CUE!~Si Vis Pacem, Para Bellum~   作:ラッキー

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 夜中に非常呼集やそれを想定した不定期の抜き打ちがなければ、陸上自衛官は基本的に6時の起床の合図となるラッパで目を醒ます。佐々木の場合は“体力練成”の名目で許可を得て、一時間は早く起床した後に早朝から外柵沿いを走る生活を続けていた。起床後、実施される点呼へ間に合うよう時間と距離の調節は必要であったが、地道な努力の甲斐あって体力徽章を所持し続けられた。

 

 しかしその徽章も負傷が原因で体力検定を受けられず、外す事になってしまったのだが。

 

 そんな彼は満足に動けなかった約1年間の鬱憤を晴らすように自衛隊を退職してからは再建手術を受けた左膝へサポーターを付け、5時過ぎから入念な柔軟や準備運動の後に15kmのコースを設定してジョギングへ励んでいる。尤も天候が悪い場合は室内で腕立て伏せや腹筋を行って代替としているようだ。

 

 日課となりつつあるジョギングを終えて現住所のアパート前へ戻って来ると佐々木は立ち止まらず、ウォーキングに切り替えてそのまま5分ほど近所を歩いた。再びアパートの前へ辿り着くと今度はストレッチなどを行いクールダウンに努める。ーー余計な疲労を残さない為にも必要な事なのだ。

 

 満足したのか彼は二階建てのアパートの一階にある自身の部屋へ入り、脱いだ上下のジャージとシャツ、下着を纏めて洗濯機へ投げ込んで一糸纏わぬ姿となればーーブランクが戻りつつある事を如実に示す見事な筋肉が浮かぶ裸体が露となった。

 

「…もう少し掛かるか」

 

 約1年のブランクで体力と筋肉は落ち込んでしまったが退職後からそれらを取り戻す為にもトレーニングへ励んだ結果が現れているのだが、佐々木はこれでは満足しきれていないらしい。

 

 腹筋が板チョコの如く8つに割れ、胸板は厚く盛り上がり、上腕や大腿も逞しく筋肉が覆っている。ボディービルダーのように魅せる筋肉ではなく、あくまでもアスリートと同様の実用的なそれである為、彼の身体は酷く引き締まっていた。ーーただしその彫刻じみた肉体の所々、主に背面や下肢を中心に負傷の痕跡が色濃く残ってしまっている。筋力と体力は元へ戻せても、傷痕だけは完全に消す事は難しい。

 

 ひとまず汗を流す目的で佐々木はフェイスタオルを肩へ掛けて狭いバスルームに入るとシャワーを浴び始めた。

 

 

 

 

 

 エールブルーのコーチである桐香が佐々木へ「来るように」と指定したのは某所の収録スタジオだ。

 

 集合時間の20分前にはスタジオの前へ外套とスーツを纏った彼は辿り着いていたが、既に少女達は到着しており緊張の表情を浮かべつつ真咲や桐香を待っていた。

 

 それから10分を経過する頃に真咲と桐香が揃って到着し、彼女達と彼を先導してスタジオ内へ足を踏み入れる。

 

 前日に桐香から「飲み物を買って来て欲しい」と頼まれていた為、佐々木の片手にはスタジオへ来る途中で購入した6本のペットボトルが詰められたビニールのレジ袋が下げられていた。

 

 特に指定をされなかったが、何を持って行けば全く分からなかったのもあって彼は昨夜、スマホを使ってネットサーフィンをするはめになった。

 

 飲み物は間違いなく彼女達へ差し入れるのだろうが、果たして清涼飲料水やお茶の類いで問題ないのかーーと電脳の海から必要な情報を火の点いた煙草を銜えつつ探し求めた結果、判明したのは炭酸飲料や烏龍茶を始めとした飲み物は声優はあまり飲まないという情報である。

 

 ガスが溜まる炭酸飲料はアフレコ前に、そして烏龍茶は喉の粘膜や油膜を洗い流してしまい声質が変化する為に収録前夜から飲まないのだとか。

 

 だが前者は兎も角として後者の烏龍茶やお茶が喉、声質に悪影響が出るという医学的なエビデンスはないという情報もあったがーー取り合えずとして佐々木は外れがないだろうミネラルウォーターを購入した。

 

「ーーえ?…烏龍茶を飲むと影響が出てしまうというのは……」

 

「……お二人や皆さんが気にされる可能性を考えて購入しませんでしたが…医学的に確たる証拠がない以上は微妙な話なのかもしれません。或いは思い込みによるノーシーボ効果。そもそも人体の構造として飲み物を飲んだとして声帯ーー気管に流れ込みませんし、入ったとしても咳き込みますから。…まぁ油を分解するのは確かなので検証してみなければ分かりませんし…結局は人の好みになります」

 

 いよいよ体験的な収録が始まる寸前、レジ袋の中身を覗き込んだ真咲と桐香からミネラルウォーターを選択した理由を尋ねられた佐々木は淡々とした説明をする。

 

 その説明に二人や少女達だけでなく、収録に携わるスタジオのスタッフ達も「確かに」と頷く他なかったそうである。

 

 

 15時頃から始まった収録がなんとか終わると声を当てたアニメーションを流しで視聴する事となった。実際のアフレコとはどのようなモノか、そしてキャラクターへ声を当てるとはどのようなモノか。

 

 実際に体験しなくては分からない事ばかりであり、理想と現実の乖離に心が折れてしまう者もいると後で彼は真咲と桐香から聞いたのだが彼女達は無事に今回の経験を糧に更なる邁進が叶いそうであった。

 

「ーー昨日、今日と色々と付き合わせて悪かったわね」

 

 真咲から2日間のアルバイト代を支払うと告げられ、彼は一同と共にエールブルーの事務所へ再び足を踏み入れた。

 

 案内された社長室で封筒へ納められたアルバイト代を受け取ると彼は頭を下げる。

 

「いえ…むしろ至らない事ばかりで…色々と失礼な口を利いてしまったかと思います」

 

「そんな事ないわ。桐香も貴方には期待……じゃなかった。とても助かった、と言っていたわよ。適切なトレーニングの遣り方をあの子達に教えてくれたそうじゃない」

 

「人よりもそれなりに経験だけはあるので、たまたま活かせただけですよ」

 

「…謙遜も過ぎると嫌みになるわよ?」

 

 溜め息混じりに真咲は首を左右へ振る。少し年の離れた弟を見るような目で、仕方ない、と言わんばかりの態度だ。

 

「…貴方さえ良ければ今後もアルバイトを…理想としてはマネージャーをお願いしたいのだけど…これからどうするの?」

 

「…正直…迷っているのが本音です。今日は収録現場を拝見させて頂きましたが、今まで縁がなかった場所と雰囲気で非常に興味を抱きました。ですが…」

 

「うん?言ってみて?」

 

 何かを言い淀んでいる様子の佐々木を見た真咲は慌てる必要はないと暗に告げながら彼に先を促した。何度か口を開こうとした彼だがーー

 

「…いえ、やはりなんでもありません」

 

「…そう…」

 

 出掛かった言葉を喉の奥へ引っ込めた彼を見た真咲はやや残念そうに瞳を閉じ、佐々木は口を閉ざしてしまう。そのまま10秒ほどの時間が過ぎた所で真咲が目を開いた。

 

「でも…本心は決まっているんじゃないかしら?」

 

「…面白そう、だとは確かに感じています。今まで経験した事がない仕事ですから不安がないとは言いませんが…」

 

「…それだけ言ってくれただけでも私は満足だわ。ありがとう」

 

 綺麗な笑顔だなーーと真咲が浮かべた表情を視界へ収めた彼は内心で印象を呟いた。そして同時にーー最後に自分が笑ったのはいつだったろう、とも考えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「ーー今日は初めての収録体験お疲れ様!何でも好きな物食べて!真咲さんから食事代貰ってるの!」

 

 時刻は18時過ぎ。場所はイタリアンファミリーレストランのチェーン店 Soizeria(ソイゼリア)の店内でエールブルーのマネージャーである五十鈴りおが4人の少女達、そして佐々木を前にして夕食は奢りである事を告げる。

 

「やったー!」

 

「さぁ食べるぞー!」

 

 素直に喜びを露にするのは、ほのかと舞花の両名だ。陽菜と志穂も目立ったアクションは起こさないが嬉しそうな雰囲気が滲み出ている。

 

「…私も一緒に奢って頂いて良いんでしょうか…?」

 

 一方の佐々木はーー真咲と別れ際、今日の打ち上げに参加してから帰るよう告げられて同行した形なのだが、てっきり割り勘だと思っていたのか困惑と遠慮を隠し切れないままマネージャーのりおへ尋ねた。

 

「当然でしょ?色々手伝って貰ったんだからーーっと……あっ、真咲さんからだ。ちょっとごめんね」

 

 厚意は素直に受け取るべきだ、と彼を窘める口調で語っていた彼女だが、突然スマホへ社長からの着信が入り、一言断ってから通話を始める。

 

 彼とりおが相席する隣の四人掛けの席へそれぞれ腰掛けている少女達は注文を何にするか相談する。陽菜が舞花へ何を頼むのか尋ねるとーー既に決まって頼んだと返されていた。液晶タッチパネルを渡された陽菜が注文画面をタップすると確かに注文が確定しており、あまりの早業に横から覗き込んだ彼女の隣へ座る志穂が驚きの声を上げる。

 

「ーーうちは姉弟が多いから即断即決がモットーなの!」

 

「まぁ兄弟が多い家庭は料理の取り合いをするとは聞きますが…」

 

 同期にも五人兄弟の者がおり、食卓は奪い合いだったと懐かしみつつ教えられた記憶を佐々木は思い出した。生憎と彼は一人っ子である為、あまり想像が付かないのが本音である。

 

「メニューはともかく食べるのに悩んでたら直ぐに取られちゃうからね!」

 

「なんてサバイバルな家庭…」

 

「うちの食卓は戦場だから!」

 

 彼が樹脂製コップを口元へ運び、傾けようとした刹那に舞花が口にした“戦場”の一言。彼女は大した意図もなく例えとして言葉にしたのだろうがーーその一言を耳にした佐々木の動きが一瞬止まり、元々鋭い双眸が更に細められた。

 

 幸いにもそれは誰の目にも止まる事はなかった。彼女達の注目が急に事務所へ戻らなければならなくなったマネージャーへ向けられたからである。

 

「ーー好きなもの食べてて!じゃねー!」

 

 バッグを手にしたりおが慌ただしく席を立って店を後にする。余程、急ぎの用事が出来たのかもしれない。

 

 バタバタとした様子に彼女達は苦笑を浮かべたがーーりおが食事代を置かずに行ってしまった事に気付くと今度は少女達が慌てる番となった。

 

 追い掛けようとほのかが腰を浮かせるも店の外でタクシーを拾ったりおが窓越しに見えた為に断念となる。

 

 つまり彼女達は自腹を切る必要が出て来るのだがーーその決心が固まる前に佐々木が口を開いた。

 

「ーー好きな物を召し上がって下さい。奢りますから」

 

「えっ!?奢り!?マジで!?」

 

「そこまでして頂かなくても…」

 

「社長さんから、かなりのアルバイト代を頂いていますので大丈夫ですよ。お金の事は気にせず召し上がって下さい」

 

「ホントですか!?」

 

「やったー!!」

 

「かたじけない」

 

 全身で喜びを表現するほのかと舞花に続いて志穂が頭を下げる。ーー相変わらずユニークな子だな、と彼が考えている中、陽菜は遠慮がちに声を掛ける。

 

「いいんですか…?」

 

「えぇ。昨日と今日のレッスンと収録を拝見させて頂いて…皆さんが頑張っている姿に感銘を受けました。ささやかな応援の気持ちと思って貰えれば幸いです。それに……」

 

「……それに?」

 

 彼はおもむろに腰を上げるとスーツの内ポケットから愛煙のソフトパックの煙草と年季が入った銀色のジッポを取り出した。

 

「ーー私が使うと煙草へ変わってしまいますから。肺と健康を害するより幾らかでも皆さんの励みになった方が遥かに有意義です。……外の喫煙所に行ってきますので、好きな物を頼んで下さい。遠慮は要りません」

 

「じゃあ…すみません。ありがとうございます。お言葉に甘えますね」

 

 陽菜が頭を下げると佐々木は頷き返した後、彼女達の見送りを受けながら外にある喫煙所へ歩みを進めたのだった。

 

 




そういえばサ○ゼリアも禁煙になってしまったなぁ……
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