CUE!~Si Vis Pacem, Para Bellum~   作:ラッキー

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温 泉 回(なおしばらく続く模様


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 11月の中旬、神瑞町にあるエールブルーの寮の前には4台の乗用車が列をなして停まっていた。

 

 寮の玄関前へ集合した16人の女性、少女達の手にはそれぞれの手荷物が握られている。

 

 これから一泊二日の忘年会ーーにしては随分と早いのだが、宿泊する旅館へ出発となる。

 

 4台の乗用車は真咲、桐香、りお、そして佐々木の私有車だ。それぞれのクルマへチーム毎に分乗して向かう事となる。

 

 乗車割りは事前に発表されており、各人毎が迷わずスタッフ達がハンドルを握るクルマへ乗り込んで行った。

 

 佐々木の私有車ーーパジェロにはFlowerの4人が乗車だ。

 

 助手席にはほのか、そして陽菜、舞香、志穂は後部座席である。

 

「ーー念のため聞いておくが忘れ物は?」

 

「大丈夫です!」

 

「そういうジャーマネは?」

 

「…忘れ物はないが…煙草が吸えないのが…」

 

 黒革の半長靴(ブーツ)、カーゴパンツやライダースジャケットという私服を纏う佐々木がキーを回してエンジンを掛けながら溜め息を吐いた。流石にハンドルを握っている最中は窓を開けていても密室空間だ。彼女達の前で煙草を吸うのは憚られる。

 

「途中休憩まで我慢するんだな」

 

「…仰せのままに…」

 

 志穂の容赦ない正論に彼は力なく笑うとルームミラーの位置やシートベルトを全員が締めた事を確認してから前方のりおが運転するクルマが進み始めたのを合図にアクセルを踏んだ。

 

 

 

 

 トイレ休憩を挟みーー喫煙者の佐々木は煙草休憩であったが、2時間ほどで到着した旅館の駐車場へ4台のクルマがエンジンを止めた。

 

 それぞれの荷物を手にして降車して玄関へ向かう際、黒い看板には「エールブルー御一行様」と白い文字が書かれているのを横目に全員が旅館の中へ入ると待ち構えていた仲居が出迎える。折り目正しく一礼され、玄関先で全員が靴を脱いで帳場の前へ上がった。

 

 代表で真咲が宿泊台帳へ記帳する中、声優達は温泉や美味い料理に酒が待ち切れない様子で燥いでいる。

 

「ありがとうございます。では皆様をお部屋へご案内致します」

 

「紫苑の間の皆様はこちらになります」

 

「鶺鴒の間はこちらです」

 

「薫風の間の4名様~」

 

「雨月の間の皆様~」

 

 真咲が記帳を終えると、まずは大人数である彼女達がそれぞれの客室へ仲居に連れられて案内されて行く。それを見送ると残っていた社長以下の4人も客室へ案内される運びとなった。

 

「ーーでは皆様をご案内致します。女性の方々は伏龍の間、そして男性のお客様は臥龍の前へのご案内となります」

 

「お願いします。…それと申し訳ありませんが大きいサイズの浴衣はありますか?」

 

「ございます。お部屋へ着きましたらお持ち致しますね」

 

 彼の申し出に真咲以下の3人、そして案内役の仲居も納得した。なにせ体躯もあって用意されているだろう浴衣ではサイズが合わない可能性が大きい。余裕を持つのは大切だ。

 

 案内されるままに廊下を歩いて仲居の後へ続く彼等はやがて隣合った客室の前に辿り着く。

 

「向かって右手が伏龍の間、左手が臥龍の間となります。今、お部屋へーー」

 

「あぁ、私の方は結構ですので…そちらの案内をお願いします」

 

「宜しいのですか?」

 

 流石に手間を増やすのは忍びないのか佐々木が申し出ると仲居が彼を見上げながら尋ねる。それに頷けば仲居が申し訳なさそうに彼へ部屋の鍵を差し出した。

 

「ではこちらがお部屋の鍵になります。皆様をご案内次第、浴衣をお持ち致しますのでお待ち下さいませ」

 

 礼を述べた佐々木が鍵を受け取り、左手にある宛がわれた客室の扉へ鍵を差し込む。開いた扉の中へ入り込むと室内は和室であった。

 

 スリッパを脱いで部屋へ上がり、背負っていたバッグを畳敷きの主室の隅へ置く。中央に置かれた机の上へ陶器の灰皿があるのを認めた彼は愛煙の煙草を取り出して一本を銜えるとジッポで先端を炙った。

 

 火が点くとジッポの蓋を金属音と共に閉じてカーゴパンツのポケットへ納め、肺へ吸い込んだ紫煙を緩く吐き出す。

 

 浴衣が来たら、まずは着替えて温泉に浸かろう。

 

 予定を組みながら座椅子の上へ胡座を掻いた佐々木は用意されていた湯沸し器に水が入っているのを確かめてからコンセントを繋いで湯を沸かし始めた。

 

 久々にゆっくりと喫煙する彼が三本目の煙草へ火を点けた頃、湯沸し器が沸騰完了の報せを鳴らす。急須へ茶葉のパックを放り込み、湯を注いで少し蒸らした後、湯呑へ注いで一口啜る。

 

 ーー緑茶と煙草の組み合わせも悪くないな、などと改めて考えていた矢先、部屋の扉がノックされた。

 

 吸い掛けの煙草を灰皿へ置いて腰を上げて向かい、扉を開けると先程の仲居が浴衣を持って佇んでいる。それを受け取り、礼も伝えると彼は扉を閉めて主室に戻った。

 

 三本目の煙草を吸い終わり、湯呑も空にすると佐々木はやっと浴衣へ着替え始める。脱いだ衣服はクローゼットへ掛け、下着類も新しいのに変えてから浴衣を羽織り、帯を腰骨の少し上へ巻いて貝の口に締めた。

 

 長袖の羽織もあったがーーそれは纏わない事にした。なにせこれから温泉に浸かるので代謝が良くなり、身体が熱くなってしまう。本来なら纏うのがマナーなどとも佐々木は聞いた覚えこそあったが、どうにも羽織は好きになれない。無論、女性は湯上がり等の際に下着や肌が透けるのを防止する為、羽織る必要はあるのだが。

 

 スマホとクルマのキーは備え付けの金庫へ入れ、財布やタオル、そして部屋の鍵を持つと彼は扉を開けて廊下に出た。

 

「あら、佐々木くんも今から温泉?」

 

「真咲さん達もですか?」

 

 偶然にも同じタイミングで客室から出てきた真咲達と遭遇した彼が尋ねると浴衣や羽織を纏った彼女達が頷く。

 

「楽しみだったんだ~。ここの温泉って美肌にも効果があるらしいしね」

 

「あとは関節痛や打撲、打ち身とかにも効くらしいわ」

 

 並んで廊下を歩きながら標識に従って大浴場を目指す道すがら3人が告げる温泉の効能を聞いた佐々木が呟いた。

 

「…関節痛…自分の膝にも効きますかね」

 

「…膝が痛いの?」

 

「というより…後遺症なのか…。靱帯と半月板が断裂しまして。手術は受けたのですが雨や雪の日は膝が痛んで…」

 

「…うえぇ…」

 

「自衛隊の頃に?」

 

「えぇまぁ…。サポーターを巻けば運動には問題ありませんので心配は要りませんが」

 

 退職の原因となった負傷は寒い日に限って鈍痛を彼に感じさせる。これも残りの人生で付き合って行くしかないのだろうと半ば諦めの境地だ。

 

 男湯、女湯の暖簾で仕切られた大浴場前へ到着し、真咲達と別れた佐々木は当然ながら男湯の暖簾をくぐって脱衣場へ入った。

 

 運が良い事に彼以外の入浴客はいない。安堵の溜め息を漏らすと佐々木は籠の底へ財布や鍵を敷き、その上へ帯を解いて脱いだ浴衣と下着を軽く畳んで置いた。

 

 引き締まった肉体と鎧を思わせる筋肉へ覆われた身体が鏡へ映るのを横目に佐々木はタオルを肩へ掛け、脱衣場から大浴場へ足を踏み入れる。

 

 入浴前にしっかりと頭から爪先まで身を清め、温泉へと身を沈めるとホッと一息を吐いた。

 

 そういえば主治医には湯治も薦められていたな、と思い出しながら頭の上へ畳んだタオルを乗せる。

 

 ここ何ヵ月もシャワーだけで入浴を済ませていたのもあって湯へ浸かるのは久々だ。じんわりと身体の芯が温まるのを感じながら足を伸ばして瞳を閉じる。

 

 10分近く浸かっていただろうか。おもむろに瞳を開けた佐々木が水音を立てずに温泉から上がると隣接している露天風呂へ向かった。

 

 温泉はやはり露天風呂だろうと考えつつガラス戸を横へ滑らせる。石畳の上を歩いて向かう先は白い湯気が立つ浴槽だ。

 

 足の爪先を湯へ浸し、少し内湯よりも温度が高いと感じながらも構わずに身を肩まで沈め、畳んだタオルを頭へ乗せて背中を岩へ預ける。

 

 内湯に比べても温度が高い露天風呂だが佐々木としてはこのぐらいがちょうどいいと感じてしまう。湯が流れ込む岩場の上へ立てられた小さな看板には温泉の効能が綴られている。

 

 ここへ向かう道すがらに聞いた通り、関節痛にも効果があるらしい。

 

 幾分かでも湯治になれば良いのだがーーなどと考えていた矢先、竹で組まれた壁の先からガラス戸が開く音が彼の耳朶を打った。

 

「ーーやっぱり温泉といえば露天風呂だよね~」

 

 弾む声には聞き覚えがありすぎた。

 

「舞花ちゃん、危ないから走っちゃだめだよ」

 

「分かってるよ~」

 

 旅館まで自身のクルマで送り届けたFlowerの面子であると佐々木が気付くのにさほど時間は要らなかった。ペタペタと湿った足音が石畳の上を歩いて露天風呂に向かっているのだろう気配を捉えてしまうのは前々職のお蔭だろうか。

 

 しかも4人分の気配を敏感に感じ取ってしまう程だ。どれほど鍛えられたのかーー日常生活に支障を来していないかと今更だが佐々木は懸念を抱いてしまう。

 

「舞花…はしゃぎすぎだな。子供か…」

 

「まぁまぁーーって、志穂!タオル巻いたまま入っちゃダメでしょ!」

 

「む?あぁ…忘れてた」

 

 それは流石にマナー違反だろう。隣から聞こえたほのかの注意に彼は内心で頷いた。それよりもバスタオルを巻いたまま大浴場へ入って来たのかと驚いてしまう。肌を見られたくないのだろうか。

 

 やがて彼女達が露天風呂に浸かった4人分の水音を佐々木の耳が捉える。

 

「温泉なんて久しぶり…」

 

「ホント。自分なんか何年ぶりだろ…」

 

「真咲さんに感謝だね」

 

「あと運転してくれたジャーマネにもな」

 

 どういたしまして。珍しく志穂が感謝の言葉を呟くと佐々木が内心で答える。念の為、前日にガソリンスタンドで車内を清掃し、安全運転へ努めた甲斐があったというモノだ。

 

「そういえばさっき真咲さんから聞いたけど…マネージャーさんも温泉に入ってるらしいよ」

 

「え!?マジ!?」

 

 不意に陽菜が呟くと大きな水音が鳴り響いた。続いた声は舞花のそれだ。ーーおそらく自分の身体を腕で隠したのだろう、と彼は予想しつつタオルを頭の上から取り、額や顔へ浮かんだ汗を拭う。

 

「の、覗かれたり…はないか。マネージャーだしね」

 

 誰が覗くか。再び内心で呟いた彼は汗を拭い終わると頭の上にタオルを乗せて体内へ籠った熱を出すように小さく息を吐く。

 

 血行が良くなり、鍛えられた肉体の肌へ古傷の痕が浮かび上がる。特に湯の中へ沈んだ脚は大小の何かが抉り、貫通したかのような痕跡が浮かぶのだ。過去の事であり、どうやっても覆すなどは出来ないがーー比較的、透明な湯の中でも微かに見える傷跡は佐々木へ溜め息を吐かせてしまう。

 

 隣の女湯ーー壁で隔たれた露天風呂からは4人の少女達の会話が漏れ聞こえているが、あまり耳へ入れるのは宜しくないだろう。代わりに佐々木は露天風呂の前へ広がる景色へ意識を向けた。山中にある事もあり、旬は過ぎてしまったが紅葉がまだ残っている森の光景は目のほようとなる。春夏秋冬の四季を通じて様々な表情を見せてくれるに違いない。

 

「ーー志穂、どうしたの?急に黙っちゃって?」

 

 確かこの近辺の渓流はヤマメやイワナが放流されている筈だ。トラウトアングラーの末席を汚す佐々木が思い出している最中、女湯からほのかの声が聞こえた。志穂が湯中りでもしたのだろうか、と考えたがーー

 

「…いや…浮かぶんだな、と感心していた」

 

「…浮かぶ?……っ!!ちょっ…!!」

 

 何が浮かぶのだ。奇しくも佐々木とほのかが疑問符を浮かべているとーー先程、舞花が響かせた以上の水音が聞こえ、志穂が何を指して口にしたのか見当が付いてしまう。

 

「発育が良いな。陽菜も負けてないが…」

 

「ちょっ…志穂ちゃん!!」

 

 今度は陽菜にも飛び火したようで途端に女湯が騒がしくなる。

 

 なんだかゆっくりと浸かる気分ではなくなり、佐々木は溜め息を漏らしたかと思えば水音を立てずに身体を起こす。

 

 まさか水路潜入の教育がこんなところで役立つとは教官、助教達も思っていなかっただろう。

 

 騒がしくなる女湯へ浸かっていた彼女達は隣の露天風呂で一部始終を耳にしていた佐々木の存在や気配に全く気付く事はなかった。

 

 むしろ気付かなかったのは幸いだろう。もしそうであれば、顔を合わせ難くなるのは避けられない。佐々木は気にしないだろうが、彼女達の方が気にする。

 

 意識してはいなかったが自然と足音や物音を立てずガラス戸を横へ滑らせ、静かにそれを閉めた佐々木は再び内湯へ浸かると露天風呂でゆっくり出来なかった分を取り戻すが如く温泉を堪能するのだった。

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