高級車の座席にもたれ掛かり、くわえタバコであたりを見渡す倉橋さんに目配せされた俺は、首を振った。倉橋さんも同意見のようで肩をすくめる。
陰陽師の才能にも悪魔召喚士の才能にも恵まれなかったと謙遜しながらも、悪魔の気配を感知する程度のことならばできるようだ。タバコの先から一筋に立ち上る紫煙がゆれる。その行方を目で追いながら、薄れゆく煙の先に、俺は攫われた女学生たちの行方を思い描いていた。
「ハルアキの時代には、そんなに珍しいのか、タバコは」
俺の視線を勘違いしたらしく、倉橋さんに問われた俺は笑った。
「え?あ、あー......はい、すいません、つい。珍しいというか、嗜好品なのは知っていますが高級品なのでなかなか手に入らないのが現状ですね。場所によっては禁煙の場所もあって、愛煙家の同僚は肩身が狭いって嘆いてましたよ」
「そうなのか、意外だな。将来人からしてもタバコは高級品なのか。もっと大衆化してると思ってたが」
「そういう時代もあったみたいですね、祖父の時代はそうだったと聞いた事があるので」
「なるほど......」
倉橋さんは何本目になるかわからないタバコをケースに押し付けて消した。桜蘭女学院の正門から少女たちの歌声が聞こえてきたのである。
桜蘭女学院の一日は、毎朝の礼拝から始まる。
8時15分、チャイムの合図と共に黙祷をささげ、讃美歌を歌い、聖書の言葉に耳を傾け、奨励(お話)を聞き、再び黙祷をささげる。
毎週日曜日の9時に俺が天主教会のミサで行っている礼拝とよく似ているから親近感が湧く。
礼拝は、聖書の言葉を基に、人生や社会について考える時であるとともに、神の前に出て、自分を見つめる時でもあるとエルフマン神父はいっていた。この礼拝の体験は、参加する一人ひとりにとって、一生の宝となるに違いないと。
桜蘭女学院の講堂にはパイプオルガンが設置されているようで、パイプオルガンの伴奏で讃美歌を歌っているのが聞こえた。
さすがは明治初期にキリスト教宣教師や日本人キリスト教徒によって建てられた女子中等教育校の一つで、最古の学校のひとつなだけある。
「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る、か」
桜蘭女学院は、毎月標語のような形で聖書から有名な1文を掲げているようで、掲示板には近隣住民にも見やすいように張り出されているのが見えた。
「どういう意味なんだ?」
「ここでいう畏れというのは、もちろん恐怖という意味ではなく、敬うこと、尊ぶことを意味します。主を畏れるとは、恵みの神を敬い愛すること。知恵の初めとは、人が真実に良く生きるための土台となるもの。つまり、神を敬うこと、尊ぶこと、そして神を愛することを学びなさいってことですね」
「桜蘭女学院はたしかプロテスタントのミッションだったな。それゆえか」
「有名な一節ですから、カトリックでもプロテスタントでも標語にするのはありえますけど」
「そうなのか。さすがは敬虔な教徒だ、詳しいな」
俺は首を振った。
「俺が敬虔な教徒だったら、幹部に昇進した同僚にそんなんだからお前は昇進しないんだよって笑われないので」
「そうか?毎週日曜日の天主教会のミサには必ず出席してると星命から聞いてるんだが。いつの時代もどうでもいいことでマウントをとるやつがいるんだな」
「あはは、そうかもしれませんね」
少女たちの賛美歌を聞いていると、テンプルナイトになる為に日夜勉強と修行にあけくれたことを思い出す。
主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。この言葉は俺にとって、テンプルナイトになったときに、訓示として示された言葉でもあった。
なぜ主を畏れることが知恵の初めたりえるのか。最初に学ぶべき対象なのか。それは、聖書によれば神がすべてのものの源だから。主は天地を創造し、すべての命を創造し、歴史を導き、俺たちの世界のすべてをかぎりない恵みと慈しみによって見守っていてくださる方だから。
主を畏れることを知ると、謙遜になる。すべての人が、神に造られ、愛される、かけがえのない命であることを知る。それでこそ、知識や学問が活きたものとなる。そんな意味だったはずだ。
「神を敬うこと、尊ぶこと、そして神を愛することを学びなさい」、それがすべての始まりであり、根源なのだと言うのだ。
俺たちが「神を敬うこと、尊ぶこと、そして神を愛することを学ばなければならない」のはなぜかと言えば、私たち自身が神によって創造された存在であり、神によって大切にされている存在であり、神に愛されている存在だから。
俺たちは実際のところ、自分自身というものがどういう存在なのか、よく分かっていない。よく分かっていないからこそ、主なしには、やり過ぎてしまったり、やり足りなかったり、本当に必要なこととどうでもいいことを取り違えてしまって、自分も周囲も不幸になったり悩んだりするということが、繰り返し起こる。
「主を知る」「主を学ぶ」ということは、「俺のことを誰よりもよく知っておられる主を知る」ということ。このことは、視点を変えれば、「俺のことを誰よりもよく知っておられる神を通して、俺が俺自身を知る」ということにもつながっていく。
俺はいったい誰なのか、俺は何のために生きているのか、俺が果たすべき使命とは何なのか」
それは天地創造の主であり、俺たちの命の造り手であり導き手である神、俺たちを愛してくださっている神こそが、俺たちよりもよくご存じだ。
「俺自身のことを知りたいのなら、まず最初に主を知れ」。これがメシア教のいう知恵であり、俺たちが学ぶべき第一のこと、すなわち、「神を畏れることは知恵の初め」ということ。
それを心するがよい、そんな話だった。やけに心に残っているのは、それだけ衝撃だったからなんだろうとぼんやり思い出す。俺の話を聞いていた倉橋さんはうなずきながらも目を細めていた。
「案外、彼女たちも似たようなことを学んでいるのかもしれないな」
「そうかもしれませんね。俺は結局、学長の言葉を理解するには至りませんでしたけど」
俺が知っていることはただひとつ、近代的思想や科学技術の進歩発展の中で、神なき世界を生きようとした人々は、その果てに神の存在そのものを再発見し、認めることになった。それだけだ。
それをミッションの女学院で学んできた伽耶さんは、悪魔つきという身の上をどう思いながら学生生活を送ってきたのだろうか。一番の友人である伽耶さんからそれを明かされ、サヨナラを言われたとき、凛さんはどう思ったのだろうか。
高級車の後部座席に乗りながら、俺は怪人赤マントが出現したという桜蘭女学院近くの通学路をみていた。今、赤マントや赤い憲兵の騒ぎで保護者の送迎が行われているために、時間帯さえ選べば近くのカフェーに粘るより違和感はないのである。
チャイムの代わりに賛美歌のメロディが流れ始める。今日もハズレだろうか、と倉橋さんにいおうとしたら、倉橋さんがいきなりエンジンをかけ始めたものだから俺は目を丸くした。
「シートベルトを締めてくれ。舌を噛んでも責任は取れないぞ」
倉橋さんの指さす先には、このあたりに出没しはじめた怪人赤マントの姿があったのだった。