この関係はずっと続くと思っていたが、転校生の女の子が現れて事態は一変。
今まで気付かないふりしていた思いに気付いた明里は告白を決意する。
ずっと昔、小学1年生の時の話。そのときの先生の言葉が、今も頭に残っている。
『心の中で思っていることは、言葉にしなきゃ伝わらないの』
『ことば……?』
『そう。それを伝えないで喧嘩になっちゃうのは、一番良くないことだよ』
その日、わたしたちは校庭で大ゲンカしていた。
結局、仲直りできたのは、次の日だった。
『ごめんね……』
『ぼくも、ごめん』
お互いに謝り、手をつないで遊ぶ仲に戻ることができた。それが嬉しかったことは今も覚えている。
二階にある自室の、部屋の窓ガラスが叩かれる音が聞こえた。
笑顔で手を振ってきている。嫌な予感がした。だが無視するわけにもいかない。窓を開けて、警戒しながら答えた。
「……なに」
「あー……もしかして、明里、機嫌悪い?」
「春休みの宿題をやってたの。それで?」
「ええっと……晩飯、作ってくれないかなって」
申し訳なさそうにそう言った健人に、思わず頭を抱えた。
もうすぐ夜の八時だ。この男は、こんな時間になるまで、一体何をしていたのだろう。
(そっか。おじさんもおばさんも、しばらく留守だって言ってたなぁ)
しかし、こんな時間になって夜食を作ってくれと頼まれるとは思わなかった。カップラーメンでも作ればいいのに。
「……分かった。じゃあ家の鍵。開けておいて」
「助かる!」
神様にそうするように手を叩き合わせて、わたしに頭を下げてきた。
適当にあしらってカーテンを閉じたあと、深いため息をついた。
(こう言う時ばかり調子がいいんだから、まったく……)
わたしは着替えると外に出た。
「寒い!」
吐く息はまだ白くて、とても肌寒い。腕を手でこすりあわせながら、隣の家に駆け込んだ。
「来てくれたのか! だからって、潰れかけのバッシュ履いて来るのはなぁ」
「文句ある?」
丁寧に靴を脱いで中に入ると、薄着でも十分なくらい暖房が効いていてほっとしたが、リビングに向かうと愕然とした。ひくひくと眉が揺れる。
「健人。これ、何?」
「……いや、つい汚しちゃって」
リビングを見て絶句する。ソファには衣服が散乱している。食器は、洗うどころか片付いてすらいない。
(なんなの、この男)
申し訳なさそうに頭を掻く幼馴染だが、笑って許せる範囲を超えている。
「この状態で、どうしろっていうのよ!!」
ガツンと言うと、目を丸くしていた。
「え。どかせばなんとかなるだろう?」
「ならないわよ! 食器洗うのも、そのあと洗濯機かけるのも、誰だと思ってるの!!」
「それは、まあ……」
落ち込んでしまったが、これは自業自得だ。呆れ返ってものも言えなかった。
「食事どころじゃないわね……。健人! 自分の服、洗面所に全部しまってきて」
「ええ? そんなの、後でいいじゃん」
「先にやるの! それとも、この状況を写真に撮って、おばさんに送りつけられたい?」
「わ、わかったよ!」
脅してようやく動き始めた幼馴染を見て、重いため息をつく。
男の人は、どうしてこうも無頓着に部屋を汚せるのだろうか。
(ほんとにもう……)
洗剤をスポンジにつけて皿の汚れを落としながら、健人の将来を憂いた。
結局、カップラーメンとおにぎりだけ作った。ザ・炭水化物だけど、しょうがないでしょ。
「作ってもらってなんだけど、お前、俺の世話ばかり焼いてていいのかよ。このままじゃ恋愛とか無縁そうだし」
「はぁ!?」
あまりに失礼なことを言った健人に、立ち上がって声を荒げた。
「何を見てそう思ったのよ!」
「じゃあ聞くけど、誰か好きになったりとかしたこと、あるのかよ」
「うっ……」
わたしは言葉に詰まる。
「ほれみろ!」
「あー、なんかムカツク! じゃあそう言う健人は!?」
わたしはさらに高い声で言い放つ。ピリピリとした空気が流れている。
「あるわけないだろ……うわ!? ちょっと待て、暴力は無しだって、反則!」
無性に苛立って、クッションを振り回し、健人をボコボコにやっつけた。
結局、家に戻ったのは、十一時を過ぎてからのことだった。
「まったく、健人ってば、ほんとデリカシーないんだから」
部屋に戻ってから、ひとりで頬を膨らませる。全然苛立ちが収まらない。
だが、部屋に一人でいるうちに、怒りが別の感情に置き換わっていく。
「恋愛か……」
ちら、と本棚に視線を向ける。
使わなくなった教科書や、テキストの隣の棚に、少女向け漫画がずらりと並んでいる。
一冊を手にとって、ぱらぱらと流し見る。
物語の主人公になる女の子は、華々しくて、輝いていて、誰もが憧れるような恋をしていた。
(現実で、こんなことありっこないのに)
憧れるのは確かだ。だがこんな都合のいい展開はありえない。
わたしはため息をついた。
どこにでもいる女子高生でも、漫画みたいな恋をしてみたいと思うのは、当たり前だと思う。
「そもそも、好きな男の人がいないのよね」
男子と付き合っている友人も出始めているが、自分にはその心が分からない。
(男の人と付き合うって、どんな感じなんだろ)
わたしももう高校生。だけど、部活バカ。健人には馬鹿にされたが、自分だって胸焦がすような恋をしてみたいと思う年頃だ。
しかし今までに、そんな出会いはない。
(本当に……? 一人くらい、いたんじゃない。見逃してないかな)
深く考え込んだ、その数秒後。にやついた健人の姿が浮かんだ。
「はあっ!?」
顔を真っ赤にして怒鳴ったが、すぐに落ち着いた。
「……さっきまで顔合わせていたからか」
甲斐甲斐しく世話をしたばかりだから、思い浮かぶのも当然か。普段会う男子は、あいつくらいしかいないが、あれはない。
こちらをバカにするようなにやけ顔を、早々に頭の中から追い払った。
(ないよね。うん、ないない)
あんなガサツなやつが彼氏なんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。そんなのまるでラブコメだ。
「疲れてるのかな。寝よう……」
だが、テーブルに中途半端に残した宿題を見つけて、頭を抱えた。
「あっ、宿題やってない!」
げんなりした。渋々と机に向かって、わたしはシャープペンを手に取った。
4月。目の前に、まるで漫画の中から抜け出してきたような、綺麗な女の子がいた。一緒に登校していた健人と、わたしは、その通学路で固まる。
銀色の髪は、絹のように綺麗だ。思わず守ってあげたくなるような、可愛らしい顔立ちをしている。
「い、いたたぁ」
女の子でも見惚れてしまうような女の子が、泣きながら、道端で尻餅をついていた。
その美しい緑色の瞳が涙を滲ませて、こちらを見ている。
(えっ。これ、どういう状況……?)
すると正義感の強い健人が先に駆け寄り、屈んで様子を確認した。
「君、大丈夫?」
「はい。あ、あのっ、ありがとうございます……」
恥ずかしがっている様子で、頬を赤らめながら健人から視線を外した。
何となくモヤッとした気持ちになったが、そんなことより、怪我をしていたら大変だ。
「わたし絆創膏持ってるよ。使って」
鞄を漁って、絆創膏の箱を取り出した。美少女は慌てたように遠慮する。
「い、いえ。大丈夫です。ご心配をおかけしてごめんなさい」
「膝のところ擦りむいてるでしょう。ちゃんと貼っておかないとだめだよ」
「あ、ありがとうございます……」
少女は極度の人見知りなのか、とても緊張した様子だったが、受け入れてくれた。
(それにしても、すごく綺麗な子……)
屈んで近づいてみて分かったが、少女は羨ましいほどに綺麗な肌をしていた。白く透き通って、滑らかで艶かしい。
「はいっ、これでよし……と」
少し緊張しながら、貼り終えた。
「助けていただいて、ありがとうございます。ええっと……あっ!」
「どうしたの?」
「私、急いでたんでした! すみませんっ、お礼は後で必ずします。失礼します!」
「え、入学式はまだ先じゃないの? ……行っちゃった」
彼女は真っ赤な顔で走り去ってしまった。すぐに見えなくなる。伸ばした手だけが残された。
(そういえば、健人、大人しいな……?)
不思議に思って、ふと隣を見た。だらしないにやけ顔で、さっきの美少女を見送っていた。
「あの子、すげえ可愛かったな……」
不意にそっぽを向いて、学校に向かった。
「え。ちょ、明里。どこ行くんだよ!? なんか怒ってる?」
「何でもない!」
健人には不機嫌の理由が分からないのか、情けない声でついてくる。
(でも……どうして、こんなにイライラするんだろう)
自分でも理由が分からなかった。しかし苛立つような気持ちは本物だ。
「おーい!?」
結局、わたしは最後まで、健人にそっぽを向いたまま通学してしまった。
学校に着く頃には、機嫌も戻っていて、健人も安心した様子だった。
二人で一緒に、貼り出されたクラス分けの掲示板を見る。そして思わず苦笑いしてしまった。
「なんだ。また一緒なのか」
「離れたことって、一度もなかったよね」
今回もクラスは一緒だった。
健人とは小学校の頃から、一度も離れたことがない。腐れ縁とはよく言ったものだが、ここまで続くのは珍しいと思う。
二人で教室に向かった。
「きょ、今日からこちらでお世話になります。平良 真礼と申します!」
可愛らしく、緊張したような声で、転校生は自己紹介をした。
教室が完全に固まり、美貌のお嬢様は、一瞬怯えたように様子を伺った。
男子は立ち上がって拍手喝采し、興奮を隠さない。女子からも騒がれている。まるで、人気アイドルがやってきたような扱いに戸惑っているみたいだ。
「はい、静かに。みんな席について」
担任の先生の指示で、平良さんも一礼して席についた。
(ちょ、なんで健人の隣なのよ!)
わたしは、思わず立ちあがりそうになった。
健人の隣に座った平良さんは、はにかみながら健人に挨拶した。朝の出来事があったからか、緊張もほぐれているらしい。
それに気を良くしたのか、口元を緩めて、だらしない顔をしていた。
周囲の男子から睨み付けられていることも気付いていないようだ。わたしも、すごく苛立ってしまった。
(デレデレしちゃって、もう!)
朝よりも嫌な気分になって、わたしはぷいと、そっぽを向いた。
時間が経つごとに、その気持ちは少しづつ変わった。
イライラしたような気持ちはない。全部、焦りと不安に変わっていった。
平良さんは、学年中の注目の的だった。モデルかと見紛うほどの美少女で、気立てもいい。
もっとも、平良さん自身は目を回していたので、途中からクラスの女子による接触禁止令が出された結果、健人だけが、美少女の転校生とどんどん仲良くなっていったのだ。
そして、わたしは見てしまう。健人と平良さんがキスしている場面を。
「……キスって、こんな感じなんですね」
わたしは気まずくなり、洗面所へ駆け込んだ。
波乱のイベントから幕を開けた新学期。
わたしは、女子トイレの洗面台で、嫌な気持ちで自分自身を見つめていた。
(どうしてこんな気持ちになるの……)
顔を洗ったのに、気持ちはぜんぜん切り替わらない。
こんな切ない気持ちになるのは生まれて初めてだが、どうしてこんな風になるのかわからない。
わたしの中に、漠然とした焦りがあった。
その間に平良さんは、すっかり健人に懐いてしまったみたいで、距離が近くなった。
授業中はノートで筆談をしあっていたし、お昼には二人きりで昼食をとろうとしていた。
それに気づいた時は気が気ではなかったが、結局他の女子に囲まれて、二人きりとはならなくて、すごく安心した。
「……わかんないよ」
わたしは、安心した理由も、不安に思う理由も分からずにいた。
幼馴染が、みっともない顔でデレデレしているのが、見ていて嫌だと思うところまでは納得がいく。
しかし、辛いと思うような気持ちが湧き出してくるのは納得が出来ない。
(気の迷い……ううん、そうじゃない)
そんな言葉で済ませていいほど、これは軽い感情じゃない。いま何かを間違えてしまうと、一生後悔するだろう。
どうして、胸がしめつけられるように苦しくなるのか。
『誰かを好きになったりしたことがあるのかよ』
ふと、健人にそんな風に言われたことを、思い出した。
「あっ……」
不意に、気付いた。鏡に映った自分自身は、驚嘆していた。
「嘘、よね?」
すぐに受け入れられない。
口を開けたまま、引きつった笑みを作る。けど、自分を騙すことは出来ない。
「わたし、健人が好きなの……?」
言葉にしてみると、腑に落ちる。
健人はただの幼馴染だ。
だから頭に思い浮かべるのは、自分に情けなく頼ってくる、普段の姿だった。
しかし、今は違う。頭の中の健人の姿は、自分にだけ微笑んでくれる優しい姿に切り替わった。腐れ縁の幼馴染から、格好いい男性になってしまっていた。
「……嘘でしょ」
顔が赤くなって、頬を抑える。否定しようとしても、もう出来なかった。
今まで、一緒に過ごしてきた自分の態度を思い返して、恥ずかしい気持ちが溢れた。
部活動が終わった体育館は静寂に包まれている。わたしを除いて。
わたしは感触を確かめるように何回かボールを弾ませた。足をバネのように縮め、ぐっと伸ばすように跳躍する。
跳び上がる身体が頂点に達すると同時に手から放たれたボールは、放物線を描いてリングを目指した。ガゴン、とボールが掠る。
勢いが弱まったボールはリングに沿うようぐるぐると回り、真下で待ち受けるネットに落ちた。
(よし)
健人の存在に気づいたわたしは、バスケットボールを手に取って近づく。
「待たせたな」
「全然」
ラブコメならデートの待ち合わせを思わせるフレーズだ。違うけど。
「放課後つき合わせちゃって悪いわね」
「俺は構わないけど、使用許可は大丈夫なのか?」
「ん~、そこは平気、かな」
そうして、健人はわたしに声をかけた。
「俺と1on1やるんだろ?」
「いつもの、ね」
「いつも言ってるけど、俺じゃ相手にならない」
「分かってるよ。一回だけでいいから」
わたしは両手をあわせて苦笑いで申し出る。
「分かったよ」
わたしが健人にボールを渡すことで試合開始。同時に右手でボールをつき始める健人。
わたしと健人の距離は十分にあり、ボールへ届くことは決してない。
健人は一定のリズムを刻むようにドリブルを続ける。しかし、健人もバスケ素人ではない。明確な隙はない。
バウンドして彼の手まで戻ってくるまでのインターバル。わたしは最高のタイミングを見計らって鋭いスティール。
加速するわたしの右手は風を切り、眼前のボールを奪おうと伸びていた。
指がボールに触れる寸前、確信する勝利。
しかし、わたしの手は虚空を切り裂くように空振っていた。
ボールを奪おうとした瞬間、健人の手がそれよりも早くボールを奪い、予測していた通過点からずらされた軌道。
いつしか、健人はレイアップでリングネットを揺らしていた。
「一体どうしたんだよ?」
健人がわたしのもとへ駆け寄る。
「たまにはこんな日もあるって」
「なんか動きにキレが無かったぞ、大丈夫か?」
健人はわたしの顔を覗き込む。
「……参ったね。健人、ちょっと話があるんだけど、その前に着替えさせて」
「お、おう……」
しばらくしてから、わたしは巻いたマフラーを握りながら、覚悟を決めて申し出た。
「健人。今日、空いてる……?」
「別に何もする予定はないけど。」
「夜の散歩に付き合って欲しいの」
制服の裾を握りしめながら、半ばやけになって叫んだ。彼は戸惑ったようだったが、頷いてくれた。
紺色のコートを羽織って、校門を出た。
夕暮れ空に、うっすらと雲が漂っているのが見えた。
健人は喋りだすのを待っているみたいだったが、わたしは勇気が持てていなかった。
好きだって、健人に直接言えばいい。それでもわたしはすっかり弱気だった。
十年以上連れ添って、お互いのことは何でも知っている。そんな相手なのに、本心をぶつけるのが、震えるほど怖かった。
(なんで、今まで平気だったんだろう)
心臓の音が聞こえてしまわないか、とても心配だった。二人きりになるなんて、今までに何度もあったことだ。
好きだという気持ちを持ってしまったら、こんなに変わってしまうものなのかと思う。寒いはずなのに、昂っていく自分の身体が恨めしかった。
「何か、話があるんじゃないのか?」
たまらなくなったのか、健人が先に尋ねてきた。飛び跳ねそうになったが、息を整えた。
「どうしてそう思うのよ」
声を裏返すことなく、落ち着いているふりが出来た。
「さっきの1on1、いつもの鋭さがなかったし、終わった後あんな風に誘ってきたんだし」
……出来てなかったみたいだ。少しの間、返事は返さなかった。普段は鈍いのに、変なところで察しのいいやつだと思う。
「そうだね。あるよ、話」
そう言ってから、少し早足で歩く。
「お、おい。どこに行くんだ?」
追いかけてくる健人の気配を感じながら、前に進んでいく。視線の先には、建物があった。わたしたちが通った小学校だ。
「健人。わたし、今、言わなきゃいけないことができたの」
真っ直ぐに幼馴染を見つめた。
「自分の気持ちをちゃんと言葉にしたい。聞いてくれないかな」
健人にも真剣さが伝わったのだろう。恐る恐る尋ねてきた。
「あのさ……その前に、一応聞いておきたいんだけど」
「うん」
「何か怒らせたりした?」
わたしは、目を丸くした。上を向いて少しの間考える。
「そう言われると……、ちょっとイライラはしたかも」
「えっ。俺、なんかやらかしたのか!?」
「悪いことは何もしてないよ。わたしが勝手にそういう気持ちになったの」
「どういうことだよ……」
困り果てた健人を見て、わたしは罪悪感を感じてしまう。
平良さんと仲良さげだったし、キス、されているのを見て、焦ったのは本当だ。
(……ちゃんと言わないと)
気持ちを口にする時が来た。
唾を飲んだ。恐怖が湧き上がってくるが、いまさら引き下がれない。
「……この前、転校してきた子がいるよね。平良さん」
「あ、ああ」
「健人がね、平良さんと仲良さげにキス、しているのを見て、自分の中に、そういう気持ちがあることに気付いたんだ」
ここまで言っても、健人には気付いた素振りさえない。
『心の中で思っていることは、言葉にしなきゃ伝わらない』
小学校の先生に言われた言葉だ。
相手が十年以上をともに過ごした幼馴染であっても、言わなければ、伝わらない。
「え、キス? 見られたのかよ……」
健人が、バツの悪そうな顔をして訴えてくる。
「健人が、あの子に取られちゃいそうで、わたし、すごく嫌だったの!」
とうとう、本人の前で言ってしまった。直球ではなかったが、核心だ。
しんと静まった夜の街。白くなった吐息が空に消えていった。
好きだと思う気持ちが伝えられない。そんなことありえないと思ってたのに、いざ告白する立場になって、ようやく難しさを理解できた。
(今の関係が壊れるのが、怖いんだ)
考えてみれば、伝えると、健人が自分の前からいなくなってしまうかもしれないと思っているからだ。
(無理だよ、もう……)
他の女の子に取られるのが本当に嫌なのに、本心の言葉が出てこない。
わたしのような可愛げのない女なんて、きっと置き去りにされてしまう。
それなのに言えない。目尻から溢れた涙を拭う余裕もなくなっていた。
「えっ、明里?!」
健人は慌てたが、それどころじゃない。告白なんて、やっぱり出来ない。それが、どうしようもなく辛かった。
気軽に何でも話せる幼馴染のはずなのに、そのくせ本心は何一つ伝えられない。
(どうして、好きですって、言えないのよ……)
たった一言が出てこない。
今までずっとぬるま湯に浸かっていた自分が、心から恨めしかった。
顔を上げると、健人は顔を真っ赤にしながら、わたしのことを見ている。
「え……」
なぜ健人がそんな顔をしているのか、分からない。まるで告白されたみたいな表情だ。
「あ、ああ……」
声に出てしまっていた。一番大切な部分を無意識に、はっきりと口に出してしまっていた。
健人とは反対に、みるみる青ざめていく。
「あ、おいっ、明里っ!!」
わたしは背中を向けて、一目散に逃げ出した。春の夜の冷たい空気を体全体で受け止めていた。
「おかえり」
「ただいま」
わたしはそれだけ言うと、部屋に入ってカーテンを閉じる。
自室の暖かい空気に包まれて、徐々に思考が戻ってくる。目元を指先でこすると、涙で濡れていた。
「明里、どうしたの。すごい音したけど、大丈夫なの?」
「……大丈夫だよ、お母さん」
声が震えないように努力して、下の階にいる母親に返事をした。
(大丈夫なわけ、ないよ……)
その後、声をすぼめて、自分にだけ聞こえるように言った。
「よ、よう。大丈夫か?」
心配になって見にきた両親かと思ったのに、当たり前のように入ってきた相手は、コート姿の健人だった。
「……は?」
頭が真っ白になった。顔を直視出来ない。さっきの出来事が鮮明に蘇って、涙が溢れそうになる。
「あ、あのさ。さっきのことなんだけど」
わたしは健人と話すのを拒否するように、膝の中に顔を伏せた。
(きっと、今から振られるんだ)
健人は妙に律儀だから、わざわざ伝えに来てくれたのだろう。
女の子としての魅力がないわたしに、気を遣ってくれているのだと思うと、辛い気持ちになった。
「いろいろ考えてみたんだ。お前のことを」
胸がズキンと痛くなった。背筋から体が冷たくなっていく感覚が昇ってくる。
「仲直り、しないか。小学校の時のように」
「仲直りって、あんたね……!」
あの時は、いつもとは違う仲直りのやり方を提案してきて、わたしも快く受け入れた。
その時のことを思い出して、顔から火が出そうになった。この歳になって同じことができるはずもないじゃない。
あの時、お互いに抱き締めあったのだ。今では、その意味がまるで違ってくる。
「だめかな」
頬を掻きながら、もう一度聞いてくる。この歳になって同じことができるはずないのに、極めて真面目に言っているらしい。
しかし告白してしまった手前、断れない。涙を拭って、渋々立ち上がる。
「分かったわよ……。だけど、キスしてたのはなんで」
「キスじゃなくて、ほっぺのごみを取ってただけだ」
「……ホントに?」
すると、健人はそっと背中に手を回してきた。
「ああ」
「……そういうことにしといてあげる」
わたしたちは今までにないほどに距離が近づく。息遣いが聴こえて、心臓が破裂しそうだ。
怖くなって、目をかたく瞑った。
(体、すごく大きい……)
およそ十年ぶりに感じる幼馴染の体は、すっかり変わっていた。わたしは腕と体が震え、淡い期待を持ってしまう。裏切られた時のことが、より一層怖くなった。
「じゃあ、正直に言うぞ」
「うん……」
健人はそう前置いてくれたので、覚悟を決めることができた。
「正直に言うと、お前をそういう目で見たことは、一度もなかった」
全身から、力が抜けていく。体中が冷たくなっていくような感覚に支配される。乾いた笑いが出そうになった。
「けど、もし相手を作るなら……、お前以外には考えられないって思う」
はっとした顔を浮かべた。隣の健人の顔は見えないが、恥ずかしがっていることは伝わってきた。
「健人……っ」
心と、身体が小刻みに震えた。
「明里と一緒にいると安心する。ずっと一緒だったから当たり前だけど、何でも話せるしさ……」
「うん」
「お前にそう言われて、そういう気持ちがあるかもしれないって思って」
「うん、うんっ……」
「な、なんだよ、その女っぽい声」
健人は困ったように指摘してくる。でも、いつものように言い返すことはない。
「けんちゃん……っ」
離さないように、強く抱きしめる。体が羽のように軽くなる。唇を噛み締めた。
「それはそれとして、言ってもいいか」
「うん。何……?」
「俺から頼んでおいて何だけどさ。明里の胸、当たってるのが気になって……あいてっ!?」
背中をつねって、急いで両腕で体をガードしながら、睨みつけた。幼馴染は、痛そうにつねられた部分を摩る。
「なっ、何するんだよ!」
「何するの、じゃないわよ! バカ、変態!」
「し、仕方ないだろ。だっていいのかよ!」
健人もわたしも、顔はタコのように真っ赤だ。
「健人は……わたしなんかで、本当にいいの?」
「うん。多分、俺も好きなんだと思う。てか『わたしなんか』なんて言うな」
照れ臭そうに返してくれる。それが嬉しい。
「デートに連れていってくれる?」
「あ、ああ……。部活のない時ならな」
少し残念そうだったが、それも受け入れてくれた。泣くのを我慢したかったのに、出来ない。
異性として大好きになってしまった幼馴染を、今度は自分のほうから抱きしめた。
「わたしのこと、大切にしてくれる……?」
「その覚悟を決めて、ここに来たよ」
わたしは声を殺して、号泣した。
健人は、それを受け入れて、そのまま抱き守っていてくれた。
「付き合おう」
「……はいっ」
昔に戻ってしまったみたいな、幼い声で頷いた。
部屋のドアがほんの少し開いていた。
様子を見に部屋の前まで来ていた両親は、顔を見合わせて、微笑みながらこっそりと引き揚げていったのを、わたしたちは知らない。
翌朝。青い空、白い風、緑で染められた地面に包まれた気持ちがいい陽気だ。目覚めが、いつになく心地いい。
下の階に降りると、朝食を用意してくれたお母さんが、普段よりニコニコと笑顔だった。
「じゃあ、いただきます」
「ああ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「よかったねえ。明里、頑張っていってらっしゃい」
優しい顔でそんな風に言われて、一瞬意味を考える。それから、赤面した。
「あっ、健人さん!」
思いにふけっていたそんな時、背後から声がかかって振り返った。
「健人さん、ねぇ」
「お、おはよう、平良さん」
わたしの呟きにたじろいたのか、しどろもどろになる。
「おはようございます……っ」
天性の可愛らしさを生まれ持った転校生、平良真礼だ。
彼女は走り寄ってきたが、わたしたちの様子に気付いて、はっとした表情を浮かべた。
「あ、あの。その手は?」
「えっ。あ、ああ! これは……」
健人は、慌てて手を離そうとしたが、わたしが掴んで離さなかった。
立ち尽くす平良さんに、笑顔で言った。
「ちゃんと挨拶できていなかったよね。改めまして、平良さん。わたしは佐々木明里」
「真礼でいいですよ」
「同じクラスなのに、話に行けなくてごめんね」
その自己紹介に、健人はぎょっとしたみたいだった。
平良さんは憂いを帯びた顔をしているが、すぐに透き通った微笑みを返す。
わたしはようやく手を離して、平良さんに握手を求めた。
「これから、仲良くしてね、真礼」
「あ……は、はいっ。よろしくお願いします!」
かすかに目元が揺れたように見えた。だが、それも一瞬で、気持ち良く握手に応じてくれた。
「良かったですね」
真礼が健人に囁く。聞かなかったことにしてあげる。だって、ほっとしたのが見えたから、ね。
いかがだったでしょうか。