吸血鬼世界のVtuber   作:縫畑

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07話 黒川京子

 水の床を叩く音で風呂場が賑わう。

 熱いお湯に緊張と疲労を洗い流されながら目を閉じる。

 時計の指す13時とは吸血鬼にとって深夜に違いなく、黒川京子はそのような時間にシャワーを浴びていた。

 全身を泡立てたあと、バスタブに腰掛けてぼうっとシャワーに当たるのを彼女は好む。

 そのあいだ考え事することも。

 

「もう十日、かぁ……」

 

 プリズム内コラボからおよそ十日が経った。

 コラボはところどころ個人的に危ない部分があったのを除けば大成功で、乾家つるぎのチャンネル登録者数は3万人に至った。

 さっそく記念配信をしたし、神屋トゥーリには改めて礼をした。そしてコラボ第二弾の誘いは丁寧に回避した。

 十日間にいろいろなことがあって、しかし十日経っても未だ忘れられないことがある。

 それは一件のマロマロだった。

 

 

 乾家つるぎさんがVtuberになろうとしたきっかけを教えて下さい。 

 

 

 つるりとした白い手が蛇口をひねる。

 やがて少女は脱衣所のバスタオルを引っ掴み、体を拭く。

 黒川京子がVtuberを目指した理由は、前世に大きく関わっていたのだ。

 

 

 黒川京子が前世で過ごした世界には、吸血鬼など一人もおらず空想上の存在として扱われていた。人間はなんと78億以上もいて、もちろん地上に住居を作り生活していた。

 当たり前だが彼女の前世は人間のひとりである。

 地方の大学を卒業し、上京先で就職した中肉中背の男。趣味はゲームと漫画でアニメはあまり見ない。どこにでもいるという形容を擬人化したような人間だった。

 そんな彼がVtuberの世界を知ったのは、年始めにインフルエンザを患い休暇をもらっていたときのこと。暇つぶしにSNSで友人のタイムラインを遡っていたら、Vtuberの投稿した動画が貼られていたのだ。

 彼はそこでTuberを知り、同時にバーチャルでTuberの活動をするVtuberを知った。

 それ自体はさほど衝撃的な出会いだったわけではないが、長期間外出できずゲームや漫画に飽きつつあった男にとって、新鮮な魅力を持つコンテンツと映ったに違いない。

 次第に新しい娯楽へ傾倒していったのは言うまでもなく、気に入ったキャラクターのアーカイブを漁り、続々と現れた者たちを追いかけ、ときには彼らの生んだ動画を自らの手で切り抜くなどした。

 その果てにVtuberグループのメンバー募集を見つけてしまったなら、とった行動はひとつだろう。

 男にとって人生最大の幸福はオーディションに合格したことだった。

 しかし、男にとって最大の不幸もまたオーディションに合格してしまったことだった。

 合格の通知に喜び、事務所と打ち合わせをし、自身が演じるキャラクターの絵を見て転がりまわる。

 彼は幸福の最中にいた。自分がVtuberになることを家族や友人には言えず、しかしひとりで噛み締めていた。

 だが、デビューの寸前で激しい腹部の痛みによって倒れる。

 病院で対面した医者から告げられるのは末期癌という言葉。

 

 未来と夢の喪失は突然のことだった。

 

 失意のままホスピスに入り、ただ最後の瞬間を待つだけの生活を送る。

 末期癌の激しい痛みより恐ろしかったのは、苦痛を和らげる薬を服用することだった。服用すればたちまち眠気に覆いかぶされて、次に起きれるのはいくつもの日付を跨いだあとである。

 医者の宣告した余命が信じられない速度で消費されていくこと、これが何よりも恐ろしかった。

 そんな生活で無聊を慰めてくれたのはやはりVtuberだった。

 彼らの提供する、流行を取り入れた新鮮なコンテンツの数々は常に新鮮で飽きなかった。

 しかし夢想せずにはいられないのだ。自分も画面の向こうで動き回ることを。他のVtuberたちと共演すること。

 一度叶いかけた夢を取り上げられた痛みにじくじくと胸を刺され、数カ月後に男は息を引き取った。

 

 いま、鏡には十代後半の少女が映っている。

 何の因果か吸血鬼だらけの世界で人間として生まれ、そして病没した男の記憶を持つ少女だ。

 彼女は黒川京子と名乗って生きている。

 

 

 黒川京子には習慣がある。

 外出するときはかならず日の高いときに行っている。

 吸血鬼の街にはほぼ電灯というものがなく、光源になるものといえば地下通路と地上を隔てる小さな磨りガラスくらいだ。それも日の高さを知る役割しかないから、明かりとしては頼りない。

 しかし、こんな僅かな明かりさえ人間にとっては街を歩くための生命線である。

 ぼんやりと薄暗い道を私は歩く。目的地は地下通路に併設された24時間営業のドラッグストアだ。

 店内は通路よりさらに薄暗く、非常口の誘導灯くらいしか光源がない。

 それでも店員の吸血鬼に驚きの気配が滲むのがなんとなくわかった。

 無理もない。こちらはマスクで顔の大部分を覆ってるとはいえ未成年の女子である。

 そんな子が深夜相当の時間にひとりで来店すれば訝しんで当然だろう。

 商品棚で店員の視線から逃れて、かすかな光源を頼りに数日分の食料などをバスケットへ放り込んでゆく。値段の吟味ができないのは残念だが、当面は何もせずとも生活費を受給できる身だ。どうにもならない部分は割り切っている。

 どうか話しかけられませんようにと願いながらレジへ向かった。

 店員と対面する瞬間はいつも緊張する。何かの拍子に怪しまれないかと気が気じゃない。

 突然吸血鬼がこちらを向いて口を開いたとき、私はやめてくれと心の底で願った。

 

「袋は別にしますか?」

 

 バスケットの中には食材と生理用品。

 は、は、は、とマスクの下で小刻みになる呼吸を落ち着けて、焦りそうになる心を宥めて、たった一言を絞り出す。

 

「……いえ」

 

 帰り道は走った。

 次から食材と生理用品は別々に買おうかとか、どうして私は吸血鬼として生まれなかったんだろうとか、女の子として生きるのは難しいとか、色々な考えで頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。

 黒川京子には習慣がある。

 外出するときはかならず日の高いときに行っている。

 だって明かりのない道を歩くのが怖い。吸血鬼の通行人が怖い。そして異性が怖い。

 未知の世界に放り出されて二ヶ月。そのあいだずっと世界や性別のギャップに苛まれてきた。Vtuberの夢に縋らなければきっと心が折れていたと思う。

 玄関に駆け込んで大急ぎで鍵を掛ける。

 私が安心して過ごせるのはきっとこの空間しかない。

 

「は、はいしん……つぎの配信をかんがえよう……」

 

 生まれ変わって健康な体になった。Vtuberになる夢を叶えた。

 なのに私は、生きた心地のしない毎日を送っている。

 




説明回です。
諸々の設定は日常エピソードと絡めながら小出しにしていきたかったんですが、今回は難しかったので説明回としました。

頂いた感想で食用の銀というものを初めて知りました。人間って何でも食べるんですね。
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