CUE!~Si Vis Pacem, Para Bellum~ 作:ラッキー
キッチンに放置したままのボウルをラップで覆い、冷蔵庫へ仕舞ってから佐々木は同行者のほのかと共に陽菜の自室へ向かう。
明らかに挙動不審であるのが気になるがーー
「…いや…もしかすると本当にキャベツを一人で食べる可能性も捨てきれん…」
「それどんな可能性ですか…?」
「…確率は0%ではないからな」
ーー
隣を歩く彼を見上げるほのかは心中で首を傾げてしまう。どう考えても怪しいの一言に尽きるのだが、佐々木としては他の可能性も捨てきれないらしい。
確かにと頷くのも吝かではないのだが、それであればあそこまで慌てる必要はないようにも思うのだ。
とはいえ真偽は間もなく判明するだろう。
陽菜の自室の前へ立った二人は顔を見合せた。
「…済まないが、ほのかが声を掛けてみてくれ」
「分かりました。ーー陽菜、ちょっといい?」
彼女が室内にいるだろう陽菜へ声を掛けるが反応は梨の礫だ。だがーー室内からは僅かにだが彼女の声が聞こえる。まるで誰かと会話をしているかのようだ。最初は電話でもしているのかと思ったがーー
「…あ、鍵が開いてる。…陽菜、入るよ?」
施錠されていない扉をほのかが開けると佐々木もその後ろから室内を覗き込む。ベッド上にある大きな亀のぬいぐるみが視界へ入ったが、次いで目に映ったのは水槽の前で笑顔を浮かべつつ「美味しい?」と語り掛ける陽菜の姿だ。
「…え!?陽菜、なにしてんの!?」
友人の異様な光景を見たほのかが思わず驚愕に染まった声を上げると陽菜の身体がビクリと跳ねた。
「ほ、ほのかちゃん!?マネージャーさんも!?いつからいたんですか…!?」
「…いつから…扉の前にいたのは30秒ほど前か?」
そこまで正直に答える必要はあるのだろうかーーなどと、ほのかは彼の言葉を聞きながら室内へ足を踏み入れ、陽菜が覗き込んでいた水槽へ視線を移した途端、目を丸くしてしまう。
「陽菜…それってもしかして……」
ほのかが何かを見付けた事を察した佐々木も陽菜の自室へ入り、焦げ茶色の髪が腰まで届いている背中の後ろから覗き込んだ。
「……亀だな」
何処からどう見ても亀だ。薄く水が張られた水槽の中へ置かれた石の上で与えられたキャベツの葉を嘴で千切って咀嚼している姿を目撃した佐々木が名前をほのかに代わって呟くとーー
「亀って言わないで!!」
ーー陽菜のそれなりの大声が室内に響き渡り、ほのかが驚く中、佐々木は落ち着き払った様子のまま更に口を開いた。
「…済まん。…非常食?」
「非常食でもないです!!」
あ、この人本気で言ってるーーとほのかは直感的に判断してしまう。というより生きている亀を非常食扱いする人間が現代の日本でどれほどいるのか。
「…いやでも…これ亀でしょ?」
ほのかが言い返せば佐々木も全面的に同意するようで無言のまま頷く。何処からどう見ても、何処に出しても恥ずかしくない亀なのだ。
「ーーほのかちゃんだって“人間”って呼ばれたら嫌でしょ?この子には“亀井さん”って名前がちゃんとあるの」
「…亀井…さん…?」
「…国会議員にそういう名字の人がいたような…」
「マネージャー、それは良いですから…」
やっぱり
「亀井さんだよ。見て…年上っぽい顔してるでしょ?」
「……亀って皆こういう顔してますよね…?」
「むしろこういう顔以外の亀がいるなら突然変異かもしれん」
志穂もそうだが
「普段は専用の餌をあげてるんだけどね。“たまにはキャベツが食べたいよ~”っていうから、さっきスーパーで買ってきたの」
「でもなんで亀……井さんを連れてきてるの?寮はペット禁止って紙に書いてあったじゃん」
これ以上、自身の中で“マネージャー天然説”が膨らむ前にほのかが問題の根本を陽菜へ問い質すと背後で佐々木が首肯する気配を感じた。
「確かにそういう決まりだ。匂いや鳴き声もそうだが、動物嫌いの人もいる可能性がある。余計なトラブルを招きかねないから一律、ペット禁止にしたと真咲さんからは聞いているぞ」
良かった。やっぱり
さっきまで天然説を考えてしまってごめんなさい、とほのかは心中で彼へ謝罪する。
「亀井さんはペットじゃない。私の大切な親友です。私…いつも悩んだりしたら亀井さんに相談するんです。亀井さんになら…なんでも話せるから。ほら見て下さい。どこか哲学者みたいな顔してるでしょ?」
「……キミ…哲学者に会ったことがあるのか?」
あ、やっぱりさっきのごめんなさいは間違ってた。
陽菜へ対する彼のツッコミを聞いたほのかの中で“マネージャー天然説”がほぼ確定的となった瞬間である。
〈ーーそう、陽菜がねぇ〉
陽菜の自室で繰り広げられた論争の末、ほのかや佐々木が“他のメンバーと真咲から許可が出たら飼っても酔い”という条件を提示した事で一応は場は収まった。
リビングに戻るとちょうど舞花と志穂も片付けや掃除などの雑用を終えてソファに腰掛けており、事情を説明すれば紆余曲折はあったが二人からも許可が降りた。
その様子をキッチンで途中だった夕食の調理を再開しつつ眺めていた彼も味噌汁とハンバーグが完成し、添え物のキャベツの千切りも終わって後は米が炊き上がるのを待つだけとなればスマホを手にしてリビングを抜け真咲へ電話を掛けながら管理人室へ向かう。
簡潔な説明をすると電話口の向こうで真咲の“仕方ない”と言わんばかりの溜め息が聞こえたのは佐々木の気のせいではないだろう。
〈ーー構わないわ。陽菜のメンタルを維持するのにも効果はあるのだろうし…責任を持って世話をするなら、と伝えてちょうだい〉
「分かりました。お加減が宜しくないのにわざわざ申し訳ありません」
〈大丈夫よ。だいぶ楽になったから。…桐香はまだ具合悪そうだったけどね。佐々木くんは平気かしら?〉
「お気遣いありがとうございます。問題ありません」
〈そう、良かった。〉
渡り廊下へ入り、佐々木はスラックスのポケットへ仕舞っていたソフトパックとジッポを取り出すと振り出した煙草を銜える。
〈新しい生活が始まるけど…4人とも別々のライフスタイルで生きて来たから問題も起こると思うわ。佐々木くんには申し訳ないけれど面倒を見てあげてね〉
「分かっています。その手の問題には色々と慣れていますので…まぁ自分も器用とは言えない性格ですが精一杯の指導はやっていきます」
〈頼もしいわ。それじゃ後は頼むわね〉
「はい、失礼します」
通話を切った彼はスマホをポケットへ仕舞い、銜えていた煙草に火を点けて紫煙を燻らせる。
その内、ゆっくり吸えるよう椅子でも買おうかと考えながら煙草のフィルターを摘まみ、唇から離すと肺へ吸い込んでいた紫煙を吐き出した。
ニコチンの摂取で人心地つきつつ管理人室へ入る玄関前に置いていた蓋付きの灰皿を手にして溜まった灰を叩き落としていると渡り廊下の向こうーー寮の廊下から足音が聞こえた。
「ーーあ、マネージャー!ご飯炊けたみたいですよ!」
彼へ炊飯が終わった事をわざわざ伝えに来たのはほのかであった。
紫煙を吐き出しながら彼女へ視線を向けた佐々木は了承の意味を込めて頷く。
「あぁ、分かった。ありがとう」
佐々木は時刻を確認しようとスラックスへ仕舞ったばかりのスマホを取り出す。それを見たほのかは気になっていた事を尋ねようと渡り廊下へ足を踏み入れながら声を掛けた。
「そういえばマネージャー。キュイッターはやってないんですか?」
「キュイッター?……あぁ、SNSの?やってないな。ついでに言えばレインもやってない」
歩み寄って来る彼女へ横目を向けながら佐々木は頭を緩く横に振ると副流煙をほのかが吸い込まない内に灰皿へ煙草を捨てる。
「吸ってても気にしませんよ?嫌いな匂いじゃないですし」
「…そういう訳にもいかんからな」
基本的には真面目で律儀なんだなーーと彼女は再認識しつつ自身のスマホを取り出すとアプリを開き、彼の側まで歩み寄ると画面を見せた。
「こういう感じのアプリなんですけど…事務所の皆もアカウントを作ってますし、投稿をチェック出来ますよ。話題も色々と見付かりますしね」
ほのかが差し出したスマホの画面を覗くと確かにエールブルーへ所属している声優達やスタッフ達の
「……“絶賛二日酔い中”…これは桐香先生か」
「あと…美晴さん達は昨日の歓迎会の写真も一緒に投稿してましたよ。マネージャーの顔は写ってませんでしたけど」
ちょっと待って下さいね、と彼女は告げてから“いいね”を押した投稿を探し出す。ややあって目的のそれを発見してほのかはスマホの画面を見せる。
「…あぁ、本当だ」
「身バレしないように、って配慮してくれたのかもしれませんね」
ジャケットの袖口やグラスを持つ手は写っているが彼の顔は写っていない。その配慮に佐々木は心から感謝する。
同時に自分がSNSをやっても大丈夫なのだろうかーーと以前の仕事を思い出しながら考えてみたが、その手の投稿をしなければ、まずは問題ないだろうと結論付ける。
「…なら…俺も後で作ってみるかな」
「あ、じゃあアカウントの名前だけ何にするか教えて貰えますか?後でフォローしておきます」
「…アカウントの名前…そうだな…。流石に名前で登録するのは…安直だが“エールブルーマネージャー”で作るか」
「分かりました。ちゃんとチェックしてますから絶対に作って下さいね」
笑みを浮かべる彼女へ頷いた彼は先に夕食を食べておいてくれ、と告げてほのかを送り出した。
渡り廊下を抜けて寮へ戻る彼女の背中を見送ると佐々木はアプリのダウンロードを始める。
「…大丈夫…の筈だよな…」
一抹の不安が脳裏に過った事は誰にも話さなかったという。話したところで一笑に伏されるのが関の山という意味もあったのだが。
夕食のハンバーグは好評だったらしい。4人の口に合った事を幸いに思いながら皿洗いをしようとしたのだが、流石にそれは申し訳ないと志穂を除いた3人が率先して片付けを始めてしまう。最終的には志穂も強制的に参加するはめとなっていたのは余談だ。
暇となった佐々木は仕方なくリビングのソファに腰掛け、スマホを取り出してSNSのアプリを開く。作ったばかりのアカウントは真っ白だ。フォロー、フォロワーが誰一人として存在しないから当然である。
所属声優の誰かをフォローすべきか、と思うが急に脈絡もなくそれをするのは何処か申し訳なさが先立ってしまう。
取り敢えず、まずは最初の投稿をしようと佐々木はアプリのボタンをタップする。文字数の制限はあるが、所詮は呟きだ。
【声優事務所AiRBLUEに入社したばかりの新人マネージャーです。今回、キュイッターを始めました。不慣れですが宜しくお願いします】
これで良いか。文章を見直した佐々木は投稿のボタンを押した。
夕食も終わり、後は消灯時間まで自由だ。消灯後は念の為に寮内を巡回する事になる。それまで明日の予定の確認や仕事の準備、シャワーを済ませようと佐々木は思い立つとソファから腰を上げる。
キッチンで片付けを手分けして行う彼女達へ一言告げてから彼は廊下を歩いて管理人室へ向かった。室内へ入り、電灯を点ければーー味気ない内装の自室が照明で浮かび上がる。組み立てたベッドの上には布団と毛布が綺麗に畳まれていた。特に毛布は一部組織で“バームクーヘン”と呼ばれる状態である。
彼は衣服を脱ぐとタオルや下着を片手にバスルームへ入り、手早く石鹸を泡立ててシャワーを浴び終える。
下着だけを身に付け、タオルで短く刈り上げた黒髪を拭きながらバスルームから出て来るとローテーブルの上へ置いていたスマホに何かの通知が入っている事を報せる点滅が見えた。
拾い上げたスマホへスイッチを入れるとーー“月居ほのかさんにフォローされました”という通知が入っている。
「……本当にフォローしてくれるとは…」
初めての呟きを投稿してから10分程度なのだが、早速のフォローに佐々木もやや驚きながらアプリを開く。それと同時に先程の投稿へリプライが入った。送信したのは、フォローされたばかりのほのかからである。
【こちらこそ宜しくお願いします!!】
リプライの短いながらも彼女の声が聞こえて来そうな文面を読んだ彼は微かに顔へ笑みを浮かべつつ、いいねを押した後にほのかのアカウントをフォローするのだった。