プロローグ1-安倍邸にて3
俺は安倍さんに呼ばれて本邸の応接間にいた。ヤタガラスの情報局から持ち出したという戦果品をかかえて現れた安倍さんは長い話になるだろうから、コーヒーと紅茶どちらがいいか聞いてきた。
どちらの一級品の味も知った今の俺には、もとの時代のいかなる飲み物も泥水すら生ぬるい産業廃棄物みたいなものだったとわかっているので大変悩みどころである。うんうん唸っていると安倍さんが笑った。
「そんなに悩んでくれるなら、どちらも持ってこようか。どうせ一杯では足りないしね。最初はどっちにする?」
「え、あ、ごめんなさい。俺そういうつもりじゃ......」
「あはは、いいんだよ。ハルアキが食に興味を持ってくれて嬉しいからね、気にしないで。嗜好品なんてものは長いこと飲んで決まるものなんだから、わかるまではどっちも選べばいいんだよ」
「えーっと、それじゃあお言葉に甘えて紅茶からで」
「僕と同じかい?遠慮しなくてもいいのに」
「あはは......」
使用人の女性がクスクス笑いながら、一礼してさっていく。
「問題はせっかくの淹れたての紅茶が不味くなりそうな話ばかりだってことだね」
そういって安倍さんは肩をすくめた。こればかりはどうにもならないようだ。
安倍さんはまず帝都に跋扈しているゾンビーについての報告書を俺の前に差し出してきた。
そして、この際だからと大正時代における世間でのゾンビーのイメージはまちがいなく映画からだと教えてくれた。
元々ゾンビーは「生ける死体」として知られており、ブードゥー教のルーツであるヴォドゥンによれば「ンザンビ(Nzambi)」という神に由来する。「不思議な力を持つもの」はンザンビと呼ばれており、その対象は人や動物、物などにも及ぶ。これがコンゴ出身の奴隷達によって西インド諸島のハイチに伝わる過程で「ゾンビ」へ変わった。
実際にゾンビを作るにあたってゾンビ・パウダーというものが使用される。ゾンビ・パウダーの起源はナイジェリアの少数民族であるエフェク人やカラバル人にあるとされる。
西アフリカ社会では伝統的な刑法としてこの毒が用いられており、これが奴隷達により西インド諸島に持ち込まれた。
一般に、「ゾンビ・パウダーにはテトロドトキシンが含まれている」と言われている。この毒素を対象者の傷口から浸透させることにより仮死状態を作り出し、パウダー全量に対する毒素の濃度が丁度よければ薬と施術により蘇生し、濃度が高ければ死に至り、仮死状態にある脳(前頭葉)は酸欠によりダメージを負うため、自発的意思のない人間=ゾンビを作り出すことが出来る。
「ゾンビ化」とは、嫌われ者や結社内の掟を破った者に社会的制裁を加えるための行為であり、この場合の「死者」とは生物的なものではなく、共同体の保護と権利を奪われる、つまり「社会的な死者として扱われる」ことである。
彼らはモンスターではあるけれども、積極的に人を襲う化け物というよりは、死後も働かされる可哀想な奴隷というイメージだ。
それが1915年にアメリカがハイチを占領し、ハイチの文化がアメリカに紹介されていくうち、不思議なモンスターとしてゾンビーが注目を集め始めた。
1920年代後半には、ゾンビのお芝居が作られたり雑誌で特集が組まれたり、アメリカでちょっとしたゾンビブームが起こる。
当時は吸血鬼やフランケンシュタインを題材にしたユニバーサルのホラー映画が大ヒットしており、独立系のプロデューサーのハルペリン兄弟が、流行りものに飛びつく形でゾンビを扱った映画を作った。
これが世界初のゾンビ映画と言われている『ホワイト・ゾンビ/恐怖城』(1932年)。
悪役の呪術師に『魔人ドラキュラ』(1931年)で大人気だったベラ・ルゴシを起用したり、ユニバーサルのセットをそのまま流用したりして、低予算とは思えない豪華な画面作りがされていたこともあって大当たりした。
同作は、世界初のゾンビ映画であると同時に、世界で初めて成功したインディペンデント映画とも言われている。それを見て、他の映画会社もゾンビ映画を製作するようになっていく。
ハルペリン兄弟もカンボジアを舞台に、現地の呪術で無敵の兵士を生み出す『ゾンビの反乱』(1936年)を作ったり、段々ブードゥー教の本来のゾンビ伝承とは違った作品も増えていく。やがて映画は日本にも上陸し、ゾンビーという概念が日本にも定着することとなった。
「だから僕らも便宜上ゾンビーと呼んではいるんだけど、どうも帝都を闊歩するのはゾンビーであってゾンビーではないなにか、なんだよね」
安倍さんはそういって俺では解読不能な大正時代仕様の報告書を掻い摘んで説明してくれる。
帝都を闊歩するゾンビーにはいくつか種類がある。
まずは一般人が屍人となった通常のゾンビー、あるいはレディゾンビーだ。帝都に現れた、死してなお活動する死霊。自らの意思は壊れた、低級の屍鬼である。便宜上ブードゥー魔術の死霊ゾンビーに似ることからこの名が付くが、成り立ちとしては異なるようである。いずれも生前の情念を破壊衝動へと替えた危険な屍鬼であり、手にしたあいくちは、命を絶つために誰彼かまわずに振られる。
ゾンビージュンサは、警官が死してゾンビ化したもの。 かつて巡回していた街を異形の姿ではいかいし、罪状の如何を問わずに攻撃してくる。 本来は国民の公僕として職務に忠実だったが、ゾンビ化した今、その意識はもはや皆無で、ただ無差別に国民を襲う存在となった。平素の訓練の賜物か、攻撃は整然にして容赦なく、生前には決して遭遇することのなかった実戦で、腕前を存分に披露する。始末書や訓告処分、更には懲戒免職で対抗しても、もはや公務員でない彼らにはまったく効かないのだという。
ゾンビーケンペイは、死霊ゾンビーと化した憲兵。今なお軍の管理地をさまよい、侵入者を排除するため働くという。軍事警察に所属していた時の厳格さは、どうもうな攻撃へと姿を変えている。
最後は彼らの成れの果てであるコープス。複数のゾンビたちが融合したと見られる魂。その名は「死体」の意。複数の頭が存在するが、それぞれの意識は自己と他者の区別がつかなくなっており、実質的にコープス全体としてのひとつの意識になっているようである。個にして全でもあるこの状況は、ぞれぞれのゾンビにとっては恐ろしいものであり、彼らはその中で苦しみ混乱する犠牲者だと考えることもできる。
今の帝都はコープスが相当数討伐記録が出ていることから、ゾンビーの総数は増えつづけていることになるのだ。
「つまり、帝都にいるゾンビーは、人を襲うんですね」
「そうなんだ。しかも生前恨みつらみを抱えた相手を襲う傾向にある。ここにたくさんの事例が載っているけれど、特筆すべきなのは襲われた人間がゾンビーになるわけでないことだね」
「ドラキュラみたいな性質があるわけじゃない」
「そう、ゾンビーが何らかの形で死んだとき、その場にあった遺体がランダムにゾンビーになるようなんだ。これだとゾンビーの数は増えもしないが減りもしない。明らかに増やしている要因があるね」
サイガ子爵の事件からはや数カ月がたった。あいかわらず帝都内では帝都を歩く死者の噂が絶えない。サイガ子爵の証言通り、東京ステーションホテルにおける事件以外で人を殺そうとしたことはなく、むしろ帝都内を跋扈する原因不明の死者の魂を糧にしていたのはは真実だと証明されたのは誰の目から見ても明らかだった。
サイガ子爵の計画が達成されたことで需要がなくなり、供給ばかりの歩く死者はあたりまえながらふえていく一方である。
「これがあのダークサマナーがいっていた、あるいはサイガが予見した災禍の予兆なのかはまだわからない。でも、この帝都でなにかが起ころうとしているのはたしかだね」
「あのパーティからあいつの目撃証言もぱたりと止んじゃいましたしね......なにか掴めればいいんだけど」
「もうひとりのダークサマナーの行方も依然として知れずだしね。250人もいたパーティの招待客もようやく半数が白だとわかったよ。一般人に関してはそのうち追加の調査書が上がってくるはずだ。でも、やはりヤタガラスとつながりが希薄な軍部関係者は調査が難航しているよ。正直何年かかるのやらって話だね」
「そうですよね......」
「そう、だからこの調査が大事になってくるんだ、ハルアキ」
「ゾンビーの発生源を特定することがですか?」
「うん、そうなんだ。さっき話したとおり、ゾンビーになるのはなにも一般人だけじゃない。警察官も憲兵もだ。軍部は情報工作をしているが、将校クラスのゾンビーも出たという噂があってね。あちらも発生源が特定できなくて難儀しているらしい。だから、うまくいけば交渉材料になるかもしれないんだ。力を貸してくれないかな」
「なるほど......ダークサマナーに命を狙われた以上、あの陸軍将校が本命ですもんね。あの人の話を聞くことができればあいつの起こそうとしている事件の糸口もつかめるかもしれない。わかりました。これからゾンビーの目撃証言が多い場所をあたってみます」
「ありがとう、ハルアキ。助かるよ。これが僕なりにまとめてみた地図だ、参考にしてくれると嬉しい」
俺は安倍さんから地図を受け取った。
「やっと明日から学校に復学できるよ......。あとはよろしくね、ハルアキ」
「わかりました、任せてください」