「黒潮と不知火は?」
「入渠中だ。本来であれば一刻も早くここを離れなければならないんだがな……ありえないことに、離れる理由が無くなってしまった」
久しぶりだろう、鉄面皮の奥から現れた表情は苦笑い。
養成所近海において深海棲艦の反応は加速的に消えつつある、八丈に集まっていた戦力の一部より援軍が到着し既に掃討段階。
通信環境が回復し、現在護衛退避として雪風も撤退途中との報せが司令官の元に届いたのは、補給を完了させた陽炎が中破姿のまま再出撃しようとしたその時。
「どうして、雪風の出撃を認めたの?」
「認めたわけじゃない、止められなかったのだ。あぁも簡単に命令違反されてしまうとな」
苦笑いの中に含まれた別の何か。
情けないとも思ったのだろう、電波妨害により陽炎と連絡は取れず、戦力未満と見ていた新人に縋るしか出来なかったことを。
報告を受けた時以上の衝撃で、しばらく思考放棄すらしてしまったことを。
陽炎とて最早今の状況は予想の中に無かったし、想定外が過ぎる。
まさか艦娘歴十年に届くかどうかの
「……黒潮と不知火は、おそらくもう戦えまい。艤装、各部機関がダメになっていた」
「そっか……」
今後どうなるのか。
最早陽炎含めて人間に戻ることが叶わないということは既に理解している。
ならば何処かの鎮守府で、提督の補佐でもすることになるのかも知れない。
同時に理解した。
同期が、同じ軌跡を共に歩んできたものがそうなったということは、遅かれ早かれ。いや、もう次に出撃でもあれば、陽炎も同じ道を辿ってしまうだろうことを。
「ただ、貴様を含めて腐らせるには勿体ないという認識が軍上層部にあるだろう。何かしらの方法があるかもしれん」
「ふふ、良いのよ司令、気を使わなくて。本来なら、ここが私達の死に場所だったんだから……命があるだけでも、儲けものよ」
未だ整理しきれない思考の中であってもそう思う。
これから待っているのは生き恥と言える余生だとしても、何か出来ることはあるはずだと。
少なくとも、生に執着することが悪いことではないと、今更思えるようになったのは雪風のおかげだろう。
戦場で華々しく命を燃やす、散り際は潔く。
いつの間にか当たり前となっていたそれが、ただの諦観であったのかもしれないなんて。
「それで……これからどうなりそう?」
「まだ各部と話をしたわけではない故あくまでも予想だが――」
前置きの上で司令は言葉を続ける。
今回の件で八丈、ひいては第一駆逐艦養成所近海での緊張感が高まった。
流石にいつ警戒状態へ巻き込まれるかわからなくなった場所で養成所を稼働するのは難しい、一時的か当面か、別所を利用して養成は進められるだろうと。
「……雪風は?」
「正直不透明だ。もしかするのなら、最前線とは言わずとも前線に配属される可能性もある。個人的には、奴だからこそしっかりと養成を進めたいと思っているのだがな」
思っても見なかった、という言葉が当てはまるだろう今回雪風があげた功績は。
フォーナインの実戦配備をと息巻いていた者達にすれば値千金とも言える結果であり、慎重論を唱えて居た者達にとっても同じく無駄遣いにしないためと唱える理由になる。
雪風の処遇に関しては恐らく決定まである程度の時間を要することになるだろう、命令違反に関しての処罰は有耶無耶に。
「意見を言って良いのなら――」
「聞こう」
「――慎重に養成を続けるべきでしょうね」
陽炎、養成監督として言うのなら。
今回の戦果に照らし合わせるだけならば教習課程は全て完了したと言ってもいいだろう、課程あがりたての新人でさえあげられないほどの功績であり戦果だ。
しかしその内実、陽炎の中にある雪風に対して何もしていないという感覚。
「叶うのであれば、私は今後雪風専属の教官になりたい」
最早雪風は特別という枠を超えている。
他の艦娘と同じことをしてもそれは害にしかならないだろう、その確信がある。
一番近い位置で、誰よりも先に雪風を守り、導く存在が必要で、そんな存在になりたいと陽炎は目の奥に決意を漲らせた。
「わかった。最大限尊重することを約束する。報告書に一文を添えておいてくれ」
「了解……ありがとう、司令」
この人がこう言ったのなら叶うだろう。
司令と陽炎、それは双方の感覚。
「さて、小さな救世主のご帰還だ」
揃って窓の外を見れば、遠くに見える艦娘の姿。
「迎えて、一緒に入渠していいのよね?」
「無論だ。こちらのことは心配するな」
外を眺め続ける司令に向かって敬礼を一つ。
そのまま向かっただろう陽炎に視線を返せず、見続ける景色に。
「……やれやれ、本当に。今期の新人は」
雪風が着いた波止場、そこに向かって一直線に。
陽炎でも、黒潮でも不知火でもない小さな影が映ったことへ、微笑みながら頭を抱えた。
「起きなさいっ!!」
「へぶっ!?」
入渠も終わり、雪風自室のベッド上。
先程の戦闘からは想像もできないほど穏やかな顔で眠る雪風に対して。いや、眠りこける図太いのか怠け者なのかわからない存在に対してついに霞の堪忍袋の緒が切れた。
「へぅっ!? お、お花畑は!? おばあちゃん!?」
「なぁに言ってるのよこのクズっ! 命令ぶっちぎりのおバカっ! ちゃっちゃと目を覚ましなさいっ!」
起きたてほやほやの雪風はまったく現状を把握できていない。
何事かと忙しなく視線を巡らせるて、ようやく目端に涙の跡が残っている霞の存在へと気がついた。
「え、えと、霞、さん?」
「ええそうよ霞よっ! 急に護送船から飛び出てどっかいった誰かさんを心配して胃痛に悩んだ霞さんですよっ!」
何を怒っているのだろうかと一瞬首をかしげる雪風ではあるが、段々意識が鮮明になっていくと共に顔を青ざめる。
命令違反になるんだなーとか、思考や視界が狭かったなーだとか。
「ごめんなさい、心配、かけちゃいました」
誰かに心配かけてしまったとか。
「し、心配なんかしてないしっ! 私は同期の有能なくせに落ちこぼれなクズにムカついてるだけだしっ!」
「あははー申し訳ありません」
おおよそ霞という艦娘に慣れ始めた雪風の表情はどことなく嬉しそうで。
こっそり生きて帰ってこれたという事実を噛み締めている。
「……霞さん」
「あによっ!」
ただ言っておかなければならないことがあった。
謝罪の言葉でも、感謝の言葉でもなく。
どうしようもなく譲れない決意の下に。
「私、やっぱり遺書は書きません。これからも、ずっと」
「……そ」
生き抜く。
艦娘としてでも、戦うものとしてでもなく。
ただただこの世界に存在する唯一の命として。
「もう文句も言えないわよ……ったく、そうね。あんたはそれで、良いのかもね」
「――はい」
あの護送船から飛び出す前の雪風が持っていなかった瞳の奥にあるもの。
それを見た霞は納得せざるを得なかった、いや、認めてしまった。
雪風は、どうしようもなく戦いに向いていない人間だけど。
少なくともここにいる誰よりも戦える人だと。
「まったく、外までもろ聞こえよ? 霞も、怪我人相手に大声出さないの」
「か、陽炎教官っ!?」
「はい教官です。……あぁ、敬礼は良いって二人共」
部屋へ入ってきたのは陽炎。
慌てて敬礼を取ろうとした霞へ一目、なんとか続こうとした雪風を思いやって。
「雪風……よく、よく戻ってきてくれたわ」
「陽炎さん……はい、雪風、生還しました」
霞がいる前でなければ、泣いていたかも知れない陽炎。
こうして守るべきはずの者に救われてしまった情けなさ、どうあがいても失われてしまうだろう希望が帰ってきてくれた喜び。
胸中は、この上なく複雑で。
気を緩めてしまえば、下げてしまいそうな頭を堪える。
「とりあえず、雪風の命令違反はお目溢し。霞の命令違反は後で私のお説教ね」
「う……」
小さく呻く霞へと苦笑いを一つ陽炎は浮かべて。
「今後について話すわ。まだ細部まで決まってはいないけれどね」
「はい」
自然と気をつけの姿勢をとった霞へ楽にして頂戴と言った後、陽炎と雪風が入渠中に決まったことを口にする。
「まず今期の新人教導は場所を変えて継続。流石に緊張感の高まったここでは厳しいからね、少し西へ行って東海……佐久島の第三駆逐艦養成所を間借りすることになったわ。既にあんた達以外の艦娘は陸路で向かう手筈でその道中よ」
霞の眉がピクリと動く。
第三駆逐艦養成所は、所謂バイト艦の短期養成所だ。栄光あると言えば大げさではあるが、第一養成所に入れた霞からすれば少し抵抗感のある場所とも言える。
「まぁ気持ちはわからないでもないわ。でも安心、かどうかはわからないけど雪風と霞は少し違う」
「違う、ですか?」
正直な所雪風はこの手のことに対して無知だ。
あーここに居られなくなるんだなぁ程度にしか思っていない。
「話がまとまれば正式な辞令が出るけど先に伝える。雪風、霞の両名は佐久島輸送基地、その輸送艦隊へ配属。養成を受けると共に、輸送任務にも従事してもらう」
「っ!」
軍上層部、雪風に対する積極派と慎重派、その折衷案がこれだった。
養成途中である雪風、霞の教練を続けながら駆逐艦の一つである輸送作戦の経験も積む。
積極派にしてみれば様々な分野で雪風を使えるようになる為の一手でもあったし、慎重派にしてみればさらなる教練を受けさせる為の一手。
各地前線で戦うほどではないが、輸送作戦とてそれなりに危険は伴う。
安全なルートの確立はすでに済んでいるが、それでも完全に会敵の可能性が無くなったわけではない。
後方任務へ従事している戦えない艦娘達を守る護衛戦が発生することもあるだろう。
陽炎にしても、雪風に足りていないものを補うには良い采配だと思っている。
体力、精神力、もちろんその他諸々。
一番頭を捻ったのは霞の扱い方。
他の同期達と一緒に養成を受けるのは腐らせるに等しいし、雪風と共に戦えるかと言えばまだ足りていない。
伸び代を考えるなら十分ではあったが、それでもである。
「安心しなさい。雪風、霞の教導は引き続き私が請け負うから」
「……安心できる材料が何一つないんですがそれは」
「あん?」
「な、なんでもないです」
雪風に睨みをいれつつも陽炎はこれが最善だろうと考える。
黒潮、不知火に関しても佐久島で裏方に回る手筈になっている。戦えなくなったにしても出来ることはあると前向きに考えられる二人に陽炎がまた泣きそうになっていたのは秘密の話。
主に陽炎へのバックアップとも言える配置で、話を上手く回してくれたのだろう司令への感謝もある。
「陽炎教官」
「何?」
「私は、本当に雪風と一緒にいて良いんでしょうか」
真っ直ぐに陽炎の目を見て話す霞。
戸惑いがあるわけではない、ただ一つあったのは高貴高潔な信念。
おこぼれに甘んじたくない。
「……安心して。別に都合よく使ったつもりはない。あなただからこそでた話で決定よ」
「そう、ですか」
瞑目した霞、今の言葉をどう心で処理するのか。
事実として霞が嫌だと感じる理由が無かったわけではない。
雪風を大事にしたいからこそ、比較的というより唯一親交のある存在をつけたという考えが軍部にはある。
ただ陽炎自身にその考えは無かった。
今はまだただの原石に等しい霞ではあるが、雪風に負けず劣らない輝きを放つだろうと確信がある。
「小難しい話をしてしまったけれど、改めて。今回の作戦、よくやってくれたわ。これからも一緒に、頑張りましょう」
「はい」
そう言って陽炎は柔らかい笑みを浮かべた後、部屋を後にした。
残された霞は未だ何かを考えているようで。
「霞さん」
「ん、何?」
何となくではあるし、願望でもあるのだろう。
「これからも、よろしくおねがいしますね!」
「……ええ、まぁ、よろしくしてあげないこともないわ」
初めての戦友で、これからずっと続く友達候補と握手で結んだ。
第一部完!
今後の投稿に興味頂ける方は活動報告をアップするのでお手数ですがご一読頂ければ幸いです。