ドルインフル
201X年のブラックフライデーに使われたドル紙幣がきっかけでパンデミックが起きたとされる正体不明のウイルス。その感染力や致死率など天然痘と酷似した点があるらしいが詳細は不明であり、爆発的に感染が拡大してしまったため、ワクチンを含む対抗策の無い状態である。
とある陰謀論者によれば人工的に作り出された生物兵器らしいが合衆国政府は否定している。
―― 201X/12/XX :a.m.10.29――
―― ペンシルベニア・プラザ近くの路地裏 ――
天気は吹雪に変わり、風はヒューと音を鳴らしてビルに雪を吹き付けている。
「すまない」
僕に肩を貸しながら歩くカイルは小さな声で呟いた。
「どうして僕に謝るんですか……」
カイルと同じぐらいの声量で言葉を返す。
「お前だけじゃない、ルーカスにも、だ。俺がもっとまともな装備を持たせてやれれば……」
僕はカイルの顔をチラリと伺うが、その表情は苦悶に満ちていて同時に悲し気な表情だった。
「こんな状況なんです、自分の身を守れる拳銃を持たせてくれるだけJTFは優しいですよ」
今のJTFの状況は悪かった、最悪と言ってもいい。
マンハッタンが封鎖されてからというもの、送られてくる医療品や食料などの物資はほんのわずかで、銃器も警察署や武器庫が略奪に合ったせいでJTFの管理している物は元々自衛用に持っていた拳銃がほとんど。あとはショットガンのような猟銃が主力で、アサルトライフルなどは両手で数えられる程度にしか無かった。もちろん弾薬だって少ない。
暴徒はLMGまで持ってるというのに。
カイルはスリングで肩から掛けるM4カービンのグリップを握りしめる。
「コイツがあと十丁でもあれば、一体何人の命が救えたんだろうな…………クソッ」
カイルの声は怒りからかだんだんを大きくなり始めていて、そのことにハッとしたのか落ち着こうと深呼吸をする。
「でも、こんな最悪な状況でも希望は見えてきた、俺はそう思うよ」
「ディビジョン……エージェント。ベニテス隊長の言ってた奴らですよね……」
「そうだ、俺たちがお前らの救出に向かってる途中、暴徒の集団に出くわしたんだ。かなりの数で死ぬかと思ったが、あのエージェントが現れて全員倒してくれたのさ」
「全員?」
「たった一人でな。彼女、俺なんかよりずっと強かったよ、実力は本物だ。彼女は他のエージェントと一緒に第一波として派遣されたらしい。あんなスーパーソルジャーが沢山いるってことは、アメリカの未来は明るいだろうよ」
「だといいけど……」
カイルの言葉を聞いてもあまり喜べなかった。僕たちが進む路地裏の隅には死体が転がっている。アウトブレイクが起きてからというもの、決して珍しい光景ではなくなっていた。現にあの死体だって最近の物ではない、お腹に斧が突き刺さっている死体は少し凍っていて、周辺には乾ききった血痕だけが残っていた。
僕は俯いたまま考える――銃声、悲鳴、叫び、血痕、死体。一体いつになったらこの地獄は終わりを告げてくれるのだろうか。
「止まれ」
カイルは首を後ろの方へと向けて命令する。
ヒューという強い風の音につられて、顔を上げると路地裏が終わりと告げている。目を凝らせばそこには車道が広がっているのが分かる。しかし、広い道を吹雪が駆け抜けていって、視界は真っ白にふさがっている。道路があると言うこと以外には何も見えない。
「伍長、後方は?」
「例の人影はこの路地からは見えませんでした。別の道に行ったか、はたまた途中でたむろでもしてるのかもしれません」
「こんな吹雪の中で? まあいい、わかった。後ろの警戒は引き続き巡査に任せる。伍長は前を警戒してくれ」
了解、と二人が返事をする。伍長はショットガンを構えたまま二人の横を通って路地の出口から周囲をキョロキョロと見渡して警戒する。
「人影は見えません」
伍長はそう報告をするが手元の地図を開いてからもう一度周囲を確認する。
吹雪の中で薄っすらと見えるビルからそこが作戦基地近くの通りである事が分かる。基地の周辺は比較的治安がいいため市民の姿もボチボチと見えるはずだった。
「人っ子一人見えない……まぁ、この吹雪のせいか」
「伍長? 何か見えたか?」
「いえ、何も見えないというか――」
そこまで言うと突然、バン! と何かが破裂する音が響く。
伍長はとっさにその場にしゃがみ込んで音のする方へとショットガンを構えた。
「伍長! どうした!」
「この音は視界の外からです! ここからでは確認できません!」
「巡査! こっちに来てくれ!」
カイルは後方を見張っていた巡査を呼び戻す。呼ばれた巡査は小走りで三人の居る方へとやってきた。
「准尉、今の音は」
「分からん。伍長が言うには基地はすぐそこらしいが、もしかするとこの雪の中に何か居るのかもしれない」
「なるほど――」
バン! と伍長の声に割って入るようにしてまたも音が響く。そして、それに続くようにして風を引き裂くような悲鳴が響いた。
僕たち四人の間には沈黙が生まれ、吹雪が勢いよく吹き付ける風の音だけが響いていた。