貼られていた結界はたしかに強固で、魔力すら感知できないほど隠匿されているものだった。それが行方不明の友人の得意とするものでなければ、きっと俺はここまで、やっきになってまで突破しなかったに違いない。
結界を突破した先では、護衛の悪魔すら傍にはいなかった。あきらかに誰も来ないことが前提のアカラナ回廊につくられた時空の歪みだった。
アカラナ回廊に生身でいくことの危険性は誰よりも知っているはずのテンプルナイトがひとり、そこで遠くにある時代の潮流を眺めていた。
それだけでただならぬ状況を否応なく理解してしまう。ただそれだけが強烈に頭に浮かぶ鮮やかな感情だった。
俺たちの間には妙な静けさがあった。それはかすかなもので、それでも普段とは異質の、死の匂いを感じるような静けさだった。あいつの中で何かが終わってしまっているような感じだった。それがあまりにもはっきりと感じられたので、俺はこわくなった。そういうとき、いろいろあったせいで自分の感覚がどんどん研ぎ澄まされて子供に近くなってくるのがわかる。
人間は、自分が棲息する家の空気に対して、獣が巣の安全、或は近づいた危険を本能的に嗅ぎ分けると同じような直覚を持っている。俺もこの鎮まりかえった調子、何処からか流れ出て、感じられる冷やかさに、用心しながら声をかけた。
声をかけずにはいられなかったのだ、いきなりいなくなってしまった行方不明の友人がいたら誰だって声をかけるだろう。その身を案じるだろう。俺の場合は嫌な予感よりも友人が見つかった安心感の方が上回ったのだ。
「よ、よかった......誰かと思ったら、ライドウじゃないか!」
虚をつかれたような反応をされた。よほど見入るものがあったのか、俺にたった今気づいたようだ。
「なっ......ハルアキッ!?どうしてお前がここにッ......!?」
「それはこっちの台詞だよ、ライドウ。いきなりいなくなるなんて薄情なやつだなあ。みんな心配してるよ。はやくセンターに帰ろう?今ならまだ軽い懲罰で済むって」
俺の手をライドウはとらなかった。
「ライドウ?」
弾き返されてしまう。
「......どうしたんだよ、ライドウ。お前にしては珍しいじゃないか、機嫌が悪いみたいだけど、なにかあったのか?」
「......」
「あー、ごめん。俺、お前の気に触るようなことなにかしちゃったか?ごめんな、気づかなくて」
「いつか......」
「?」
「いつか、歴史改変の咎に誰かしら刺客を送り込んでくるだろうとは思っていた」
「え、なんのはなし───────」
「白白しい真似なんぞしなくてもいい、お前の目的はわかっているからな」
「だからなんの話だよ」
「まさかお前だとは思わなかった───────土御門ハルアキ」
「ライドウ......?なにか勘違いしてないか?俺はただ......」
「なにもいうな、いつまで友人の顔をしているつもりだ?」
俺は行き場を無くした手を彷徨わせた。
「ライドウ......?」
一瞬呼吸がとまった。
葛葉ライドウは、今、なんていったんだろうか。メシア教の理想を体現し、センターが定めた行動規範を人々に示す上でテンプルナイトの在り方はかくあるべしとまで言われたこいつは、なにを。あるべき役割に殉じることを最上としていたこいつが一体なにを。
「変革を望む私は、今やお前の知る葛葉ライドウではないということだ」
「変革......?変革って、なんだよ......ネオメシア教のいうあれか?それともカオス教団?」
「どれでもないし、どれでもある。ひとつだけいえることがあるとすれば、ずっと私は変わりたいと願っていたということだ。いや、変わってみせる。今更引き返すことなどできるものか」
「......?」
「わからない、という顔をしているな。別にお前に理解してもらおうなんて微塵も思ってはいない。ただ、私は......いや、私たちは変わらなければならない。その先に待ち受けるのは衰退への進行だ。私はずっと変わりたいと思っていた。古いしきたりや生まれながら定められた役目を打ち砕けるような革命や変革をずっと夢見てきた」
「ライドウ......」
「お前は知らないだろう。私たちの世界はどうしようもなく行き詰まっていて、すぐにでも変わらなければどのみち先はない。無謀だろうが無茶だろうが待ち受けるのは破滅が待ち受けるのが同じなら足掻くべきだ」
「......お前」
「いっそ滅びた方がマシなのかもしれないが......その覚悟でもって現状の打破を望むのはいけないことか?革命に憧れるのは、抑圧された人ならば誰しもが抱く夢ではないか?お前はその衝動にかられたことはないのか?」
「それはセンターの統制に意義を申し立てるって意味で?」
「あいかわらずお前には想像力というものが足りないらしいな、ハルアキ」
ライドウは失笑している。
憧れていた友人であるライドウから切り捨てられたという事実だけが俺の前にあった。ライドウの目に浮かんでいたのは拒絶だった。俺は息を飲んだ。まさかそんな反応をされるとは夢にも思わなかったのだ。
この状況は明らかにまずい。俺をとりまく世界がかわる気配がした。あまりよくない方向へだ。俺は何も言わずライドウの話を聞くしかない。
どう言えばいいんだろう、まるで航行している船のデッキから夜の海に、突然一人で放り出されたような気分だ。
誰かに突き落とされたのか、それとも自分で勝手に落ちたのか、そのへんの事情はわからない。でもとにかく船は進み続け、暗く冷たい水の中から、デッキの明かりがどんどん遠ざかっていくのを眺めている。船上の誰も船客も船員も、僕が海に落ちたことを知らない。まわりにはつかまるものもない。
そんな恐怖心がもたげてきていた。自分の存在が出し抜けに否定され、身に覚えもないまま、一人で夜の海に放り出されることに対する怯えだ。
事情はわからないが、今、ライドウは今明確に人と深いところで関われないようになってしまっている。他人との間に常に一定のスペースを置くようになっている。そのスペースに不用心にも踏み込んでしまったんだろうことだけわかった。
「ただ......お前がここにいるという事実を鑑みれば、この問い自体が無意味でもあるな。お前はセンターの統制に疑問を抱いたことは一度もなく、むしろ当然だと考えている。そうだろう?だから、私を排除しにきたんだろう。お前の実力を見誤った時点で、私の目論みはセンターに筒抜けだったというわけだな。だが、まだだ。まだ終わるわけにはいかない。まだ連れ戻されるわけにはいかないんだ。お前には無駄な足掻きにしか見えないだろうが、私はどうしても諦めきれない......悪いが、死んでくれ」
声に取り付く島もないような拒絶の響きがある。その言葉の意味を理解することができない。
「ハルアキッ!」
ドミニオンが叫んだのと、俺がアカラナ回廊の潮流に突き落とされたのはほぼ同時だった。
俺はたまらなく孤独だった。何かにつかまりたいと思った。しかしまわりを見回しても、つかまるべきものは何もなかった。つるりとして捉えどころのない迷宮の中に俺はいた。闇は白く、音はうつろに響いた。
肺の半分くらいしか空気を吸い込めない、肩から固まっていくような圧迫感。体の自由がきかず、ろくに動けないまま無表情のままちょっとずつ死んでいく自分を、とてもリアルに想像できる。これが死というやつなのかと思いながら、俺の意識は暗転したのだった。