その襟元から、海洋生物のような真っ赤な触手がちろちろと姿を見せた。ガタガタ震え始めた清さんの四肢からはたちまち生気が失せ、血の気が引いていき、真っ青になっていく。青白い肌の清さんが、まるでゾンビーのような関節を無視した動きで顔を上げる。
その目は窪み、充血していた。その清さんの顔を襟元から赤い皮が滑り出して覆い隠していく。次々と出現していく素材不明の赤い皮は、びっチリと隙間なく清さんの身体を覆い尽くしていく。
やがて赤い皮に体を包まれてしまった清さんは、不意に跳ねた。長押しを足場に天井付近の壁に張り付いた清さんは、変貌した自分の手足を眺め、苦しいのか頭を抱える。そして、なかまで真っ赤な皮で覆われている口を開けた。
光の粒子が集まっていく。その振動に室内は震え、シャンデリアが弾けた。空間を歪ませる光のつぶが収束するにつれて球体となり、一筋の光の刃となって放たれた。
俺たちではなく、壁に向かってはなったのは、まだ清さんに理性がある証だ。清さんの光の刃は壁を完全に両断し、扉ごと破壊した。貫通した壁は穴があいている。外に通じている。
おそらく極端に狭くなった暗い視界であたりを見渡し、俺たちと目が合うなり、疾走していく。
あわてて俺たちは後を追った。
「あれは赤い憲兵じゃない。怪人赤マントか」
「高所を諸共せず移動する、間違いないですね」
光の光線が終わるまでうかつに近づけず、身動きがとれなかった俺たちは、大道寺邸全体が異界化していることに気がついた。
空気が一変したのだ。ひどく狭い空間に閉じ込められてしまったかのような圧迫感がある。もともと今の大道寺家は商談中だったため使用人すら有給や使いに出されてしまい人はいないが、人の営みすら完全に失われた悪魔たちの空間が構築されている。それが異界だ。
それは局所的な異界化だった。この世界での出来事はなにひとつ現実世界には影響を及ぼさず、現実世界もまた局所的な異界に影響をあたえない。同じ場と時間を共有しながら、決して混ざり合うことがない異なる層。
異界化している空間で戦っても現実世界の時間はほとんど経過していないが、なかったことにはできない。
ゆえに今ここで俺たちが全滅したら、一瞬にして大道寺家当主代理が行方不明、執事と探偵と子爵の使いが即死しているという理解を超えた状況となるに違いない。
「とうとう異界に足を踏み入れるまでになったか......」
感慨深げにゴウトが呟く。
「......ここは?」
中村さんはただただ驚いて目を丸くしている。
「異界です、中村さん。大道寺家地下にいる大タラスクも元はこちらの世界の住人」
「異界......」
「異界とは、現実世界の裏側にある世界。人ならざる者......自分たちは総じて悪魔と呼んでいるが、そういう存在が跋扈する世界だ。本来、ふたつの世界の境界は隔たれているのだが、時になんらかの原因で境界があいまいになり、ふとした拍子に悪魔が現実世界に湧き出すことがある。今、帝都に蔓延る赤マントや行方不明事件は、悪魔が関係しているのは間違いない」
「そうなのですか......では、あなた方は一体......?」
「自分は悪魔絡みの事件に特化した探偵なのです」
「俺もその関係者です、中村さん。陰陽師は昔そういう側面も担ってきたものでして」
「なるほど......安倍晴明の伝説はあながち間違ってはいないと」
「そういうことですね」
薄暗い無人の世界が広がっている。黄色い空に黒い雲が流れることなく浮かび、生臭さを感じさせる淀んだ空気がねっとりとまとわりついている。息苦しい圧迫感は、悪魔がこちらの存在に気づいたなによりの証だ。
街ひとつが異界化している。ただしくは、異界の層から世界を眺めている。物理的な空間である現実世界を精神世界の住人たちの住む世界の層からみている。虚空に輝く実体のない穴は異界と大道寺家をつないでいる。どうやら赤マントが作り上げたもののようだ。
「まさか魔断震に紛れていただけで、赤マントはこうして移動しているのか?」
「なるほど......それなら忽然と姿を消す理由づけにもなりますね」
「マダンシン?」
「今の帝都は異界との間に強固な結界が展開しているので、悪魔が来ることは無いはずなんです。その例外がそれ、地震等で発生する亀裂です。ただ、粗方潰したにもかかわらず、今なおゾンビーの噂が絶えず、赤い憲兵や怪人赤マントといった不穏な動きもあるので調査していたんですよ」
「そ、そうだったのですか......!」
「中村さんの懸念通り、大道寺家は嵌められた可能性がありますね」
「やはり、そうなのですね......ああ、なんてことだ......」
「これからどうします、14代目。俺は中村さんを保護するためにこのまま離脱したいのですが......」
「いや、待ってくれ。中村さんの話がたしかなら、相手は俺たちが邪魔になるはずだ。ガシャドクロたちも時間稼ぎのつもりだとしたら、どこから襲撃してくるかわからない。下手にわかれるのは危険だ」
「なるほど、たしかにそうですね。なら、急ぎましょうか」
「ああ」
俺たちは大道寺家をあとにした。