すすり泣くような声を発し、地を這いずる老人は、皮膚がひび割れ、額に大きな瘤があり、角が生えている。明らかに人間ではない風貌だ。間違いなく、鬼だろう。
しかし、なんといっても、驚くべきはその気配のとぼけ方の巧さ。俺は気づいていたが、天元は目視するまで鬼と認識できなかった。
いや、まずその存在に気付いていなかったというべきか。
元忍の宇髄天元は、その仕事柄、気配察知に長けている。そうでないと、闇の世界を駆ける忍は生き残れないからだ。
しかし、その忍である天元が気付かなかったということは、この鬼の気配を隠す技術が相当ということに他ならない。
瞳が裏返っていて数字は見えなかったが、十中八九、この鬼は十二鬼月に属しているだろう。しかも、なかなか上位だと見た。
「おわっ!?」
突如現れた鬼に天元は一瞬驚くも、流石は柱。すぐに意識を切り替え、鬼に斬りかかる。その刃が老人鬼の頸を落とそうと襲い掛かる。
時間にしてみたら約一瞬の出来事。しかし、天元の日輪刀は空を切った。
老人鬼は天元の一撃を跳び上がって躱したのだ。あの一撃を躱すとはな。なかなか素早い。
「やめてくれぇぇ……いぢめないでくれぇぇ……」
弱弱しい態度を見せ、情けないことを言っているが、こいつは天元の攻撃を躱している。
そして、鬼は本気で怯えてはいない。見てくれだけだ。その程度、ミーシャほどの魔眼を持たなくとも容易にわかる。
おそらく、あのようにか弱い老人のふりをすることで自分を正当化し、たくさん人を喰ってきたのだろう。
「逃げんじゃねえ!!」
天元がその体を回転させ、空中にいる老人鬼に斬りかかる。しかし、僅かに距離が足りない。
しかし、次の瞬間、天元の持つ日輪刀の刀身が
天元は、日輪刀の刃の先端を摘まむことで、斬撃を放てる範囲を広くしたのだ。
先端だけを摘まみ、刀を操るとは、なかなかの握力だな。
伸びた刀身は、そのまま空中で身動きが取れない老人鬼の頸を見事にとらえ、そのまま胴と頸を泣き別れにした。
「ヒイイイ……斬られたああ……」
しかし、鬼は驚く様子を見せない。まだ怯えている。思えてみれば、十二鬼月とあろうものが、そんな簡単に首を落とされるはずがない。
つまり、頸をわざと斬らせた可能性が高い。
日輪刀で頸を斬ったら死ぬ。それが鬼だが、万物には例外が存在する。絶対などというものは存在しない。俺のように。
瞬間、切り離された胴体から頚が生え、転がった頚から胴体が再生した。分裂か。
分裂した二人の鬼は、それぞれ先ほどの老人が若返ったような風貌をしていた。瞳には上弦と肆の文字。
察しの通り、十二鬼月。しかも、上弦。しかし、壱でも弐でもない。別の上弦。
一体は錫杖を、もう一体は八つ手の葉の団扇を持っていた。
おもむろに、団扇を持った鬼が、天元をそれであおぐ。
「う……お、ああっっ!?」
正面からそれを受けた天元の体が容易く宙に浮かぶ。そのまま凄まじい勢いで部屋の壁を突き破り、なお勢いは衰えず遠く遠くへ吹き飛ばされた。
「お、おいアノス!!」
「心配ない。俺が二体を相手する。天元は家の周りの鬼を相手しろ」
「わ、分かった!!」
天元が吹き飛ばされる間にそれぞれの役割分担を決める。そのまま天元は見えなくなった。
「カッカッカッカ。儂らを一人で相手するとはよく言ったものだのう」
団扇を持った鬼が笑う。その舌には「楽」の文字が見えた。
「腹立たしい……腹立たしい。可楽、お前と混ざっていたことも、あのお方に逆らうこの人間も、何もかもが腹立たしい」
「そうかいそうかい。離れられてよかったのう、積怒」
もう片方の鬼、積怒と呼ばれた鬼の舌には「怒」の文字が刻まれていた。
俺は二体に歩み寄る。
「たった二体だけか?」
俺は二体に声をかける。二体の鬼がこちらを向いた。
「なんだと?」
積怒が苛立ったように言葉を返す。
「まだ分身出来るのだろう?俺が相手してやるのだ。本気を出せ。でないと、俺が一秒たりとも楽しめない」
見たところ、こいつらは雑魚だ。その程度の実力で何をいきがっているのか不思議に思うくらいに。
この程度ならわざわざ音の呼吸を使うまでもない。少しでも本気を出させてやるのが、死にゆく奴らへの情けだ。
積怒が苛立った表情を見せる。可楽は笑っていた。
「まさか儂らの前でそのような啖呵を切れる者がおるとはのう。愉快愉快じゃ!ならばお望み通りにしてやろうではないか!なあ、積怒」
「うるさい。儂らに対してそのような態度。言われなくともそうしてやるわ。ああ、腹立たしい腹立たしい……」
そう言いながらも積怒と可楽は自分の頸を引きちぎる。その首から、さらに鬼が二人、現れた。積怒と可楽の頸も再生する。
「この男か、あのお方から殺すように命じられた男は……。ああ、哀しい……儂らに殺されるこの男の末路を思うと……」
一人は、舌に「哀」の文字を持つ十字槍を携えた鬼。
「喜ばしい喜ばしいのう!別れたのは久方ぶりじゃ!さあ、どんな風に殺してやろうかのう!」
舌に「喜」の文字があり、羽をはやし、鳥獣のようなかぎづめを持つ鬼。
喜怒哀楽の感情を一つずつ持った四体の鬼がこの場に顕現した。
「さあ、望み通りにしてやったぞ?絶望したか?泣き言や命乞いなら聞いてやるぞ?」
可楽がそんな言葉を口にする。降参しろ、という意味だろう。
ふむ。状況が分かっているのか?こいつらは。
舌の文字からなんとなく喜怒哀楽の四体だとは予測していたが、全員が全員雑魚だ。四体が上限とは、情けない。
「ふむ、貴様らもしかして算数が苦手か?」
「何が言いたい?」
積怒がさらに苛立つ。
「一が四つ集まったところで、たかが四だろう。四程度で、俺に挑むと?冗談も大概にせよ」
「ほざけっ!!わかっておろうな、可楽、空喜、哀絶!」
「そう喚くな。哀しくなる」
「面白い!震えるがいい、人間!」
「カカカッ!!小僧が言うではないか!」
俺の言葉を皮切りに、四体の鬼がそれぞれ攻撃を開始する。
積怒が錫杖から雷を発生させ、哀絶が刺突を放ち、可楽が強風を巻き起こし、点を飛翔する空喜のかぎづめが俺を襲う。
部屋がさらに破壊され、土煙が舞う。
「「「「!?」」」」
土煙から出てきた俺の姿を見て、四体の鬼が驚愕した。
俺の身体には、かすり傷一つついていなかった。
積怒の雷は俺の身体に弾かれ、可楽の起こした強風は俺を微塵たりとも吹き飛ばさず、哀絶の槍は俺に触れたとたんにボキンッと折れ、空喜のかぎづめは足からちぎれ、俺の肩に引っかかっていた。
空喜のちぎれた足が変形し、空喜の顔に変形する。その口から衝撃波が放たれるが、俺には全く効かない。
肩に引っかかった足を外し、その辺に捨てる。すでに空喜の足は再生していた。
今のから考えるに、恐らく、分身体には上限がある。先ほど鬼たちの舌に確認した『喜・怒・哀・楽』の文字。その四体の状態がもっとも安定して強いのだろう。それからも分裂は続くが、新たな感情の鬼が生み出されるわけではないというわけか。
まあ、この程度ではたとえ億に分裂しようと俺の敵ではないが。
四体の鬼が再び仕掛ける。しかし俺は傷を負うことはない。
何回も、何十回も四体の鬼は攻撃を仕掛ける。そのたびに雷が、風が、音波が、刺突が部屋を駆け巡るが、その悉くが俺の身体を傷つけることが出来なかった。
「な……なぜだ!なぜ儂らの攻撃が効かん!」
積怒が戸惑う。ほかの三体も同様だった。
状況を理解できない四体の鬼に、俺が優しく説明してやる。
「なに、赤子でも理解できる簡単な話だ。お前たちが弱い。それだけのことだ」
「な……」
「ば、かな……」
「儂ら上弦が……弱いだと……」
「儂らはあのお方から血を戴いてさらに強化されておるというの……に……どういう……こと……だ……?」
まだ理解できていないのか。全く、四体もいるというのにその結論に達しないとは、まったくもって哀れでしかないな。
まったく、何のために分裂したのやら?
「雷が静電気の影響を受けるか?台風がそよ風に吹き飛ばされるか?」
俺は四体に歩み寄る。四体はその体をビクッと震わせた。
「お前たちのしていることは俺にとっては何の意味もない。無駄だ」
「「「「ヒッ……」」」」
俺は四体にさらに一歩、歩を歩む。四体がおじけづいたように後ずさった。
「喜び?怒り?哀しみ?楽しみ?そんなもの、この俺の前では何の意味もなさない」
俺は日輪刀を握りしめる。日輪刀の色は再び赤く染まっていた。
「お前たちが俺の前で表す感情は恐怖と絶望だけと思い知れ、上弦の肆」
魔王の前では、上弦の鬼も雑魚――