青ゲットの殺人事件とは、1906年(明治39年)に福井県坂井郡三国町で発生した未解決の殺人事件である。
午前5時頃、青いゲット(毛布)をかぶった35歳くらいの男が回船問屋、橋本利助商店を訪ねてきた。訪問者は三国町に隣接する新保村で問屋の主人の親戚が急病で倒れたので、すぐ来てほしいと番頭を呼び出した。この時大雪であったことなどから番頭は男を信用し、付いて行った。
その後、同様の手口で自宅から母を連れ出し、さらにその後、村吉の妻も連れ出した。男は村吉の次女も連れ出そうとしたが、妻が連れ出される前に隣家の女性に留守番と子守りを頼んでおり、男との応対をした女性が次女の連行を拒否。そのため次女は助かった。長女は子守りとして他家に居たために留守であった。
青ゲットの男に連れ出された3人は、その後いつまでたっても戻らず、調べると新保村の親戚には誰も病人などなく、使いの者を頼んだ事実もないことが分かった。
警察署に置かれた捜査本部は、九頭竜川一帯の大掛かりな捜索を行い、被害者宅裏手の川に係留してあった小船の船べりに、血痕が付着しているのを発見した。
そして小船から少し下流の川底から、妻の遺体が沈んでいるのが見つかった。さらに翌日には母の遺体が九頭竜川の河口付近に沈んているのが発見され、引き上げられた。
しかし、主人の遺体はその後の捜索でもついに発見することは出来なかった。
問屋の主人の遺体が発見されなかったことから、彼の主犯説が捜査本部の中でも取りざたされたが、新保橋の血痕が1人分にしては多すぎることなどから、やはり3人とも殺害され遺棄されたという判断になった。
状況や証言から捜査本部が見立てた事件の経過は、まず青ゲットの男は店から問屋の主人を連れ出して、新保橋に差し掛かったところで殺害して川へ落とした。
次に自宅を訪れ母を連れ出し、同じく新保橋で殺害して川に落とした。続いて妻を「舟で対岸の新保村へ渡す」とでも言って船べりに誘い出し、殺害して川へ遺棄した。
その後、娘も連れ出そうとしたが隣家の女性に拒まれて失敗した、というもの。
捜査本部は男が一家を次々に連れ出して、残忍に殺害していることから、問屋に強い恨みを抱いた者が犯人の可能性があると推理した。しかし問屋の主人は真面目で酒も飲まず、良く働き若くして番頭に取り立てられるなど大変評判は良かった。
結局一家を恨んでいる者は見つけることが出来ないまま、捜査は暗礁に乗り上げた。
そのまま捜査は進展することなく、1921年にはついに時効を迎え、迷宮入りとなってしまった。
それが福井県坂井市で発生した青ゲット(マント)事件のあらましである。
この事件が発端となり、暗い吹雪の夜を歩く青い毛布を被った男。その毛布が赤色に染まり、やがて赤いマントの怪人へ変わりゆく姿が全国に広まる中で青マント、あるいは赤マントという都市伝説へと変化してしまったようだ。
赤マントの都市伝説は、赤いマントをつけた怪人物が子供を誘拐し、殺すというもの。誘拐の対象を少女のみとし、誘拐した後、暴行して殺す、とされることもある。
あまりにも不気味な、この未解決事件は瞬く間に全国に広がり、いつしか赤マントの怪人の伝説を生んだようだ。
ネットもなにもない時代なおかつ監視カメラもない。情報を得るには新聞か噂話しかない大正時代。青ゲット事件発生から24年しかたっていないために、真っ赤な憲兵や血に染まり帝都を闊歩する屍鬼の目撃談が相次いでいる中、結びつけられてしまうのも無理はない気がした。
伽耶や凛の通う女学校の生徒たちのあいだでも赤マント事件の噂でもちきりのようだ。お嬢様学校に通う娘をもつ親なら不安に思って当然だろう。目撃した友人もいるそうで、俺が興味を示すと二人は怪人赤マントについて詳細を教えてくれた。
「赤いマスクに赤い甲冑、それに赤いマント......ほんとうに全身真っ赤なんですね」
「ほんとうに恐ろしいわ、赤マント。なんでも、奇声を上げながら襲ってくるらしいの。何階もあるビルからビルに飛び移ったり、高いところから落ちても平気だったりするから、誰も捕まえることができないと聞いたわ」
「最初は、その......女の子を誘拐するよくある都市伝説だったのに、最近だと福井県の事件みたいに、襲われる人、色々いるって話を聞いたことがあります。女の子から男の人、老人......見境がなくなってきてるみたいで、怖くて......」
「そうなんですか、被害者は無差別になりつつあるんですね。それはどんどん標的が広がってるってことだ。危険だな」
「ほんとにね......だから送り迎えをするようにって桜蘭女学院からお知らせがでたの。今日だってお父様を納得させるのにどれだけ時間がかかったか......」
凛はためいきをついた。
「ごめんなさい、凛......ご家族と喧嘩をさせてしまって」
「伽耶が謝るようなことじゃないわ。それだけ心配なら銀座の不二子パーラーまで送り迎えしてくれたらいいのに、変なところで渋るお父様が悪いのよ。代わりに筑土町の支店にいくなら許可がいただけたから問題ないわ、あそこ伽耶のお屋敷からすぐだもの。ね?」
「ありがとう、凛」
「せっかくの16歳のお誕生日なんだから、お祝いさせてちょうだいよ。私たちが友達になってから2回目の記念日でもあるんだから」
「あれ、そうなんですか?伽耶さん、お誕生日近いんですね。おめでとうございます」
「あ、は、はい......ありがとうございます......」
「伽耶さん、どうかしました?体調でも?」
「大丈夫、伽耶?」
「ええ、大丈夫......。外がまた騒がしいから、赤マントが出たんじゃないかと思ってしまっただけなの。ごめんなさい」
「そうね......このあたりも目撃情報が出るようになってしまったみたいだし。毎日毎日、怖くて暗い話題ばかりで嫌になるわよね」
「ええ......最初は海の方ばかりだったでしょう?晴海町とか、台場とか......それがだんだんうちに近づいてきているみたいで、怖くて」
「そうなんですか、晴海町あたりが最初の......?」
「あら、ハルアキさんはそちらによくいかれるんですか?」
「ああ、はい、原田商会にお使いにいったり、天主協会のミサに参加したりしています」
「ハルアキさん、キリスト教徒なんですか?」
「意外、陰陽師のおうちなのに」
「え?ああ、あはは......いや、俺は洗礼は受けてないから信者ではないですよ。ただ神父のお話が聞きたくていってるだけなので。原田商会の運営もされてるでしょう、あの人は」
「あ、なるほど......お使いにいかれるなら、その繋がりで、とか?」
「そんな感じですね」
「天主協会......一度いってみたいけれど、晴海町あたりは、赤マントもそうだし、誘拐事件とか行方不明になる事件が多いから、やっぱり怖くて近づけないわ......」
「そうね......。ハルアキさんも気をつけてくださいね、赤マントは男の人も襲うことがあるみたいだから」
「ありがとうございます、おふたりも気をつけてください」
「はい」
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ失礼しますね」
「あ、あの......」
「はい?」
立ち上がろうとした俺の外套をひく感触があり、ふりかえると伽耶がいた。物憂げな表情のまま、無意識のうちに手を伸ばしてしまったようで、はたと我に帰るなり真っ赤な顔をして話してくれた。凛はいきなりの伽耶の行動にきょとんとしていたが、口元が弧を描く。
「いえ、その......なんでもないです、ごめんなさい。ハルアキさんも御用があるみたいだし、お忙しいと思いますが、お気をつけて」
「ああ、はい、お気遣いありがとうございます。それでは」
背後から伽耶を揶揄う凛の声がする。俺はそのままカフェーをあとにしたのだった。