「大丈夫かぁ、ライドウ?」
心配そうに覗き込む鳴海に介抱されていることに気づいたライドウは顔を上げた。
「鳴海さん......?自分はどうしてここに?」
「それはこっちの台詞なんだけどな?いやぁ、驚いたぜ。病院帰りにお前が道端で倒れてるからさぁ。なんかあったのか?ゴウトちゃんがいなかったら、今頃危なかったぜ」
「自分は......」
「今回の説教部屋は撤退時期を間違えたことによるものだな、ライドウ。現地調査を指示した悪魔が任務を完遂する前にマグネタイトが尽きてしまったのだろう。いくら自己蘇生の技能があるとはいえ、何度も蘇生すれば負担しているお前の精神力もいつかは使い果たす。つまりはそういうことだな」
「深入りさせすぎたのか......」
「そういうことだな」
「ツチグモは自分が使役できる一番高位な悪魔だ。それを倒すだけの敵が大道寺家にはあるらしい」
「詳しくはツチグモに聞こうじゃないか」
「ああ」
「大丈夫かぁ?」
「はい、大丈夫です。自分は少し出ます、金王屋へ。鳴海さん、ありがとうございました」
「そっか、金王屋ならすぐそこだもんな。あんま遅くなるなよ、ライドウ」
「はい」
金王屋で蘇生アイテムを購入したライドウはすぐに瀕死状態になっているツチグモを呼び出した。
「来い、ツチグモ」
「男は度胸、悪魔は酔狂ッ~~~!!」
「現場検証の結果を頼む」
「合点承知之助だぜ!!」
行き交う人々で賑わう築土町の西側を南東に走る神代坂を上がった北西の高台にある広大な敷地を有する大道寺家邸宅の門を眺めながら、ライドウは頷いた。
ツチグモはさっそく話し始める。
悪魔は常人には決して見ることが出来ないため、大道寺家内自体は、内偵調査は順調そのものだったという。
使用人は事前情報のとおり、執事の中村しかおらず、応接間の前には陸軍関係者と思われる男がふたりいた。何処にも姿が見えなかったから、清と商談相手は応接間にいるのだろうと思ったが、入れなかったらしい。
「入れなかった?」
「ありゃダメだぜ、サマナー。相当高位な悪魔が睨みを聞かせてるか、結界貼ってやがる。1歩も入れなかった」
「ジークフリードの高嶺の花か、ソロネのエストマのようなものか......。相手は相当な実力者だ」
応接間の声が聞こえないか張り付いてみたが、やはり防音もかねた建築らしく、なにも聞こえないかったらしい。
そして、諦めて行こうとしたツチグモに気づく様子はなく、暇なのか見張りの軍人がふたり話しはじめた。片方は大道寺家の噂を知っているようで、明らかに怖がっており、はやく帰りたいとボヤいていた。もう片方は信じてこそいないが、使用人たちと顔見知りになっているようで、あまり気乗りしないようだ。
伽耶が家出するまで地下牢に閉じ込められており、毎晩すすり泣く声が聞こえてくること。大道寺家が呪われた家系という噂はそちらの社交界隈ではかなり有名なようで、一族の者は女の血肉を啜るとか人ならざる者を飼っているという噂もあるらしい。
そんな一族と手を組むとかどうかしてるとボヤいてこそいたが、名前まで聞き取ることは出来なかった。将校クラスの人間なのはたしかだが、宗像将校かどうかはわからないとのこと。
そして、ツチグモは大道寺家の調査を再開した。目新しいものこそ見当たらなかったのだが、組まなく探していくと、現当主にして病に倒れて入院中の猛の書斎にたどりついた。
黒格子の壁が続く、磨きあげられた板張りの廊下は突き当たりが右に折れ曲がっており、その角の手前に物置があった。様々な小箱が整然と収められている。
その突き当たりに猛の書斎があった。
8畳ほどの室内は外の灯りが障子越しに入り、邸宅の奥深くにある割に明るかった。並べられている書物は、学術的なものから政治的なものまで幅広く、多岐にわたっている。猛個人というよりは歴代当主の書斎なのかもしれない。
ツチグモがあたりを物色し、伽耶の桜蘭女学院入学式の写真を入手した。
次に物置を調べてみる。世界母神像図鑑、鬼の口承、修験者の父という書物を見つけた。そのあたりから、冷たい風がふきこんでいる。大道寺家が鬼憑きだと思い出したツチグモは鬼の口承を引き抜いた。
ぎりぎりときしむ音がして、風が吹きこんでくる壁が滑り、ぽっかりと地下への道が開いた。
それは天然の洞窟だった。地下水に満ちた地底湖には木道が備えられており、代々にわたって使われたことを示している。
「見慣れぬ悪魔ぢゃな......迷子か?」
そこには大道寺邸地下の主を名乗る大タラスクという悪魔がいたという。
「タラスク......?」
ライドウとゴウトは顔を見合せた。知らない悪魔だった。
「ツチグモが任務に失敗したのは、タラスクという悪魔に負けたからか?」
「そうだぜ、サマナー。あの野郎、大道寺家の使用人から洋食屋のワインもらってるらしい。今日はまだだって機嫌がすっげえ悪かったのよ。亀みてーに遅いから油断しちまった。先に行こうとしたら、氷結魔法に甲羅を回転させて突進してきやがる。おかげでこのザマだ」
ツチグモは凹んでいる。
「だが、地下への行き方を調べてくれてありがとう、ツチグモ。明日の調査を簡略化出来そうだ」
「力になれたならいいけどよ......」
「今日はゆっくり休んでくれ。お前でも難しいなら、氷結に強い悪魔を準備して明日に望むとしよう」
ライドウはツチグモを管に戻した。
そして、ライドウはそのまま金王屋の地下をおりてDr.ヴィクトルの元を尋ねたのだった。
「タラスク......タラスクか、まさか極東の果てでその名を聞くことになるとは思わなかったぞ、ライドウ」
スイス人のDr.ヴィクトルはやはりタラスクのことをよく知っていた。
曰く、タラスクとは、フランス南部タラスコン市に発祥する伝説上の竜あるいは怪物のことらしい。
同市が開拓以前だったローヌ川沿いの森林地に、出没しては人害を及ぼしたタラスクという竜を、中東聖地より訪れていた聖女マルタが鎮め、退治に成功したという12世紀の伝説がある。
獅子のような頭、一対の亀の甲羅、熊爪の足六本、蛇様の尾をもっていた。なおかつ半獣半魚で牡牛より太く、馬より長く、角のごとく鋭い剣のような歯を持っており、たてがみは馬のごとく、切り立つ背中は斧のごとく、にょきにょき生えた鱗は錐のごとく、六本の脚は熊の爪のごとく、一本の尾は蛇のごとく、二つに分れた甲羅はそれぞれ亀のごとくであったという。
伝説によれば、昔、フランス南部プロヴァンス地方の、アルル市とアヴィニョン市の間のローヌ川沿いにあるネルルクという地に、タラスコヌスという竜が川に潜み、渡河しようとする人や船を襲っていた。
そこで民衆は、イエス・キリストの知己を得ている聖女マルタに対処を要請し、聖女はタラスクがまさに人を食らおうとしている場面に邂逅した。聖水をふりかけただけでタラスクはおとなしくなり、帯をくくりつけて市中に連れて行き、町人は石や槍を投じてこれを殺した。
注意すべきなのは、口から毒煙の息を、目からは硫黄火を飛ばし、口はけたたましい擦り音を立て、曲り牙の歯ぎしりはおぞましい騒音を立てること。その爪や歯は、道をよぎる者をことごとく細切れに裂きちぎり、息吹に近寄る者を死と化したという記述があることから、氷結魔法以外にも攻撃手段があるかもしれないという。
「タラスクとの大立ち回りがこれから待っているというわけか!素晴らしい!これから戦力強化をするのだろう、素材悪魔と金の準備は充分か、ライドウ?」
嬉々として聞いてくるDr.ヴィクトルに、ライドウは無言のままゴウトを見た。
「あまり我のへそくりを当てにしてくれるなよ、ライドウ。取り立てはするからな」