私が人間だと知って、ヒュー子はどうする?
たくさんの覚悟を重ねて放った問いだった。だから彼女の顔を見たくて抱きしめていた体を離した。
この世界における人間は大昔に存在した生き物である。吸血鬼と生存競争をし敗北し、人間牧場という形で家畜化され、やがて吸血鬼同士の戦争に巻き込まれて絶滅したのだ。もう現代の吸血鬼の感覚では恐竜などの古代生物と同じ位置にいる。
そんな人間という生き物と真正面から向き合うことになった彼女はどこか呆けていた。まるでUFOから宇宙人が降りてくるのを目撃したような、そんなニュアンスを感じた。
私の問いはそんなに意外なものだったのだろうか。
「ええと」
ずっと交差していた視線はヒュー子のほうから外される。
「何もしない……。いや何もできない、かな」
「何もできない?」
「そう」
薄暗く常夜灯程度の明るさしかない部屋のなか、言葉が途切れて二人分の呼吸音だけが空間に満ちる。
しばらくして、いかにも伝えにくいものを言語化したような間を経て、彼女の目がこちらに向いた。
「つるぎちゃんは人間なのよね?」
「うん」
まさにいま言ったばかりなのだが、ちゃんと伝わっていて何よりだ。
「大昔にあった人間と吸血鬼の出来事は知ってるかな」
「うん」
例え知らなかったとしても私は人間であることを隠していただろう。前世でも吸血鬼は人間を襲って血を吸う生き物として扱われていたのだから。転生してここが吸血鬼しかいない世界だと知ったときの衝撃を忘れられない。
ヒュー子はまたしばらく考える時間を置いて、ぽつぽつと語りだした。
「あたし、ただの吸血鬼なの。夜間は会社で働いて昼は配信してる。そんな普通の吸血鬼」
知っている。
彼女の配信の様子から、日々の雑談から私は知っている。
「そんな普通の吸血鬼がね。この世界に人間が生きていました、吸血鬼の街で隠れて生活してます、なんて事実はとても抱えきれないよ。どうするべきかなんて一個人には判断できない」
私を見る彼女の眼差しはとても真剣で、本心から言っているのがわかった。
彼女の言い分は理解できる。彼女は学者でも政治家でもない。ただの人が世界の常識をひっくり返すような秘密を知ったとしても、何か行動できるわけではない。とても責任を負いきれないと言ってるのだ。
「だから、あたしは何も判断しない」
「……?」
判断しないとはどういうことなのか。誰か立場のある人間に伝えて丸投げするのか。それを視線で問う。
「つるぎちゃんが決めて。あなたはどうしたい?」
私はしばらく呼吸を忘れた。
何度も試すようにヒュー子の目を見て、嘘やごまかしの色がないか探した。どれだけ必死に探してもそれを見つけられることはなかった。見つけたいわけじゃない。嘘であってほしいわけじゃない。ただあまりにも私に都合のいい言葉だったからすぐに信じていいのかわからなくて、沸騰して時間の経ったやかんへ恐る恐る触れるように、ゆっくりゆっくり時間を掛けて彼女の言葉を飲み込んだ。
頬の熱さを感じる。
目尻にさえも。
本当、私は転生してからすっかり泣き虫になってしまった。
「私が決めていいの……?」
絞り出した声はひどいものだった。ちゃんと言えたか不安でもう一度口を開いても、喉が引きつってまるで言えやしない。
「いいよ、つるぎちゃんの好きなようにして。あたしが助けるから」
喉が引きつって何も言えやしない。
出るのは嗚咽ばかり。
視界が滲んで何も見えやしない。
わかるのは頬を伝う雫ばかり。
ただ、体温は感じられた。
私はまた抱きしめてくれた彼女の背に手を回し、一生懸命にしがみついた。
「だって友達じゃない」
「……っ」
いいのだろうか。
私ばかりこんなに得してしまっていいのだろうか。
ここまで特別扱いされてしまっていいのだろうか。
前世で病気になって。夢を叶えられないまま死んで。この世界でまた夢を叶えるチャンスが与えられて。友達ができて。
そして私が人間だという部分も受け入れてもらえた。
こんな幸福なことがあっていいのだろうか。
「つるぎちゃん覚えてる? 前に本当に人間がいたらってつるぎちゃんと話したときのこと。『友達になれるかもしれないよ』って。つるぎちゃんが言ったんだよ」
ああ、言った。
間違いなく言った。
あなたと友達になりたくてそう言った。
言った本人が忘れかけていたことを、彼女は覚えててくれたんだ。
「人間だとわかったからって、いままでのことが突然なくなったりしないよ」
いままで話したこと。一緒に遊んだこと。一緒に見たもの。一緒に歌ったこと。
例え私が人間だったとしても、二人で過ごした時間はなくならない。
私は泣いた。
ただでさえぼろぼろ泣いてたのだからわんわん泣いた。
この世界に転生して初めて何も隠さなくていい相手ができたことが嬉しくて。
友達にすべてを受け入れてもらえたことが嬉しくて。
ずっとずっと泣き続けた。
次話が最後になります。
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