CUE!~Si Vis Pacem, Para Bellum~ 作:ラッキー
ーー酌は受けると覚悟を決めてはいた。酌をすると促されれば、受けないのは無礼に当たるとも知っている。
とはいえだ。代わる代わる見目麗しい少女や女性達に次から次へと乾いたグラスへビールを注がれ、その度に飲み干さなければならないとなれば話は別だ。
「ーーえっと…大丈夫ですかマネージャー?」
「……大丈夫だ……」
気分が悪くなった訳ではないが、流石にビール特有の炭酸や苦味は飽きてしまい喉を通りそうにない。若干の吐き気ーーしこたま胃袋へ炭酸を送り込んだからか逆流の気配はあるが我慢すれば些末だろう。
最後の最後に順番が回って来たFlowerの4人を前に佐々木は普段の強面へ渋面を上書きして浮かべながら溜め息を吐いている。
陽菜、舞花、志穂からの酌を順に受けたのは良いが、ビールはもう入りそうにない。グラスを膳の上へ置くと彼はアルコールが身体を巡り、熱が籠り始めた浴衣の中の空気を入れ換えようと襟元を少し緩める。すると鍛えられている厚い胸板が僅かに垣間見えてしまい、眼前へ正座する志穂以外の少女達は頬を少し紅潮させて視線を逸らした。
特に最後の番となり酌をしようと彼の真正面に座っているほのかは反射的に視線を逸らしてしまう。異性の素肌とは概して目の毒にも保養にもなるが、年頃の彼女達には刺激が強すぎるらしい。
「ジャーマネ、襟を直した方が良いぞ」
「…ん?…あぁ、失礼。見苦しいか」
志穂が緩んだ襟元から覗く胸板を指摘すると佐々木は溜め息混じりに装いの乱れを正した。
「そ、それより…お酌…しますか?」
「…流石にビールは…こうも立て続けだとな。りおさんや桐香先生に…」
ビールの大瓶を持つほのかが尋ねるも彼は言外に酌を断り、代わりに他のスタッフへと語るがーー
「…ごめん…私…もう無理…」
隣へ腰掛けるりおが口元を押さえつつ首を横へ振る。彼女にも度重なる酌がされたようで限界が近いようだ。では桐香や真咲はどうか、と視線を向けたがーー
「ーーほらほら桐香先生~もっと飲みましょう~」
「ーーよ、夜峰さん…!もうこれ以上は…!」
「ーーあ~佐々木く~ん。タバコある~?一本ちょ~だ~い」
美晴による猛攻勢を受けている桐香の顔は酔いが回ったのか赤くなり、千鳥足で腰を上げた真咲は彼の下へフラフラと覚束無い足取りで歩み寄って来るではないか。
「……ほのか。悪いが…こっちで頼む」
どうやら酌を断る事は出来ないと察した佐々木は膳の上へ鎮座していた徳利をほのかへ手渡し、グラスの代わりに猪口を拾い上げた。
徳利を受け取った彼女は恐る恐るといった様子で彼が持つ猪口へ澄んだ色の日本酒を注ぐ。礼を告げた後、佐々木は猪口を口元へ寄せ、一気に酒を嚥下する。これで16人分の酌を受けた計算だ。
「ーーと~ちゃ~く。佐々木く~ん。社長が来たわよ~」
「…お疲れ様です。それで煙草でしたか。…というか吸えるのですか?」
「吸った事ぐらいあるわよ~」
すっかり顔が紅潮し、上機嫌のまま彼の隣へ腰を下ろした真咲が佐々木へ寄り掛かりながら背中をバンバンと乱暴に叩く。その姿を横目に見た彼は眼前の彼女達へ視線で「早く逃げた方が良い」と語る。ほのかを始めとした彼女達は小さく頷いた後、そそくさとその場を後にした。
「ね~タバコ~!」
「…はいはい…お口に合うか分かりませんが…」
禁煙や分煙が常識となった御時世では珍しくなったが成人している者達の膳の横にはガラス製の灰皿が用意されている。 佐々木も喫煙者ではあるが、この場には未成年も多い。その為、控えていたのだがこうも強請られては仕方ない。
彼が灰皿の横へ置いていたソフトパックを手に取り、一本を振り出して真咲へ手渡した。それを嬉々と受け取って銜えた彼女に火を点けたジッポを寄せる。先端が炙られ、紫煙が揺らめく中、真咲が一服付けるもーー直ぐに表情が苦々しいものへ変わった。
「…ケホッ…強いわねぇ…」
「そうですか?」
煙草を久々に吸ったのもあって咳き込む真咲は苦虫を何匹か噛み潰した表情のまま紫煙を燻らせつつ吸い口のフィルターを二本の指で挟んだ。吸い慣れてはいないようだが、吸った経験があるというのは本当らしい。その経験がない者は一口で気分が悪くなり、灰皿へ押し潰す場合が殆んどだ。
翻って吸い慣れている佐々木も煙草の吸い口を銜えるとジッポで先端を炙って紫煙を燻らせる。
やはり煙草と酒の相性は良すぎる。彼の個人的な感性だがコーヒーよりもアルコールとの相性は抜群だ。肺へ送り込んだ紫煙を染み渡らせ、やがて呼気と共に緩く吐き出すと手酌で注いだ日本酒を嚥下する。
「ひっさしぶりに吸ったから…頭クラクラするわ~」
「でしょうね…」
俗に言うヤニクラーー軽い目眩にも似た症状が出たのか真咲が寄り掛かる彼へ更に体重を預けるも元々の鍛え方が違うのか佐々木はびくともしない。灰皿へ煙草の灰を叩き落とすと彼は上司へそれを差し出した。
「ありがと~本当に佐々木くんは優しいわよねぇ~」
煙草を片手に酔いも手伝ってニコニコと上機嫌のまま真咲が差し出された灰皿に摘まんだそれへ溜まった灰を落としているとーー彼女が袖を通している浴衣と羽織の肩口が乱れて白い肌が露になる。ズルリと乱れた浴衣から覗く女性らしい肩口には細いストラップが垣間見えた。
横目でそれを捉えた佐々木だがーー指摘した場合、セクハラへ抵触する事を恐れて賢明にも口にはしなかった。寄り掛かられながら彼は煙草を燻らせ、手酌で注いだ日本酒を口へ運ぶしかない。
「ーーちょっと真咲。…ちゃんと浴衣を直しなさい」
「なぁに?……あら…ほんとだ。佐々木く~ん、タバコ持ってて~」
美晴に絡まれて酌を延々と受けていた桐香はやっと解放されたが安堵したのも束の間、視界の端に映った馴染みの痴態に眉根を寄せながら着衣が乱れている事を伝える。指摘されて気付いたのか真咲は彼へ吸い掛けの煙草を預けると酔いも手伝って覚束無い手付きだが、なんとか着崩れた浴衣と羽織を元へ戻した。
「ありがと~。佐々木くんはなに飲んでるの~?」
「日本酒です。ビールばかりで腹が膨れてしまいまして」
火が点いたままの煙草を返せば真咲が問うて来る。それに答えながら猪口を傾ける佐々木だが上司は上機嫌のまま「へ~」と返しつつ紫煙を燻らせるだけだ。
「…もうそろそろお開きにしようかしら。真咲もそうだけど…他の子達も出来上がってるし…」
「そうですね~。未成年の子達は…飲んでませんよね…?」
「…大丈夫でしょう」
宴も
「え~?」と不平が漏れるが後は各々の客室で楽しむようにチーフマネージャーが言い付けると彼女達も渋々ではあるが腰を上げ始めた。
「真咲もそろそろしゃんとしなさい。佐々木くんが困ってるわよ」
「え~?まだまだこれからじゃない。佐々木くん、そんなに私って重い~?」
「……いえ、重くはありませんが……」
本音を言えば邪魔ではある。などとは口にしないが、手酌で酒を飲む身としては邪魔でしかない。言葉を濁しつつ佐々木が徳利を傾けると、ちょうど最後の分だったらしく猪口の半分まで日本酒が満たされた。それを一気に飲み干し、猪口を膳の上へ置くと短くなった煙草を灰皿へ押し潰す。
「ーー真咲さん。そろそろ移動しましょう」
「え~?」
「…部屋で桐香先生やりおさんと飲み直して下さい」
「あぁん…意地悪~」
半ばまで吸い終わっていた真咲の煙草を彼は奪い取り、それも灰皿の中へ転がる吸い殻の仲間入りをさせると駄々を捏ねる上司を立ち上がらせた。
「桐香先生、りおさん。自分は忘れ物がないか確認しますので、あとは申し訳ないのですが…」
「えぇ、大丈夫。連れて行くわ」
「ほら真咲さん。部屋に帰りますよ~」
すっかり出来上がった真咲だが、両脇を抱えられて広間を後にする。それを見送った佐々木は各々が腰掛けていた席を見回り、忘れ物がない事を確認し終えると片付けへやって来た仲居達へ夕食の礼を伝えてから自身も宛がわれた客室への帰路に就いた。
帰路の途中、何か飲み物でも買って行こうと思い立ち、自販機などが置かれた休憩スペースに立ち寄ると先に広間を後にした声優達が屯している。
「マネージャーさん」
「マネージャーさんも買い物ですかー?」
Moonの宇津木聡里、そして明神凛音が彼に気付いて声を掛ける。
聡里は19歳の大学生で眼鏡を掛け、恵まれた長身に腰まで伸ばした長い黒髪が特徴の少女だ。実母も有名な声優として業界で活躍している。
そして凛音は濃い茶髪を肩ほどまで伸ばした20歳の女性だ。Moonで唯一の成人であり、尚且つチームのイメージがどちらかと言えばダークな印象が強い中で異色とも言える明るい性格だ。良く言えば天真爛漫、悪く言えば子供っぽいとも言えるのだが。
2人は自販機で買い物を終えたばかりのようで両手に飲み物のペットボトルや缶を抱えている。
「そんな所だ。2人は…買い出しか?」
「そうなんですよ~。これから皆でトランプするから飲み物が必要かなって」
「…まぁ私は読書がしたかったんですけど…」
おそらくトランプを言い出したのは凛音だろうと佐々木は考えた。彼女以外のメンバーでトランプを持って来そうな人間が思い付かなかったのもあるのだが。
その証拠のひとつとして聡里の趣味は読書だ。そして自分のペースを乱される事をなにより嫌う性格をしている。何処か面倒臭そうに感じるのは彼の気のせいではない筈である。
「…旅館まで来て読書をするよりかはチームメイトと羽目を外した方が幾分かは有意義だと思うがな。とはいえ価値観は人それぞれであるし…」
あまり干渉すべきではないと理解しているが佐々木は肩を竦めつつ口にした後、彼女達が購入した自販機の横へ設置されているそれへ歩み寄った。その中身はアルコールばかりである。財布から千円札を抜き取り、紙幣を飲み込ませると缶ビールとカップ酒を一本ずつ購入する。
「…まだ飲むんですか?」
「明日の運転には響かない程度に抑える」
「お酒強いんですね~」
「…凛音も飲むか?」
「え!?いいんですか!?」
釣り銭が出てくる中、佐々木は頷いて見せる。何が良いかと尋ねるとーー彼女はチューハイの缶を指し示した。
釣り銭を再び投じてボタンが点灯したのを認めてから佐々木がそれを押すと目的の代物が落ちて来た。良く冷えたチューハイを凛音へ差し出せば彼女は嬉々と受け取る。
「ありがとうございま~す! じゃあ、さとちん行こっか」
「えぇ。それじゃマネージャーさん」
「あぁ。あまり夜更かしはせんようにな」
立ち去る二人を見送った後、彼も客室へ戻ろうとしたがーー缶ビール一本とカップ酒一本では寝酒にすらならない気がした。無言のまま財布へ収めたばかりの小銭を摘み、もう一本の缶ビールを購入してから部屋への帰路へ就いた。
客室は静かだ。夕食を摂っている間に布団が敷かれ、机は端へ移動させられている。テレビは備え付けられているが特に番組を観ようとも思わず、佐々木はプルタブを開けた缶ビールを傾けつつスマホを弄っていた。
所属している声優達は旅館で過ごす夜を満喫しているらしい。SNSへアップされた写真や投稿のチェック一通り済ませると彼はスマホを閉じ、今度は煙草を銜えて火を吐けた。
酒にそこまで拘りはないがーーやはりアルコールとニコチンの相性は格別の一言だ。何故、身体に悪い物はこれほど相性が良いのか。きっとそれは人類の永遠の謎であろう。
紫煙を燻らせ、机上に乗った灰皿へ煙草を軽く叩き付けて灰を落としているとーー客室の扉がノックされた。
吸い掛けの煙草を灰皿へ置いて腰を上げた佐々木は僅かに乱れた浴衣を直すと扉へ向かって歩き出す。
ドアスコープの類いがないのが残念だ。彼は鍵を開けると僅かに扉を開いて来訪者の姿を確認しーー大きな溜め息を吐き出し掛けてしまった。
「ーーやっほ~♪」
「ーーあ~佐々木くんいた~♪」
「ーー…ごめんなさい佐々木くん…止めたのだけど…」
扉の前にいたのはエールブルーの社長である真咲、チーフマネージャーのりお、そしてレッスンコーチの桐香だ。
真咲は片手に何処から持って来たのか日本酒の一升瓶を掴み、りおは肴であろうスルメなどの乾き物が詰まった袋を手に、最後に桐香は二人の背後で申し訳なさそうな表情を浮かべている。
ーーだが三人とも共通して程度の差こそあれ顔が赤い。むしろ浴衣や羽織の僅かな隙間から垣間見える首筋と肌すらも紅潮している。
この寝酒を飲んだら早々に休もうかと思っていたのだがーーどうやらまだ就寝は出来ないらしい。
「ーースタッフ一同で親睦を深めましょう~♪」
嬉々と既に半分ほど中身が減った一升瓶を佐々木へ押し付ける真咲へ彼は大きな溜め息を吐き出すしかなかった。