孤島ならではなのかはわからないけど、朝の空気はとても澄んでいる。
「おはよ」
「はい、おはようございます、霞さん」
澄んだ空気を肺一杯に吸い込みながら、準備運動を開始して。
そう、佐久島での生活が始まって少し。私は毎朝の自主トレとしてランニングを始めた。
戦える人になりたいと決めた心はそのままに、そうなるために必要だと思ったからやっている。
我ながら単純と言うかちょろいなと思ったりもするのだけれど、元々運動は嫌いじゃなかっただけに悪くないなんて思ってしまって。
「よし。じゃ、行くわよ」
「はい、お願いします」
悪くないと思っていた所に手伝いの申し出を霞さんから貰ったから最高に変わってしまった。
やっぱり友達と一緒に努力するっていうのは良いものなのよ。
教官からも指摘された基本的な体力の無さ。
霞さんは艦娘になるために努力して身につけた体力に対して、私はあくまでも一般人としての範疇でそれなりに優れた体力を持っている。
その差はこうして自主トレを始めてから実感として理解できた。
「雪風、顔はまっすぐ」
「はい……!」
佐久島の面積は1.73平方キロメートル。海岸線の長さは約11.6キロ。
霞さんはその気になれば島一周出来るなんて言っていたけれど、真偽の程は定かじゃない。
定かじゃないけれど霞さんは良く言って優秀なトレーナーだった、悪く言えば鬼……は陽炎さんだから小鬼でいいか、体力気力の磨き方を徹底的に仕込んでくる。
さっきの顔をあげろって言葉もそう、少しでもフォームが崩れだしてくると容赦なくダメ出しが飛んできた。
足幅は一定、太ももを上げろ、俯くな、猫背になるな、腕を振れ。
まぁまぁよく言われた言葉はそんなものだけど、本当に容赦がない。
「よし、気張りなさいよ!」
「は、い……っ!」
そして何のタイミングか身体が温まってきた頃、不規則に始まる十秒全力疾走。
終われば一分元のスピードで走って、また十秒全力で走って。
「っく、はぁ……はぁ……!」
「ふぅん、だいぶマシになってきたじゃない」
なんてちょっと腹の立つ顔で言われるけど、文句を言い返せる程余裕はない。
霞さん曰く飽きないための工夫、らしいけど、私にしてみれば殺しに来てるよねってなもんだ。
一緒にやり始めた時にこれをやられて、後の訓練で倒れ伏していた私の気持ちがわかる? 気が抜けてるって余計に陽炎さんから扱かれるし、たまったもんじゃない。
たまったもんじゃなかった、のだけど。
「折返しね。雪風、帰りは八割走で行くわよ」
「はぁ、はぁ……!」
返事が出来ないので頷きで了解を示す。
霞さんの基礎トレはめちゃくちゃ効果的だった。
足というか身体全体的に、養成所にいたときよりも遥かにナイスバディとなれたと思う。いやもちろん戦える人的な意味で。
思わず人間に戻れた時も継続しようなんて思えるほどにはすごくて、体作りというか体力作りは順調に進んでいると確信できた。
「はい、顎」
「っく……!」
それでもこうして隣で余裕な顔を見せられると腹が立つのだけどね、覚えてろー。
「あ、あはは。お疲れ様です」
「……うー睦月ちゃあん、私もう駄目かもしれないよぅ」
食堂のテーブルに突っ伏しながら愚痴る相手は睦月ちゃん。
最初の打ち合わせが終わった後、私と霞さんの部屋を案内してくれたり設備の説明をしてくれた人。
「でも、駄目かもって言う割には食べるんですね」
「食べなきゃやってられないもん……それにカツ丼美味しいし」
そうよ、食べなきゃやってられない。あぁ、カツ丼様おいひぃよぅ……これが私の癒やし、私の命。
「なぁに言ってるのよ。食い意地張ってるだけでしょ」
「ちーがーいーまーすー。霞さんに砕かれた心の入渠作業ですぅ」
呆れちゃってますけどねぇ! わざわざ最後の追い込みとか言ってねぇ! 残り百メートルは勝負とか言ってねぇ! 勝てるわけないでしょ!!
まったく度し難い、度し難いよ霞さんは! 良いもん良いもん、海上訓練でドヤ顔仕返してやるもん。
「でもでも、やっぱりお二人は優秀なんですね。今でもすごくすごいのに、まだ足りないって努力できるなんて」
「何言ってんのよ、まだまだこれからよ。それにアンタだっていつでも来てくれて良いんだからね。適性値が泣いてるわよ?」
そうなのよねぇ、睦月ちゃん。
何気に70%超えとかなり高い適性値だったりする。
それにもう艦娘歴三年目の言ってしまえば中堅さんだ、既に従事してる輸送任務との兼ね合いだろうか一緒に訓練したりしていないからわからないけど、やっぱりすごいんだろうな。
「そう、なんですけどねぇ……あはは、私はやっぱり良いです。お二人の邪魔になっちゃいますから」
「そ……まぁ、いいけど」
「うわーん睦月ちゃんも一緒にやりましょうよぅ! 犠牲者一人は寂しいですよぅ!」
なんておちゃらけては見るんだけど、なんだろうな睦月ちゃん。
先輩なんだしもっとこう、先輩風を吹かせるというか、そんな腰低く接してこなくてもいいのに。
多分こういう性格、地ってわけでもないんだろうなんて感じるし。
「まぁまぁ……ほら、もうすぐ時間ですよ? 片付けは私がしますから、お二人は早く食べて準備しないといけにゃ……いけません」
「うー……睦月ちゃんまで私を死地に向かわせようとさせるー。呪ってやるー」
「バカ言ってんじゃないの。悪いわね、睦月、さん」
「さん付けはいりませんよ。霞さん」
そうなのよね。私達にしてももっと先輩を敬うというか、そうするべきなんだろうけど本人が物凄く嫌がった。
自分は相手を敬う体をとっているくせに、自分に対しては向けるなって。険しいと言うか、硬い表情で言われちゃったんだ。
今にしても距離感を掴み兼ねている霞さんに対してすっぱり言ったし。
なんと言うか闇を感じるわ……ふふふ、怖い。
「えと、それじゃ、ごめんね睦月ちゃん。お願いして大丈夫、ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。いってらっしゃい」
毎度こんな感じで、見送られる。
言葉に甘えている私達も私達だけど、なんていうか妙な迫力があって。
「ねぇ、雪風」
「はい? ってあー……睦月ちゃんですか?」
食堂から出て、声に振り向けば考え込んでる霞さん。
「なんで私、あの子のこと嫌いになれないんだろう」
「いやまたすごいこと言いますね?」
最早ここまで来ると霞語なんて言って良いのかも知れないねほんと。語録作りでも始めようかな?
それは良いとして。
「まぁ……そうですね、霞さんが嫌いそうなタイプ、ではありますか」
そう言ってみると小さく頷かれる。
今日に至るまでで結構霞さんはやらかし、ではないけどまぁまぁ騒動を起こしている。
バイト艦娘さん達と食事が一緒になった時には、きゃあきゃあ談笑しながらご飯を食べてたのに対して怒鳴ってたし。
同期達との合同訓練の時は、何だかわからないけど謝罪してきた皆を完全スルーしていたし。
同期の皆と何かあったのかはわからない。
けどまぁバイト艦娘達に腹を立てた気持ちは理解できる。
まぁなんだ、言ってしまえばめちゃくちゃ軽い子達だったから。
私としてはいずれまたあぁなりたいと思ってる存在でもあったから別にどうってことは無いのだけれど、色々必死に努力してる霞さんにしては癪に障る存在だろう。
「気に食わないはずなのよね。適性値にしてもそうだけど、あんなにも消極的で、なよなよしてて」
「それでも嫌いになりきれないのは……私達を見る目、ですよね?」
憧憬、だろうか。
自分も艦娘のはずなのに、決して私達のような人にはなれないと諦めているような。それであっても、そうなりたいと隠しきれないような。
「ええ。嫌うより先に、自分を律してしまうわ。わかんないけど、あの子の前で情けない姿を見せてはいけないって」
「私もです……ってあぁ! 止めてくださいそんな目で見ないで!? さっきまで無茶苦茶だらけてたじゃないみたいな!」
そんな私だけど霞さんと同じく、そう思ってしまうところはある。
戦える人として、その姿勢を見せ続けなければならない、海へと挑む意志を隠してはいけないなんて。
とりあえず。
「もう知りません! 霞さんのせいで合同訓練もなくなっちゃったし! この後いっぱいいじめますから!」
「あちょっ!? ふ、ふんっ! 望むところよ! 今日こそ一発くれてやるんだから! ガンガン行くわよっ!」
八つ当たりはしっかりしましょうねっと。
「うー……」
ふはは、勝った。勝ってやりましたよこんちくしょう。
「霞さんはまだ砲撃前後の動きが甘いですね、狙うために速度を落としてたら駄目ですよ」
「雪風、それ私の台詞だから、あんまり調子に乗らない」
はいすいませんつい。
「でもまぁその通りって言えばその通り、霞はまだ一々不安を行動に乗せてる。砲撃する時に転けてしまうかも知れないなんて考えるものじゃないわ。それだったら何も考えないほうがマシよ」
「うぐぐ……はい。分かっては、います」
そういう意味では私が異質過ぎるんだろうなんても思う。自惚れという意味ではなく。
私にしてもどうすれば砲撃しながら、魚雷を撃ちながら綺麗に走るためにはどうしたらいいかなんてことに答えられない。
最初から出来ていたから、どうクリアしたのかって実感がないから答えられない。
言ってしまえば出来て当たり前なんだ。自然に出来てしまう。
雪風は適性値の問題が大きいと言っていたけれどそれだけじゃないだろう。
「雪風に一刻も早く追いつきたいって気持ちはわかるし必要なことよ。少し突っ込んだことを言えば、それが出来なきゃ雪風と同じ道は歩けない」
「っ……! もう一本、お願いします!」
「……雪風」
「はい、私は大丈夫です」
そう言って再び距離をあける。
そう、今やっているのは単艦演習。かつて私が不知火さん相手にしたような。
合同訓練がおじゃんになって、これからも出来ないと見越されて。
霞さんのせいとは言ったけど、正直それが大きな理由ではない。
「はじめっ!」
「こんのぉおおお!!」
「……」
上から見ているようで気分はよくないのだけど。
霞さんも、恐らく新人の中ではかなりのレベルなんだと思う。
はっきり言おう、もう同期たち相手じゃ、練習相手にもならない。
霞さんだから、私とこうやり合えている。私が、霞さんの練習相手になれている。
私からすれば……いや、そこまで驕りたくはない。
「甘い、です」
「っつぅ!?」
霞さんの砲撃終わりに合わせて、砲撃を撃ち返し、回避運動の先にも一つ。
避けるまでもなく霞さんの砲撃は当たらないって分かっていたし、思うがまま、自由に動いて霞さんへと詰めろをかける。
理由は、わからない。
少なくとも霞さんは同期達より少し上ってだけだったはずだ。なのにどうしてこんなに差がついたんだろう。
かつて、私は嫉妬というかそんな目で見られていたけれど、その奥には何としてでも超えてやるなんて意地の炎が見えたのに。
どうして彼女たちの目から、それが消えてしまったんだろう。
「まだ、まだぁああ!!」
「破れかぶれの突撃は……そう、ダメダメですって」
かけた詰めろの魚雷はしっかり霞さんにあたる。
これで、何勝目か。数えていないからわからない。
「っつぅ! まだ、まだ! もう一本!」
「雪風」
「はい、大丈夫です」
何より陽炎教官から言われている。海上訓練は主に霞のためだって。
構わない、私は霞さんがこれでも好きだから。彼女のためになるなら粉骨砕身なんのそのってもんだ。
それはかつて同期の皆に思えていたはずなのに。もう、今はきっと思えない。
「戦える人、か」
思わず呟いてしまったその言葉。
霞さんや睦月ちゃん、それに同期たち。
何となく、決めたばかりの覚悟がこの島では何よりも大事なものではないかなんて思ってしまった一日だった。