夕焼けに染まるアクセルの町。大通りを、とある親子が歩いていた。父親の背中を黙ったまま、怯えと戸惑いの混じった顔で子どもは追う。
ここじゃあ都合が悪い。場所を変えよう――逃げられると思うなよ?
思い出すだけで体が震える。その時の光景を振り払うように、千翼は何度も頭を振った。
これだけの人混みなら、その気になればいつでも仁を撒くことはできただろう。しかし、頭ではそう考えても、体は見えない糸で引っ張られるように父親の後ろをついて行く。
何度も逃げようとしたが、その度に仁の手が自分を鷲掴みにする光景が頭を過り、体が動かなかった。
そうこうしている内に町を出た。凍った雪を踏みしめながら親子は黙ったまま歩き続け、アクセルの町を望める小高い丘でようやく立ち止まった。
「さて……こうして会ってみると、何から話したらいいか迷うな」
あれから本当に色々とあったからなぁ。そう言って仁は小さく笑った。
「まぁ、とりあえず。お前が死んでからのことを話してやろう」
千翼が死んでから仁、緑色のアマゾン――水澤悠と駆除班。そして4Cは溶原性細胞によって変異したアマゾンを狩り続けた。
やがて、残るアマゾンは仁と悠の二人だけとなり。これでアマゾン細胞による全ての因縁に決着が付く――と思われた。
「それだってのに野座間の連中、性懲りも無くまたアマゾンを……しかも食用、ようするにアマゾンの家畜を作ってやがった。本当に懲りねえなぁ」
頭を振りながら、仁は呆れたような溜息を吐く。
「そして俺は、アマゾン達を守ろうとする悠に負けて死んだ……ってわけさ。結局アマゾンを根絶やしに出来なかったのは心残りだったが、まぁ仕方ない。死んじまったからな。これでようやく俺も楽になれる……そう思ったんだよ」
「まさか……」
「ああ、お前の想像通りだ。死んで目が覚めたらおかしな部屋にいて、しかもそこにいた奴から『異世界に行って魔王を倒し、願いを叶えるか。それとも天国に行っていつ来るかも分からない転生の時を待ち続けるか』って言われてな。人を殺したから地獄に落ちるもんだと思ったから驚いたよ」
そう言って肩を竦める。千翼は口を真一文字に結んで、父を見ていた。
「生前に心残りがあって、もしかしたら願いが叶うかもしれない。だったらやるしかないだろ?」
「父さんは……そこまでしてアマゾンを滅ぼしたいの?」
「ああ、そうだとも。俺がアマゾン細胞を研究して、そこからアマゾンが生まれた。だったら俺が責任を持って一匹残らず狩るのが筋ってもんだろ?」
さも当然のように言い放つ仁に、千翼は息を飲む。
「あの町に立った瞬間、お前の臭いがして驚いたよ。こっちに来てたとは思わなかった。俺もお前も、ずいぶんと神様に嫌われたもんだな。あれだけ苦しんだのに一向に楽にさせてもらえない。まぁ、お互い仕方ないっちゃあ仕方ないがな」
一陣の風が吹いた。千翼から仁に向かって冷たい風が通り過ぎ、仁が鼻をひくつかせる。
「そのストール、七羽さんのか」
「……そうだよ」
「……ああ、あの部屋で貰ったのか。いいなぁ、俺も何か貰えばよかった。七羽さん、今頃は天国でのんびりしてるかな」
そう言って、仁は紫色から黒のグラデーションのかかった空を見上げた。既に星が瞬き始めている。
「さて、おしゃべりはここまでだ。あとは……わかるだろ?」
千翼は視線を仁に向けたまま、リュックからネオアマゾンズドライバーとインジェクターを取り出す。
「そうだ千翼。一つ教えてやろう」
ベルトを巻きながら、仁は何気なしに息子に話しかける。
「七羽さん。お前の母さんは生きてたよ」
「……母さんが?」
ドライバーを腰に巻き、インジェクターを挿入しようとしていた千翼の手が止まる。仁はバックルに取り付けられた左側のグリップを握った。
「アマゾンになってな」
千翼の顔から感情と血の気が消えた。仁はグリップを捻る。バックルの緑色の双眸が光った。
『ALPHA』
「アマゾン」
仁の体が紅い爆炎に包まれる。あまりの高熱に足下の雪が溶け、みるみるうちに水蒸気となって消えてゆく。
『BLOOD・AND・WILD!! W・W・W・WILD!!』
「そして、俺を庇って死んだ」
紅蓮の衣を破って、赤い異形が姿を現した。緑の双眸が、魂が抜け落ちたように生気を失った千翼を見据える。
「千翼……今度こそ、母さんの元へ送ってやる」
腕から生えた刃を振りかざし、赤い異形『アマゾンアルファ』が地を駆ける。
「っ!」
間一髪のところで千翼は正気を取り戻し、攻撃を避けつつ距離を取るために転がる。黒い刃が千翼の首があった場所を通過した。
体勢を立て直しながら千翼はインジェクターをセットし、素早くピストンを叩く。
「アマゾン!」
赤い爆炎に包まれ、千翼がアマゾンネオに姿を変える。目の前には既にアルファが迫っていた。黒い刃が夕焼けに閃く。
咄嗟にネオは右腕を突き出した。刃と刃がぶつかり合い、火花を散らす。
「千翼!! これで分かっただろ!! 俺はなぁ、責任を取るために、何がなんでもお前を殺さなきゃならない!!」
「そうしないと、七羽さんが安心して眠れないんだ!!」
「っ……俺、は……」
アルファの腕が払われ、ネオが大きくよろけた。すかさず回し蹴りをアルファが繰り出し、無防備となったネオの腹に叩き込まれる。
「がっ……」
蹴り飛ばされたネオは、受け身を取ることもままならず雪上を転がる。ようやく回転が止まり立ち上がろうとするが、腕に思うように力が入らない。
母さんが、アマゾンに――父から明かされた真実に、千翼は困惑していた。全てが変わってしまったあの日の夜、母親は自分が食人衝動に任せて喰い殺したと思っていた。
しかし、母親は生きていた。アマゾンとなって。
なんで、どうして、母さんが――突如として突き付けられた事実に、頭が理解することを拒む。四肢が震え、言うことを聞かない。
「終わりだ」
アルファが再びグリップを捻る。バックルの双眸が輝いた。
『VIOLENT SLASH』
アルファの右腕の刃が肥大化し、鋭さを増した。左腕を前に突き出し、右腕を大きく後ろに引く。獲物を狙う猛獣のように姿勢を低くすると、全力で地を蹴った。
凄まじい速さでネオに迫ると、すれ違いざまに右腕を突き出す。漆黒の刃は青い装甲を易々と切り裂き、ネオの胸から首筋にかけて鮮血が吹き出した。
為す術も無く致命の一撃を受けたアマゾンネオは、冷気を放ちながら元の千翼の姿へと戻り、力なく雪の上に倒れた。その下から薄い湯気を立ち上らせながら赤い血が雪に染み出してくる。
アマゾンアルファは姿勢を戻すと、雪を踏み締めながらゆっくりと千翼に近付く。もはや逃げる気力も体力もない息子の頭を掴み上げ、爪を立てながら右手を引いた。
「千翼、向こうに行ったら七羽さんによろしく伝えといてくれ」
もはや千翼に逃げる術など無かった。あとは赤い異形が腕を振るうだけで、少年の命は呆気なく散ることだろう。
「じゃあな」
鋭い爪が千翼に迫り、アルファの右腕が氷に包まれた。千翼から手を離して反射的に飛び退くと、先ほどまで
「そこまでです!」
女性の鋭い声が丘に響く。
普段の穏やかな雰囲気からは想像できない、鋭い目つきと一分の隙も無い構えをウィズは見せていた。
「チヒロさんにこれ以上危害を加えるなら、容赦はしません」
アルファが右腕を震わせると、纏わり付いていた氷が粉々に砕け散った。感覚を確かめるように拳を開閉させながら、緑の双眸が
「人間……じゃあないな。だがアマゾンでもない……チッ」
舌打ちすると赤い異形はベルトを外す。強烈な冷気を放ちながら、赤い異形は仁の姿に戻った。
「おいアンタ。悪いことは言わない、そいつに関わるのだけは止めておけ。そいつは生きているだけで周りの人間を不幸にする」
「チヒロさんと関わるかは私が決めることです。貴方が決めることではありません」
「ハァ……こっちは親切心で言ってんだけどなぁ……」
仁は呆れたように頭を掻く。視線をウィズから千翼に動かすと、先ほどまでの殺意など微塵も感じさせない、明るい口調で話しかける。
「千翼、今日の所は見逃してやるよ。正直言うと、俺も病み上がりみたいなもんだからな」
二人に背を向けて、仁はその場から立ち去ろうとした。
「次に会ったら、必ず殺す」
去り際にそれだけ言って、今度こそ仁は二人の前から立ち去った。ウィズは男の姿が完全に見えなくなっても、右腕を突き出し続けていた。
視界から男が消え、戻ってこないことを確認するとようやく右腕を下ろす。小さな安堵の息を吐くと、急いで千翼に駆け寄った。
「チヒロさん、大丈夫ですか?」
「ウィズ……さん……」
「とりあえず手当をしないと。アクア様ならすぐに……」
千翼は首を横に振って、ウィズの言葉に拒絶の意思を示す。
「カズマのところは……ダメです……」
「で、でも。早く手当をしないと!」
「だい……じょうぶ……。だったら、ウィズさんの……店に……」
ここで押し問答をするよりは、一刻も早く手当てをするべきだとウィズは判断した。
住民に見られて騒ぎにならないように、着ていたローブを千翼に被せると、肩を貸して立ち上がらせる。そのまま引きずるようにして、二人はアクセルの町へと向かった。
何度も人にぶつかり、その度にウィズが謝罪しながらようやく店に辿り着く。自室に入ると千翼をベッドに寝かせ、大急ぎで棚を漁る。
「ちょっと待っててください。たしか救急箱が……あった!」
目的の物を見つけたウィズは、それをサイドテーブルに一旦置いて部屋を出た。
部屋の外から水が流れる音がしばらく聞こえたかと思うと、水を張った洗面器とタオルを持ってウィズが部屋に戻ってくる。
まずは傷の具合を確認するために千翼の上着を脱がした。胸から首にかけて夥しい量の血糊が付着している。傷周りの血糊を濡れたタオルで拭き取り、脱脂綿と消毒液が入った瓶を手に取ると。
「これは……」
傷は殆ど塞がっていた。あれだけ大量の血を流したのが嘘だと思えるほどに、今は小さな傷しか残っていない。
ウィズは脱脂綿と瓶を救急箱に戻すと、もう一度タオルを手に取る。千翼の体に付いた残る血糊を丁寧に拭き取ると、上体を優しく起こして傷口にガーゼを当て、その上に包帯を丁寧に巻いてゆく。
最後にしっかりと結ぶと、額の汗を拭って大きく息を吐いた。
「ウィズ、さん……」
「はい、なんでしょうか?」
「俺がいつも買っている粉……あれを持ってきてください……俺には、薬よりも……あれの方が……」
一瞬だけの戸惑いの表情をウィズは浮かべるが、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻ると「わかりました」と言って部屋を出る。
ガラスが触れ合う音と、何かを注ぐ音が聞こえ。戻ってきた彼女の手には、オレンジジュースが注がれたコップを持っていた。
「以前カズマさんから『千翼はあの粉をジュースに溶かして飲んでいる』って聞きまして」
「いただきます……」
千翼はコップに口を付け、少しずつ啜る。ゆっくりと時間をかけて飲み干すと、コップをウィズに返し、大きな溜息を吐いた。
「すみません……少し……寝かせてください……」
「大丈夫ですよ。ゆっくりと休んでください」
千翼は礼を言うと、体をベッドに横たえ目を閉じた。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
ウィズは救急箱を手に取り、静かに部屋を出た。
◆◆◆
次の日、太陽が大分高い位置に上ってから千翼は目を覚ました。
雲一つ無い青空から日射しが降り注ぎ、冬場であるのに汗ばむほど暖かい。
慎重に体を起こし、包帯の上から傷を撫でると、微かな違和感があるだけで痛みは全く無かった。
「あ、起きたんですね。具合はどうですか?」
部屋の扉が開かれ、入ってきたウィズが千翼の体調を尋ねる。
「痛みはありません」
「それは良かった」
まるで自分のことのようにウィズは喜ぶ。ここで千翼は、自分がウィズの店に泊まった。という事実を思い出す。
「カズマ、心配してるかも……」
「チヒロさんが熱を出して倒れたから、私が介抱している。とカズマさんに昨日伝えておきました。だから心配はありませんよ」
「何から何まですみません……」
どういたしまして。という返事の代わりにウィズは小さく手を振った。そこでふと、千翼は自分が上着を着ていないことに気が付き、慌てて部屋中を見渡す。
「俺の服は!? 血が付いているはず!!」
「服でしたら、今から洗濯しようと……」
「ということは、まだ洗ってないんですよね? よかった……」
一体何が良いのか。汚れ、しかも血が付いた服など、一刻も早く洗いたいと思うのが普通である。服が洗われていないことに何故か安堵する少年に、ウィズは首を傾げた。
「ところで……昨日ウィズさんはどうして、あの場所に?」
「売り上げを計算していたら、チヒロさんにお釣りを間違えて渡したことに気が付いて。それで慌てて後を追いかけたんです」
ウィズはどこか照れ臭そうに頬を掻く。しかし、すぐに不安げな表情に変わると、躊躇うように口を開く。
「チヒロさん、昨日のあの人は……いえ、何でもありません」
店番がありますから。と言ってウィズは立ち去ろうとする。
「待ってください」
部屋を出て行こうとする彼女を、千翼は引き留めた。ドアノブに置いた手を離し、ウィズはゆっくりと千翼に向き直る。
「全部、話します。俺が何者で……何をしてきたのか」
もはや彼女にこれ以上隠し通すのは無理だろう。覚悟を決めた千翼は生前に何があったのか。自分が何者で、あの男は誰なのか。全てをウィズに打ち明けた。
野座間製薬、アマゾン細胞とアマゾン、食人衝動。父親である鷹山仁、溶原性細胞。そして死と転生。
千翼が全てを語り終えるまで、ウィズは静かに耳を傾けていた。
「これが俺の……俺が転生する前にあった出来事です」
普通であれば、こんな荒唐無稽にも程がある話をされたら笑い飛ばすのが当たり前であろう。しかし、それを聞いていたウィズはまさに昨日、信じられないような出来事を目の当たりにした。
その当事者である千翼が語った言葉に、嘘や冗談など微塵も感じられない。彼女が出来ることは、黙って事実を受け入れることだけであった。
「ウィズさん……一つ、頼みがあるんです」
ただならぬ雰囲気の千翼に、ウィズは改めて姿勢を正して言葉を待つ。
「もし……もし俺が食人衝動に負けて人を襲ったり、溶原性細胞でアマゾンになった人が出たら。俺を殺してください」
「な……何を言っているんですか!? そんなことできません!!」
自分を殺してほしい。という少年の願いにウィズは声を荒らげる。千翼は静かに首を横に振った。
「俺はあの時死んで、それで全てが終わったはずだったんです。でも、本来ならあり得ない二度目のチャンスを得ることが出来た……。それでも俺が人を不幸にするようなら……俺には生きる資格がないってことです」
「チヒロさん……」
「俺が人を食った時は……それはもう俺じゃ無くて、俺の姿をした人食いの化け物です。大勢の人を不幸にするだけの……」
声色から、その頼みが決して揺るがない物だとウィズは悟る。うつむき、両手と唇を震わせ、ようやくウィズは口を開いた。
「わかり……ました……」
消え入りそうな声で、ウィズは千翼の頼みを引き受ける。
「でも……それまで絶対に諦めないでください。私はチヒロさんの味方です。もう一度チャンスを手に入れたのに、それを無駄にしてしまうなんて、悲しすぎます……」
「……ありがとうございます」
寂しく笑って、千翼は礼を言った。
ウィズは大きく息を吐くと、それまでの重い空気を吹き飛ばすように、いつもの柔和な笑みを浮かべ「念のためにもう一日だけ休みましょう」と提案する。
体の方は治っても、心は簡単に治りませんよ。という彼女の言葉に、千翼はそれを了承し、その日も店に泊まった。
そして翌日、人々が目を覚まし。今日という一日が始まろうとした時だった。町中の穏やかな雰囲気を台無しにするような警報が鳴り響く。
『緊急警報発令! 緊急警報発令! 機動要塞デストロイヤーの接近を確認! アクセルにいる冒険者の皆様は、装備を整えて至急冒険者ギルドにお集まりください! 住民の皆様はすぐに避難行動を! 繰り返します――』
次回はデストロイヤー戦となります。
Q:千翼の血が付いた服は結局どうなったの?
A:洗濯した後に、血が溶けた水が完全に蒸発するまで煮沸しました。