これは黒潮の分野だ。そう、不知火は匙を投げそうになる。
陽炎をバックアップするためとして同じく佐久島へ、事務方として着任した不知火と黒潮。
黒潮は提督補佐に従事する事に胸を撫でおろしたのは記憶に新しい。
出来る出来ないで言えば出来るが、進んでやりたいと思わない程度には苦手。それが提督補佐、ひいては書類仕事の不知火だから。
押し付けたわけではなく相談して。そうして黒潮はいわゆる秘書艦へ、不知火は
納得はしている。しているが今、やはり後悔というものは先に立たないらしいと頭を抱えている。
「不知火ちゃんってすっごくすごいんですよね!」
「え、まじ? 戦艦とか一発で倒せちゃったり?」
「うわそれはすっごくすごいね」
「いえあの、私は自分へ自信を持ってはいますが流石に駆逐艦として――」
「出来ないってこと? なーんだ、そうなんだー」
「――」
所謂一般人、民間人とこうして直接コミュニケーションを取る機会がなくなって久しい不知火。
たとえば観覧会だったり、公開演習だったり。
そういった軍人の自分を挟んだ交流はあったが、こうも直接的な交流は本当に久しぶりなのだ。
不知火とて理解している、彼女たちに軍人然を求める事は間違っていると。
こうして砕けた空気を律しようとするなんてとんでもない、どちらかと言うのであれば自分からこの空気へと馴染まなければならない。
たとえちゃん付けで呼ばれようが、駆逐艦と戦艦の違いを理解していない相手であろうが、である。
「ねーぬいぬいー」
「ぬいぬい!? あ、あの。念のために確認しますが、ぬいぬいとは私の事でしょうか?」
「他に誰がいるのさ。次の輸送っていつだっけ?」
「ぬいぬい……あぁ、いえ、次はですね――」
何より佐久島へと着任するにあたり、今不知火の階級はバイト艦娘のものたちより低い。
事務方として着任するための階級はどれだけ高くてもバイトであろうが艦娘よりも低い階級になってしまう。
それを黒潮曰くまじめちゃんの不知火が守らないわけはない、一時的にではあるが上司に向かってなんだかんだ咎めたりは出来ないしするつもりもないのだ。
不快だと思う気持ちは一握りありもするが、それは黒潮も昔はこうだったなとバイト達の姿を通して思い出しての話。彼女たちに対しての苛立ちはないし、よしんば抱いたとしてもそれを表に出すようなことはない。
ただどれほど戦うことが上達しても、下手で苦手なものはあるんだなと思ったりしつつ、折角の機会だから克服しようなんて思う不知火であった。
対してバイト艦娘は不知火の存在に感謝していた。
バイト艦娘がここで過ごす上での環境的システムが悪いというわけではなかったが、こうして自分たちをまとめてくれる人がいるというだけでありがたい。
ましてや現役バリバリの正規艦娘。彼女たちは不知火や陽炎、黒潮の艤装老朽化について詳しい事は知らない、ただ改装を予定していてそれまで戦うのが難しく腐らせるのももったいないから程度にしか知らされていない。
直属の上司と言えば五十鈴になるのだろうが、良好な関係を築けているとは言えないからこそ余計に。
いや、ここで過ごす分だけを見れば何の問題もない関係であるとは言える。別段五十鈴から邪険にされたわけでもなければ、雑な扱いをされたわけでもないのだから。
不知火と五十鈴の違いは本当に少し。日常で何でもない事を聞けるかどうかの違いだった。
小さい事で言えば備品購入出来るものと出来ないものを聞くことだったり、なんなら自分がなった艦娘は軍艦だったころどんな艦だったのかなんて雑談のようなもの。
民間人の体を崩さなくともやはりここは軍事施設で、戦いへの不安もあれば艦娘になったという事に対しての不安だってある。
五十鈴であろうと、不知火であろうとそういった相談へきっと真面目に乗ってくれるだろうとは思っている。
しかし五十鈴にはどうしても一歩踏み込んで聞けないのだ、聞いた瞬間冷たい目を向けられる様な気がしてしまう。
それは自分がバイトだからだとか、忙しそうな軍人の人を邪魔してはいけないなんて言う遠慮だとかそういう気持ちからでもあるが、それでも五十鈴には特に遠慮してしまう。
不満はない。でももう少し居心地が良ければな、なんて思っていた頃にやってきた不知火はある意味彼女たちにとって救いの手だった。
「えー呉まで行くのー? ちょっと遠くない?」
「確かに少し遠いですね。ですけど皆さんのこれまでの仕事ぶりから見るに適任だと思いますし、皆さんだからこそのお仕事だと思います」
「そ、そっかぁ! だったらもー仕方ないなぁ! ぬいぬいにそこまで言われちゃうとなー!」
「ぬ、ぬいぬい……」
不知火からすれば単なる苦手克服の一環ではあったのだが、彼女たちにしてみれば自分より階級が下の存在も、ここまで親身になってくれる存在も初めてだった。
思い返せば最初の挨拶からもそうだ、自分たちの為に一生懸命頑張るなんて言ってくれた時は耳を疑ったもので。
そしてその言葉通り不知火は一生懸命だった。積極的に何か困っている事はないかと聞き回ったし、わずか一か月でいろいろな事を知れた。
軍人としてのいろはを教えられた自分たちではないけれど、感謝しているんだ、慕っているんだと不知火に知って欲しいと思うくらいには。
「あ、そうです。その呉までの輸送任務は皆さんに護衛がつきますよ」
「護衛?」
「はい、雪風と霞……二人を五十鈴さんが指揮しながら皆さんを守るためにつきます。護衛とはいっても危険路を通るわけでもないので、どちらかというと二人の護衛練習という意味が強いです」
聞きなれない護衛という言葉に首をかしげるバイト達ではあるが、後に続いたいつもと基本的に変わらないという言葉で安堵した。
何と言う事はない、いつも通り資材を運ぶだけなんだと。
「五十鈴さんがそっちにつくってことは……あれ? 私たちの指揮は?」
「はい。睦月さんが執ります」
なるほどと頷きながら。同時にそう言えば睦月と一緒に輸送の仕事はしたけれど、指揮は受けたことがないなと気づく。
「えぇっと、こういったらなんだけど……睦月さんって指揮できるの?」
「私もそう彼女について詳しいわけではありませんが……司令より問題ないとの返事は頂いています。私としても正規の艦娘として三年目の人が輸送任務の指揮すら執れないとは思えませんし」
「そっかーぬいぬいがそう言うなら大丈夫だよね」
「ぬいぬい……」
安心したように顔を綻ばせるバイト達。
いつもと違う形ではあるけれど、やる事は同じ。
それに不知火もこういってるんだしと深く考えることを止めて。
「わかった! じゃ、ぬいぬい! 甘味行きましょうか!」
「え、いやその、私はこれから……ってその!? あー……」
今日こそはこの鉄面皮の笑顔を見てやると息巻いた二人に両腕を取られ、不知火は甘味屋へとバイト達と共に姿を消した。
黒潮の感想は中々に悪くない場所というもの。
「ほい、今回の輸送報告書ですわ。相変わらず被害はなしな上に消費資材も少ない、完璧言うええ内容でしたわ」
「おーありがとさん。黒潮が来てくれてから助かるよ、後はその微妙な敬語さえやめてくれたら最高なんだけどな」
敬語云々はともかく、黒潮は提督の言葉をどうしても謙遜と受け取ってしまう。
「なに言うてますねん。別にうちなぁんも手伝ってませんわ」
「いやいや、そんなことないって。書類の整理にしても目の保養にしても随分助かってるさ」
軟派な言葉を黒潮に言う三十には届いていないだろう若い雇われ提督。
見た目や言動とは裏腹に、少なくとも実務に関しては相当に優秀だった。
少し考えればわかる事でもあったのだ、それなりの規模を有する第三駆逐艦養成所、佐久島泊地。それを提督一人で稼働させているという実態にしてもそうだが。
確かに五十鈴を筆頭として艦娘の協力は必要だろう、それでも艦娘が知っていい範囲は提督のそれに比べて遥かに少ない。
そういった面だけ考えても優秀であるという証左だったし、実際に一か月こうして秘書艦として働いてわかる事もある。
そしてその全てが黒潮に教えていた、この提督は見た目通りの人間ではなく、侮ってはいけない存在だと。
「……はぁ、やめてくれそういう目で見るのは」
「あー、申し訳ないですわ。せやけどまぁ、こういう目にもなってまいますって」
秘書艦業務を五十鈴から引き継いだ際にもらった情報が殆どあてにならない。バイトのご機嫌伺いばかりに執心してるだとか、やる気がなさそうだとか。
多少身構えていたつもりではあったのだ、しかし実際は違った。
五十鈴の目を疑うつもりはない、ただ五十鈴の目では気づけない多くの事があったのだろう。黒潮自身、中途半端な今の立ち位置だからこそ気づけたとも思っている。
「いやほんとにさ、どうしてここなんだ? キミくらい優秀なら、事務艦としてでも引く手数多だったろうに」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですわ。せやけど、一線から完全に退いたつもりもあらへんので」
苦笑いを浮かべている提督を見てふと思う。
「それに優秀っちゅう話なら、うちの台詞ですわ。司令はんやったら正味軍に入っても、民間の企業でもそれこそ引く手数多やったんちゃいますか?」
「俺を優秀だと言うのはキミくらいなもんだって、こりゃ脈アリってやつか?」
はぐらかされたのだろう黒潮は思う。
その内容が話してはいけない事なのか、それとも話したくない事なのかは判断できないが。
故に一つ。
「そうやねぇ、ほんなら賭けでもしましょか」
「賭け? 賞品次第じゃ――」
「うちなんてどないです?」
探りではないが、仕掛ける。
危ない橋かもしれないが、黒潮の勘はこれをきな臭い物ではないと言っていた。
これは、踏み込むところだと。
「――本気か?」
「うちが今まで何回自分を賭けたと思ってますん。ここは、行くとこやろ」
訪れる沈黙。
おそらく提督はここに着任してから浮かべた事のないだろう真剣な表情を浮かべて、黒潮はいつもと変わらない顔のまま。
乗るか、反るか。
沈黙の中交差する思惑。
「降参」
「ほ?」
「対価を用意できねぇよ、黒潮に見合うもんなんてないだろう。これじゃ賭けは成立出来ねぇから俺の負けで良い」
本当に降参だと両手を上げた提督。
「まぁ心配してるような……狂信者の一人だとか、大本営のうんたらとかそういうんはねぇよ、安心してくれ」
「なんや、そら残念」
残念と言いながらも、この提督が多くの事を知っている存在で、かなり優秀であることはこれで確定出来た。
思えば輸送航路の安全が確保されていることもそうだ。
ありえないのだ、それは深海棲艦の出現を完璧に予想しているということだ、そんなことが出来る存在が居るのならこの戦争はとっくに終わっている。
つまりこの提督は少しずつかもしれないが完璧に近い安全な輸送航路を確立させたのだ、それも従事するバイト艦娘に被害を出さず。
人間的にどうかはまだわからない、だが優秀なのだこの提督は。
「あんまり買いかぶってくれるなよ黒潮。確かになんだ、ガワについてはうまい事出来たと思う。けどここにある問題はまるっきり解決していないんだから」
「問題?」
問題とはなんだろうかと黒潮は考える。
あえて言うのであれば人間関係というか艦娘関係だろうか、確かに五十鈴とは上手く関係を築けていないとは思っているが。
「軍人と民間人で意識っつーのかな、その差は大きいし交わる事はねぇんだろうな。守るもの、守られるものの違いってのはそういうもんなんだろう。そいでまた、民間人が弱い存在で、軍人が強い存在ってのも事実だ」
「……よぅ、わからへん。司令はんは、何を問題と思っとるんや?」
「だから俺みてぇな奴がここに居るって話だよ。差を埋めることは出来ねぇ、だが橋渡しする事は出来る。色んなことを知ってるのは、知るということを必要に迫られたからだ。俺が優秀ってわけじゃねぇ」
黒潮を見て、黒潮に向けてじゃないだろう言葉を紡いでいる提督。
「ただアンタ達が来てくれたおかげで、一つの問題は解決できそうだ」
「……それは、何やろか?」
不意に視線が戻ってきたことに驚きながらも聞き返す黒潮。
「睦月」
「睦月はん?」
挙げられた名前。睦月型駆逐艦のネームシップであり、ここにもとからいる二人の正規艦娘の一人。
資料を見るに適正値を含めてそれなりに噂となっていてもおかしくないはずなのに、全く聞いたことのない存在。
「知らねぇだろうし、もう止まらない予定になったから言うけどよ。あいつ、主砲が撃てねぇんだ」
「はぁっ!?」
思わず大きな声が出てしまう。
主砲が撃てない。それは駆逐艦という括りだけではない、艦娘として致命的。
「な、なんで……! いやちゃう! 止まらない予定って、呉遠征のことか!? なんでや! 一体司令はんは何を――」
「俺がここに居る目的を知りたいんだろ? それならまぁ見ててくれ、読みじゃ……これで解決できるから」
そういって提督は、ようやく見せた素顔らしい笑みを浮かべたのだった。