都営住宅2LDKの部屋は聖域である。
この世界で前向きに生きてみようと決めたものの、やはり吸血鬼の目を気にせず過ごせる空間というのは貴重なもので、私はいまだにほとんどの日をここから出ずに過ごしている。
当分の生活費に困っていないから外出する用事といえばほぼ買い物くらいしかない。その買い物もほとんどが食料品で、服など転生直後以来一度も買いに行ったことがない。そもそも吸血鬼の街は光源があまりにも乏しくて人間の目には不便すぎるのだ。何を見るにしても非常灯頼りになってしまい、充分に吟味できないのである。
ではもう満足な買い物はできないのかというとそうでもなく、オンラインで買い物をすればある程度の問題をクリアできるだろう。一度は利用したことがあるのだが、そのときは玄関に吸血鬼を迎えることが聖域を侵されるように感じて、それきりになってしまった。
いつまでも怖がっていられないのだから、そろそろまた利用するべきなのかもしれない。玄関を開けずに買い物できれば最高なのだが世の中ままならないものだ。
「はぁ……ポスト投函最高……」
日中。
私、黒川京子はベッドに寝転がりながらベランダより差し込む光で漫画を読んでいる。
ポストに投函できる漫画ならばオンラインで購入できて玄関で受け取る必要がないので、私は転生してから娯楽費のほとんどをこれに注いでいた。いま開いているのは日常系の漫画だ。早くに親をなくして兄と同居している女子高生が、結婚して家に来たばかりの兄嫁と交流をしたり友達と遊んだりする内容のものである。
私はこれを娯楽と吸血鬼世界の勉強のために読んでいた。常識というものは日常のなかから学ぶものであり、日常をほぼ自室のみで過ごす私はこのような漫画を教材にするしかないのだ。
さて、この世界は人間をまるまる吸血鬼と入れ替えただけと思えるほどに前世の世界にそっくりなようだ。例えば歴史についてインターネットで調べるとどこか見覚えのある偉人が登場する。相対性理論を唱えた人だとか、電球を発明した人だとか、某超大国の大統領だとか、枚挙にいとまがないほどで、しかしすべてが吸血鬼だ。
ところが中世より前の歴史になると、吸血鬼が発生する以前の人間の歴史になるため急に情報が少なくなる。現代に残された歴史的建造物を調べて前世と同じだとかろうじて推測できる程度だ。
異世界からやってきた身分なのに、世界史のテストで漫画の主人公より高得点取れそうなのは妙な気分である。
「あ、そうだ……」
不意にアイデアが降りてきて本を閉じた。
そのまま寝返りをうちながらスマホを拾い、配信の告知とともに募集文をツイートする。
乾家つるぎ tsurugi@prism
明日やる雑談配信のお題をみんなから募集するよ 『異能バトル系主人公が初めて異能に覚醒するときの好きなシチュエーション』について語ろう! いいシチュが浮かんだらマロマロで送ってね
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【お題雑談】好きなシチュを語ろうよ【乾家つるぎ/プリズム】
翌日。吸血鬼たちが職場から帰宅して寛ぐ時間を待って、私は配信を開始した。
接続者数は開始の挨拶の段階でもう2千人以上。前のホラーゲームコラボから目に見えて増えた印象を受ける。4万ほどだったチャンネル登録者数はもう5万を目前にまで迫っており、コメント欄のスクロールされるのも速い。
なんとなく期待されているような気がして本題の前にコラボの振り返りについて語ってみる。最初はヒュー子から誘われたこと。彼女が予想以上に怖がっていたこと。死体から鍵を拾う場面は私も怖かったがあまりにも彼女が怖がるせいで平気になってしまったこと。そんなことを話してるうちに初見を名乗るコメントがいくつも現れ、コラボがきっかけで私に興味持ったことを教えてくれた。私自身も楽しかったからあのコラボは本当にやってよかったと思う。機会があればまたやりたいものだ。
「ありがとうありがとう、またやりたいね。……それじゃこのまえの振り返りはこの辺にして」
あらかじめ選んでおいたマロマロを用意しながら、改めてお題の趣旨を説明する。主人公が何かの能力に目覚めて戦いの運命に巻き込まれてゆく少年漫画やアニメの王道展開、その覚醒するときのシチュエーションで好きなものについて語るのだ。なおどんな力に目覚めるか何と戦うかなどは一切決めていないし制限もない。
「はい、第一弾はこちら!」
拙者は学校に突然モンスターの群れがやってきて、自分が襲われそうになったところを必死に追い払おうとしたら手が異形化して倒せてしまい、その場面をクラスメイトに見られちゃうシチュすこすこ侍、義によって助太刀いたす
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「ああー異形化系……いいよね……」
そこからコメントともにシチュエーションの妄想を広げてゆく。
学校中でモンスターに襲われる生徒たち。モンスターは四足の狼型で牙が無数に生えているといい。主人公は飛びかかってくる相手へ無我夢中になりながら腕を振るのだ。
「そして訪れる静寂……!」
「え? アイツなんでやられてるんだ……? って主人公が戸惑ってるところにクラスメイトが声をかけるんだよね」
指摘されてようやく自分の腕の異変に気づく主人公。漫画ならば絶対に大コマのシーンだ。変異した腕はドラゴンの爪がいいとか、凶悪な外見がいいとか、いくつもの意見でコメントが賑わった。なかには漆黒で無数の目と触手が生えているようなのがいいと主張するのもいる。いずれにせよ事件終息後に主人公が周りからどう見られるか気になるものだ。わくわくする導入のひとつである。
「はい、次のマロマロこんな感じのだよ」
ぼくが好きなのはテロリストや能力者に攻撃されて死んだと思ったら、傷口が燃え上がりながら蘇るシチュエーション!!
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「これ実は敵の能力者が炎とか全然関係なくて、なんで燃えてるんだって怪訝な顔するやつでしょ?」
覚醒と同時に自分の能力を本能的に理解するパターンだろうか。
炎系能力は主人公にぴったりでとても絵面がいい。主人公が襲われた理由は異能の潜在能力が補足されてたからだろうか。第一話のラストに意味深なリストが登場して、そこに主人公の顔と名前が載っていてほしい。のちのち登場する主要人物が同じリストに収まっていると面白い。ヒロインとか。
「さあどんどん次いこっか。次は面白いよ。ちょっと募集内容からずれるけど覚醒済みなのを隠してるシチュでねー」
シチュエーションマロマロの募集期間はおよそ1日間。そのあいだに届いたネタはなんと三桁もあって選別が大変だった。なかには泣く泣く採用を見送ったものもある。やっぱり男の子はみんなこういうものが好きだよなと共感する一方で、乾家つるぎが広く受け入れられてきたような気がして嬉しくなる。
いまの乾家つるぎはVtuberらしさをなぞっていたものじゃない。私のやりたいことを全力で表現するためのものだ。それでも付いてきてくれるリスナーたちには感謝したい。
「うーん?」
私があんまり漫画ばかりで例えるからだろうか、そんな質問をするコメントが目についた。前世ではアニメはあまり見なかったが現在は仕事をしていなくて時間がたっぷりある。この際だから吸血鬼世界の娯楽をもっとたくさん楽しんでいってもいいかもしれない。
「実はまだクレカができてなくてね。プライムとかの動画配信サービスにはまだ入れないんだよね」
この世界に転生して役所で手続きをして、住居と口座は手配された。手元にはキャッシュカードがあるがクレジットカードはまだだ。そのうち郵送されることだろう。届いたらどんなアニメを見ようか。
マロマロのシチュエーションを取り上げながらリスナーからオススメのアニメを聞いていけば、コメント欄はさらに盛り上がっていった。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。