名田庄村から帝都までは長い道のりだった。バスや車、鉄道を乗り継ぎ、1日がかりで俺は安倍さんの案内で帝都......どうやらこの世界は関東大震災が起こっていないために大正時代の木造建築や古い日本が今なお残っている東京にやってきたのだった。
子爵の邸宅である。本館で当主である安倍さんの父に挨拶をすませたあと、案内されたのは本館と繋がっている別邸のひとつだった。
「......すごいですね」
落ち着かなくてキョロキョロしている俺を尻目に安倍さんは申し訳なさそうな顔をしている。
「来賓用の邸宅じゃなくてごめんね、父から許可が降りなかったんだ」
「えっ、こんなに大きな屋敷なのに!?」
「大きいなんてそんな......恥ずかしいからやめてほしいな。2階しかない木造の建物だよ。もう少しまともなところが用意できればよかったんだけど、急な話だったからね......ごめんね」
やっぱり安倍さんは華族なんだなと思い知らされる。価値観があまりにも違いすぎて俺はついていけなかった。
「ええと、2階のどの部屋ですか?」
「ハルアキは冗談がうまいね。苦学生の下宿みたいなことさせられるわけないじゃないか、あはは」
笑われてしまった。
「使用人が足りなかったらいってね。一応、名田庄村みたいな分家から奉公に来てる子達ばかりだから、きみの価値観とあうとは思うんだけど」
ようこそお越しくださいました、と使用人の人たちに出迎えられてしまった。俺は固まった。どうしよう、今からなんだがとんでもないところに来てしまったんじゃないだろうか、これ。
俺の前には白亜の洋館で、木造2階建ての建物がある。正面屋根は三角破風のペディメントが採用され、玄関ポーチにはトスカナ式の円柱が用いられた、フレンチ・ルネッサンス様式の建物だ。
屋根はストレート葺の一部緑青銅板葺でルネッサンス様式にみられる王冠型の棟飾りがあり、円形の換気用窓(ドーマー窓)が随所に設置されている。
車寄せの上に2階部分が大きく張り出した正面の外観は、重厚なデザインであり、全体の建物サイズと比較すると、硬すぎるぐらいの堂々たるデザインとなっている。
「ええと、安倍さん」
「なに?」
「まさか、この建物が俺のためにとかいいます?」
「うん、狭いだろうけど我慢してくれるとうれしい。きみの実力がヤタガラスの目に止まれば、父の説得もしやすくなるからね、頑張って」
いや、いや、いやいやいや、そんな物置みたいないいかたされても困るんだけど、安倍さんはわりと本気のようで言葉が見つからない。
俺は安倍さんにつれられて、建物の中に入った。
重厚な玄関から室内に入ると、素晴らしいエントランスが俺たちを出迎えてくれたが、安倍さんは浮かない顔をしている。温度差がひどい。
エントランスの玄関ホールには、イオニア式の木柱と3連アーチがある。漆喰で真っ白な壁、木柱と奥に見える木製ドア、木の腰壁、廊下の赤い絨毯のバランスは、重厚かつ気品に溢れるもの。すぐ正面左側が応接間となっており、正面扉の奥がリビングのようだ。
階段の親柱は、手の込んだ装飾となっており、美しさと豪華さが感じとれる。
階段を上がった空間も、天井に美しい木造細工がほどこされており、白と焦げ茶色のバランスが美しく仕上げられている。
2階に上がると大広間があった。大広間は、天井4mもあり、中央部だけ漆喰で華やかな装飾が施されており、周囲は光沢が艶やかな板張りで仕上げられている。
天井の装飾を立体的にしたかのような、可愛らしいシャンデリアが一層華やかさを演出している。
正面には真っ白な暖炉が設置され、格調高く、落ち着きがある、温かみのある空間が作り上げられている。
大広間と隣の控室には扉があり行き来できるようになっていた。調度品の中には輸入品の照明や電気器具にしようするため自家発電施設を備えてある。
まさに明治の華やかな雰囲気を感じとることが出来る。
「これだけ広ければ、きみの使役する悪魔たちも自由にくつろげるんじゃないかな」
「あ、ありがとうございます......」
恐縮しきりの俺を知ってか知らずか、安倍さんは俺に笑いかけた。
「さあ、荷物は使用人の誰かに預けるといいよ。まだ日が高いからね、今のうちにデビルサマナーをやるうえで覚えないといけない場所を案内するよ。いこうか」
「あ、はい」
「まずはお昼ごはんにしようか、お腹すいたでしょ」
「はい?」
キョトンとしている俺に、安倍さんは笑った。
「名田庄村のおもてなしで、ちゃんとした野菜と魚のおいしさを知ったんだ。次はお肉だよね」
「えっ、でも高いんじゃ......?」
「そんなの、気にしなくていいよ。食べる楽しみを知らないとか人生の半分死んでるようなものなんだから」
「そんなに!?ちなみにお肉ってなんの肉ですか?」
「デミナンディじゃないのはたしかだね。なにがいい、牛?鳥?豚?僕のおすすめはやっぱり牛かな」
センターにおける暮らしについて聞かれたとき、一番無難な食料事情を話したら予想以上に安倍さんが食いついた理由をようやく理解する。
食道楽の安倍さんには俺は悲惨な生活をしていた人に見えているに違いない。なんてこった。
ちなみに、インド神話の神獣・ナンディの名を冠する食料用デモノイドで、フランケンシュタインの怪物を思わせる継ぎ接ぎのある青い身体に赤い頭と脚、尾を持つ牛の姿をしているデミナンディ。それが俺たちテンプルナイトのご馳走だった。
体長は3mもあり、1頭当たり11,000人分とも言われる大量のステーキ用肉が採れる。センターではその肉を用いたデミナンバーガーが人気である。
悪魔を素体としていることから、生体マグネタイトで成長させることができ、新型爆弾及び大洪水による文明崩壊によって、家畜の飼料となる作物栽培がままならないTOKYOミレニアムの食料事情にとっての救いの主となっていた。
......たしかに名田庄村の焼き鯖寿司も猪肉の鍋もにしめっていう煮物もおいしかったけど。センターのバイオ農法では絶対にたどりつけないおいしさだとは思ったけどさ。
安倍さんの目には、生まれて初めてまともな食事を食べる俺はどんなふうに見えていたんだろうか。ちょっと不安になった。
俺が連れてこられたのは、銀座の中村屋という高そうな店だった。店員はロシアの民族衣装「ルパシカ」というを制服を着ているため、とても目立つ。
「なに食べたい?」
「うーん......似たような料理なら食べたことあるんですけど、香りが全然違う......」
「ここはカリーがおすすめなんだ。普通のと黒毛和牛のがあるけどどっちがいい?」
「じゃあ、デミナンディとの違いが知りたいから黒毛和牛ので」
「わかった。じゃあ、僕は純印度式カリーにしようかな。ほかは?」
「え、ほか......?」
「ボルシチは純ロシア式スープ料理だし、パイパステーチェンは肉の包み焼きのことだね。とろけるチーズソースのナポリタン 、ローストビーフのオムライスはだいたいわかるでしょ?」
「いや、そうじゃなくて」
「高いところは美味しいけど量が少ないんだよね。他にも頼みなよ」
「多くないですか......?」
「好きなの頼んでいいよ、僕はそうだな。ボルシチとナポリタンでも頼もうかな。あ、カリーは大盛りでお願いします」
「!?」
「よく驚かれるけど大食いなんだよね、僕」
安倍さんの注文の仕方はいつものことのようで、誰も驚かない。俺がコーヒーを頼むと、そのままいってしまった。もしかして、このあたりでよく食べ歩きしてるんだろうか、安倍さん。エンゲル係数がすごいことになってそうだ。
失礼なことを考えていると、安倍さんがこの時代にはライスカレーというらしい料理について教えてくれた。
「日本だと小麦粉を使った欧風タイプのカレーが主流なんだけど、中村屋のカレーは本格的なんだ。白目米っていう、江戸時代、美食家や一流料亭、徳川家などが好んで食していた最高級米が使われてる。名田庄村のお米とはまた違った感じで美味しいよ」
「そうなんですか?すごいなあ。......安倍さん、ほんとになにからなにまでありがとうございます」
「うん、どういたしまして。実はさ、僕の好きな食べ物、ライスカレーなんだ。きみが車の中で好きな食べ物はデミナンディのカレーライスだって話してくれたじゃないか。なんだか無性に中村屋のライスカレーが食べたくなっちゃったんだ。付き合わせちゃってごめんね」
俺が中村屋のライスカレーに陥落したのはいうまでもない。