CUE!~Si Vis Pacem, Para Bellum~   作:ラッキー

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 エールブルーが所有する寮の近所には現在となっては珍しいが遊具も備えられている公園がある。

 

 日中や休日は親子連れも見受けられるが事務所に所属する声優達の貴重な練習場のひとつでもある。

 

 とはいえ声優達だけの貴重な練習場のひとつではないのだが。その証拠に今朝も朝早くから鉄棒にぶら下がって懸垂をしている長身の人影がある。

 

 鉄棒をしっかりと両手で握り、腕だけでなく腹筋や背筋を意識しつつ身体を持ち上げる。それだけでなく顎もポールの上まで持ち上げてはそのまま数秒、姿勢を維持した後に身体をゆっくりと下ろす。

 

 取り敢えず今日はこのぐらいでーーと額に汗が滲む中で握力が悲鳴を訴え出すのを自覚した佐々木が最後の一回として身体を持ち上げた。

 

 そのまま鉄棒へよじ登り、ポールを両方の膝裏へ挟み込んで上体を真後ろへ倒す。途端に世界が上下反転してしまうが、それを気にする事なく後頭部へ両手を添えながら腹筋を用いて上体を起こし始める。両腕の肘が両脚の膝へ当たるまで持ち上げて腹筋を苛める。時折、上体を捻って、腹斜筋も刺激を与え続ける中ーー公園の入り口に見慣れた姿が彼の視界へ入った。

 

 上下反転する世界で腹筋運動を一旦中止すると後頭部へ手を添えたまま駆け足で近付いて来た少女へ声を掛ける。

 

「…おはよう、ほのか。相変わらず早いな」

 

「おはようございますマネージャー。…朝から凄いメニューしてますね」

 

「そうか?」

 

 少女ーーほのかの声を聞いた彼が尋ね返してしまう。逆さ吊り腹筋の要領でのトレーニングは非常にハードである事は彼女も知っているのだ。

 

「こういうのってジムとかでやるものだと思ってました」

 

「本当ならしっかりした場所でやるのが一番なのかも知れんが…中々時間が取れないからな」

 

 マネージャー業は暇があまりない。休日となっていても急な仕事が入る場合も存在し、おちおち遠出の外出もままならない。その際は事前に社長である真咲やチーフマネージャーのりおへ伝える必要があるほどだ。

 

「ほのかは日課のトレーニングか?」

 

「そうです。10kmぐらい走って来ました」

 

「…俺が言うのもなんだがキミも良く続けられるな」

 

 軽い苦笑いを溢すと佐々木は再び腹筋に力を入れ、上体を持ち上げる。通常の運動とは違い負荷は倍以上だ。それを難なくーー少なくともほのかの目にはそう映っているーーこなす彼に彼女は感嘆の眼差しを向けてしまう。

 

「…私も負けてられない…!もう少し走って来ます!」

 

「ーーっ…いや張り合うものではないんだが……」

 

「行ってきます!」

 

「……いってらっしゃい」

 

 無理はするな、と伝えた方が良かっただろうか。相変わらず上下反転の世界に映るトレーニングウェア姿の彼女が公園を駆け抜けて行く様子を眺めながら佐々木は考える。それと同時にーー今日の予定を思い出して溜め息が漏れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー…それで…自分もコーチやトレーナーの真似事をしろ、と?」

 

「そういう事ね」

 

「私からもお願い。佐々木くんの経験や知識は必ず活かせる筈だわ」

 

 一昨日、Windの4人を社長室へ呼び出し、彼女達へアニメのオーディションを受けて貰う旨を告げた。

 

 舞台は荒廃し人口も大幅減した終末世界。数少なくなった人類達は狭い居住区の中で配給される乏しい食糧を口にしながら生き長らえていた。その状況下で敢えて街の外で生活を続ける三姉妹の物語。ーーそれが作品の荒筋だ。

 

 日常×料理×終末が根底にある作品であると説明を彼が資料を片手に伝えると4人は意気軒昂とオーディションへの意欲を示した。

 

 このオーディションへ声が掛かったのは佐々木が事務室で受け取った一本の電話が切欠となる。

 

 電話を掛けて来たのはこのアニメのプロデューサーである鈴木という女性だ。数日前に引っ越しを行ったそうなのだが、その際に莉子がバイトをしている業者を使ったらしく、目の当たりにした彼女の能力を見込んで声を掛けたのだとか。

 

 メンバーの3人を退室させた後、莉子へ改めて関係性を尋ねても相手がプロデューサーとは知らなかったらしい。

 

 これも巡り合わせや運か、と思いながら退室する彼女を見送ると真咲が彼へ声を掛けた。

 

 曰く、対策を立てるので桐香を呼んで来て欲しいとの事である。

 

 頷いて事務室へ向かい、休憩中だった桐香へ事情を伝え、社長室に戻ると一週間後のオーディションを迎えるまでの対策が話し合われる事となった。

 

 ソファを勧められ、彼が腰掛けると真咲や桐香がプロデューサーである鈴木の為人をこの業界へ足を踏み入れて日が浅い佐々木へ説明する。

 

 曰く“度を越した完璧主義者であり、リアリズムを徹底して追求する人物”なのだという。

 

 その分、国内外からの評価は高い為、手腕は確かなのだろうがーーとある戦争物の作品のオーディションでは米軍のトレーニングと同じ内容の事を参加者へ課したとか。

 

 彼は思わず「米軍と言っても陸、海、空、海兵、沿岸の5軍がありますし、何処のトレーニングですかね?」などと呟き、内容が何処の組織の基準なのかが気になるようで首を傾げている始末だ。その姿に真咲と桐香は苦笑を漏らしてしまう。補足すれば州軍も存在するのだがーーそれは蛇足だろう。

 

 なにせブートキャンプ(新兵訓練)で実施される教育は細々とした差異はあるが大して変わりはない上に共通する点は多い筈である。

 

 一週間のオーディションまでの対策として特別レッスンが計画されたのだが、1日分のレッスンだけは佐々木へ任せたいという話が浮上したのが先述の3人の会話だ。

 

 確かにこれまでもトレーニングメニューの改善ーー主に筋力を鍛える為のトレーニングは彼が指導する場面もあったが丸1日分も任せられるとなれば困惑してしまう。

 

 だが舞台となるのは終末世界ーー極論すれば死が隣り合わせの世界観だ。有事の際は真っ先に戦場や被災地へ飛び込むという組織で働いていた経歴を持つ佐々木へレッスンコーチを任せるのは理解出来ない話ではない。

 

「…あまり気が進みません。何処までやれば良いのか……」

 

「やり方は佐々木くんに任せる。…彼女達が再起不能にならない範囲であれば一任するわ」

 

「…セクハラやパワハラと言われたら擁護と援護だけはして下さい…」

 

 引き受ける為の条件を提示すると真咲や桐香が頷いた。ーーであれば致し方ない、と佐々木も頷き返すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ーーあら」

 

「ーー似合ってるわね」

 

「ーー正直、スーツより似合ってるよ」

 

 時刻は12時過ぎ。レッスンが始まる1時間前、彼は何故か真咲から渡された衣装に着替えて談話室へ立っていた。手渡された時は思わず困惑で眉根に皺を刻んでしまい、それを見た真咲とりおからは笑われ、桐香は2人の姿を横目に“仕方ない”と言わんばかりに頭を振っていたが唇の端が震えていたのを佐々木は見逃さなかった。

 

 彼が纏っているのはーー懐かしいにも程がある陸上自衛隊の迷彩服(戦闘服)一式だ。おまけに同じ色合いの戦闘帽と黒革の半長靴、弾帯まである。アイロンでのプレスや半長靴の磨きが甘い事には目を瞑る佐々木だが、実に良く似合っている。上衣の両袖は捲られて太い腕が露になり、短く刈り上げている黒髪も相俟って現役でも通用しそうだ。

 

「サイズが合って良かったわ。こういう衣装をレンタルしてくれる会社を経営してる知り合いがいるのよ」

 

「真咲さん、人脈広いですもんね~。あ、写真撮って良い?」

 

「…りおさん、止めて下さい…」

 

 ピアノ線を入れて形状が崩れないように処置された戦闘帽を被り直した佐々木がスマホを取り出したりおを溜め息混じりに制すると彼女は不満なのか頬を膨らませた。

 

「…まずそもそも何故こんな格好を…」

 

「こういう服の方があの子達は勿論だけど佐々木くんも身が引き締まるかな、と思ってね」

 

「…こんな物が無くても自分や彼女達も真剣だと思いますが…」

 

 特にWindの彼女達はオーディションが掛かっているのだ。コーチとなる彼がどんな格好をしようとーー犯罪となりかねない格好ではない限りは気にしないだろう。

 

「そうかもしれないけど…形から入るのも大切でしょう?」

 

 そういう物だろうか、と彼は真咲の言葉を聞いて内心で首を捻る。この程度で身が引き締まるなら苦労はしないのだがーーと考えるのは佐々木が良くも悪くもこの服装に慣れがあるからなのかもしれない。

 

 だが今更、何を言ってもどうしようもないと察すれば溜め息を漏らし、胸ポケットを漁って中から愛煙のラッキーストライクとジッポを取り出すと屋上へ向かった。

 

 屋上で煙草を銜えて火を点け、紫煙を燻らせる。この格好をしているのに喫煙所や煙缶(灰皿)がないのは違和感を覚えてしまうのが不思議だ。携帯灰皿を取り出し、その中へ灰を落とすと唇の端へ銜え直す。

 

 コスプレ臭が漂っていないかと彼は不安を感じているようだが、端から見れば現役の人間にしか見えないので無用の心配だろう。

 

 左手首へ嵌めている腕時計を見ると時刻は12:20だ。午後からの課業ーーもといレッスンへ備えて、早めに昼食を摂ろうと彼は喫煙を済ませると携帯灰皿へ吸い殻を投げ込んでから階段を下って行った。

 

 コンビニで出勤前に買っていたツナマヨ、鮭、梅干しのお握りを食べ終わる頃、事務室へ顔を出したのはWindのチームリーダーである美晴だ。トレーニングウェアを纏った彼女は普段はおっとりとした性格だが、彼の格好を見た途端に驚いて口元を手で覆う仕草を見せる。

 

「ーー誰かと思ったらマネージャーさんでしたか。ビックリしました」

 

「お疲れ様、美晴。今日のレッスンは俺が担当だ。…しっかりとしたレッスンになるかは分からんが…全力を尽くす」

 

「ふふふっ、お手柔らかにお願いしますね。絢やまほろも談話室に来ていますよ。莉子は…もう少し遅れて来るかしら」

 

 腕時計を確認すると時刻は12:40。レッスン開始まで残り20分ほどだ。

 

 談話室に行こうと彼は腰を上げるとデスクの上へ放っていた戦闘帽を取った。

 

 りおから行ってらっしゃいと笑顔で見送られ、美晴と共に談話室を目指すと傍らを歩く彼女が興味津々と彼を見上げる。

 

「なんだか普段と違う格好だからか…ちょっと違和感がありますね」

 

「むしろ半年ぐらい前まではこんな感じだったんだが。…まぁ階級章や徽章、名札(ネーム)が付いていないのは違和感を覚える」

 

 そういうモノなのだろうか。美晴が首を捻る姿を横目に捉えつつ談話室の扉を開いた彼は彼女を先に入室させた後、自身も続いた。

 

「ーー誰かと思ったら…マネージャー…」

 

「ーーうわぁ…」

 

 既にトレーニングウェアに着替え、談話室のソファへ腰掛けていた まほろと絢が佐々木の見慣れない姿を見て口を半開きにしてしまう。

 

「うふふっ、2人とも驚いた?」

 

 自身と同じく驚きを露にする二人を見て美晴が笑いを漏らしていると慌ただしい様子で談話室の扉が開けられ、長い金髪を乱しつつ莉子が入って来た。

 

「ーーごめん遅れ……ってマネージャー!?」

 

「あら、いい反応」

 

 莉子も同様に驚きの表情を浮かべ、美晴が笑いを漏らす中、佐々木は左手首へ巻いた腕時計の時刻を確かめる。

 

「……莉子が着替え次第、始めよう。時間になったらレッスン場へ来てくれ」

 

 4人へ予定を告げると彼は談話室を後にしてレッスン場へ向かった。

 

 そこでは既に桐香が待機しており、彼の姿を認めると手招きをする。脇へ挟んでいた戦闘帽を被りながら彼女の下へ歩み寄ると桐香が長身の佐々木を見上げる。

 

「前にも言ったけど…今日の彼女達のレッスンは佐々木くんに任せるわ。遠慮なく指導して上げて」

 

「…とはいえ、どのような指導をすれば良いのか…アドバイスはありませんか?」

 

「…作品は終末世界が舞台なのは知っているわよね?」

 

 桐香の問い掛けに佐々木は頷く。

 

「その世界で生き残るには強くなくてはならないと思う。肉体的な事は勿論だけど精神的にもね。それだけじゃなく…協力し合う事も大切だと私は思うわ」

 

「なるほど」

 

「チームワーク…というよりも仲間同士で助け合うという所かしら。それを彼女達に教えて貰いたいの」

 

「であるなら初歩の初歩…新兵(新隊員)を相手にした課程を参考にします。ただし強度は少し高めようかと」

 

「…一応、言っておくけど…再起不能にはしないで頂戴ね」

 

 苦笑する桐香へ佐々木は無言のまま肩を竦める。そうなるか否かは彼女達次第と言わんばかりだ。

 

 開けっ放しにしていた扉の向こうからレッスンを受ける4人の声が響いて来ると桐香が腕を伸ばして彼の肩を軽く叩いた。頑張って、の一言を送ると彼女がレッスン場を後にする。

 

 それを見送ると佐々木が腕時計を再度確認。時刻はーー12:55だ。

 

 何かを桐香と話していた彼女達だったが余裕を以てレッスン場へ足を踏み入れ、戦闘服姿の佐々木の前へ4人が並んだ。

 

「「「「宜しくお願いします!」」」」

 

 頭を下げ、挨拶を口にするがーー待てど暮らせど彼からの応答がない。

 

 不審に思い、美晴が顔を上げて佐々木の顔を見るとーー

 

 

 

「ーーあ?なにかほざいたか?」

 

 

 戦闘帽の奥から覗く双眸が釣り上がり、眉間と目元に皺が寄っている彼の姿があった。低く威圧感を滲ませるドスの効いた声が彼女達の耳朶を打つとーー思わず4人はポカンと呆気に取られてしまった。

 

 

「腹から声出せって言ってんだよ!4人揃ってる癖に俺より声小せえってどういう事だ!!」

 

 

 先程までの彼と同一人物なのかと疑ってしまう程の豹変ぶりに彼女達は返事を欠いてしまう。

 

 それを見た彼は一同を睨みながら見渡すと無情な言葉を大声で告げる。

 

「ーーその場に腕立て伏せの姿勢を取れ!日本語分からねぇなら身体に教えてやる!有り難く思え!さっさと腕立て伏せの姿勢を取れって言ってんだ!お袋の腹の中に耳忘れて来たのか、それとも腕立て伏せ知らねぇのか!!」

 

 レッスン場の空気がビリビリと震えるような大声で発せられた罵声で彼女達は思わず反射的に慌てて床へ両手を突いて腕立て伏せの姿勢を取る。それを認めた彼も4人の前で腕立て伏せの姿勢を取った。

 

「ーー最初だからお情けで10回にしてやる。しっかり声出せよ。ーー1!!」

 

「「「「い、1!!」」」」

 

「ーー声ちっせぇ!!聞こえねぇぞ!!」

 

 この調子で始まった佐々木のレッスンだがーーコーチを依頼した真咲や桐香は知らなかった。彼が現役の頃、若い任期制隊員達から陰で“鬼”などと呼ばれていたという事をである。

 

 とはいえ彼からすると、この程度の罵声や訓練(レッスン)は全くお話にならない程に軽いそれである模様だ。

 

 

 




こんなのは序の口だった新兵の頃…(遠い目
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