよりも腹を満たすことを優先していた。

 

「おい、ハンス!!」

 

食事に夢中になっているハンスに、誰かが大声で呼びかける。返事をするようにスライムの巨体が震えた。

 

「腹が減ってんだろ? 食い物ならいくらでもあるぜ!!」

 

そこには、はみ出すほどに食べ物が詰め込まれた鞄を体中に巻き付けた、カズマが立っていた。鞄の中から饅頭の箱と串焼きの入った袋を取り出すと、ハンスに見せびらかすように大きく振る。

すると、スライムから四方八方に伸ばされていた触手が全て引っ込み、粘液の巨体が音を立てながら少しずつカズマににじり寄ってくる。

 

「そら、こっちだ!!」

 

口の端で笑みを浮かべたカズマは、走り出した。

 

 

 

 

 

ハンスが先程まで湯を吸い上げていた源泉に片手を突っ込み、アクアは液体を浄化する魔法をひたすら唱え続けていた。

 

「ピュリフィケーション! ピュリフィケーション! ピュリフィ熱い熱い熱い!! で、でも、これも可愛い信者達のため!! 女神を舐めるんじゃないわよ!!」

 

あまりの熱さに苦悶の声を上げ、何度も手を引っ込めそうになるが、その度に反対の手で自分の腕を掴み、歯を食いしばって耐え続ける。

 

「あ、あの娘。汚れた源泉を浄化しようとしてるのか?」

 

「無茶だ嬢ちゃん! 手が大火傷するぞ!」

 

信者達の心配を余所に、アクアは煮えたぎる黒い源泉に手を入れて、必死に浄化魔法を唱え続けていた。

自分の体よりも源泉を優先する彼女の姿に、始めは呆気に取られていた信者達たちであったが、何も出来ない代わりにせめて応援だけでもと、アクアに向かって声援を送り始めた

 

「頑張って! 私たちも援護するわ!」

 

『ヒール!』

 

『ヒール!』

 

『ヒール!』

 

アクシズ教のプリ-スト達が少しでもアクアの浄化を助けようと、彼女に向かって一斉に回復魔法を唱える。

 

「みんなありがとう! 見てなさいあの薄汚いスライムめ! 女神を……アクシズ教を舐めるんじゃないわよ!!」

 

アクアは手を更に沈ませ、先程よりも力強く魔法を唱えた。

 

 

 

 

 

ハンスはカズマの後をひたすら追いかけ回していた。しかし、ドリンクによって強化されたカズマの体力と気力。ハンス自身も巨大になりすぎた故に動きが鈍く、オマケに小回りが効かないため両者の距離は一向に埋まらなかった。

何時まで経っても獲物に追いつけない状況に苛立ったか、巨大スライムが怒ったように体を激しく震わせた。振動に合わせてスライムの飛沫が飛び散り、雨のように辺り一面に降り注ぐ。

 

「スライムが飛んでくるぞー! 物陰に隠れろ!!」

 

降ってくる猛毒の雨を見た信者が叫び、それを聞いた周りの人間は急いで大岩や木の陰に逃げ込む。

その時、母親に手を引かれて岩陰に隠れようとした幼い少女が躓いた。膝を怪我したのか、両手で自分の片膝を押さえて目に涙を浮かべている。

母親が急いで立ち上がらせようとするが、飛び散るスライムの一つが、親子目掛けて落下してきた。

 

「危ない!!」

 

間一髪の所でダクネスが母子を庇うように抱きしめる。スライムはダクネスの背中に直撃し、頑丈な鎧が煙を上げながら溶かされる。

 

「ぐうぅ!」

 

「おねえちゃん!」「冒険者さん!」

 

「大丈夫……私はクルセイダー……これしきのこと……」

 

苦痛に顔を歪ませ、額から汗を垂らしながらも、ダクネスは二人を安心させるために努めて笑みを浮かべる。

ダクネスは一先ずスライムの雨が止んだ事を確認すると手を離し、岩陰を指差した。

 

「さぁ、早く。ここは危険だ」

 

「うん! おねえちゃん、頑張って!」

 

「ありがとうございます!」

 

返事の代わりにダクネスはサムズアップを送る。親子が岩陰に隠れたことを確認すると、大剣を引き抜き、やってくる雨の第二波を睨んだ。

 

「私はクルセイダー。人々の壁となり盾となる者!」

 

白銀の大剣が閃き、猛毒の飛沫を打ち払った。

 

 

 

 

 

「私の爆裂魔法は世界最強、砕けぬ物などこの世に存在しない……」

 

大岩の上に登っためぐみんはカズマから指定された場所を視界の中央に捉え、意識を集中させて歌うように魔法の詠唱を始めた。掲げた杖の先端に魔力が渦を巻きながら集まってゆく。

杖にはめ込まれた紅玉が燃え盛るように輝きを放ち、暗闇を紅く照らす。めぐみんは目標地点を鋭く睨むと、極限まで収束させた魔力を解き放った。

 

「エクスプロージョン!!」

 

星空に少女の叫びが木霊し、次いで闇夜を取り払う紅蓮の大爆発が巻き起こった。山脈を震わせる爆発音が天高く鳴り響く。

天を衝くほどの爆炎が収まった後には、山肌が大きく削り取られ、円形の巨大なクレーターが出来ていた。

 

「あとは頼みましたよ……」

 

自身の仕事をやり遂げた少女は、へなへなとその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「ナイスめぐみん! そらそらこっちだ!」

 

計画通りクレーターが出来上がり、役割を完璧にこなした少女へカズマが逃げながら称賛を送る。

今までぐるぐると円を描くように逃げ続けていたが、ここで急激に進路を変更し、出来上がったばかりのクレーター目指して全速力で走り出す。

クレーターの縁が目前に迫ると、一瞬だけ後ろを見た。予想通りそこには毒々しい色の巨大スライムが真っ直ぐ自分を追ってきている。カズマがほくそ笑んだ。

よし。と気合いを入れると、カズマは臆すること無くクレーターの中へ跳び込んだ。

 

「うわっととっ!!」

 

危うく斜面で転びそうになるが、なんとか体勢を立て直して滑り落ちてゆく。

背後から嫌な気配を感じ後ろを振り返ると、カズマを追っていたハンスが斜面を転がり落ちてきた。

 

「よしよし、この調子だ!」

 

体を何度も捻りながらバランスを取り、斜面を下ってゆく。いよいよ斜面の終わりが近付いてくると、カズマは一際大きく跳躍した。

あとはこのまま勢いに乗ってクレーターの中心まで走り、荷物を捨てる。そうすればハンスは食べ物に釣られ、しばらくは動かないだろう。そこから先は千翼とウィズの仕事だ。

空中で体勢を整え、着地に備える。右足の裏に固い感触を感じると――

 

「どわっ!」

 

着地の衝撃で暴れ回る大量の食料によってバランスを崩し、派手に転んだ。

鞄の中身をばら撒きながら二度三度と転がり、回転が終わる頃には鈍い痛みで全身が軋んでいた。

目眩で揺れる頭を押さえながら立ち上がると、何かが近付いてくる音が耳に届く。反射的にそちらを向くと、触れれば即死の粘液の塊が目前に迫っていた。

 

「っぶねぇ!!」

 

間一髪の所で横に跳ぶと、すぐさま黒い粘液の濁流が通り過ぎていった。余りにも巨大化しすぎたせいで自分でもコントロールが効かないのか、ハンスはそのまま滑るように転がってゆく。

謀らずともクレーターの中心で勢いが収まり、巨大スライムはようやく停止した。計画はいよいよ最終段階へと移行する。

 

「カズマ!」

 

「カズマさん!」

 

自分の呼ぶ声に振り返ると、ウィズを抱きかかえたネオが斜面を滑り落ちてくる。カズマの傍で急停止すると、ウィズをそっと降ろした。

 

「二人とも、頼む!」

 

「はい! チヒロさん!!」

 

千翼がその声に応えて頷き、ベルトのインジェクターを叩く。

 

『BLADE LOADING』

 

ネオの右手首の装甲が僅かに開き、その隙間から赤熱した刃が生えてきた。新たな剣が完成すると、それをウィズの前に差し出す。

銀色の刃に両手をかざすとウィズは意識を集中させ、冷気を含んだ魔力を手の平に集めてゆく。やがて彼女の手の中に、青い魔力の球が出来上がった。

 

「エンチャント・フリーズ!」

 

ウィズが叫ぶと魔力の球は一本の紐のような形になり、螺旋を描きながらブレードの周りを漂う。

徐々に白銀の刀身に霜が下りてゆき、魔力の紐が消える頃には、水蒸気の白煙が溢れ出すほどの冷気を刃は纏っていた。

魔法をかけ終えたウィズは崩れるように座り込み、貪るように呼吸をする。

 

「っ……」

 

「ウィズ!」「ウィズさん!」

 

「だ、大丈夫です、魔力を使い過ぎただけですから……。それよりも、ハンスさんを!」

 

ウィズが指差す先には、自分たちを食らおうと少しずつ近付いてくる巨大なスライムの姿が。

アマゾンネオは一度ブレードを振り、ハンスを見据える。深く呼吸し大きく息を吐き出すと、青い異形の戦士は巨大な猛毒スライムに向かって猛然と駆け出した。

スライムの化け物に臆さず立ち向かってゆく仲間の背中を見て、カズマの脳裏を悪魔(バニル)の言葉が過る。

 

――本当に仲間だと思っているなら、信じてやれ。

 

違う。あの悪魔が言ったから信じるのではない。共に暮らし、肩を並べて戦い、いつも直ぐそばで千翼を――『千翼という人間』をカズマは見てきた。

 

「いけ……」

 

自然と口から言葉が漏れる。

教会の懺悔室で千翼の過去を聞いたときは、告げられた真実を受け入れることが出来ず、彼に恐怖心を抱いてしまった。だが、いま思えばなんと馬鹿馬鹿しいことをしていたのだろう。

あれだけ一緒にいた仲間を信じることができず、疑ってしまった情け無い自分に、カズマは腹が立った。

 

向かってくる異形の戦士に何かを感じたのか、巨大スライムは体を震わせ、アマゾンネオ目掛けてスライムの飛沫を降らせる。

 

「いけ……!」

 

千翼が衝動の赴くままに人を喰らうような化け物だったなら、自分たちはとっくに喰われているはずだ。だが、今もこうして誰一人として欠けることなく自分たちはここにいる。

死んでもおかしくないような目に何度も遇ってきたが、その度に窮地を救ってくれたのが千翼だった。しかしその裏で、彼は人知れず自分の中で暴れる本能に抗い続けていた。

食欲という生きていく上で決して押さえることが出来ない本能。それを押さえ込むというのは、想像を絶する苦痛であっただろう。その苦しみを誰にも話せず、話すこともなく千翼は耐えていた。

 

異形の戦士が冷気を纏った剣を振るうと、刃に触れたスライムの飛沫は一瞬で凍り付き、砕け散る。

 

「いけ!」

 

たとえ前世で周りの人間から畏怖と嫌悪を向けられ、人であることを否定されても。千翼は人間という存在を決して憎まなかった。

それどころか、自分の力で誰かを助けられるならと。余りにも重すぎる十字架と本能を背負い、今にも押し潰されそうになりながらも。見知らぬ誰かを救おうとした。

 

「いっけえええぇぇぇ!!」

 

それは、まさしくヒーロー(仮面ライダー)の姿であった。

 

「うおおおぉぉぉ!!」

 

雄叫びを上げながら地面を全力で蹴り、右手を突き出してアマゾンネオは前に跳んだ。

降り注ぐスライムの一部は切っ先に触れた瞬間に凍り付き、刃に貫かれ粉々に砕け散ってゆく。星々と月の光を受けて煌めく氷の粒を纏いながら、青い刃となって一直線にハンスへと飛翔する。

迫り来る絶対零度の刃を飲み込まんとスライムが大口を開け、巨大な空洞が産まれた。その中へネオが跳び込むと同時に口が閉じられる。

刹那、巨大スライムは凍り付き、氷塊へと姿を変えた。その中から何かが跳び出すと、氷の山は音を立てて崩れ落ちた。

中から跳び出したアマゾンネオは砕けた氷山を背に、右手のブレードを突き出した姿勢で動きを止めていた。その切っ先は紫色のクラゲ――ハンスの眉間を貫いていた。

 

「クソ……あと……少しって……ところで……」

 

それが魔王軍幹部の最期の言葉だった。

ハンスは一瞬にして氷に覆われ、皹が走ったかと思うと氷ごと粉々に砕け散る。しばしの間を置いてからネオはゆっくりと姿勢を戻すと、血払いをするように刃を左右に振る。

星と月明かりの中で佇むその姿は、まるで神話の一幕のようであった。

 

「終わった……な……」

 

「終わり……ましたね……」

 

ハンスを倒したことを確信したカズマとウィズは、思い出したように呟く。ここに来てとうとう張り詰めていた緊張の糸が切れたカズマは、ウィズの隣で尻餅をついた。

両手を後ろに回して上半身を支え、黒い空を見上げて盛大に溜息を吐く。思う存分気を緩めていると、何やら背後が騒がしい。

首を回して振り返ると、クレーターの縁にアクア、ダクネスに背負われためぐみん。そしてアクシズ教徒達が集まっていた。

 

「見たか……?」

 

「ああ……あんな大きなスライムを一撃で……」

 

どうやら一部始終を見ていたらしく、信者達は誰も彼もが信じられない様子で、静かに佇むアマゾンネオを見ていた。

 

「御使いさまだ……」

 

群衆の中で誰かが呟いた。

 

「ああ、御使いさまに違いない……」

 

「あの神々しくも勇ましい青の鎧……アクア様が我々の危機を感じ取り、あの御使いさまを遣わしてくださったに違いない……!」

 

困惑の眼差しは徐々に崇拝へと変わってゆき。それに合わせてざわめきも大きくなってゆく。

 

「御使いさま、ばんざーい!」

 

感極まった信者の一人が、涙を流しながら両手を天に挙げる。

 

「御使いさま、ばんざーい!」

 

「御使いさま、ばんざーい!」

 

一つ万歳をするごとにその声は増え、やがて夜空を震わせるほどのアクシズ教徒達による万歳の大合唱となった。

 

『御使いさま、ばんざーい!!』

 

『御使いさま、ばんざーい!!』

 

『御使いさま、ばんざーい!!』

 

 

◆◆◆

 

 

その後、アルカンレティアは大騒ぎになった。

汚染の原因が本当に魔王軍の仕業だったこと加え、間一髪のところでアクアの蘇生が間に合い、現世に帰ってきたハンスに捕食された管理人の証言。そして事件の犯人であるハンスをアクシズ教徒達の目の前で討伐した千翼は、信者達から『女神アクアが下界に遣わした御使い』として崇められていた。

『御使いが魔王軍幹部を倒し、アルカンレティアの危機を救った』という話はあっという間に街中に広まり、アルカンレティアを救った英雄を祝い、讃えるための大規模な祝賀会が突発的に開かれ、街全体がお祭り騒ぎとなった。

 

「どうしてよー!! なんで私じゃなくてチヒロがちやほやされてるのよー!! んぐっんぐっ……ぷはぁー!」

 

会場として選ばれ、飲めや歌えやの大騒ぎとなっているアクシズ教の教会。その中でアクアは泣きながらジョッキを呷り、中身を一気に飲み干した。

 

「まぁまぁ嬢ちゃん、そんなに泣くなって。ほら、今日は思う存分飲んで嫌なことは忘れようぜ?」

 

「どんな手品を使ったか分からないけど、汚れた源泉を聖水が湧き出る源泉に変えちまうなんて、あんた一体何者だ? まぁ、聖水温泉って新たな観光の目玉が出来たし、感謝してるよ!」

 

アルコールと涙で顔を真っ赤にしたアクアを慰めながら、隣に座る男が空になった彼女のジョッキに新たな酒を注ぐ。

 

「私が、私こそが女神なのにー!! んぐっんぐっ……かぁー! もう一杯!」

 

彼女曰く、目に入れても痛くない程に愛らしい信者達は、自分こそアクシズ教徒が信仰する女神であるアクアその人であるのに、それは酔っ払いの戯れ言として片付けられ、誰も彼もが千翼を御使いだと信じて疑わなかった。

自分の正体を知っているカズマからは未だに女神扱いされず。千翼、めぐみん、ダクネスからは『芸風』として扱われ。総本山であるこの街では信じてもらえないどころか『アクアの名を騙る魔女』として魔女狩りに遇い。正体を見抜いているのは、自分が忌み嫌う存在であるリッチー(ウィズ)悪魔(バニル)だけという、何とも皮肉なものであった。

 

「女神なのに! 私は本物の女神アクアなのにー!!」

 

アクアは、本日何杯目かのジョッキを呷った。

 

 

◆◆◆

 

 

「悪いな、急に呼び出しちまって」

 

「いいよ、俺も抜け出せなくて困ってたから」

 

宴もたけなわを過ぎ、アルカンレティアの都も徐々に静かになってきた真夜中。

こっそりと宴を抜け出したカズマと千翼の二人は、熱した体を冷ます心地よい夜風を浴びながら、静まり返った街を歩いていた。

『大事な話がある』と何時になく真剣な顔付きのカズマに呼び出された千翼は、ただならぬ雰囲気を察して何も言わずに二人で外へ出た。

しばらくの間、二人は無言で街を歩き続け。やがて街の中央に位置する湖までやってくる。

周りに人がいないことを確認すると、カズマは傍にあったベンチに腰掛け、千翼もその隣に腰を下ろす。ベンチに座った二人は、何をするわけでも無くしばし夜景を眺めた。

カズマは話を切り出す決心が付かないのか、月や湖を眺めたり、手を擦り合わせたりと落ち着きが無い。その様子から余程重要な話だと悟った千翼は、急かすようなことはせず、黙ってカズマが話すのを待ち続けた。

何度目になるか、月を眺めていたカズマは盛大に息を吐くと、ゆっくりと口を開く。

 

「あのさ。俺、千翼に言わなきゃいけないことがあるんだ」

 

「うん」

 

それからカズマはまた黙ってしまった。今度はろくに瞬きもせず、じっと足下の石畳を見詰めている。

たっぷりと間を置いてから、再びカズマは喋り出した。

 

「千翼って昨日、俺たちと街を見て回っているとき、はぐれたよな?」

 

「確かにはぐれたね」

 

カズマは一際大きく深呼吸すると、たっぷりと時間をかけて肺の中の空気を吐き出した。

 

「はぐれた後……教会に行ったよな?」

 

「よく知って――」

 

そこで言葉が途切れた。カズマの言わんとしていることを察した千翼の顔から、血の気が消えてゆく。

 

「俺……あの懺悔室に居たんだ……だから……」

 

千翼の顔が俯く。両手の拳が硬く握られ、震えた。

 

「でも!!」

 

ここで勢いを失ったら、何も言えなくなる。そう確信したカズマは、自分を突き動かすように言葉を吐き出した。

 

「千翼が過去に何をしたとか、何があったとか。俺にはそんなの関係ない!! 人間になりたいから、人間に生まれ変わりたいから千翼はこの世界に来たんだろ? そこで俺たちと会って、パーティー組んで、一緒にクエストして、一緒に暮らして、一緒にバカやって……」

 

言葉尻が萎んでゆく。このままではいけないとカズマは頭を激しく振ると、隣に座る少年をまっすぐ見据えた。

 

「それなのに……今更お別れなんて、そんなことだけは止めてくれよ……」

 

カズマの目から涙が溢れ、景色が滲む。零れ落ちた熱い雫が、少年の拳の上に落ちた。

 

「本当に……いいの?」

 

俯いた千翼からの静かな問い掛けに、カズマは黙って大きく頷いた。

 

「当たり前だ。千翼は俺の……俺たちの仲間だろ?」

 

袖で涙を乱暴に拭い、盛大に鼻をすする。この調子だと言葉が続けられそうになかったので、カズマは努めて明るい口調で話し始めた。

 

「トラブルばかり起こす威厳の欠片も無い駄女神、爆裂狂いの厨二病ロリっ子、鎧だけじゃなくて腹筋も硬いドMクルセイダー。そこに訳有りの『人間』が一人増えたところで、今更って話だ」

 

カズマが言い切った後、二人の間に長い沈黙が訪れる。しばしの間、川のせせらぐ音だけが周囲を満たしていた。

やがて、千翼は俯いていた顔をゆっくりと上げると、カズマを見た。千翼は――ほんの少しだけ、笑っていた。

 

「カズマ……ありがとう」

 

呟くように千翼は、感謝の言葉を口にする。

 

「それじゃあ、千翼。改めて――」

 

カズマは右手を差し出す。千翼は目の前に差し出された手をじっと見詰め、やがて自分の右手でそれを握った。

 

「これからもよろしくな!」

 

夜空に浮かぶ月と星の下で、二人の少年は固い握手を交わした。




Q:ハンスはアマゾンネオのブレードを取り込んだけど、溶原性細胞は大丈夫なの?
A:溶原性細胞は水がないと生きていけず、ハンスは猛毒の塊なので、細胞は跡形もなく消化された。と設定しました。

これにてアルカンレティア編は完結です。
次の話は久しぶりのオリジナルエピソードにするか、時系列を少し入れ替えた話にしようかと思っています。

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