ドアが音もなく閉まり、微かな移動の感覚がある。扉が閉まり、緩やかな下降感が起こる。換気扇が頭上で低いうなりをあげていた。やがて、ふたたび音もなくドアが開く。
俺の目の前には、見慣れたセンターの光景ではなく、無人と化して数十年が経過し、朽ち果てていくのを待つばかりとなった街があった。
東西に走る通りと南北に走る通りが垂直に交差する、碁盤の目のような理路整然とした街並みも今や昔。道路を突き破った草木が生い茂り、平然と野生動物たち、あるいは悪魔たちが跋扈している。メンテナンスしてくれる人間を失った街の消滅は俺の考えている以上にはやいらしかった。
俺は腕にあるアームターミナル、通称COMPをターミナルに登録した。
ターミナルとは、ミレニアム各地のメシア教会ビルに設置されている転送装置のこと。登録されているターミナルであれば、瞬時に移動可能なほか、個人情報の記録もできる。所有するアームターミナルと接続することで利用可能である。TOKYOミレニアムでの主な移動手段であるため、俺ももちろん頻繁に利用する。
まず「転送」についてだが、ミレニアムの各地、あるいはミレニアム内でなくともターミナルが設置されている街であれば、瞬時に移動することができる。
しかしいかに便利なターミナルといえど、登録されていない地域のターミナルへいきなり行くことは不可能だ。街に着いたらまずターミナルに入り、登録を済ませるクセをつけることを求められる。
今回は特別にセンターから外出許可が降りたために、俺は初めてくるターミナルにもかかわらずやってくることができたわけだ。
次に俺が今まさに「記録」だが、これはターミナルを通してセンターの個人情報が収められているサーバーにアクセス、これまでの行動を記録できる。アームターミナル内の細かな情報はもちろんのこと、個々のコンディションから所持金まで、ありとあらゆるものが記録される。テンプルナイトの仕事を放棄して脱走したわけではないとセンターに報告を兼ねているのだ。
「よし、いくか」
俺はCOMPの画面から悪魔召喚プログラムを起動する。
《summon ok?》
「お待たせ、ドミニオン。行こうか」
俺を守る魔法陣の結界の向こう側に真っ白な翼をもつ天使が現れた。
「お待ちしておりました、ハルアキ。ここから長旅となりますから、お気をつけて」
「そうだなあ。大破壊のあと放置されたままだし、歩くしかない。移動距離だけでいうなら90キロだけど、山越えなきゃいけないんだろ?先は長いな」
「失われたあなたの起源をめぐる旅路ですからね、はじめての長期休暇だ。ゆっくりしてもバチは当たらないのでは」
「そうだなあ。徒歩だと19時間もかかる場所なんだ。どのみち、1日で帰れるとは思ってないさ。さいあく野宿でもして......」
マップを確認してみる。
「おや、あなたのご両親が移住を決断されてからずいぶんたつにもかかわらず、人の営みが細々とではありますがあるのですね」
「一応二級市民の居住区だからな、旧首都だし。メシア教を受け入れられなかったり、故郷を離れる決心がつかなかったりしたんだろ。アームターミナルの使用許可さえされてれば、悪魔の襲撃には耐えられる」
「たしかに、子供さえいなければその選択肢もありえるでしょう。我々の庇護を拒んだ民である以上、私はなにもいいません。愚かな、とは思いますがね」
「どうするかな、せっかくだから観光でもしていくか?今から山登りしても旧集落まで辿り着かないかもしれないし」
「そうですね、廃村とはいえ雨風を凌げる建物はあるに越したことはありませんから。二級市民の生活ぶりをこの目で確かめるのも悪くはない」
さすがは神の創造物である人間に頭を下げることを拒否して神の怒りに触れたこともある天使だけはある。ナチュラルに上から目線だ。
「ふむ......やはりセンターとは違い、悪魔が奥まで入り込んでいますね。ハルアキ、いつでもそのつもりでいてください」
「了解、そうするよ。ありがとう」
俺はテンプルナイトの証であるプラズマソードに意識を向けながら、歩き始めた。
「ドミニオン的に気になるところはどこ?俺は、そうだなあ。伏見稲荷が気になるな。まだ人がいるみたいだし。昨日、久しぶりに家に電話したらさ、焼き鯖寿司の話を聞いたんだ。センターだとなかなか海産物食べられないだろ。久しぶりに食べたくなってさ」
「さば?海の生き物ですか?」
俺は頷いた。
先の稲荷名物の中に「若狭の鯖寿司」というのがあるが、これは稲荷神社の二代目荷田生成が琵琶湖を使ったルートで若狭湾から新鮮な魚を運べないかと考えていた。
そこで生成は陸路で大津、そして船で高島郡、そこから山を越えて若狭へという道を土木工事をして開発していた。
この若狭の新鮮な鯖を一塩して樽に詰めて若狭から峠を越えて高島郡の港に陸路で運ぶ。そこから船で大津まで、そこから山科~稲荷神社まで陸路の一昼夜(24時間)かかるが、塩漬けされた鯖はいい塩梅になる。
それを酢に漬けて「若狭の鯖寿司」として神社直営の茶店で販売するとこれもまた大繁盛で長岡京の皇族や貴族までが我先にと稲荷神社へと参拝してきた。
ここから鯖寿司は有名な京料理の一つとなり、祭りなどの「晴れ」の日に鯖寿司がつくられてきた。庶民生活の中で祭りや四季の催し物で食されるご馳走だった。
海から遠い京都の町では、鮮魚が豊富な現代でもこの食文化は継承されているらしい。
今も昔もおなじ稲荷名物は、稲荷寿司、雀の焼鳥、鯖寿司、招き猫になるのだが、その中に鯖寿司があるのはそういうわけなのだという。
「ところで、その伏見稲荷とはどんな神社なのですか?」
「えーっとたしか、ウカノミタマを祀る神社だな」
「ウカノミタマ......ああ、国津神のですか」
「そうそう、たしか総本山だよ」
「なるほど。国難だというのに国津神も天津神も内紛の末に力尽きたと聞きます。本霊の眠りについている今、はたしてどうなっているのでしょうね」
「あはは......まあそういうなよ。日本の神様たちは争い事苦手だったんだろ、たぶん」
「まあ、そうですね。そのために我々はこの国の民を代わりに守ってさしあげているのですから。感謝してもらいたいものです」
俺は苦笑いしながら先を促した。
「......まだ信仰している者がいるようですね。本霊が封じらているわりには、境内は清廉な空気をまとっている」
ドミニオンは感心したようにあたりを見渡した。
「まあ、人が残ってるしなあ。その人たちには心の拠り所なんだよ、きっと。境内に入った瞬間、悪魔の存在が感知出来なくなったしさ」
「本霊はなくとも宮司や世話役はいるとみえますね、なるほど。人の信仰を受けながら、本霊は目覚めることはないと。なんと罪深い神霊だ」
表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿、内拝殿、本殿が一直線に並んでいる姿は壮観の一言につきる。
遠巻きにされているのはわかる。
俺がテンプルナイトであることは私服とはいえドミニオンから察しているようで、対応してくれた人たちはみんな緊張しきりだった。
俺が名田庄村を目指しているのだというと態度を変えてくれるのは、やはり関西の人間だという安心感かららしかった。墓参りだと早合点する人もいて、センターからわざわざいい人もいるもんだと言われた。さすがにだだの観光だとはいいずらくて苦笑いした。ドミニオンもさすがに黙っていてはくれてたすかる。
本殿の背後に、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群がある。千本鳥居をはじめとする信者の寄進による鳥居は山中に約一万基あると言われており、本殿右には稲荷神明水があるようだった。
さっそく参拝をすませる。
「テンプルナイトであるあなたが伏見稲荷を参拝ですか......ほんとうにこの国の信仰の在り方はよくわかりませんね」
「さすがに参拝前に焼き鯖寿司食うのはダメだろ、ドミニオン」
「その考え方がよくわからないのですよ」
「多神教と一神教の価値観の違いだなあ」
「まあ、あなたは職務に忠実ですし、思想の是非までは問いません。それゆえに昇進が遅いのだと自覚はあるようですしね」
「うるさいなあ」
そんな軽口を叩いていると、視界の片隅がちらついた。そちらに目を向けると光の向こう側に、時空の歪みがみえた。俺はとっさに武器を構え、ドミニオンも戦闘態勢に入る。
「アカラナ回廊の入り口か?なんでこんなところに?」
「やはり本霊がいないためでしょうか」
次元の彼方に冷厳にして凄烈な力の波動を感じる。ただごとではなさそうだ。俺は念のためセンターに連絡を入れて、様子を伺うことにしたのだった。