JR東京駅の丸の内南口改札から雨にも濡れず、わずか30歩。東京駅の中に開業した東京ステーションホテルはある。
東京ステーションホテルが誕生したのは東京駅開業から一年後の1915年(大正4年)のこと。その背景には、当時東京の宿泊施設が極めて少なくホテル建設が急務と言われながら、当時の経済情勢により東京駅のホテル建設計画が幾度となく揺れ動いていた経緯がある。
1906年(明治39年)当初、東京商業会議所の第二代会頭・中野武営や鉄道業界などから駅の中にホテル建設を望む声があり、東京駅最終計画案の中にはホテルも含まれていた。
しかし、ほどなくして訪日外国人の減少が始まり、1911年(明治44年)にはホテル建設案は中止に。その後再度計画が浮上したのは1913年(大正2年)のこと。訪日外国人の急増が計画を後押しし、鉄道院総裁の仙石貢が東京ステーションホテルの開業を決断したと言われている。
一旦中止された計画、そして反対の声があった中で、ホテル建設を強く訴えた人々の想いが形となり、1915年(大正4年)11月2日、東京ステーションホテルは壮麗な東京駅の中にその扉を開いた。国内外の賓客をお迎えする名門ホテルの誕生だ。
支配人は米国コーネル大学でホテルマネジメントを学び総支配人の経験もあり、最も重要と言えるサービスレベルの向上に尽くした。合理的なマニュアル方式を積極的に採用し、スタッフの接客教育に取り組み、お客さまからの評価が更に高まった。
これは後に戦後の日本航空の客室乗務員トレーニングを東京ステーションホテルで行うなどの実績にも繋がっていくことになる。
東京駅・丸の内南口ドーム内のエントランスから宴会場へ直結している。天候を気にすることなく、スムーズに来館することができるのだ。
東京駅に直結、と言っても広大な駅からホテルまでの移動が不慣れな客のために、ポーターサービス〈Meet & Greet〉はある。サイガが事前に予約したようで、東京駅の入り口からホテルスタッフがお迎えにきていた。
高い天井と縦長窓を生かした、ヨーロピアン・クラシックの洗練された空間で、東京駅丸の内駅舎という歴史的建築物が広がっている。
美しいシャンデリアと壁面のミラーモチーフが印象的なメインバンケットルーム。 半円形のユニークな室内に沿った大きな窓からは、柔らかな自然光が差し込み、中央には光の粒が降りそそぐかのような象徴的なシャンデリアがある。アースカラーで統一された優雅な空間は、パーティにピッタリな場所だった。
グラスのぶつかる音、シェイクする音、マッチをする音、ライターの音、客たちのおしゃべり、笑い声、そろそろ引上げる女たちの挨拶、ムード・ミュージックのすかした響き、などがまじりあって作るざわめきのなかで、俺は慎重にあたりを見渡していた。
不審な影はない。
「それじゃあ、僕は父とサイガ子爵のところにご挨拶にいってくるよ」
「わかりました、安倍さんもお気をつけて」
「ハルアキもね。アルカードやダークサマナーがいつ仕掛けてくるかわからない」
「はい」
俺たちはパーティ会場で一度別れたのだった。14代目は招待客のフリをして若い女性記者と一緒にパーティに先に潜入していると聞いている。
会場は広く、大きなテーブルのうえの銀の食器には色とりどりの料理が並び、カトレアをかたどったいくつもの小さなシャンデリアが照らす下で、たくさんの人々が談笑していた。不審な影はみられない。ほっとしていると後ろから衝撃があった。振り返ると女学生と思われる黒髪の女の子がふらついていた。短髪で眼鏡をかけた女の子が心配そうに体をささえてあげていた。
「伽耶、大丈夫!?」
「わ、私は大丈夫......それよりも、ご、ごめんなさい......足元がふらついてしまって」
「ああ、はい、気にしないでください。俺は大丈夫ですから。体調が悪いんでしたら、あちらの席に座られたらどうでしょう。大丈夫ですか?歩けます?」
「あ、いえ、その......はい、大丈夫です......不慣れな靴を履いていただけなので......」
「あっ、ほんとうだわ!足が腫れてるじゃないの、伽耶!これではあとが残ってしまうわ、休みましょう」
「ごめんなさい......」
「じゃあなにか冷やすものを......ええと、誰か大人の方といっしょに?」
「あ、はい、この子の叔父様が大道寺清というのですが、さそっていただいてまして。今は商談中だから......ああ、やっぱりそうだわ。まだお話中みたい」
「ほんとですね。では先にいっていてください、冷やすものもっていきますね」
「ありがとうございます......」
「ありがとうございます、いこう、伽耶。歩ける?」
「うん......凛、ありがとう。ごめんなさい」
華奢だが色つやが良く、はじけそうな肌をしていた。きゅっと締まったふくらはぎに黒いハイヒール、肩の大きく開いたドレスにあどけない顔。不思議に明るい色気があった。健全な色気がある女の子たちだった。
履き慣れないハイヒールのせいで靴擦れしてしまったようだ。近くのスタッフに声をかけた俺は救急箱をもらってきた。
二人のところにいってみると水膨れができていた。靴擦れの傷ができると、薄くなった皮膚の部分に水ぶくれを作り、血漿で傷を治癒させようとするから、そのせいだろう。
「傷がついている部分をこれで拭いてください。このハンカチで水分を拭き取ったら、傷口を塞いだ方がいいですよ。はい、絆創膏です。我慢できなければほかの靴に履き替えた方がいいと思います
「あ、はい......大丈夫です......ありがとうございます」
伽耶と呼ばれた女の子は大丈夫そうだ。
「よかった。それじゃあ俺はこれで」
「あ、あのっ!」
「はい?」
「り、凛......!」
呼び止めてきたのは凛と呼ばれている女の子だった。
「お名前は?」
「え?あー......ハルアキです。土御門ハルアキ。安倍子爵のところでお世話になってまして。それがなにか?」
「いえ、その......高そうなハンカチだから」
「あー、いいですよそれくらい。血が滲んでいるし、応急処置ですから腫れるようなら捨ててください。それじゃあまた」
俺は人混みに紛れて立ち去った。不審な影がないか探さなければ。