CUE!~Si Vis Pacem, Para Bellum~ 作:ラッキー
何度か乳○とか○首などと書きそうになりましたし…
時刻は深夜の1時を回った頃だ。神瑞町の某所にあるネオン輝くホテルの一室は常夜灯が灯り、情事の後を色濃く感じさせる湿った空気に包まれていた。
シーツが乱れたベッド上では悩ましくも艶のある吐息が漏れ聞こえる。
ベッド上で仰向けに横たわり、均整の取れた裸体を惜し気もなく晒す女性は呼吸を整えた後、覆い被さっていた男性が身を翻してベッドの端に腰掛け、サイドテーブルへ置かれたソフトパックの煙草とジッポを手にする後ろ姿を見詰めながらルージュで薄く彩った唇を開いた。
「ーーねぇ…
同意して欲しそうな声音で男性に問い掛ける女性は火が点けられた紫煙の香りを懐かしげに吸い込むと笑みを浮かべた。
「…銘柄は変わってないのね。…それに上手かったし気持ち良かったわ。最後にシたのは随分と前だけど…相変わらずね」
キンッとジッポの蓋が金属音を奏でながら閉じられる。
ーー無口なのも相変わらずか。変わっていない様子に女性は更に笑みを湛えた。
「……
「私の職場を忘れた?」
男性ーー佐々木がこの部屋に入ってから短いお喋りと口付け以外でやっと紡いだ言葉を聞いた女性はベッド上で肩を竦めて応える。
ベッドの下、つまり床の上には互いのスーツや外套、そしてデザインや色合いも違うそれぞれの下着が脱ぎ散らかっている。
その只中に降ろした彼の両脚の所々には古傷がいくつも浮かんでいた。
この2人の会話の応酬から察するに以前から面識がある上、肌を重ねた経験が少なくとも一度以上あるのは明白だろう。
「…何故、今更になって自分が?」
「さぁ…貴方の方にこそ身に覚えがあるんじゃない?…
情事の後もあって気怠い身体をやっと起こした女性は裸体を隠すこともなく彼の隣へ腰を降ろすと煙草を強請る。
サイドテーブルの机上に鎮座した女性が愛煙する銘柄のボックスとデュポンを手渡せば、彼女は乱れた肩を少し超す程度まで伸ばした金糸の如き髪を片手で掻き上げた後、受け取った煙草の一本を整った形の唇へ銜えて顔を佐々木に突き出す。
眉間に皺を寄せる彼を女性は面白げに見詰めつつ切れ長の瞳で佐々木に無言のメッセージを送った。
紫煙を溜め息と共に吐き出した彼は火の点いた煙草の先端を女性のそれへ近付ける。少し吸い込んで火力を上げてやれば彼女が銜える煙草の先端が炙られて火が点いた。
「ーーありがとう」
いつも自分で火を点けているだろうに何故、こういう時に限っては横着するのか分からない。
自身の隣で長い脚を組んだ女性の艶姿を横目で視界に収めながら互いの空いている空間ーーベッドの端へと面積の広いガラス製の灰皿を置いた。
「…貴方の居所を掴んだーーというより街中の監視カメラの映像を調べたのか…何処からか情報が漏れている可能性もあるわね。漏洩させた大元は消したんだけど」
「…やはりあのニュースはそちらの仕事でしたか」
「うちの、というより正確には貴方の“古巣”がよ」
だろうと思った。
それほど驚きもなく佐々木の疑問は解消されてしまい彼は小さく頷くと灰皿へ溜まった煙草の灰を叩き落とす。
「…無事に新年を迎えられるなら良いが…」
「それは要らぬ心配って奴かもね。失敗して、しかもこれ以上ない“証拠”を残してしまったんだもの。連中も目立った動きは当分しないわ」
既に“引退”したというのに何故、狙われなければならぬのか。甚だ迷惑千万である、と言わんばかりに佐々木は吸い込んだ紫煙を鼻孔から吐き出すと細く鋭利な視線を眼前の壁に向けた。
「その予想は、たぶん、と付くのでしょう?」
「そりゃね。私達は連中じゃないし、動向は探るけど全部を掌握出来る訳じゃないわ」
「…DIHでも?」
「国内の事は兎も角として国外ともなれば色々と手を尽くさなきゃならない。同盟国に頭を下げて情報提供して貰ったりは序の口よ」
女性の仕事の内容は良く知っているつもりだが、自身とは専門分野が被っているようで被っていないという微妙な点もあってか全てを理解する事は叶わなかった。
とはいえ珍しく愚痴のような言葉を漏らした彼女を横目で捉えつつ佐々木は短くなった煙草を灰皿へ押し潰した。
「まぁ貴方の“副業”の邪魔にならないよう監視して…場合によっては連絡させて貰うわ」
「…
「あら…本当にそうかしら?」
女性は現在勤めている彼の仕事が何か分かった上で“副業”と告げたが、それを聞いた佐々木は不快げな様子で訂正を促す。
しかし彼女は意味ありげな微笑を浮かべると半分も吸っていない煙草を灰皿へ押し潰して立ち上がる。
眼前に移動すると佐々木の首へ両腕を回して、その濃い茶色の双眸を青い瞳で覗き込んだ。
「ーー闇にどっぷり浸かった貴方に似合う場所は…間違いなく
「…中々どうして悪くないモノですよ…2尉」
「…ふぅん?…そうは見えないけれどね…それと…今は“1尉”よ」
「あぁ、昇任を。次はAOC、それが終わったらCGS…んっ」
挑発するような物言いの後、女性は顔を寄せ、整った唇で年下の男のそれを塞ぐ。舌先で唇を分け、歯列をなぞって催促してみると彼が奥から舌を覗かせる。佐々木の舌に差し入れた自身のそれが絡め取られると彼女はうっとりとした恍惚の表情を浮かべる。唾液と粘膜、そして互いに吸った煙草の味がする口付けは女性に新たな欲情を掻き立ててしまいそうな程の甘美な味である。
「……キスも…相変わらず上手ね…」
顔を離すと互いの唇同士の間に細く頼りない銀色の糸が伝う。途中で千切れて垂れた唾液の糸を舌で艶かしく舐め取った女性は佐々木の短く刈り上げた黒髪を細くしなやかな手で撫で、額に一度だけ唇を落とした。
「ーーシャワー浴びる?」
「いえ、自分はこのまま帰ります。もうだいぶ遅い」
「そう。…じゃあここで暫くのお別れね」
「自分は…暫くどころか二度と会えなくても構いませんが」
「冷たい男…ベッドと全然違うわ」
散々と啼かされた後だというのに素っ気ない返答に女性は肩を竦める。大概の男はそういうモノだろう、と思いつつ佐々木は床の上へ散らばった互いの衣服へ目を落とした。
「…お尋ねしても?」
「なに?」
「ーー何故、ウィッグを外すのですか?」
彼が視線を向けた先には散乱する衣服や下着に混ざって黒髪のウィッグが落ちている。彼女の持ち物であるのは知っているが、それを外して毎回ーー肌を重ねた回数は片手の指の数を少し超えるだけだが、事に及ぶ際は必ず外すという意味が彼は分からない。
それを尋ねられた女性は絡めていた両腕を佐々木の首から外し、身を翻すと室内にあるバスルームへ繋がる扉へ向かって裸体のまま歩き出した。
「ーー言わなきゃ分からない朴念仁に教える必要はないわね」
それだけを告げると女性は肩を少し超える程度まで伸ばした金髪を微かに揺らしながら扉の奥へ消えてしまう。
やがて扉の向こうからシャワーの水音が響き出した頃、彼は腰を上げて身支度を始めた。
ワイシャツへ袖を通し、スラックスを履き、ネクタイを締め、ジャケットも着ると最後に外套を羽織る。
あとはそのまま部屋を後にしようと考えたがーー彼はサイドテーブルの机上へ鎮座したピアニッシモのボックスの下へ1万円の紙幣を挟んだ。
部屋代である。
マナーを守り、それを実施した後、佐々木はやっと数時間だけ滞在したホテルの一室から抜け出した。
・DIH = 情報本部(Defense Intelligence Headquartersの略)
・AOC =幹部上級課程(Advance Officer's Courseの略)
・CGS =指揮幕僚課程(Command and General Staff Courseの略)