そして音の呼吸習得編スタートなのです!
「姉さん……」
眠ってしまったカナエを見て、しのぶがそう呟いた。
しのぶも、木刀を支えにして立っているが、動ける様子がない。
「一本を取られないのは当たり前にしても、まさか、躱されるとはな」
躱すまで終わらないと言ったのは本当だが、いざ本当に躱されてみると、少し驚く。
「私だって……まだやれます……」
しのぶが体を動かそうとするも、動ける様子はない。
「休んでいいと言ったはずだ。今のお前ではどう足掻こうが俺の攻撃を躱せぬ。それどころか、まず攻撃を仕掛けることはできないだろう」
「だ……けど……」
「だけどもこうもない。俺が休めと言ったら休め。十分な休養も出来ないような奴に強くなる資格はない」
そう言い放つと、しのぶは諦めたように膝をついた。
「そう気を落とす必要はない。むしろよくやった。死ななかっただけ幸運だと思え」
「……殺すつもりでやったんですか」
しのぶが睨みつけてくる。
「先ほど言ったろう、殺す気で来なければお前たちが死ぬと。お前たちが本気で来たからお前たちは死ななかったのだ」
「そう……ですか」
「お前たちは運がいい。これが実戦ならお前たちは間違いなく死んでいた。これが稽古だからこそ、お前たちは死ななかったのだ。死ななければお前たちはいくらでも強くなれるチャンスがある」
「だ……けど、私は姉さんのようにできなかった……」
しのぶが表情を暗くする。姉にはできて自分にできない。劣等感に悩まされているようだった。
「何を言う。俺に一本取れなかったのはお前もカナエも一緒だ。一回躱したぐらいで自分と姉をそう比べるな」
そう。カナエが行ったのは俺の攻撃をたった一回躱しただけ。それだけだ。
上弦の鬼と戦うなら、その程度のことを息をするように行うことが出来なければ、到底勝てない。
「別に何千回俺に打ちのめされてもいい。何万回吹き飛ばされてもいい。一回だ。一回俺から一本を取れば、それだけでお前の勝ちなのだ」
カナエたちにはまだまだ潜在能力が隠れている。それらは、死に瀕することでしか姿を見せない。それを引き出すための稽古だ。そんなすぐに一本を取られるわけにもいかぬ。
すると、しのぶは呆れたような笑みをその顔に浮かべ、
「そんな……もの……で……す……か……」
次の瞬間、崩れ落ちた。眠ったか。
俺はしのぶとカナエを両脇に抱え上げ、アオイのところに向かった。
「あ、アノスさん、稽古終わったんで……すか……か、カナエ様!?しのぶ様!?」
「なに、眠っているだけだ。骨は折っていない。安心しろ」
アオイは二人の様子を見て慌てている。そこまであわてる必要はない。二人とも外見的には重傷だが、実際のところは軽傷で済ませてある。
「とりあえず治療をしておけ。ああ、身体を拭いておくのも忘れるな。泥まみれだからな」
とりあえず、カナエとしのぶを近くのベッドに寝かせる。この様子では、もう今日は起きないだろう。起きるのは明日の朝といったところか。
「き、きよー!なほー!すみー!急いで来てー!」
アオイの緊迫した声とドタドタと聞こえてくる足音を背にしながら、俺は部屋を出た。
昼食は既にアオイが作っておいてくれていた。
カナエとしのぶの分も作っておいたようだが、彼女たちはベッドの上だ。
一体どうするのだろうか。アオイたちが食べるのかもしれぬ。
少し食休憩を置き、庭に出る。
しかし、この方法ではやはり効率が悪いな。元の世界のように、死にかけても回復するといった芸当ができぬ。
魔力の調整はまだうまくいかないため、無理に痛めつけられない。
しかし、これが今出来る限りの特訓だ。魔力の調整は焦っておこなっても世界を逆に危機に陥れるだけだ。
そんなことを考えていると、見知った男が蝶屋敷の庭にいた。
「よォ、アノス」
「来たか、天元」
昨日音の呼吸を教えてもらうと約束した男――宇随天元がそこに立っていた。
「ここに来たばっかで申し訳ねえんだが、音の呼吸を覚えたいなら俺の屋敷に来てくんねえか?」
顔を合わせた瞬間、天元がそんな提案をしてきた。
「ほう。何故だ?」
「言っちまうと、音の呼吸の弊害だな。ここでやるより俺の屋敷でやるほうが周りに迷惑かけなくて済むだろ」
それならば仕方がないか。いくら覚えるとはいえ、周りに迷惑をかけるわけにもいかぬ。今はカナエとしのぶも寝ているしな。
俺たちは蝶屋敷を出た。
「そうしよう。案内はお前がしてくれるのか?」
「当たり前だろ。ほかにだれができると思ってんだ」
「くはは。道理だな」
「全く……。ほら行くぞ。遅れずについて来いよ」
そう天元が言った瞬間、天元の姿が掻き消えた。次の瞬間には、天元の身体がゴマ粒に思えるほどはるか遠くにいた。
なかなかの速さだ。まあ、姿が見えるのではまだまだ未熟だがな。
「ついてこれてるかね、アノスの奴」
天元が後ろを見ながらつぶやく。しかし、次の瞬間、俺の体は天元の隣にいた。
「無論だ。この程度の速さで置いていかれる俺ではないぞ」
「……うえっ?!!マジかよこれについてこれてんのかよ……」
横で並走している俺を見て天元が驚く。あの程度の速さなら簡単に追いつけるからな。むしろ遅すぎるほうだ。
「まさかこの速度が限界か?それだと少し拍子抜けだぞ」
「んだとコラ!!まだまだいけるっつーの!」
俺の言葉を受け、天元が額に青筋を浮かべる。同時に天元の速度が上がった。
「これでどうだぁ!!……って、ウソだろっ!?」
しかし、その程度の加速では俺を振り切ることはできない。むしろ抜いてしまいそうだった。
「全然だな。もっと上げろ。その程度では柱の名が泣くぞ」
「おらああああああああ!!!!」
挑発してやると、天元はさらに速度を上げる。
俺が挑発し、天元が速度を上げ、俺が追いつく。屋敷に着くまでの間、それをずっと繰り返した。
そんなこんなで、俺たちは天元の屋敷に到着した。
「ぜえ……ぜえ……つ……着いたぞ……」
俺の挑発に乗りペース配分を間違えたのか、すっかり体力を使い果たしてしまった天元が息切れしながら言う。
俺からしてみればこの程度なんともないがな。
「まったく。お前ときたら全然体力がないな。その程度の体力では到底上弦の鬼とは戦えんぞ?」
「お……お前が異常過ぎんだよ……」
大量の汗を流しながら天元が反論してくる。
しかし、俺の言っていることは事実だ。二千年前では、一日に数十の戦場を回るのも珍しくはなかった。
そして、そのすべての戦場で生き残らなければ命は助からなかった。ゆえに、たとえ人間でも生き延びるために必死で鍛えたのだ。
平均しても天元の数十倍の体力はあっただろう。それに比べれば、鬼が出るとはいえ、この世界はまだまだ平和ということか。
それにしても、まさか屋敷が山の中にあるとはな。これなら周囲に人がいない。迷惑をかけずに済むようだな。
「俺は音の呼吸を覚える準備はできているが、お前はそうではないようだな。少し休むか?」
「お、おう……そうさせてもらうわ……」
よろよろと歩きながら天元は屋敷の戸を開ける。すると、一人の女が屋敷から出てきた。
長い黒髪で、整った顔立ちをしている。
しかし、どこか子供のような雰囲気があり、どことなく頭が足りないように見える。
「あー!おかえりなさい天元さまー!」
そう叫ぶが早いか、女が天元に抱き着く。
抱きつくといっても、暴走機関車のような勢いで抱きついてきたため、もはや突進の域に達していた。
疲れ果てた天元に女の抱き着きを抵抗するすべはなく、須磨に押し倒される形となってしまった。
結果、天元の全身が激しい勢いで地面に打ち付けられることとなった。
「ふぐぅ」
天元の口から妙なうめき声が漏れた。
「コラ須磨!いきなり突撃しないのってああああ天元様ああああああ!!!」
叫び声が至近距離から聞こえたかと思うと、屋敷の入口には先ほどの女とは違う女が立っていた。
金髪の髪を持ち、勝気な顔をしている。
須磨と呼ばれたのは、天元に突撃した女のことだろう。
須磨と同じく整った顔立ちをしているが、その顔は青ざめていた。
「す、すすすすすすすすみません天元様!!!!……ってギャァァァァァ!!!天元様が死んじゃったぁ!!?」
天元が白目を剥き、口から泡を吐き出していた。起き上がる様子はない。
よほど疲れていたのか、須磨に抱き着かれたショックで気絶してしまったらしい。
「コルァ須磨ァ!!何を縁起の悪いことを言ってるの!!そしていい加減天元様から離れなさい!!」
金髪の女が須磨を殴る。須磨は見事に吹っ飛ばされた。
「痛い!!」
須磨が赤く腫れた頬を抑えて涙を瞳に浮かべる。
「まきを、須磨、何を騒いで……て、天元様!?き、気絶してる!?」
二人が騒いでいると、三人目の女が出てきた。
黒髪を一つ結びにしてポニーテールにしており、左目の下に泣きぼくろがある。
そこで騒いでいる二人と違い、理知的で冷静なイメージをもつ。
というか、この屋敷には何人女がいるのだ?
まだ出てくるようなことはあるまいな。流石にこれ以上出てくると場の収拾がつかぬ。
幸い、これ以上出てくることはなかった。
なかったのだが、
「雛鶴さぁん!!まきをさんにぶたれましたぁ!痛ぁい!!」
「黙れ須磨!!それよりも、て、天元様を早くベッドに!」
「三人で運べるでしょうか……。もしも落としてしまったら……」
三人だけでも、非常にうるさかった。
倒れた天元を中心に三人の女がギャーギャー争いあう。その光景はまるで、一人の男をめぐり三人の女が争うドロドロの愛憎劇だった。
それはまさに、混沌と呼んでしかるべきものだった。
俺が三人に声をかけ、三人が俺が存在していることに驚愕するのはこの一時間後。
この日気絶した人:カナエ・しのぶ・天元 多いな……。