この悲運の主人公に救済を!   作:第22SAS連隊隊員

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お久しぶりです。大変長らくお待たせいたしました。
リアルで本当に色々とあって、小説を書く時間がほとんど取れませんでした。


Episode14 「N」O WAY BACK

冬が過ぎ去り、穏やかな春が顔を見せ出す時期。

アクセルの町にある売れないことで有名な魔法道具店で、二人の男が向かい合ってテーブルに座っていた。

 

「……」

 

「……」

 

顔の上半分を覆う左右が白黒の仮面を着けた男は、仮面越しにルーペを覗いて手に持つ物を黙って観察していた。向かいに座る黒髪の少年は時折唾を飲み込み、緊張した面持ちでその様子を静かに見守っている。

仮面の男が小さく声を漏らし、ルーペと手に持つ物をテーブルに静かに置く。

 

「ど、どうだ?」

 

その問い掛けに仮面の男は口をニヤッと曲げると、上機嫌でしゃべり出す。

 

「うむ、今回も素晴らしい出来だ。量産体制も整いつつあるから、そう遠くないうちに売り出せるぞ」

 

「良かったー……」

 

仮面の男――バニルからの合格判定を聞き、黒髪の少年カズマは息を吐きながら椅子にもたれかかる。

目の前の悪魔と結んだ『現代日本での知識を生かしてカズマが商品を作り、それをバニルが売る』という契約に基づき、今日もカズマは作った商品のサンプルチェックを受けていた。

しかし、バニルのサンプルチェックは何度経験してもカズマの心臓を嫌な意味で高鳴らせていた。徹夜して作ったサンプルに容赦なく不合格判定を下されたり、逆に片手間で適当に作った物が大絶賛されたりと、毎度毎度の結果が全く読めないからだ。

バニルがチェックを済ませたサンプルを片付けていると、カズマは旅行から帰ってきて以来、ずっと気になっていたことを尋ねる。

 

「なぁ、バニル。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

 

「あの貧乏店主の今日の下着の色か?」

 

「ちげーよ!! いや、それはそれで気になるけど……じゃなくて!」

 

危うく流されそうになるが、すんでのところで頭を振って気持ちを切り替える。

椅子に座り直したカズマは、目の前の仮面の悪魔を真っ直ぐ見据えると、ゆっくりと口を開いた。

 

「キールダンジョンでお前と初めて会ったとき……その……見たんだろ。千翼の過去をさ」

 

「ああ、視たぞ。あの男の生前に何があって、何をしたのか。文字通り全てな」

 

「……なんであの時、何も言わなかったんだ?」

 

「ふむ……丁度良い機会だ、その事について色々と話そうか。待っておれ、茶を淹れてくる」

 

バニルは椅子から立ち上がり、テーブルの上に広げられた商品サンプルを残らず抱えると、店の奥に消えた。それからしばらくして陶器が触れ合う音やお湯を沸かす音が聞こえ、やがてティーポットと二つのカップを乗せたお盆をバニルは持ってきた。

ソーサーを持ってカップをカズマの前と、自分が座っていた席の前に置くと、最後にティーポットをその間に降ろす。お盆を邪魔にならないようにテーブルの端に置くと、バニルはポットを手に取ってカズマのカップの上で傾けた。

注ぎ口から琥珀色の液体が湯気を上げながらカップへと落ちてゆく。七割ほど注いだところで水平にポットを戻し、同じように今度は自分のカップの上で傾けた。

二つのティーカップに紅茶が注がれ、ポットが元の位置に置かれた。バニルは自分のカップを手に取ると、それに口元に運んでゆっくりと傾ける。

 

「うむ。今日も良い味だ」

 

「あれ、お前って食事は必要無いはずじゃ?」

 

「確かに悪魔に食事は必要無い。だが、要らないだけで食べられない訳ではないぞ。悪魔にとって食事とはいわば嗜好品のようなもの。無くても困らないが、あった方が楽しいことに違いないからな」

 

ふーん。と感心しているのか興味が無いのか分からない返事をして、カズマは紅茶が注がれたカップを持ち、静かに傾ける。程良い暖かさと茶葉の香りが口の中に広がり、喉を通って腑へと染み渡ってゆく。じんわりと体の中が温まり、緊張が幾分か解れた。

 

「さて、はじめに言っておくが、我輩は同情したからあの男の過去に触れなかった訳ではないぞ」

 

「え、違うのか?」

 

溶原性細胞、食人衝動、父親――余りにも壮絶すぎる千翼の過去に、隙あらば人をおちょくるバニルも流石に同情した。とカズマは思っていたが、その考えは当の悪魔によって開口一番に否定された。

 

「確かに我輩は悪感情を得るためにその者にとって知られたくないことを暴露している。しかし同時に我輩は『おちょくりはしても侮辱はしない』というルールを自分に課しているのだ」

 

「それって同じ意味じゃないのか?」

 

小首を傾げて疑問符を浮かべるカズマを見て、バニルは呆れたように肩を竦めた。

 

「いいや、この二つは全く違うぞ。例えば我輩が汝に『お前はろくに働きもせず毎日自堕落な生活を送り、嫌なことからすぐに目を背けて問題を先送りばかりにして。ちょっと褒められると直ぐに調子に乗って痛い目に遭うくせに全く反省せず。チョロそうな女を見かければあの手この手でスケベなことをしようとする、本当にどうしようもないゴミクズのような人間だな』と言ったらどう思う?」

 

「それは今ここで、お前をぶん殴ってもいいって意味か?」

 

こめかみに青筋を浮き立たせ、固く握った拳を震わせながらカズマがドスの効いた声で脅した。

 

「そう、その反応だ。汝は今、我輩に対して『殴ってやりたい』と思っただろう? だが、逆を言えばそこまで。殺してやりたいとまでは思っていないはずだ。口では『殺すぞ』とは言っても、謂わば脅し文句のようなものだから、本気でそう言っている訳ではあるまい?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

物の見事に図星を突かれ、カズマは勢いを一気に削がれる。やり場のない怒りを誤魔化すように少し大きな音を立てて紅茶を啜った。

 

「では、今度は我輩が『××××は××××だから××××すべきだ。××××もそうだし××××もついでに××××しておいた方がいい。前々から××××は××××だと思っていたが、やはり××××が××××だな。社会や人々のためにも××××は絶対に××××しなければならない』と××××に向かって××××しながら言ったらどうなると思う?」

 

カズマが傾けていたカップの中に向かって飲みかけていた紅茶を盛大に吹き出した。ティーカップの底で跳ね返った紅茶が少年の顔を直撃する。

 

「お、おお、お前! それは冗談でも絶対に言っちゃいけない奴だろ!! 聞かれたら殺されるぞ!!」

 

バニルがある特定の層をこれ以上ないほどに差別する例え話を聞き、カズマは慌てふためきながら誰かに聞かれてないか、店の中と外を確認する。この店の主であるウィズは買い出しに出かけているため不在、現在はカズマとバニルの二人きり。外には数人の住民が通りを歩いているが、店の扉はしっかりと閉じられているため、二人の会話が外に漏れる心配は無かった。

誰にも聞かれていない事を確かめたカズマは胸を撫で下ろすと、バニルが差し出したおしぼりを礼を言いつつ受け取り、紅茶塗れになった自分の顔を念入りに拭いた。

 

「汝の言うとおり。もし今の話を該当する者に聞かれたら、我輩は問答無用で殺されるだろうな。まぁ、我輩はその程度では死なぬが。しかし、そうなるのも当然だ。その者を『侮辱』したのだから」

 

「あ……」

 

バニルが言わんとしていることを理解したカズマは、口から声を漏らした。

 

「人間を侮辱することによって味わえる悪感情、さぞや美味であろう。しかし、我輩から言わせれば――品がない。最高級の食材を最高の腕を持つ料理人に調理させ、出来上がったフルコース料理を手掴みで貪り食うようなものだ。そんなことをするくらいなら、我輩は人間という種が滅びるその時まで、退屈で何の面白みもない生活を送ったほうがマシなのである」

 

キッパリと言い切って、バニルはカップを傾けた。

 

「ま、あの男に過去に触れなかったのはそういうことだ。我輩とてマナーや常識くらいは弁えておるぞ。そうしなければ人間社会で生活など出来ぬからな」

 

「その……ありがとな。あの時、俺たちの前で千翼の過去に触れないでくれて」

 

あの時、千翼の過去を暴露しなかった真相を聞き。カズマはどこか照れ臭そうに礼を述べた。

 

「おっと、汝が旅行に行く前に言ったはずだぞ? 汝らにもしもの事があったら『我輩が』非常に困るとな」

 

そう言って、仮面の悪魔は意地悪そうに口元を曲げる。

やっぱりこいつ、自分のことしか考えてないな。カズマは苦笑しつつカップを傾けた。

 

 

◆◆◆

 

 

「ただいまー」

 

『おかえりー』

 

住まいである屋敷に帰り、仲間達が寛いでいる広間の扉を開けて帰宅の挨拶をする。部屋のあちこちから返事が返ってきた。

 

「ああ、カズマ。ちょっといいか? 大事な話があるんだ」

 

「どうした、そんなに改まって?」

 

すると、屋敷の中であるにも関わらず、何故か部屋着ではなく鎧姿のダクネスがカズマに話しかけた。今日はクエストに出かける用事もないのに鎧を着ている彼女の姿に、カズマは微かに首を傾げた。

 

「実はな、ギルドからクーロンズヒュドラの」

 

「断る」

 

如何にも危険そうなモンスターの名前がダクネスの口から出てきた瞬間、カズマは間髪入れずに断りを入れた。

 

「まだ何も言ってないぞ!?」

 

「聞かなくても分かるわ!! どうせ高額賞金が懸けられているメチャクチャ危険なモンスターを退治してくれって依頼だろ? 大方、アルカンレティアで俺たちがハンスを討伐したって話を聞いた奴が、誰もやりたがらない厄介ごとを片付けるために俺たちに押し付けようとしてんだろ? 絶対に嫌だ!! 俺は受けないからな!!」

 

今まで散々厄介な目に遭ってきただけのことはあり、カズマの直感は常人のそれを遥かに上回っていた。

 

「し、しかしだな。ヒュドラに懸けられている賞金は中々の大金だぞ? それこそ当面は遊んで暮らせるほどの」

 

そこまで聞いたカズマは、ダクネスを小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「残念でした。俺はバニルとのビジネスで大金が転がり込んでくることが確実なんでな。今更金で動くような男じゃありません~。というか、どうせお前のことだから『ヒュドラを前にして為す術も無くいたぶられ、仲間の撤退する時間を稼ぐために囮となり、そのままヒュドラにいいように弄ばれる』なんてシチュエーション期待してんだろ?」

 

「そ、そんなこと期待して……ない……ぞ?」

 

「いや、そこは建前だけでもキッパリ否定しろよ……」

 

歯切れ悪く否定する生粋のドMクルセイダーを見て、カズマは呆れた。

 

「ともかく、俺は嫌だからな。なんでそんな自殺行為みたいな真似しなくちゃならないんだよ」

 

「……どうしてもか?」

 

「おう。それを押し付けた野郎に『俺を動かしたかったら、お兄ちゃん大好きな可愛い子を俺の義理の妹として寄越せ』と伝えとけ」

 

欲望ダダ漏れにも程がある要求を何の臆面も言い放ったカズマを見て、千翼は顔を引き攣らせた。女性陣に至っては軽蔑の眼差しを向けている。

 

「そうか……いやぁ、実は今回の依頼は国からでな。もし問題を解決出来たのならば、国王から表彰してもらえるかもしれないんだ」

 

「はっ、表彰がなんだ。名誉で腹は膨れないっつーの」

 

わざとらしく依頼人の名を明かすダクネスであったが、それを聞いてもカズマは鼻で笑った。ならばと、ダクネスは更にもう一押し。

 

「数多の強敵を倒し、国王直々の称賛を賜った男。もしかしたらその実力が認められ、王立騎士団からスカウトが来るかもしれんな」

 

「王立騎士団? 冗談じゃないよ。そんな軍隊みたいなとこ誰が行くってんだ。どれだけ頼まれようが俺はお断りだね」

 

シッシッと手を払うカズマを見て、ダクネスは微かに口元を歪ませる。すると、先程よりも更にわざとらしく、そして大きな声で喋った。

 

「国王からの称賛を受け。家柄ではなく実力で、しかも騎士団側から入って欲しいと頼まれるほどの男だ。もしそんな男がいたら、貴族達は『是非とも娘との縁談を』と言って放っておかないだろうなぁ」

 

カズマの肩がピクリと震える。手応えあり、と言わんばかりにダクネスが口元が更に歪む。

 

「この国には、大小合わせてそれこそ数え切れないほどの貴族達がいる。その貴族との縁談ともなれば、様々な女性との出会いがあるだろう」

 

『様々な女性との出会い』と聞いて、カズマは再び震えた。獲物が完全に食い付いたことを確信し、ダメ押しで更にダクネスは畳み掛ける。

 

「そういえば、私の知り合いにも伴侶を探している者がいたなぁ。あんなに美人で私に勝るとも劣らない程スタイルも良くて、性格も素晴らしい文句の付けようが無い娘なのに」

 

とうとうカズマが小刻みに震えだした。かかった獲物を釣り上げるべく、ダクネスは最後の一押しに出る。

 

「いやぁ、本当に残念だ。この問題を解決出来れば英雄として歴史に名を残し、見目麗しい伴侶との甘い生活が――」

 

「やれやれ。強さってのは時に厄介ごとを引き寄せてしまうものだな。しかし、その責務を全うするもの、また強き者の定め。一肌脱ぎますか」

 

やけに芝居がかった仕草で髪を掻き上げると、先程までの態度はどこへやら。仕方ないといった様子で肩を竦める。

 

「みんな、準備をしろ。思い立ったが吉日、直ぐに討伐に向かおうじゃないか」

 

そう言って、カズマは足早に部屋を出て行った。少年が広間から姿を消してしばしの間を置いて。

 

「チョロいわね」

 

「チョロいですね」

 

「チョロいな」

 

女性陣は無表情で呟いた。

 

 

◆◆◆

 

 

アクセルの町を出て、半日ほど南下したところにある小さな山の麓。あちこちから鳥の鳴き声が聞こえる森の中に五人はいた。

周りを木々で囲まれているため、奇襲を受けないようにそれぞれが別の方向を警戒しながら、慎重に目的地である湖に向かっている。

 

「ヒュドラはこの先の湖を住処にしていて、そこから出ることはないらしい。厄介なのはピンチになると湖に潜って、傷が癒えるまで出てこようとしないんだ」

 

「要するに、ヒュドラを仕留めるには短期決戦一択ってわけか。ま、めぐみんの爆裂魔法で一発だろ」

 

ダクネスから討伐目標であるクーロンズヒュドラに関する情報を聞きながら、カズマはめぐみんを横目で見た。

大型モンスターに思いっきり爆裂魔法を撃つことが出来る。という爆裂狂である彼女からしたら夢のようなシチュエーションに、めぐみんは忍び笑いを漏らしている。

 

「くっくっく……とうとう私もドラゴンスレイヤーの称号を得るときが来てしまいましたか……。竜殺しの二つ名を持つ紅魔族、ゆんゆんが羨ましがること間違いなしですね」

 

「なんでお前は一々ゆんゆんに嫌がらせしようとするんだよ……」

 

今回の仕事には一切関係のないゆんゆんの名を出し、めぐみんが不敵に笑う。ここではないどこかで紅魔族の少女が小さなくしゃみをした。

 

「なぁ……俺、本当に来て良かったのか? そのヒュドラって湖に住んでいるんだろ?」

 

不安げな声で千翼がカズマに尋ねるが、それに対してカズマは余裕の笑みを浮かべながら親指でアクアを指した。

 

「心配すんなって。もしもの時はアクアを湖に放り込んで浄化すりゃいいだけの話だからな」

 

千翼の体を構成する溶原性細胞は水を感染源としており、実際に生前の日本では何者かがウォーターサーバーの採水地に細胞の源を埋め。それが原因で大勢が細胞に感染し、アマゾン化した人間があちこちに現れるという大惨事を引き起こした。

あの惨劇を二度と繰り返さぬよう、千翼はこの世界に来てから水の扱いには一際注意しており。今から戦う相手(ヒュドラ)が湖を住処にしていると聞いて、始めは断ろうとしていた。

しかし、何故かカズマは「絶対に大丈夫だ」と妙に自信満々で断言し。「唯一まともな戦力であるお前がいないと話にならない」と懇願され、やむを得ず同行することにしたのである。

 

「ちょっと。私を便利な道具扱いするのは止めて欲しいんですけど。そろそろ本気で天罰下すわよ?」

 

へーへーと全く気にする様子も無くカズマは返事をした。それが女神の癪に障ったらしく、何時まで経っても自分を敬う気が無い不届き者に殴りかかるが、あっさりと避けられた。奇声とも怒声とも付かない奇妙な声を上げて、アクアが更に殴りかかる。

千翼の過去と体質については、今や女性陣は全てを知っている。

彼の真実を知ったとき三人は大層驚いたが、千翼の出生やこの世界に転生した理由。今まで誰にも知られず、知られるわけにはいかない『本能』に一人で抗い続けていたこと。今度こそアマゾンという人喰いの化け物では無く、人間として生きたいという決意。それらを聞いた三人は自分たちが少しでも力になれるならと、彼を改めて仲間として受け入れた。

 

「ところでカズマ、腰の矢筒は何ですか?」

 

めぐみんが歩きながらカズマの腰を指差す。そこには背負った物よりも小さい矢筒が提げられており、羽根が赤く塗られた矢が入っていた。

何度目かになるカウンターのデコピンをアクアに浴びせ、ようやく大人しくなったところでカズマがめぐみんの質問に答える。

 

「ああ、これか。これは爆裂矢だよ」

 

「ば、爆裂矢!? なんですか、私をときめかせるその素敵な名前は!」

 

『爆裂』という生涯を捧げて究めんとしているの物の名を聞き、めぐみんは目を輝かせる。

カズマは腰の矢筒から一本の矢を取り出すと、何かを包んでいる布が巻き付けられている(やじり)の部分を指差した。

 

「矢の先端に火薬が仕込んであって、命中すると爆発するんだ。これなら普通の矢よりも大きなダメージを与えられるし、矢が刺さらなくても爆発と衝撃で怯ませることぐらいはできるからな」

 

「なるほど……しかしですね、カズマ。私と共に毎日爆裂散歩に出かけ、爆裂道を極めんとしている貴方なら既に理解しているはずです……。そんな物を使わなくても爆裂魔法を修得すれば事足りると。というか、そろそろいい感じにスキルポイントが貯まっているのでは? この際だから今ここで爆裂魔法を修得しちゃいましょう! 善は急げですよ!!」

 

「あー、うん。前向きに考えとくわー」

 

矢を戻しながら、明らかに気のない返事をカズマは返した。

と、カズマがいきなり立ち止まる。何事だ? と仲間達も歩みを止めた。

 

「なぁ……なんか臭わないか?」

 

それを聞いてアクアは自分の鼻を抓むとカズマに向かって手で扇ぎ、非難するような目でカズマを睨んだ。

 

「ちょっとカズマ。自分が疑われる前に誰かに擦り付けようとするのって、人としてどうかと思うんですけど」

 

「おならじゃねーよ!! なんかこう、生臭いような……」

 

臭いを確かめるためにカズマが鼻をひくつかせると、四人も同じく臭いを嗅ぐ。

 

「うーん、ほんのちょっとだけど確かに臭うわね」

 

「何の臭いでしょうか?」

 

「意識してようやく分かる程度だな」

 

カズマに言われてようやく彼女たちもその臭いに気が付き、臭いの元は一体なんなのかと唸り声を上げる。

四人が腕を組み、首を傾け、悩ましい声を漏らしている中で。千翼だけは微かに顔を強張らせていた。

 

「チヒロ、どうかしたの?」

 

「これ……血の臭いだ」

 

突如として告げられた臭いの正体に、四人の動きが止まる。

 

「間違いないのか?」

 

「うん。多分だけど、臭いの元はあっちだと思う」

 

そう言って千翼はある方向を――自分たちが今まさに目指している、ヒュドラが住む湖の方角を指差した。五人の顔が自然と引き締まる。

 

「こっからは今まで以上に警戒して進むぞ。血の臭いだなんて、ただ事じゃ無い」

 

言いながらカズマが愛刀を引き抜き、それに習って仲間達も得物を手にする。今まで以上に周囲への警戒を強めると、先程よりも慎重に五人は歩き出した。

森の奥に進むにつれ臭いはどんどん強くなってくる。始めは意識してようやく分かるほどだったものが、鼻から息を吸うだけで感じ取れるほどに、終いには顔を顰め鼻と口を覆いたくなるほどに強烈な血の臭いが森の中を満たしていた。

清涼な森林に漂う全く似つかわしくない臭いに、五人の警戒心は否が応にも高まってゆく。やがて、木々に覆われていた視界が唐突に開けた。

 

「何があったんだ……」

 

五人の目の前には広大な湖が。真っ赤に染まり、湖面のあちこちに何かの肉片が浮かぶ湖が広がっていた。

周囲の木々や茂みには血肉が飛び散っており、ここであった戦闘の激しさを物語っている

 

「別の大型モンスターがヒュドラと縄張り争いして喰われたのか?」

 

「違う……これはヒュドラの血だ」

 

ダクネスが指差す先には、首を根元から切り落とされた竜の頭が湖に浮かんでいた。

 

「じゃあ……ヒュドラ以上の強いモンスターがここに来たってことか?」

 

「それも考えづらいですね。ここら辺でヒュドラと同じか、それ以上に強いモンスターなんていたら大騒ぎになってますよ」

 

それもそうだな。と言って、カズマは改めて水面に浮かぶ竜の首を見遣る。光りを失った瞳が少年を映していた。

 

「だとしたら残った可能性は……私たち以外の冒険者が討伐したのか?」

 

「それは流石に……」

 

「いや、きっとそうだと思う。というか、それ以外考えられない」

 

ダクネスの言葉を否定しようとしためぐみんを遮り、カズマは同意した。

 

「アクセルにはたまに俺や千翼みたいな、黒髪で顔の彫りが浅い人間がいるだろ? そういう奴って例外なく強い力を持ってるもんだし、きっとそういった連中の誰かが討伐したんだよ」

 

「確かに……それなら合点がいくな」

 

現代日本から転生し、その際に特典としてチート能力を貰った転生者。規格外の力を持つ彼らなら、貰った自分のチート能力を試すためにヒュドラを倒した。ということなら何らおかしい事では無い。

今までカズマや千翼以外の転生者を見てきたであろうダクネスとめぐみんは、納得したように小さく頷いた。

 

「それはともかく、ギルドへの報告はどうしましょうか?」

 

「……俺たちが倒したわけじゃ無いけど、ヒュドラは討伐されたんだ。そのまま報告するしかないだろ。ま、結果オーライってことで」

 

大型モンスターに全力で爆裂魔法を撃ち込む。というシチュエーションに胸を期待で膨らませていためぐみんはそれが思わぬ形で露と消えてしまい、残念そうにガックリと肩を落とした。隣に立つダクネスも、ヒュドラに甚振られるという彼女にとっては垂涎の展開が叶わなくなってしまい、同じように肩を落としていた。

 

「そんじゃ帰ろうぜ。そろそろ昼だから腹が減ってきた」

 

「賛成! 早くギルドで一杯やりましょう!」

 

昼間から堂々と飲酒を宣言する女神を見て、カズマは呆れるように溜息を吐いた。肩透かしな結果に終わったものの『ヒュドラの討伐』という目的は達成できた。となればこれ以上ここにいる用事は無い。

踵を返そうとした五人の背後で何者かが草を踏みしめる。カズマ達が身構えながら素早く振り返ると、そこには浮浪者のような男が立っていた。伸ばし放題の髪と髭、ろくに洗濯されていないであろう服はあちこちが薄汚れ、すり切れている。

そして、何故か手に『ベルト』を持っていた。

カズマ達と男はしばし無言で見つめ合い、男の瞳が片方から反対側へとゆっくり動く。

ダクネス、めぐみん、カズマ、アクアの順で視線がぶつかり。最後に千翼と目が合うと、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「よぉ、また会ったな」

 

「父さん……」

 

カズマは達は一斉に千翼を見ると、次いで目の前の男――千翼の実の父親である鷹山仁を見た。

 

「父さんって……」

 

「じゃあ、あの人が……」

 

「チヒロの父親……」

 

目の前に現れた千翼の父親――生前、彼の命を付け狙い、そして最後には奪った張本人。実の息子を執念深く付け回し、何の躊躇いも無く手にかけた危険極まりない男にカズマ達は顔を強張らせる。

見た目はどこからどう見ても路頭を彷徨う浮浪者そのものだが、纏う空気は明らかに違う。

身構えている訳でもないのに一分の隙も見当たらない。それどころか、瞬きした次の瞬間に自分が狩られるのでは。と警戒させるほどの危険な雰囲気を放っていた。

ふと、カズマの頭に一つの予測が浮かぶ。目の前の男は生前に千翼を殺した。転生特典無しであの強さを誇る千翼を倒したということは、相当な実力者なはずだ。しかも、バックルのデザインこそ違えど仁の手には、千翼と同じく変わったベルトがある。

ということは――

 

「ちょっと待て……まさか、あんたヒュドラを……」

 

「……ああ、そいつは俺がやった。近くを歩いていたらいきなり襲ってきたんでな。返り討ちにしてやった」

 

カズマの予感は見事に的中した。心底どうでもよさそうに、この世界の人間が聞いたら耳を疑うような事を仁は口にする。

 

「返り討ちだと……!」

 

「まさか……ヒュドラをたった一人で……!?」

 

めぐみんとダクネスは息を飲んで仁を見る。カズマと千翼、アクアだけは納得したように小さく頷いた。

 

「さて……」

 

仁は持っていたベルトを腰に巻く。それに合わせてカズマ達も得物を構え直した。

 

「おい、そこのお前ら。これは俺とそいつの問題だ。巻き込まれたくなかったらさっさと逃げろ」

 

「嫌だね」

 

千翼を庇うようにして、カズマ達は二人の間に割って入った。それぞれの武器をしっかりと握り締め、仁を睨む。

 

「カズマ……みんな、止めてくれ! これは俺と父さんの問題なんだ!!」

 

「水臭ぇこと言うなよ。仲間が殺されそうだってのに、見捨てる奴があるか」

 

これは生前から続く自分と父親の因縁。無関係であるカズマ達を巻き込みたくない一心で千翼は叫んだ。それに対し、当のカズマ達は特に気にする様子も無く不敵な笑みを浮かべている。

 

「……お前達が守ろうとしている奴が、どういう存在なのか分かっているのか?」

 

「知ってるよ。千翼が何者で、前世で何があったのか。全部な。それでも俺は……俺たちは千翼を信じるって決めたんだ」

 

仁は盛大に溜息を吐き、呆れたようにゆっくりと首を横に振る。

 

「ったく、あの女といい。ここには聞き分けのない奴らしかいないのか」

 

仁はバックルの左グリップを握り、勢いよく捻った。バックルの双眸が緑色に光る。

 

『ALPHA』

 

「アマゾン」

 

呟くと、仁の体が紅蓮の炎に飲み込まれる。

 

『BLOOD・AND・WILD!! W・W・W・WILD!!』

 

仁の周りの草木に炎が燃え移り、パチパチと爆ぜる。男の体を包んでいた炎が収まると、そこには緑色の双眸を持つ傷だらけの赤い異形が立っていた。

 

「これって……!」

 

「まさか……」

 

めぐみんとダクネスは驚きで目を見開き。

 

「やっぱり……」

 

「チヒロと同じ能力って訳ね」

 

カズマとアクアは特に慌てた様子を見せず。

 

「……」

 

千翼は無言で父親を見詰めていた。

赤い異形――アマゾンアルファは掌に拳を打ち付ける。乾いた音が小気味よく森に響いた。

 

「安心しろ。俺は人間を絶対に狩らないと決めている。ただし、場合によっちゃあ怪我をさせるかもしれんが……そこら辺は覚悟しとけよ?」

 

両腕をゆるりと開き、赤いアマゾンが身構えた。

 

「あんたこそ、俺たちをガキだからって舐めるなよ。こちとら魔王軍の幹部や化け物と何度もやり合ってんだ」

 

それに対するように、カズマ達も自分の武器を握り直す。

 

「千翼、親父の狙いはお前なんだろ? 今のうちに逃げろ」

 

「……いや、俺も戦う」

 

少しだけ迷うような表情を見せ、次に千翼は背負っていたリュックを離れた位置に投げた。乾いた音を立ててリュックが地面に落ちると同時に、バックルに装填されたインジェクターに手を添える。

 

「こうなったのも、全部俺のせいだ。だから……自分の始末は自分で付ける!」

 

「……OK。そんじゃ、さっさと終わらせて昼飯食いに行こうぜ」

 

そう言ってカズマはニヤッと笑った。千翼も笑みを返すとインジェクターを押し込む。中身が注入されバックルの黄色い瞳が輝いた。

 

『NE・O』

 

「アマゾン!!」

 

仁と同じく千翼の体が紅蓮の炎に包まれた。足下の草を燃やしながら、少年の姿がみるみるうちに異形へと変貌してゆく。炎が収まるとそこには青い異形、アマゾンネオが立っている。

再びピストンを叩いて右手首から銀色の長剣を形成すると、前に出てカズマ達と肩を並べ、父親を見据えた。

 

「これが最後の警告だ。今なら見逃してやるぞ。千翼、お前はもちろん絶対に殺すがな」

 

返答は沈黙であった。

五対一という、素人目から見てもどちらが勝つか、戦う前からわかりきったような状況。しかし、仁の纏う殺気と気迫は、数の差など無意味だと言わんばかりの圧力を放っている。

 

――ダメだ、隙が全く見当たらない。

 

カズマの頬を一筋の冷や汗が流れた。

仁は千翼と同じくベルトを使って変身している。ということは、あのベルトさえ何とか出来れば自分たちにも十分な勝機はあると踏んでいた。ここは自分の十八番である『窃盗(スティール)』の出番。直ぐにでもベルトを奪って無力化しようと考えていたのだが、遅かった。

赤い異形に姿を変えた仁は、ほんの僅かな隙さえ見せない。何があっても直ぐに対応できるよう、無駄な力を入れずに佇んでいる。スティールを使おう物なら、即座に仁はカズマを仕留めにかかるだろう。千翼と同等か、それ以上の身体能力を持つ男。スキルの発動が間に合うとは到底思えない。出鼻を挫かれたカズマは歯噛みし、顔を歪めた。

その代わりと言わんばかりに先陣を切ったのはダクネスであった。力強く地面を蹴り、手にした大剣を振りかぶる。赤い異形が剣の間合いに入り、白銀の刃が常識外の膂力で振り下ろされた。

当たりさえすればひとたまりもない致命の一撃に対し、冷静に太刀筋を見切った仁は腰を少しだけ下ろし、右腕を引く。仁の遥か頭上を大剣が猛烈な風切り音を伴いながら通過した。

剣が振り切られ、ダクネスは体が慣性に引っ張られないように足腰に力を入れて、振った向きとは逆に腕の力を入れる。常人ならば大剣の勢いが余って体が回ってしまうところを、彼女は日々の鍛錬と経験でによって見事に止めてみせた。しかし、それは同時に無防備な瞬間を晒すのと同義である。仁はダクネスの顎を掠めるように右の拳を振った。

 

「っ――」

 

女騎士の脳が激しく揺さぶられる。ダクネスは一瞬にして平衡感覚を失い、意識が混濁する。大剣を杖に何とか立ち続けようとするが、その努力も虚しくあっけなく崩れ落ちた。

まずは一人目を戦闘不能にしたアマゾンアルファ目掛けて矢が飛んでくる。寸分違わず直撃し矢が爆ぜた。爆発音が森と空に響き、黒煙が赤い異形の姿を覆う。

 

「おお!」

 

「直撃ですね!」

 

カズマ自作の爆裂矢の威力を見て、アクアとめぐみんが感嘆の声を上げる。

 

「油断するな! あれで終わるわけが無い!!」

 

「来る!」

 

しかし、カズマと千翼の二人は真逆の反応であった。煙の中から赤い影が飛び出すと、それは一直線にめぐみんへと向かった。

 

「え?」

 

自分の視界の端に赤い何かが居ることに気が付き、彼女は反射的に視線と首をそちらに向けた。緑色の目を持つ赤い異形が、すぐ隣に立っていた。めぐみんの首の後ろに手刀が振り下ろされる。

 

「ぐぇ……」

 

口から少女らしからぬ嘔吐(えづ)きが漏れ、めぐみんは愛用の杖と意識を同時に手放した。

相手がすぐ傍に居ることに気が付いたカズマは、持っていた弓を手放すと右手を腰の後ろへと伸ばし、愛刀の柄を握る。引き抜く前にアマゾンアルファは次の動作に移った。

腰を落として右腕を引くと、めぐみんの隣に居たアクアの腹に向かって猛烈な速さで掌底が繰り出される。が、当たる寸前に掌はピタリと動きを止めた。不可視の拳圧がアクアの腹を貫き、彼女の五臓六腑を容赦なく衝撃が襲う。

 

「うぷっ……!」

 

危うく口から逆流したものを吐き出しそうになるが、そこは腐っても女神。すんでのところで口を両手で押さえると、喉まで上がってきた物を何とか飲み込んだ。

余りにも気持ち悪すぎる喉越しと、口内に広がる味わったことの無い酸味に顔を歪めながら、水の女神は白目を剥いて地面に倒れた。そして、この瞬間をカズマは逃さなかった。

相手は今、攻撃を終えた状態。ここから次の動作に入るまではどうしても隙が生まれる。カズマは反射的に手に持つ刀を振り下ろした。太陽光を照り返す白刃が、赤い異形に迫る。

 

「わりぃな」

 

刃が異形を斬り付ける前に、少年の鳩尾に肘がめり込んだ。彼の手から刀が零れ落ちる。

 

「……!」

 

声を出すことすらままならず、肺の空気が強制的に全て吐き出される。

仁は伸ばした右腕と右足を軸に半回転。カズマに背を向けつつ左肘を鳩尾に叩き込んだのだ。かなり手加減された一撃だったが、それ故に気絶して楽になることができず、倒れたカズマは蹲るようにして自分の体を抱いた。

 

「がぁ……おぇ……」

 

口から呻き声と大量の唾を吐き出す。呼吸をしようにも肺が痙攣して、吸うことも吐くこともままならない。

 

「カズ……!」

 

ネオの顔面に全力で振るわれた拳がめり込む。手加減無しで見舞われた一撃によって、青い異形の体が宙を舞った。数秒だけ滑空したのち、大木に背中を激しく打ち付けてようやく勢いが止まった。何枚もの木の葉が舞い落ちてくる。

ずるずると背中を擦りながら青い異形は崩れ落ち、力なく首が傾く。草木が凍り付くほどの冷気が放たれ、青い異形が少年の姿へと戻った。

自分以外誰も立っている者がいない中で、仁は悠々とした足取りで千翼へと近付く。目前にまで迫ると、太陽を背に息子を見下ろした。

 

「三度目はないぞ。もうお前を助けてくれる奴は誰もいない」

 

仁は千翼の髪を乱暴に掴み、そのまま自分の眼前まで持ち上げる。痛みで呻き声を上げる息子に構わず、右腕を引いた。

 

「今度こそ、仕留める」

 

 

◆◆◆

 

 

「……っ……ぁ……」

 

その光景を見ていたカズマは震える手で地面を掴み、這いつくばるようにして千翼の元を目指す。

仮にたどり着けたところで何も出来ないだろう。だけど、このまま何もしないで千翼が殺されるのをただ待つのだけは絶対に嫌だ。

何でもいい。何でもいいからこの状況を打破できる物を――

手が何かを掴む。鉛のように重い頭を何とかしてもたげ、切れかかった電球のように明滅を繰り返す意識を必死に繋ぎ止め、掴んだ何かを見た。

恐らくは倒れた際に矢筒の中身が散らばったのだろう。それは、羽根が赤く塗られた矢だった。この矢を命中させれば、少なくとも僅かな隙を作ることは出来るはずだ。そうすれば千翼が逃げ出せるチャンスが生まれる。

カズマは運良く直ぐ近くに落ちていた弓に手を伸ばし――その手を止めると、代わりに地面に手を付く。

 

「……ぅぅ」

 

思うように力が入らない腕に必死に力を込め、やっとの思いで片膝立ちになると、今度はその膝を支えにして反対の足を立たせる。

ようやく立ち上がることが出来たが、気を抜くと今にも倒れそうだった。矢を番える時間すら惜しい。カズマは羽根が赤く塗られた矢を握り締めると、震える両手足を使って必死に立ち上がる。

自分が今から何をしようとしているのか、それを理解した防衛本能が『止めろ』とやかましく叫ぶ。

 

――うるせぇ。邪魔すんな

 

鬱陶しい叫び声を無理矢理捻じ伏せて黙らせる。

チャンスは一度。やるとしたら全力でやるしかない。幸いにも仁の意識は千翼に向けられており、カズマが立ち上がっている事に全く気付いていない。

カズマは矢を握り締めると、残り滓のような気力と体力を振り絞って、今の自分が出せる最大の速さで駆け出した。

 

「うあああぁぁぁ!!!」

 

そして、躊躇うことなく赤い異形に跳びかかり、その頭に矢の先端を叩き付けた。鏃が爆ぜ、少年の手と異形の頭部の間で爆発が起こる。

予想だにしていなかった背後からの奇襲。しかもそれが頭部に直撃し、さしもの仁も千翼を手放して倒れた。

 

「千翼ぉ!! 逃げろぉ!!」

 

肺に残った僅かな空気と気力を振り絞ってカズマは叫んだ。

 

「か……カズマ……ゆ……指が……!」

 

仁から解放され、這いつくばるように倒れた千翼は震えながらカズマの右手を――今にも千切れそうな皮一枚で辛うじて繋がっている、小指と薬指がぶら下がっている右手を指した。

 

「逃げろ……! 逃げてくれ!!」

 

カズマの心からの叫びに、千翼は怯えたように体を震わせる。右手から止め処なく血を流すカズマと、呻き声を上げながら何とか立ち上がろうとする仁の間で、千翼の視線が往復する。

やがて、悔しそうに唇を強く噛み締め、千翼は何度も転びそうになりながら逃げ出した。

仲間の背中が見えなくなり、カズマは微かに笑みを浮かべる。

 

「ハハハ……やって……くれる……じゃねぇか……」

 

不意打ちで強烈な一撃を貰い、仁はふらついていた。先程の一撃で変身も解け、元の人間の姿に戻っている。

 

「逃げられると思うなよ……」

 

息子が逃げた方向を睨むと、歯を剥き出しにして笑みを見せた。一歩目を踏み出そうとして何者かがその足を掴む。

 

「千翼のとこには……絶対に……行かせねぇ……」

 

一体どこに力が残っているのか。カズマはまだ動かせる左手で仁の足を掴んでいた。まるで万力のようにギリギリと締め上げ、手の甲に青筋が浮かぶ。

 

「……」

 

しばしの間、仁は自分の足を掴む少年を見下ろす。やがて、足を振って無理矢理カズマの手を引き剥がすと、千翼の後を追った。

 

 

◆◆◆

 

 

一体どれだけ走ったのだろう、体はとうに限界を越えていた。本能が休むことを許さなかったせいか、不思議と苦痛は感じない。

カズマが自分の手を犠牲にしてまで作ってくれた千載一遇のチャンス。それを無駄にしないためにも、千翼はひたすら走り続けていた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

流石にもういいだろう。千翼は目に付いた大木の陰に隠れ、腰を下ろす。ようやく休むことが出来たところで、今まで忘れていた痛みと苦しみが一気に襲ってきた。

肺が焼けるように痛み、足は痙攣して震えが止まらない。全身から噴き出す汗で服と前髪が体に張り付き、不快なことこの上ない。

自分たちでは父親には勝てない。だとすれば逃げるしか無いだろう。今はとにかく仁の追跡を何とか撒いて、仲間達と合流せねば。その後に急いでこの森を脱出しなければならない。

背中を木に預け、今は酷使した体を休ませる事に専念する。下手に動き回って自分の位置を感付かれたら、今度こそ殺されるだろう。

時間と共に早鐘のように脈を打っていた心臓は徐々に落ち着きを取り戻し。それに合わせて浅く早かった呼吸が深く遅い物へと変化してゆき、平常時の間隔に戻ってくる。

どれだけ休んだかは分からないが体の熱も大分収まり、呼吸もほぼ整った。万全とは言えないが、少なくとも動くことは出来る。父親に追い付かれる前にカズマ達と合流し、一刻も早く森を出なければ。

一度大きく深呼吸してから千翼は立ち上がろうと――

 

――ザッ

 

何者かが草を踏みしめる音が千翼の耳に届いた。反射的に体が震え、呼吸が止まる。

 

――ザッ

 

少し間を開けて同じ音が響く。急いで自分の鼻と口を両手で塞ぎ、呼吸音を抑えるために出来る限り長く、ゆっくりと指の隙間から息を吸う。

 

――ザッ

 

足音は確実に近付いていた。千翼は大木に背中をピッタリと付け、足を体に寄せる。少しでも気配を隠すために、目を閉じた。

 

――ザッ

 

自分のすぐ後ろ、つまりは大木の向こう側で足音は止まった。

 

――頼む……頼むから向こうに行ってくれ。

体が恐怖で震え、呼吸が乱れる。ほんの少しでも震えを抑えるために、千翼は自分の舌を噛み千切りそうな程に強く噛んだ。大木の向こう側にいるであろう人物は自分の位置を探っているのか、次の足音は聞こえない。

どれだけの時間が過ぎたのだろう。一分か、はたまた一時間か。時間の感覚を忘れる程の恐怖が千翼の心臓を鷲掴みにし、再び早鐘のような鼓動が始まる。

首筋に冷たい感触が走った。千翼は咄嗟に倒れる。少年が頭を固い木の根に強かにぶつけると同時に、一瞬前まで少年の首があった場所に線が走った。

大木が軋みながら、痛みで頭を押さえている少年に向かって倒れてくる。すんでのところで千翼は転がると、轟音を響かせ、枝葉を撒き散らしながら大木が地面に激突した。

何が起きたのかを確認するより前に、千翼は一瞬でも早く起き上がろうとする。黒いつま先がその腹を捉えた。

 

「がっ……」

 

体がくの字に折れ曲がり少年の体が宙を舞う。その先にあった木に背中を打ち付け今度は逆くの字に体が曲がると、仰向けの姿勢で地面に落ちた。

 

「言ったはずだ、次に会ったら必ず殺す」

 

葉と草を踏み締めながら、アマゾンアルファが身動きの取れない千翼に近付く。馬乗りになると左手で首を押さえ付け、右手首の刃を構えた。

 

「今度こそ、終わりだ」

 

目前に迫る死神()に、千翼は恐怖で何も出来ない。

 

「――」

 

音の無い声が千翼の口から漏れた。同時に千翼の体から蒸気が噴き出し、幾千もの触手が伸びる。それらは枝を落とし、岩を貫き、木々を一振りで切り倒した。

蒸気の勢いで吹き飛ばされたアマゾンアルファは空中で受け身を取り、着地すると即座に腕を振るう。襲いかかってきた何本かの触手が切り落とされた。

その後も腕を振るい続け次々と迫り来る触手を正確に、そして手際よく斬り裂くものの、徐々に押され始める。ついに迎撃が間に合わず、数本の触手が赤い体を叩いた。赤い異形が僅かによろめく。

その隙を逃さず触手の束が叩き付けられ、赤いアマゾンが宙を舞い、地面に落下する。強烈な冷気を放ちながら赤い異形が男の姿へと戻った。その様を触手の根元――蒸気の奥で爛々と輝く赤い双眸が、唸り声を上げながら仁を睨んでいた。

 

「ハハ……ハハハハ……」

 

仁は乾いた笑いを漏らす。その声に恐怖の色は一切ない。

 

「また……『ソレ』を使ったな……?」

 

常人ならば恐怖で足が竦むか、我先にと逃げ出したくなるほどの圧倒的な殺意。それを一身に浴びせられながらも、仁は全く動じていなかった。

 

「お前が一番分かっているはずだ、千翼。お前は……」

 

――アマゾンだ。

それが最後の台詞であった。カクンと首が傾き、仁はとうとう意識を手放す。

白煙の奥の存在は気を失った仁をしばし見詰めると、やがてゆっくりと蒸気が晴れてゆく。完全に消えると、そこには一人の少年がいた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

千翼は両手と膝を地面に付き、藻掻くように息をする。顔から幾つもの汗の粒が滴り落ち、地面に落ちると一瞬にして染みとなり消えた。

 

「あ……ああ……」

 

とうとう使ってしまった。自分が何よりも忌み嫌う、自身が化け物(アマゾン)であることの証。

これだけは何があっても絶対に使わないとあれだけ誓ったのに、使ってしまった。

地面に付けていた手を離し、ゆっくりと眼前に持ってくる。土と草で汚れた手の平がそこにあったが、千翼は血で染まった自分の手を幻視した。

フラフラと立ち上がると、覚束ない足取りで千翼はその場を立ち去った。

 

 

◆◆◆

 

 

再びあのむせるような生臭さが鼻を刺激する。何はともあれ仁を倒した千翼は、仲間の元へと急いでいた。極限まで消耗した体では歩くことすらままならないが、そんな事を言っている暇は無い。

自分を逃がすために右手を犠牲にしたカズマを一刻も早く治療しなければ。あの怪我の具合からして、恐らく今のカズマはかなり危険な状態になっているだろう。

血の臭いを頼りに森を歩き、草むらをかき分けて視界が開けると、そこには強張った表情で得物を構える魔道士と女騎士が自分を睨み、その後ろで木にもたれかかっている少年を女神が庇っていた。

お互い何が起きたのか分からず一瞬だけ沈黙が流れ、目の前の人物が仲間だと理解するとその名を叫ぶ。

 

『チヒロ!!』

 

「カズマ!!」

 

足をもつれさせながらカズマの元へ千翼が駆け寄る。

 

「カズマ、右手が!」

 

「大丈夫。アクアのおかげですっかり元通りだ。……つっても、流石に失った血までは治せないけどな」

 

千翼を安心させるように傷一つ無い右手をカズマは見せびらかす。皮膚で辛うじて繋がっていたのが嘘のように、小指と薬指は元通りになっていた。

驚きで目を見開き右手を凝視する千翼を見て、カズマは青白い顔で力なく笑った。

 

「チヒロ、さっきの男は?」

 

「上手い具合に撒けたのか?」

 

「……恐らく父さんはしばらく動けない。今のうちに逃げよう」

 

少しだけ言い淀んだ千翼にカズマ達は怪訝な顔を浮かべるが、今はそれどころではない。今すぐにでもこの森を出なければ、またあの男が千翼を殺すために追ってくる。

ダクネスは剣を鞘に収めると素早く、しかし丁寧にカズマを背負った。

 

「急ぎましょう!」

 

「こっちです!」

 

アクアとめぐみんの二人が先導し、残る三人が後を追う。女騎士の背中に揺られながら、カズマが隣を走る千翼に向かって微笑んだ。

 

「本当に千翼は凄いな……あんな強い奴を倒しちまうなんて」

 

それは、心からの称賛の言葉であった。そして、千翼はそれに応えること無く、微かに俯いた。




というわけで、久方ぶりの仁さんでした。
仕事の状況がどうなるか分からないため次回の更新は未定ですが、気長にお付き合いして頂ければ幸いです。
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