始まりの海は唐突に
大きくなったら艦娘になる。
それは言うなら大人になったらお父さんのお嫁さんになるとか、マジカルな少女に変身するとか。
子供らしい無邪気で無垢な将来の夢だったと思う。
過去艦娘になりたいなんて思わなかったけど、周りに居た友達の何人かは確かにそう言っていた記憶がある。
ちょっと冷めていた私は物知り顔で言ったもんだ、戦いは何も産まないよなんて。
だけど言う度に微妙な視線を返される、何言ってるんだこいつは、白けさせるなよと咎められる。
それくらい、当たり前と言っていいくらい平和でありふれた願いだったんだろう。
権利が義務へと変わる瞬間を知っている?
大げさだけど、その瞬間に立ち会った私は割と絶望したもんだ。
夢は、何だっただろうか。
なんとなく四葉のクローバーを簡単に見つけられる私だから探検家になって金銀財宝見つけて一攫千金、とか幼い時分に言っていた記憶があるけれど。
現実を知り始めた私は会社へ勤めて、お茶汲みは性に合わないから実務職にでもなれたらな。なんて漠然と思うくらいには普通へ埋没していた頃。
――あなたには艦娘適性がある。
そうだ、健康診断にそういう項目が増えたんだ。
なんだかわからない、子供の頃テレビだったか見た覚えがある艤装ってヤツをつけられて言われたんだ。
いつからかテレビで流れなくなった艦娘の演習光景とか、深海棲艦を倒すために出撃するシーンとか。
久しぶりにソレを見た。だからすっかり忘れていて。
そう言えば、今この国は戦時下にあったんだっけ。
なんてことを思い出した。
そして、非常に残念なことに。
艦娘になりたいと言っていた友達がなれなくて、絵にも夢にも描いてなかった艦娘になる将来ってやつへ向かうことになった。
あぁ、嫌だな。
何が嫌かって? そりゃ戦いなんて性に合わないのはもちろんだけれど。
――帰ってきたら何か奢ってね、いってらっしゃい。
なんて、戦いへ行くというのに随分軽く送り出してくれた友達を、何処か狂気的に思えてしまったのが一番嫌だった。
「――!」
覚えているのは白。
感じるのは微かな痛み。
「――っ! ――てっ!」
あぁ、私はどうしたんだろう?
身体が少し重い、自分以外の重さを感じるし、何なら身体を揺さぶられている気がする。
手には水の感触と、口の中に広がっている塩っ辛さ。
「起きてっ! こんな所で寝てるんじゃないっ! 起きろっ!」
「――っ!?」
凛々しいと言うには幼さが多分に混ざった声で意識が浮上しきった。
「良かった……! ったく! 保安部と調査部は何をやってるのよ」
「あ、え……わ、たし……?」
どうやら怒っているらしい眼の前の少女。
ただどうだ、何かがおかしい。
「混乱、するのも仕方ないか。たかが長距離航海練習でコレだもんね」
「陽炎っ! どうしますか!? 指示をっ!」
少し離れたところで……あれは、何? 黒色の髪が、何に照らされているんだ?
いや、分かってる。それを私は知っている。
だってそうでしょう? 私も、同じものを持っているのだから。
「一旦退くわよっ! あれはハグレじゃない! 新人引き連れて戦っていい相手じゃないわっ! 不知火は殿、黒潮は私達を先導して!」
「了解っ!」
威勢の良い声だ、まるっきり少女だって言うのに。
ピンク髪の子がとりあえず一発って具合で放たれた……そうだ、砲撃だ。発射のマズルフラッシュっていうのだろうか、はっきりピンクとわかる位に照らされる程の光。
その子の狙いは正確で、しっかりと遠目に見えるナニカへと吸い込まれる。
「ぼーっとしてないの。立てる?」
「え、は、はい!」
少し焦ったように手を取られ引き上げられる。
それでようやく横たわっていたってことに気づいたくらいにはまだまだ混乱している私。
どうして今、こんな所にいるのだろう?
こんな、明らかに、戦いの最中だって、知らない私でもわかるくらいの場所に。
「良い? まだ慣れないだろうけど頑張って。練習でやった海上走行を思い出して。戦いは私達が引き受ける、あなたはただ全力で生きて帰ることだけ考えなさい」
立った私の肩をギュッと掴まれて。
海上走行って言われてようやくここが海の上だって理解して。
「りょ、了解っ!」
「よし! 良い返事! あぁ、そうだ言い忘れてた」
反射的にだろう、不思議と了解なんて友達とふざけ混じりに使っていた言葉が至極真面目に喉から出て。
「ようこそ戦場へ、歓迎するわ
「――っ!」
わけがわからないまま、今私は戦場にいるんだと言うことだけ理解できた。
海をかき分ける、いや、海を駆けると言ったほうが良いのかな。
足から艤装越しに伝わる感触は悪いものじゃあないけれど。
「――」
少しだけ前を走っている陽炎さんから時折送られる視線に申し訳無さがすごい。
わかる、相当加減して走ってくれていることが。
多分、その気になれば今の倍はスピードが出せるんだろう、自覚は無いのかも知れないけれど、振り返ってくれる度に焦燥感が募っているってわかる。
それもそうだ、陽炎さんの更に先を走っている黒潮さん、だったか。それに最後尾を務めてくれている不知火さん。
私が上手く走れないせいで余計な負担がかかっているってことくらい、ズブの素人である私だって理解できる。
「はぁ……っ! はぁっ!」
それでも精一杯なんだ。
どうすれば早く駆ける事が出来るのかなんてわからない。
むしろこうして転けたりせず走れてることに驚いているんだ。
だってそうでしょう?
大きい波に乗ればすぐ先はちょっとした絶壁だ、再び海に着水する前に感じる一瞬の浮遊感へいちいち嘔気がこみ上げる。
これじゃあ普通に陸地を走っている方がよっぽど速いとすら思えたんだから。
「っ!」
でもそれ以上に周りから伝わってくる……嫌な感じ。
一瞬でも気を抜けば……想像したくない。
さっきからビンビン感じるんだ、ヤバいぞって、頭の中で何かが囁いている。
だから予想は出来ていなかったけれど、多分その何かは確信していた。
「っ!! あかんっ! 陽炎っ! 抜かれてまうっ!!」
「ちぃっ! 大丈夫! 私がなんとかする! 黒潮はそのまま!!」
駄目だ駄目だ駄目だ。
マズイ、それはマズイ、ダメだダメ過ぎる。
身体が自覚なく震える。
いつの間にか手に持っていた砲がカタカタと音を立てている。
怖い。
なんでこんなに怖いんだ。
ここは海だ、そして陽炎さんは艦娘で、きっと私も艦娘だ。
なら出会う敵って言うのは――
「こんのぉっ!!」
ざぱんっ……と、ソレは姿を現した。
同時に陽炎さんの主砲が火を吹いた。
だけど。
「――雪風っ!!」
「っ――ぎ、ぃ――!?」
痛い、痛い痛い痛い!!
何をされた? アイツは何をした?
口みたいな所から覗いた何か。そこから発射されたのは?
「あ、あ……」
「雪風!? 撃――いや、逃げて! ビビってるんじゃない! その場から離れて!! 動いて!!」
あぁ、ムリ。
ムリですって陽炎さん。
これ、怖すぎるし痛すぎる。
ほら、なんだか目の前が暗くなってる。
あれでしょ? 脳が受け取り拒否してるんだ、初めてのはずだけどわかった。
もういっぱいいっぱいなんだ。わけがわからないよ。
でも良い末路なのかも知れない、だって私は――
――雪風は……沈みませんっ!!
あれ? 誰が言ったんだろう?
なんで私の身体は勝手に動いているんだろう?
まぁいっか。
これはきっと夢だ。悪夢だ。
目を覚ませば、変わらない机に光景が待っているはずなんだ。
だから――。
「――っは!?」
今度は、何も感じなかった。
重たいと思える布団に感謝して、見覚えの無い場所に落胆する。
「ここ、は……?」
病院だろうか? あれが現実だとするのなら、私は大概の怪我をしているはずで。
まさに一晩かそこいらの僅かな時間で治療が完了するわけがない。
周りと自分の身体を確認してみれば、既にあの艤装って言うのは身体に纏われていない。
つまり……あぁ、そうだ、あれは夢だった、そうだそうに決まってる。
だから艤装なんて物があるはずはないんだ、そう、これが普通なんだ。
ここが何処かわからないけど、多分あれだ、過労とかそんなんだ、現代学生は色々忙しいんだそうに決まってる。
「よ、よかった……よかったよぅ……」
わけもなく震える身体を抱きしめて。
「あ、れ……?」
抱きしめた腕越しに感じる、膨らみの足りない胸に違和感を覚えた。
こういっちゃ何だが、私はそれなりに良いプロポーションを自認している。
少なくとも、両腕で身体を抱けば、押しつぶされる胸の柔らかさは、こんなもんじゃない。
まさかここにいる理由は胸を萎ませるための手術か何かをしに来たためだろうか。
いやいや、流石に馬鹿らしい。
でも、なんだろう、私は、こんなに小さかっただろうか。
胸だけじゃない、手も、足も。
記憶にある自分の身体からは、随分と巻き戻っている。
成長は遅い方だった私だから、それだけによく分かっている。
「ま、まさか、ね?」
都合よく、いや、悪いのか。
視界の隅に鏡が映った。吸い寄せられるようにベッドから降りて、おぼつかない足を運んで。
「……これ、誰……?」
映る人物に目を曇らせた。
鏡に映った人が誰かわからない。
私じゃないはずだ、いや断じて私では無い。
だって言うのに、鏡の人は私が今浮かべているであろう表情そのままを描いていて。
どうしようもなく、ソレが自分だと訴えかけて、示していて。
「陽炎です、入るわ――って、もう起き上がってるし。大丈夫なの?」
「かげ、ろう……さん?」
あぁ、夢じゃなかった。夢じゃなかったんだ。
物騒な武器の代わりに、なんだろう果物を持っているけれど。
この人がいるっていうことは、紛れもなくさっきの海は本物ってことで。
戦場に立っていた事実に、偽り無かったということだ。
「嘘だ、うそだ……!」
「ちょ、ちょっと!? 雪風!? 一体どうしたの!?」
「違うっ! 雪風じゃない! 私は、私は艦娘なんかじゃない!!」
持っていたのはリンゴ。
近寄ろうとした陽炎さんを振り払ってこぼれたのは赤い果実。
認められない、認めたくない。
私は艦娘になんかなっていない。
「……不知火」
「何かしら?」
「司令に報告、雪風は……ううん、記憶に混乱が見られるって」
「……わかったわ」
地面は冷たい。
両の手のひらから伝わる感触は、冷たく嘘なんかじゃないと伝えてくる。
だけど嫌だ。
艦娘ってことは、またあの場所に行かなければならないってことだ。
怖い。
あんなに痛くて、怖いのに。
また、戦わなければならない。
「自己紹介がまだだったわね」
「……」
自己紹介? 何を言ってるんだこの人は。
そんなもの必要ない、私は帰る、帰らせて。
「陽炎型駆逐艦ネームシップ、陽炎。そしてここでは第一駆逐艦教導隊長、陽炎よ。当面、雪風であるあなたの面倒を見ることになってる」
「私は、私は……」
そんなのどうでもいい。
雪風? 知らない、私はそんな名前じゃない。
「残念だけど、人類で初めて、ようやく見つかった雪風の適性を持つあなたは、きっと解体されることはないと思うわ」
「解体……? 解体されれば、元に、戻れる?」
「受けられたらね。ただ私達は艦娘の適性でもって艦娘になって……戦いを望まれている艦娘。今の所生きるか死ぬか、その二つしか道が無いっていうこと。そして――」
項垂れている私の頭に何かの感触。
それは、とても温かくて柔らかい。
「どうであれ、やっと会えた
そんな中、希望を感じて良いのか、絶望を感じるべきなのかわからない言葉を、陽炎さんは言った。
見えないはずの鏡で、知らない私が今の私とは違う表情を浮かべているって、妙な確信の中で。