キッチンでドライヤー片手に湿った髪を乾かし、空いた手で冷蔵庫を開ける。取り出したのは豆乳。風呂上がりにこれを飲む瞬間が人生で一番好きだ。
コップを呷りながら考えるのは昨日一緒に遊んだ乾家つるぎさんのこと。
乾家つるぎ。それは私、リジアとヒュー子さんと同じプリズム三期生である。そんな同期は私にとって唯一肩肘張らずに付き合えそうな相手だった。
Vtuberの黎明期にデビューして業界を切り開いた一期生と、様々な活動で業界を盛り上げた二期生はもう、私の中ではただのプリズムの先輩に留まらない。ひとりひとりが尊敬するVtuberなのだ。だからデビュー後まもなくに先輩とコラボさせられたときは恐れ多くて大変だった。
ヒュー子さんとは比較的すぐに仲良くなれた。同期に対する認識は私と同じだったようでお互いに話しかけたい雰囲気を出していたから、デビューした週にはすぐデスコで話をする仲になっていた。
問題はつるぎさんだった。デビューからいままで五ヶ月ものあいだずっと話してみようと思っていたのに、彼女はデスコで全然発言しないから交流の切っ掛けが作れない。なんとかついったのリプライを交わすのがせいぜいで、それもどこかよそよそしくて盛り上がらないし、むしろ彼女は我々との交流を避けてるのかと思っていた。
配信では楽しそうにしているのに、厚いガラス板のようなもので隔てられていて仲良くしにいけない。それでいて彼女の配信には不思議な引力があったから気にせずにはいられない。だから私はいつも指をくわえて配信を見ていたと思う。採用されることを祈りながらマロマロを送ったりもした。彼女が神屋トゥーリ先輩とコラボしたときはプリズムの指示だったとはいえ嫉妬しそうになったほどだった。
「ふぅ……」
空になったコップを流しに置く。髪は十分に乾いてきたので肩にタオルを巻いてパソコンのある部屋へ向かう。
デスコを開くとヒュー子さんがログイン中。つるぎさんはオフラインだ。
三人の三期生ということで私たちはよくリスナーのあいだで比較される。私は長時間のゲーム配信ばかりしているからか三期生のゲーマー担当。ヒュー子さんはいろんな人間アピール企画考えたりしているから芸人担当。そしてつるぎさんは人を惹きつける不思議な力があるからアイドル担当。全然関わりを持ててないけどよく三人でひとまとめで語られるのは嬉しかった。
そんな水族館の子供のようにしていた日々が、突然のコラボに衝撃を受ける。
乾家つるぎとサリス・ヒューマンのホラーゲーム実況。
ずっと孤高を貫く人だと思っていた彼女が、突然私の友達と遊び始めたものだからとても驚いた。それに、同じ同期である私にも可能性があるんじゃと期待だって抱いた。だから私は飛びつくようにヒュー子さんへ頼み込んだのだ。つるぎさんと遊びたいから橋渡しをして、と。
「いまいるかな……」
Tubeでヒュー子さんのチャンネルを確認。配信中じゃないと判断してデスコのダイレクトメッセージ画面を開く。
「昨日はありがとう」
彼女のアイコンを眺めてぼうっとしていると、チャット画面に書き込み中の表示があらわれる。
『どういたしまして。つるぎちゃん可愛いでしょ』
私はうんの二文字を打ち込んだ。
昨日は配信していなかったから三人とも素のままリラックスして遊んでいた。そこでのつるぎさんは配信で見たときよりもずっと面白くて、あの不思議な引力も強く感じたと思う。
「可愛かった」
ヒュー子さんの返事に打てた文字はたったの五つ。こういうときばかりは自分のコミュニケーション下手を恨みたくなる。どこがどう可愛かったとか、それ以外の印象とか、すぐにパッと出せればいいのに。
『三人で配信するのも面白そうよね。一緒にマイクラフトでなにか作ってもいいし』
三人でマイクラフト配信できたらどんなに楽しいだろう。ヒュー子さんをあのゲームに誘ったのは私だったけど気に入ってくれていてよかった。一緒に遊ぶゲームは何がいいか考えたときにマイクラフトを提案したのは彼女だったのだ。
昨日三人で遊んだ感触だとつるぎさんもマイクラフトを気に入ってくれたと思う。また遊ぼうとつるぎさんに言ったら同じ言葉が返ってきて椅子から飛び上がりそうになった。
「マイクラフト以外も一緒にやりたい。ゲーム選んでおくから」
『すっかり気に入ったみたいね』
親しくなってもう五ヶ月のヒュー子さんだから、画面の向こうで笑ってるのが簡単に想像できる。
「そうだね。でもそれだけじゃないよ」
マイクラフト以外にもいろんなゲームに誘いたい理由は、ただ親しくなりたいからだけじゃないと思う。ずっと彼女から壁のようなものを感じていたけど、実は彼女は遊びに誘われたかったんじゃないかなというのが、三人で遊んだときのはしゃぎぶりを見た感想だったのだ。
『本当は寂しがってたと思った、ということ?』
私はそれに肯定する。
彼女は大人の真祖なのだ。つまり最初から成人した状態で生まれた存在だ。私たちみたいな一般の吸血鬼と違って、彼女は家族も友達もいないままたったひとりで世界に放り出された。だからきっと何かを相談できる人はいないし、万が一のときに頼れる人もいない。そこまで考えれば生まれたばかりの真祖がVtuberになろうとした理由がわかってくる。
「友達が欲しかったんじゃないかな」
でも友達の作り方がわからなかった。だって私たちが幼稚園や学校で当たり前のように得ていた、同年代と関わる経験が彼女にはないのだから。友達という概念を知りつつも作る方法がわからなかったからVtuberになって、しかし他者への関わり方もわからなかったからいままで孤独に過ごしてきたんじゃないか。
我ながらすごい発想の飛躍だなと思う。それでも、いま開いた彼女の始めの頃の配信にどこか心細そうな雰囲気を感じるのはきっと気のせいじゃない。昨日通話しながら遊んだときの心から楽しんでいた様子だって絶対に気のせいじゃない。
『ちょっとわかるかも』
意外なことにヒュー子さんは同意してくれた。それどころか心当たりあるとも言った。
『つるぎちゃんにあたしがVtuberになった理由を言ったことあるの』
確か大学を卒業して就職して急に友達との縁が細くなって、Vtuberに楽しさを求めるのと同時に寂しさを埋めてくれることも求めていた、だっただろうか。ヒュー子さんがそれを伝えたとき、つるぎさんはその感覚をわかると言ってくれたらしい。
「つるぎさんは真祖だけど。普通の子だったね」
『そうね……。きっと普通に楽しくなったり、普通に寂しくなったりすると思う』
だったらもう私のやることはひとつじゃないかな。
彼女と仲良くなって、あなたには友達がいるよと伝えてあげたい。
『もっともっといっぱい遊びましょ』
「うん。オフでも会ってみたい」
半ば勢いで言ったがそれは難しいとすぐに悟った。いま私のいるところは九州だけど、昨日の話では彼女は東京在住らしい。
『あたしは隣の県だから会おうと思えばってところね……』
「東京に行く用事はない?」
それきりしばらくチャットが途切れる。予定表を確認してるのだろうか。
『あったわ。来月東京でやるライブ見に行く予定ね』
「誘ってみる?」
『そうする。ライブのあと一緒に食事する時間くらいあるはずよ』
正直に言ってヒュー子さんが羨ましい。もし彼女が東京じゃなくて九州で生まれたらと思わずにいられない。
けれどそれはもう仕方ないことだ。私にできることは三人で楽しむ機会を作ることだけだから、せめて三人で遊べるゲームや企画をたくさん考えていこう。
つるぎ「え゛っ」