足裏に確かな感触を感じると、閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
石畳の道を進む幌馬車、レンガを積み上げて建てられた煙突付きの家屋、見慣れない服を着た人々……。
テレビや本でしか見たことないような景色が、千翼の目の前に広がっていた。
「ここが……異世界……」
あの部屋で行われたやり取りは決して夢などでは無かった。自分は本当に異世界に転生してしまったのだ。
今更ながら自分の身に起きた出来事に驚きつつ、送られる直前に天使からもらったアドバイスを思い出す。
――まずは冒険者ギルドを探せ。
その冒険者ギルドなる場所に行けば、生活に必要なことは一通り教えてもらえるらしい。
目的地に向かう前に背負ったリュック――ベルトの持ち運びが不便だろうからと「内緒ですよ」と天使がオマケで付けてくれた、生前愛用していた物――を開けて中を確認する。
暗闇の中から黄色い瞳が千翼を見ていた。
「うん、ちゃんとある」
リュックの口を閉じると一陣の風が通り過ぎる。数枚の落ち葉が千翼の足下を掠めていった。
寒さに身を震わせると首に巻いたストール――あの部屋で天使に頼んで持ってきてもらった母親の形見を少し巻き直すと、まずは目に付いた大きな建物を目指して千翼は歩き出した。
しばらく歩いて建物に到着し、入口の上に掲げられている落書きなようなものが書かれた看板を見ると『冒険者ギルド』と当たり前のように読むことが出来た。
あの天使が言っていた通り異世界の文字が読めたことに内心驚きつつ、入口の扉を開けると中から酒と香辛料の匂いが漂ってくる。
「いらっしゃいませ! お食事の方は空いているお席に、クエストの受注はあちらの受付へどうぞ!」
お盆に料理を乗せた女性ウェイターが爽やかな笑みとよく通る声で千翼に挨拶し、あっという間にどこかのテーブルへと料理を運んでいった。
受付と言われた方を見ると、スタッフらしき人間がカウンター越しに剣や槍を背負った集団相手に何かやり取りをしている。その後ろには簡素なベンチがいくつか置かれており、千翼はそこに座って順番を待つことにした。
「次の方、どうぞ!」
受付の一つが空き、千翼は立ち上がってカウンターに向かう。金髪の受付嬢の前に着くと「本日はどのようなご用件で?」と尋ねられた。
「あの、この町には来たばかりで勝手がわからなくて……」
「なるほど。それではこの町と冒険者ギルドについて説明いたしますね」
ここは魔王の侵略から最も遠い町であるアクセル。冒険者ギルドでは、登録した冒険者を対象にモンスターの討伐や指定物の採集といったクエスト――つまりは仕事を取り扱っている。
それらを達成したかどうかは冒険者カードという身分証明書で確認されること。カードの偽造禁止、紛失時には再発行に手数料がかかること。他にもアクセルにある主な施設や近くの町に関する情報など、一通りのことを受付嬢は説明した。
あの部屋で天使は「相応しい魂の持ち主であることを証明しろ」と言った。となれば、やることは決まっている。
「じゃあ、冒険者になりたいです」
「わかりました。それでは登録料として千エリスの支払いをお願いします」
「……登録料?」
まさかの言葉に思わずオウム返しをしてしまう。当然ながら千翼はこの世界の通貨など一切持っていない。
とりあえずは登録し、適当な仕事をこなして今日の宿を探そうと思っていたが、その計画は早速失敗した。
「どうかなさいましたか?」
目の前の少年が突然俯いて黙ってしまい、受付嬢は心配そうに声をかける。
千翼はこれからどうするかを必死に考え、頭の中の堂々巡りが何週目かに達したとき――
「どしたのルナさん、なんかトラブル?」
後ろから誰かが話しかけてきた。振り返るとそこには緑色のケープを羽織った十代中頃の少年が。その後ろには青い髪を結い上げた少女、黒い大きなとんがり帽子を被った紅い目が特徴の小柄な少女、重そうな鎧を着た長い金髪をポニーテールにした背の高い少女の姿が。
「……」
登録料を払おうにも持ち合わせが無い。などとは情けなくてとても言えなかった。かといってどうすることも出来ず千翼は俯いたまま沈黙する。
そんな千翼の様子を見て事態を察したのか、少年が「あー」と小さく声を出す。
「もしかして登録料の持ち合わせがないのか? だったらここは俺が払っとくよ」
「え……」
その発言に思わず俯いていた顔が上がる。少年は懐から財布を取り出そうとするが、その行為に青い髪の少女が抗議の声を上げた。
「ちょっとカズマ、今はそんな余裕ないでしょ」
「まぁ、待てってアクア」
カズマと呼ばれた少年は、カウンターから少し離れた場所に青髪の少女アクアを連れて行くと、周りに聞こえないように小声で彼女に話しかける。
「いいか。あの黒髪に顔立ち、服装。そしてこの世界の通貨を一つも持っていない……あいつは間違いなく日本人だ」
「見ればわかるわよ。それがどうしたって言うのよ?」
はぁー、と呆れたように溜息を吐きカズマは頭を振る。その様子を見てアクアは顔をしかめた。
「いいか、あいつはついさっき来たばかりの転生者だ。てことは、ここに来る前にあの部屋で転生特典を選んできているに違いない」
「まぁ、間違いなくそうだろうけど……それで?」
「お前、今まで何やってきたんだよ……」
不思議そうな顔をする女神に今度はカズマが顔をしかめた。
「あいつはいま無一文、冒険者になろうにも金がない。そこで俺が金を出す、あいつは冒険者になれる」
「ふむふむ」
「当然ながらこれで貸し一つだ。だから対価としてあいつにクエストを手伝ってもらう。ここまではいいか?」
「大丈夫よ」
きちんと理解していることを確認すると、満足げにカズマは頷いて続きを話す。
「ここからが重要だ。あいつは転生特典として何らかのチート能力かチート装備を持っているに違いない。きっと早く試したくてウズウズしているだろう。だからちょっと難しい討伐系のクエストを……」
ここに来てカズマが何を言わんとしているのか理解し、その美貌に似つかわしくない悪辣な笑みをアクアは浮かべる。釣られるようにカズマの口元が歪んだ。
「なぁるほどぉー。いやーカズマさんも相当なワルですなー」
「人聞きが悪いなー。知恵が回ると言ってくれよー」
グフフ、と。とても人前では出せような忍び笑いを二人は漏らす。そんな二人を千翼は不思議そうな、金髪の少女とトンガリ帽子の少女は何かを疑うような表情で見ていた。
話を終えて二人がカウンターに戻ってくると、カズマは改めて財布を取り出し千エリスを支払った。
「あの……」
「ん?」
「ありがとう」
小さく、だが確かな声で千翼は礼を言った。
気にするな、と言わんばかりにカズマは手をヒラヒラさせる。
「はい、確かに千エリスいただきました。それではカードに記入をお願いします」
受付嬢のルナからカードとペンを受け取り、千翼は空欄に名前、身長、体重等を書き込んでゆく。年齢や生年月日の欄はどう書こうか迷ったが、幸いなことに必要事項ではなかったので空欄にしておいた。記入漏れが無いことを確認してからカードとペンを返す。
「チヒロさん、ですね。次にステータスを計測するので、こちらの水晶に手をかざしてください」
ルナは千翼の冒険者カードをカウンター脇に置いてある人の頭ほどはあろう、様々な機械が取り付けられた青い水晶の下に置いた。
言われた通りに千翼が手をかざすと、水晶が淡い光を放ち始めた。同時に機械が回り出し光が徐々に強くなってゆく。
やがて光は水晶の下端へと集まり、一筋の青い光線となって下にあるカードを直撃した。すると、光線はまるで意志を持っているかのようにカードのステータス欄を次から次へとなぞり、なぞられた後にはこの世界の文字が書き込まれてゆく。
その様子を千翼は驚いたように、カズマは期待に満ちた、アクア達は真剣な眼差しで見つめる。最後の一文字を書き終えると光線は消え、水晶の光と機械も動作を停止した。
「それではこちらが貴方の冒険者……あれ?」
出来上がったばかりの千翼の冒険者カードを見たルナは首を傾げた。しばしカードを眺めたあと、それを元の位置に戻す。
「申し訳ありません、どうやら不具合が発生したようでして。もう一度お願いします」
怪訝な顔を浮かべつつも千翼は再び水晶に手をかざす。先ほどと同じように光が集まって、真下にあるカードに千翼のステータスを書き込んでゆく。
二度目の書き込みを終えたカードをルナは手に取ると、
「ええと……」
作り直されたカードを見たルナは、なんとも複雑な表情を浮かべていた。この様子にさすがの千翼たちも首を傾げる。
「こ、こちらが貴方のステータスになります……」
差し出された冒険者カードを千翼は受け取る。出来上がったばかりのカードを眺めていると「俺たちにも見せてくれよ」とカズマ達が横からのぞき込んできた。
「筋力、器用度、敏捷性、それに知力は普通だな」
「魔力がゼロ? 珍しいわね」
「生命力は非常に高いな」
「これはすごいですね」
彼らの所見によると、どうやら千翼は生命力、魔力以外のステータスは平均値らしい。
そして千翼は知らないが、この世界で冒険者にとってあまり関係のないステータスといわれている幸運。カードの一番下に書かれている最後のステータスを五人は同時に見て、言葉を失った。
【測定不能】
これだけなら「計測できないほど幸運に恵まれている」とも解釈できただろう。しかし、現実はあまりにも非情であった。
測定不能の文字のすぐ左側に、この世界で負の値を表す記号、即ちマイナスの記号が全てを物語っていた。
『……』
千翼も、カズマたちも一様に押し黙る。
「だ……大丈夫ですよ! 幸運の数値は冒険者にはあまり関係のない数値ですから!」
彼らの様子をみて居たたまれなくなったのか、ルナがフォローを入れる。
「そうそう! 俺も幸運の値がものすごく高いって言われたけど、良いことなんか殆ど起きないぜ!」
ルナの言葉にショック状態から立ち直ったカズマもすかさずフォローを入れる。千翼は黙って小さく頷いた。
「それではチヒロさん、職業は何になさいますか?」
暗い空気を和らげるためにルナが明るい声で千翼に尋ねる。
「職業?」
その言葉を聞いて首を傾げる。自分はこれから冒険者になるのだが、どうやら冒険者は職業ではないらしい。では彼女の言う「職業」はどういう意味かと千翼は疑問符を浮かべる。
「戦士とか魔法使いとか、戦闘での役割のことだよ。前に出て敵と戦ったり、後ろから魔法で援護したりするんだ」
RPGをしている人間ならば説明は不要だが、あいにく千翼は生まれてこの方ゲームに触れた経験が無い。
カズマの説明からこの世界に於ける「職業」の概念を大まかに理解はしたが、自分はどんな職業が向いているのだろう。チーム
「もし何にしたらいいか迷っているようでしたら、まずは基本職である冒険者を選び、そこから自分には何が向いているのか改めて考えても遅くはありませんよ」
「そうそう。あとで転職も出来るんだし、やっぱり基礎が大事だって」
「それじゃあ、冒険者で」
ルナとカズマの後押しもあって、千翼はひとまず冒険者になることを選んだ。
カードを受け取ったルナは、それをカウンター内の何かの機械に入れるといくつかボタンを押す。少ししてカードが排出されるとそれを手に取り、千翼に差し出した。
「はい、これにて登録完了です」
受け取ったカードにはこの世界の文字で「千翼」と書かれており、職業の欄には冒険者と書かれている。
自分の、自分だけのカード。まるで宝物を手に入れたような気分になり、思わず笑みがこぼれる。
「まずは冒険者としての登録おめでとう!」
「おめでとう!」
「これから貴方の物語が始まりますよ!」
「わからないことがあったら遠慮無く聞いてくれ」
千翼の新たな門出を祝ってカズマ達が拍手を送る。四人からの祝福を受け、千翼は照れ臭そうにしながら「ありがとう」と小さく礼を言った。
「というわけで、このクエストを受けます!あ、パーティーには千翼も入れます!」
そして、カズマは一枚の紙を勢いよくカウンター叩き付けた。
「さあさあ、私たちはあっちで待ってましょう」
「え、あ、ちょっと……」
自分たちの目論見がバレないように、アクアは千翼の手を引いて強引にカウンターから引き離す。そのまま隣の飲食スペースへ連れて行き、空いているテーブルに着席した。遅れて金髪と帽子の少女も席に着く。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はアクア、水を司る女神よ。気軽にアクア様と呼んでちょうだい」
「め、女神?」
突然素っ頓狂なことを口走る少女に千翼は面食らう。アクアと名乗った少女は自信満々といった様子で胸を張っていた。
「ああ、彼女の言うことは気にしないでください。そういう芸風なので」
「芸風じゃないわよ! 何度も言ってるけど私は正真正銘の女神!」
そんな自称女神の抗議を聞き流しながら小柄な少女は勢いよく立ち上がった。羽織っているマントを大仰に翻すと持っていた杖を高々と掲げる。
「我が名はめぐみん! いずれは魔道の頂点に立ち、爆裂魔法を以て全てを征する者!!」
めぐみんと名乗った少女は堂々と名乗りを上げる。その姿に千翼は呆気にとられ、残る二人は気にも留める様子も無かった。
「あー……うん、よろしく」
めぐみんは満足そうな顔で静かに腰を下ろした。彼女が着席したのを確認すると、金髪の少女は千翼に軽く頭を下げてから自己紹介をする。
「ダクネスだ、職業はクルセイダー。戦闘での壁役は任せてくれ」
ああ、良かった。この人はまともそうだ。胸中で千翼が人知れず安堵の溜息を漏らす。
「その……もし危ないと思ったら遠慮無く私を盾にしてくれ。いや、むしろモンスターが私を襲っていても構うな! できることなら危険なモンスターを私にけしかけてくれ!!」
前言撤回、やっぱり変な人だ。
千翼がそんな失礼なことを考えていると、手続きを終えたカズマが四人の座るテーブルにやってきた。
「クエスト受けてきたぞー」
「よし、それじゃ張り切って行きましょ!」
アクアが勢いよく椅子から立ち上がって拳を上げた。いよいよ千翼の初陣の幕上げである。
◆◆◆
冬の寒空の下、五人のパーティが草原を歩いていた。口から白い息を吐きながら時折寒さに身を震わせる。
歩きながらカズマが受注したクエストの説明する。今回の依頼内容は冬眠に失敗したジャイアントトードの群れの討伐。
本来であれば越冬のために冬眠するジャイアントトードが、なぜか今年はかなりの数が冬眠に失敗して今も活動しているというのだ。
当然ながら今の季節は餌となるものも殆ど無いため、もしかしたら餌を求めてアクセルにやってくる可能性がある。一匹や二匹程度なら町の警備兵でも対処できるが、万が一集団が一斉に襲いかかってきたら町は大混乱になるだろう。それを防ぐために今回のクエストが出されたのだ。
「もしかしたら誰かさんが爆裂魔法を毎日ぶっ放したせいで、餌となる生き物が逃げた結果、ジャイアントトードが腹を空かせて冬眠に失敗したのかもな」
そういって先頭を歩くカズマは自分の後ろにいるめぐみんを睨んだ。当の本人は露骨に目を逸らす。
しばらく歩いて小高い丘を越えたところでカズマが立ち止まる。後ろの四人も歩みを止めると、カズマは前方を指さした。
「あれがジャイアントトード、今回の討伐対象だ」
「なに……あれ……」
千翼が絶句する。
カズマの指す先には一匹の蛙が、象と変わらぬ巨体を持った大きな蛙が丘の上にいた。
外見は日本でもよく見かけた緑色の蛙そのものだが、いかんせんサイズが桁外れである。
なぜ蛙相手にここまで警戒するのだろうと千翼は疑問に感じていたが、目の前の巨大蛙を見て納得した。
「群れの数は十匹前後、それを全て倒したら今回の依頼は完了だ。というわけで……」
カズマは隣に立つ千翼の肩を叩き、爽やかな笑みと共に右手の親指を立てる。
「千翼、お前のデビュー戦だ! 華々しく飾ろうぜ!」
「いよっ! 待ってました!」
アクアが威勢の良いかけ声をかけると、カズマとアクアが何を考えているのか察しためぐみんとダクネスは、呆れた視線を二人に送る。
千翼は小さな溜息を吐くと、リュックから鳥の顔のような赤いバックルが付いたベルト――ネオアマゾンズドライバーを取り出した。
「ベルト……?」
てっきり武器を取り出すかと思ったカズマは、意外な物が現れて首を傾げる。
「ちょっと離れてて」
忠告に従ってカズマ達は千翼から離れた。四人が十分に距離をとったことを確認すると千翼はドライバーを腰に巻く。
次にリュックから銀色の注射器「アマゾンズインジェクター」を取り出し、リュックを少し離れた場所に置いた。
インジェクターをバックルに挿入してのまま持ち上げると、手の平でピストンをゆっくりと押し込んだ。内容物の黄色いゲルがドライバーに注入される。
『NE・O』
鳥の目が黄色く光り、電子音声と液体を飲み込む音が静かに響く。同時に千翼の瞳孔が黄色に光り出す。
――何が始まるんだ。離れた位置から四人は、事の成り行きを固唾を呑んで見守る。バックルの嚥下音が止まった。
「アマゾン!!」
叫ぶと同時に千翼の体が赤い爆炎に包まれた。熱と衝撃を伴った爆風が周囲に広がり、草を揺らす。襲いかかる熱風にカズマ達は思わず顔を覆う。
熱風が収まり心地よい冬の冷気を肌で感じると、覆っていた手や腕をゆっくりと下ろす。そして彼らの目に飛び込んできたのは、青い装甲を纏った異形であった。
四人の目が驚きで見開かれる。
異形はインジェクターをもう一度押し込むと「BLADE LOADING」と、再びバックルから電子音声が響く。右手首の装甲が持ち上がり、そこから一振りの剣が生えてきた。
まるで熱されたかのような赤い光を放つ剣は水音を立てながら装甲からせり出してくる。腕と同じ長さまで伸びたところで光が収まり、銀色の細い刀身が冬の寒空の下に現れた。
「アアアァァァ!!」
手元の剣のグリップを握り締め、雄叫びを上げながら青い異形――アマゾンネオはジャイアントトードに向かって疾走する。それに気が付いたジャイアントトードは大きな口を開き、長い舌を素早く伸ばした。先端が触れる寸前にネオは地面を蹴って跳躍し、その下をピンク色の舌が通過する。
空振った舌を口内に戻した大蛙はネオを捕らえるために上を向くが、すでに青い異形は目前にまで迫っていた。
「ハアッ!」
気迫と共に振り下ろされた剣はジャイアントトードの鼻先を捉え、そのまま腹を割き、最後には体を真っ二つに切り裂いた。血飛沫と臓物、さらには未消化の何かが青い異形に盛大に降り注いだ。
瞬く間の出来事にカズマ達は呆気にとられ、瞬きすら忘れていた。
と、地面から微かな振動を感じる。それに気が付いたカズマが首を回すと、平原のあちこちから大きな蛙が飛び跳ねながらこちらに向かってくるのが見えた。
「うわ、集まってきた!」
カズマは慌てて腰からショートソードを引き抜き、それに続いて残る三人も得物を構えた。
貴重な餌を一刻も早く捕らえるために、ジャイアントトードの群れが舌を一斉にアマゾンネオに向かって伸ばす。
それをネオは跳躍し、切り払い、叩き落として躱してゆく。が、一本の舌が左腕に絡み付いた。
見事に獲物を捕らえたジャイアントトードは、それを呑み込むために舌を引っ込めようとする。普通の人間であれば為す術も無く口の中に引きずり込まれているところだが、相手は文字通り
腰を落として足を踏ん張ると、ネオは逆に左腕一本で大蛙を引っ張り始めた。負けじと蛙の方も巨体と体重を生かして全力で舌を口内に戻そうとする。腕と舌がギリギリと音を立てながら互いに引き合い拮抗する。
ジャイアントトードの舌を使った綱引きの結果は、アマゾンネオの勝利となった。相手が自分を引き込むために力を抜いた一瞬の隙を逃さず、左腕を全力で振り抜いた。
緑色の巨体が地面を離れ宙を浮き、青い異形に向かって跳んでくる。
「フッ!」
頭上を蛙の巨体が通過する寸前に、アマゾンネオは右手のブレードを真正面に振り下ろした。斬られた傍から血が噴き出してネオに降りかかり、青い体を赤く染めてゆく。ネオの後ろで腹を裂かれた蛙の死体が地面に転がった。
それからネオは大蛙の頭を蹴りで潰し、脳天を剣で貫き、素手で内臓を抉り出すなど、次から次へとジャイアントトードを仕留めてゆく。
やがて、ネオ以外動くものが草原からいなくなった。緑色の草で覆われていた地面は今や死体と血液、臓物で塗りつぶされており、鼻を抓みたくなるような臭いが辺りに漂っていた。
さっきまで命だったものが辺り一面に転がる。
バックルからインジェクターを引き抜くと、足下の草が凍り付くほどの強烈な冷気がアマゾンネオの体から放たれ、異形は千翼の姿に戻る。
ちょうどそのタイミングで丘の向こうからカズマ達がやってきた。なぜかアクアとめぐみんが何かの粘液塗れになっており、カズマを含めたその三人はうんざりとした、ダクネスだけは残念そうな顔を浮かべている。
しかし、その顔も草原の惨状を見るや否や四人そろって引きつったものになった。
千翼が近寄ってくると、カズマは隣のアクアに耳打ちする。
「いいか、こういうときはオーバーなくらい褒めちぎるのがコツだぞ」
「オッケー、わかったわ」
戻ってきた千翼に揉み手を交えながら、どこかわざとらしく労いの言葉を二人はかける。
「いやー、凄いな。まさに八面六臂の大活躍! アンタこそ魔王を討伐する伝説の勇者だ!」
「すごいじゃない! あのにっくきジャイアントトードをたった一人で殆ど倒しちゃうなんて、すごすぎよ!」
「いきなり姿が変わったと思ったらあの動き……もしや貴方、秘められし力を持つ者ですか!?」
「もしかしてこれを全部一人でやったのか? な、なぁ具体的にどんなことをしたんだ? 詳しく教えてくれ!!」
カズマとアクアは下心と打算が含まれた、めぐみんは純粋な感心から賞賛と労いを千翼へと送る。ダクネスだけは自分の性癖に忠実であった。
そして当の本人は、
「……」
カズマ達から視線を外し、どこか複雑な顔を浮かべていた。
「え、えーと……」
あれ、なにかマズかったかな? 千翼の様子がおかしいことにカズマは戸惑う。
もしかして彼の癪に障るようなことを言ってしまったのだろうか。内心で冷や汗を流していると可愛らしいくしゃみが聞こえる。
「カズマ、このままじゃ風邪を引くから早く町に戻ってクエストの完了報告をして、お風呂に入りましょう」
「同感……早く体を洗いたい……気持ち悪い……」
粘液塗れのめぐみんとアクアの言葉にカズマは了承し、五人はアクセルの町へと戻っていった。
◆◆◆
「はい、完了を確認しました。それにしてもすごいですね! ものの数時間で、しかも一人で殆ど討伐してしまうなんて!」
夕方近くになって五人は町に戻ってきた。
アクア、めぐみん、ダクネスを先に帰らせ、カズマはクエストの完了報告とその手順を千翼に教えるためにギルドに向かった。
出発してから数時間で帰ってきた二人にルナは驚き、千翼の冒険者カードを確認して討伐の殆どを彼が行ったという事実にさらに驚きの声をあげる。
「それでは、こちらが今回の報酬です」
カウンターの上に紙幣の束と積み重ねられた硬貨が置かれる。
「本来はパーティーで平等に分配するんだけど、今回は千翼のデビュー戦で、しかも一番の戦果を上げたからな。俺たちの取り分はこれでいいよ」
そういってカズマは硬貨の塔を手に取った。
「え……本当にいいの?」
「いいっていいって。戦勝祝いみたいなもんだ」
――これはいわば先行投資、千翼を引き込めればすぐに回収できる。
卑しい笑みを心中で浮かべつつ、カズマは躊躇わずに報酬の殆どを一番の功労者に譲った。実を言うと自分たちは四人がかりでやっと一匹倒せただけなので、その後ろめたさが多分に含まれているのだが。
礼を言いつつ千翼がリュックに紙幣を入れていると、カズマは尋ねる。
「なぁ千翼。今日って宿泊先は決まっているのか?」
「ううん、これから決めるところ」
「よかったら俺たちの屋敷にこないか? 部屋はいくらでも空いてるし、大きな風呂も暖炉もあるぜ」
カズマからの誘いに千翼は答えなかった。代わりに視線を彷徨わせ、誘いを受けるかどうか悩んでいるような素振りを見せる。
ここでチャンスを逃してなるものかと、カズマはもう一押しする。
「遠慮するなよ。それに駆け出しで金もないんだし、少しでも節約しないと」
それでもなお悩んでいる千翼だったが、やがてまっすぐカズマの目を見つめる。当のカズマは表向きは微笑みながら、内心では期待と緊張で心臓がうるさいくらいに高鳴っていた。
「カズマ……」
「おう」
「ごめん、遠慮しとく」
「え」
そう言って千翼は足早にギルドを立ち去っていった。
残されたカズマは呆けた顔のまま固まり、千翼が閉めたドアの音でようやく再起動する。
がっくりと膝を付き「嘘だろおぉ……」と嘆きを漏らした。
最後の最後で目論見が失敗した男を、ルナは哀れむような視線で見ていた。しかし、それも数秒後には業務をこなすためにカウンターの奥へと消える。
――それにしても。
書類を記入しながらルナは今日新しく冒険者となった少年のことを思い出す。
――『アマゾン化』ってなんのスキルかしら。
その疑問も、次の瞬間には業務内容の思考に押し流された。