ここは自分の家。私がもっとも守られていて、もっとも安全な空間。
電子レンジから熱気の放つ冷凍パスタを取り出し、ダイニングで朝食をとることにする。
湯気に混じったトマトの酸味の香りが鼻腔をくすぐり、食欲がいっそう刺激された。
オフでヒュー子に言われたとおり、私の目のことをマネージャーに伝えた。すると彼女はたいそう驚いて、プリズムのスタジオやどこか収録に行くときは送迎すると申し出てくれた。ありがたいことだ。これで私は二人目の協力者を獲得したことになる。
彼女へ伝える際に医者の診断書の話をされなかったのは幸運だった。診断書なんて用意できるものじゃない。医者にかかれる体ではないのだ。
また、目のことはスタッフのあいだで共有されることになった。必要に応じて共演者にも伝えるという。ただし部外者には秘密だ。もちろんリスナーにも。
思えば転生したばかりの頃よりずいぶんと生きやすくなったかもしれない。これまでのヒュー子との会話から吸血鬼の常識を知れるようになったのは大きく、相変わらず正体がバレることには注意しなければいけないが、彼らにとって人間は宇宙人に等しいほど存在しえないものだと知れたのが嬉しい。
「……んむ」
口にアラビアータを運んで啜る。よく熱が通ってプリプリになったエビがおいしい。
マネージャーの渡良瀬もヒュー子もよく私を気にかけて優しくしてくれる。
たとえ私の正体が人間だとバレても、彼らなら受け入れてくれるんじゃないかとどこかで望みを抱いてしまう自分がいる。
しかしその他大勢の吸血鬼たちはどうだろうか。彼らの常識を知り、人間に対する認識を知れば知るほど私の正体が明るみになったときの反応が予想できなくなる。果たして見世物にされるのか、実験動物にされるのか、あるいは人権を持つものとして見られるのか。
仮に社会が私を保護する方向に動いたとしても個人はどうするだろうか。誰かが極めて短絡的な思考で私の身を狙うことはあるだろうか。
私の身の回りにいる吸血鬼たちは親切だ。けど、もちろん吸血鬼のすべてが親切で善人ってわけじゃない。
テレビを見れば痛ましい凶悪犯罪のニュースはあるし、政治家の汚職事件だって見ることがある。人間が持つ当たり前の善良さを彼らも持ってるというだけなのだ。そしてその反対も。
朝食を済ませたあとは、翌日の雑談配信に備えて届いたマロマロを確認することにした。
マロマロの届く数はデビュー時からずっと右肩上がりになっている。特にヒュー子とコラボしたときからが目に見えて増えており、その内容は他のVtuberともっとコラボしてほしいというものが多い。他には配信の感想やプレイしてほしいゲームの要望などが散見される。
あとは私の個人のことについての質問くらいだろうか。
そんなマロマロのなかにひとつ、異彩を放つものがあった。
つるぎさんは真祖だそうですが、前世はあるんでしょうか?
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このマロマロを読んだとき私はどんな表情をしただろう。
最初はなにか私がボロを出して転生者とバレてしまったのかと思った。
だが、この文面はよくよく見てみるとおかしい。真祖だから転生してると言わんばかりではないか。
「もしかして……、私の知らない常識がまだある?」
もし真祖なら絶対に知っていることがあるのだとしたら、これを誰かに聞くのはまずい。
私は大慌てでパソコンへ駆け寄り、さっそく調べてみることにした。
転生したばかりのときに真祖だと勘違いされたのと、自分でそう名乗ることにした以上は一度真祖について調べたことがあるのだが、そのとき転生や前世という単語を見かけたことはなかった。
そしてマロマロの聞き方は『どんな前世だったか』ではなく『前世はあるのか』である。もしかしたら真祖でない一般吸血鬼に前世云々はあまり知られてないことなのかもしれない。
そのようなことを考えながらいくつか検索ワードを変えていくと、少しずつヒットしてくる。
真祖が発生した瞬間から様々な知識や技能を備えている理由は、吸血鬼の生まれ変わりでそれらを引き継いでいるからではないか、という考察があった。本当に生まれ変わりなら前世の名前などわかりそうなものだが、筆者は知識を引き継ぎつつも記憶喪失と同じような状態になってるのではないかと書いている。
一般的にイメージする記憶喪失とは、自身や周囲の人間、過去の出来事などをすべて忘れて思い出せなくなってしまうことだが、例えばボールペンの使い方や言語までも喪失するわけではない。生まれたばかりの真祖はつまりそれと同じ状態だと言いたいらしい。
実に眉唾な話だが、発生直後に「自分に娘がいたはずだ」と錯乱しながら探し回ろうとした真祖の実例などを示されると、もしかしたら本当にそうかもしれないと信じてしまいそうになる。
そもそも、私個人に関しては完全にその通りなのだが。
記憶喪失には該当しないけども。
調べてみると真祖の前世に関する論文などあるらしい。学者が真面目な顔で前世や生まれ変わりについて議論する光景を想像すると不思議な気持ちになってきそうだ。しかしよく考えてみれば何もないところから突然生まれる真祖自体がなかなかにファンタジーな存在である。大昔の吸血鬼は霧や蝙蝠に変身する能力があったらしいから、この世界はオカルトなことに一定の理解があるのかもしれない。過去の吸血鬼が持つ能力は現代の吸血鬼たちでも原理がわからないようだ。
「うーん、この感じだと……」
さっきのマロマロの質問には、前世があるかどうかわからないという返事でいいだろう。
真祖転生者論が一般的でないのはそれを証明する手段がないからだろう。死んだ吸血鬼の生まれ変わりなんじゃないかと思えるような例はいくつかあるが、それだけでは証明までに至れない。
真祖がみんな記憶喪失と同じ状態なら前世など覚えてないのが普通なのだ。
「でも……もし覚えてる人がいたら」
もし前世の記憶を完璧に覚えている真祖がいたとしたら。
あなたの前世に生きてる人間はいましたか、なんて聞いてみたいかもしれない。
実は転生者がそれほど珍しくない世界です。
ただ自分が転生者だという自覚を持つ者がいないだけです。
活動報告に主人公の乾家つるぎ・黒川京子のイメージ画像を載せてみました。
※主人公の食べてるものをペペロンチーノからアラビアータに変更しました(1/30)