「ひぃ、ふぅ……」
お札を数えているわけではなく、今やってるのはランニング。陽炎教官が言っていた基礎体力訓練。走りすぎてもう泣きそう。
あぁ、先を走っている霞さんの視線が痛い、痛いのよ。
見直すのは早かったかしら? なんて軽く失望混じりなんですよ。
せっかくちょっといい感じに打ち解けられた、こうなってから初めての友達候補だわぁいなんて喜んだって言うのにぃ……。
足元がおぼつかない。さっきから一歩踏み出すごとに膝が笑って倒れそうだ。
言い訳をさせてもらいたいのだけれど、これは別に私の体力がないとかそんなんじゃない。
むしろそれなりに運動は得意な方だ、一般人って括りの中では。単純に軍人としてみたらお粗末なだけで。
「ちょっと、大丈夫?」
「はひ、ら、らいじょーぶ、れす」
あれ? さっきちょっと前にいたのになぁ? こっちに寄ってきてくれたわけじゃないよねこれ、周回遅れにされただけだよね、何回目だっけ?
と言うか霞さんだけじゃなくて他の人も体力あるね、まだまだ余裕そうだ。
「ちゃんとペース維持しなさいな。何周だって決まってないんだから」
「うぅ……」
そう、そうなのだ。
このランニングは何周すれば終わりと決まっているわけではない。
限に私が今何周したかはもう覚えていないけれど、霞さんはすでに私より何周も多く周回しているのに終了の気配はない。
要するにあそこで目を光らせている陽炎教官が終わりと宣言しなければずっと走りっぱなし。
「こらそこぉ!」
「う……ったく、頑張りなさいよ?」
「ら、らいじょーぶれすから、ゆ、ゆきかぜは、しずみませぇん……おさき、どーぞーぅ」
霞さんはやさしーなー! 陽炎教官? 鬼ですよ鬼。
あなたを沈めない。なんて言ってたのにさぁ! 沈んじゃいますよまったくもう!
と言うかこの訓練はなんなのよ、いじめなの? 気合いだなんだの精神論は時代遅れですよ?
いやまぁ、頷けるというかわかる。
実際、先の単艦演習。終了と同時にへたり込んだ私に対して不知火教官は息一つ乱していなかった。
海上を走るってのにもそれなりにフィジカルを要するし、メンタル強化も必要だとわかる。艤装によって心身は強化されないのだから。
たとえるならアイススケートに近い。
氷上を滑るためにスケート靴を履けば、地面を走るよりもスピードが出るし慣れてしまえば楽に移動できる。
その状態を維持するために体力や技術、あるいは精神が必要で、今私が走っているのもそれを磨くためなんだろう。
そんな風に理解は出来る、出来るんだ。
たとえたアイススケートの選手だって、きっとこんな訓練というか練習を積み重ねてるんだろう。
もうオリンピックは無くなってしまったけれど、かつて晴れ舞台を目指した選手達は、きっと。
けれどそういう舞台がなくなった今、選手たちはどうしているんだろう。
今の私のように、目標がないからと練習に熱を入れられず燻っているのだろうか。
それとも、また私のように、やれと、やらなくてはならないからと身の入らない練習をこなしているのだろうか。
「そこまで! 次、艤装装着出来たものからランニング! かけあーし!」
「……うへぁ」
ま、まだ続くのか……って、うん?
私以外の誰かが思わずといった感じで零した声に浮かぶ疑問。
別に艤装のありなしは関係ないよね? 何ていうか、雨の日に傘をささなきゃならなくて、ちょっと邪魔だけど持たないといけないみたいな。
傘をさして雨で身体を濡らさないように、戦いに必要だから艤装を身に纏う。
うん、そんなものよね。
まだ余裕がありそうな他の人が嫌がる理由がよくわからない。
ふよふよと結構な数の妖精たちが艤装を持ってきてくれて、それぞれ持ち主の下へ。
「着けていきますよ?」
「うん、ありがとう雪風」
手慣れるのは嫌だけど、妖精の手を借りて艤装を身体に。
着心地とでも言うのか、そういうのはあんまりない。ちょっと厚着をしたくらいのもの。
だと思っていたんだけど。
「う、ぐ」
「……え?」
霞さんの艤装を見るのは初めてだなと視線を向けてみれば、そこには艤装を重そうに、何とかと言った様子で動く姿。
「な、何、よ?」
「あ、いえ、何でも無いです」
よっぽど不思議そうな顔をしていたのだろう、訝しげな視線を返されてしまった。
逃げるように他の人達へ視線を巡らせて見れば霞さんと同じく重そうというか、煩わしそう、だろうか、そんな様子で艤装を装備する皆。
……あれぇ?
いやいや、傘、だよね? こう、言ってしまえば合羽みたいな。
そんなに嫌? んなわけないよね、志願者だもん。
じゃあなんだ? 皆の艤装が特別性で、練習効率を上昇させるために重りでも入ってるの?
「ちょっと、何呆けてるの? っと……さっきみたいにへばらないようにしなさいよ?」
「え、あ、はい。がんばります」
そういう霞さんだけど、むしろ心配だ。
そんなに重そうな物を装備して走るなんて、本当に大丈夫、なのだろうか。
つまりはやっぱり陽炎教官は鬼なんだろう。
思わず抗議の色を向けてしまったその先で。
「……」
「うわぁ」
ニンマリと笑っている
「つ、疲れたよぅ……」
布団の魔力に抗わない、むしろウェルカム。
絶対これ明日筋肉痛だよ、艦娘化した人間がなるのかはわからないけど。
あれから結局何周走ったのかは覚えていない、というかトラックの周りに置かれていたバケツの意味を嫌ってほど理解した。
ほんと鬼畜だ、女を何だと思ってるんだあんな姿を晒したらお嫁にいけないよまったく。
「お疲れさまでした」
「うー……」
雪風もさー苦笑い浮かべてないでさー、ちょっと足マッサージでもしてくれない?
まぁ自分も通った道なんだろうけど、懐かしいなーみたいな顔はやめて欲しいよ。
「私ながら、体力ありませんねぇ」
「わかってんでしょ私なら。というか別に私だけじゃないじゃない、他の人もバケツのお世話になってたしきっと今も似たような状態よ」
「あはは、すぐに慣れるから大丈夫ですよ」
あーでもそう言えば。
「ねぇ雪風」
「はい?」
「私の艤装って、軽いの?」
他の人に比べてあんまりゴテゴテしていないのはそうなんだけど、そこまで差があるようにも見えない。
けど他の人は艤装を装備した瞬間から物凄く走りにくそうだった。
いや、もっと平たく言えばすごく重そうにしていた。
「なるほど。それはですね、適性値が関係しています」
「適性値?」
「しれぇに言われてませんでしたか? ユキさんはロック装置接続手術を受けなくても艤装を装備できる可能性があったって」
あぁ、そう言えばそんなことも言われた覚えがある。
だったらその可能性に賭けてくれという話でもあるけど。いやそもそも艦娘にしないで。
というかその舌足らずな呼び方はなんだ。私はそんなふうに呼ばないぞ、ちゃんと司令官って呼ぶ。
「艤装を重いと感じるのは、まだロック装置が身体に馴染んでいないからであって筋力とかの問題じゃありません、いずれ時間と共に解消されていくものです。ユキさんは適性値が類を見ないほど高いですから、最初から艤装が身体に馴染んでいるんです」
「へぇ? じゃあ他の人は適性値が低いからあれだけ苦労しているんだ?」
「ええっと、間違いではないのですけど……」
それだけは感謝できるね。根性なしの私だからどれくらい重いのかわからないけど、バケツどころじゃなかっただろうな。
でもなるほど、そういった面もあるからこそまだ海上で上手く行動出来ないってのもあるんだね。
基礎体力訓練で徹底的って言うほど鍛えるのは体力向上や精神力強化って面だけじゃなくて、ロック装置との馴染みを深める効果もあるらしい。
あのハードな訓練は何も時代錯誤甚だしいいじめって訳じゃなく、ちゃんと科学的にも効果があるのね。
……だったら私は既に馴染んでるんだし、しなくても良いんじゃない? だめ? ダメですよね、そうだよね。
「ねぇ雪風、私はなんだっけ、フォーナインとか言われてるけどさ。他に私くらい適性値が高い人っていないの?」
「流石にユキさんほどではないですけど、もちろん一般的に高い数値を持っている人も居るには居ますよ。過去で言うなら覚えていますか? 艦娘演習初公開」
テレビで見た覚えがある。
あれを見て艦娘に憧れる人って結構増えたとも聞いたし、男の子でも艦娘になれるなんて羨ましいなんて言う子もいた。
確か……金剛型戦艦、だっけ。一番印象に残ってるのはそうだね。
「あそこに映っていた金剛さんで86%と聞いています。今はたぶん佐世保にいると思いますけど」
「えっ!? もうだいぶ昔の話だよ!? 人間に、戻ってないんだ……」
黒潮教官といい、なんだなんだ? 愛国心すごいな昔の人……って言うほどには昔じゃないけどさ。
それとびっくりしたのは同期の子たちもそうだよ、皆志願者って何よほんとに。私が異常なのかとすら思えちゃうよ。
なんだか感心、じゃあないけれどしてしまう。
友達もそうだけど、世間は随分と戦時ってやつに馴染んでいるみたい。
私が斜に構え過ぎていただけなのかな、陽炎教官も言ってたけどバイト艦娘なんて人もいるらしいし、もっともっと気楽なものなのかも?
「ユキさん」
「……」
うん、んなわけないや。
目の前にいる私らしい妖精も、話しかけてくれた霞さんも他の人も。
「お話があります、聞いてもらえますか?」
「……わかった」
気楽なんかじゃない。
目が言ってる、真に国を人を守りたいって。覚悟を決めているって。
あぁ、嫌だな嫌だ。
絶対ろくでもない話に決まってる。
このえらく真面目な表情を見るに、先のことでしょう? 要するに判断がついたってことだ、何が材料だったかはわからないけど。
「あと一月もすれば、旧八丈島……八丈泊地が深海棲艦に急襲されます」
「きゅ、急襲って……」
「駐屯戦力は御蔵島に防衛線を引きます。近い三宅島は艦娘に必要な資材集積所ですから、八丈島、御蔵島を抜かれると日本に大きなダメージが出るのは明らかです」
ええっと、私達が今いるのは大島、だったよね。
めちゃくちゃ近いじゃない……え、大丈夫なの?
「比較的……いえ、だいぶ大きな戦いになります。それは陽炎さん達も急遽出撃しなければならないほどに」
「きょ、教官たちも? じゃ、じゃあ私達ももしかして」
「それは大丈夫です。私達が行っても、
よ、良かった……流石にそうだよね、まだ実戦なんて早すぎるよね? 足手まといになっちゃうから仕方ないよね。
「ですがユキさん」
「な、なに……なんでしょう?」
あ、ダメだこれめっちゃ嫌なパターンだ。
「その戦いに、参加して下さい」
「……いや、無理でしょ」
嫌な予感ってやっぱり当たるよね。
でも流石に無理だ。戦いたくないって気持ちももちろんだけれど、今の私じゃただの足手まとい以上になれる気がしない。
「その戦いで……陽炎さん達、不知火さんと恐らく黒潮さんも、沈んでしまうんです」
「しずっ……! いやでも、だからってどうしようもないじゃない。そ、そうだ、先にこれを司令官に報告して予め手を打ってもらったら……!」
「信じてもらえるとでも? それこそ無理な話です、ユキさんだってそう言われても信じられないでしょう? 今、私の話を信じ切ってないように」
うぐ……流石私といいますかその通り。
「お願いします。無茶を言っているのはわかってます、けれど一月もあるんです、私も協力します、だから……!」
……一体。
一体何を思って私は
小さい身体で頭を下げ手を震わせて。
今の私からは想像もできない程の変わりようだ、だからこそ信じられないって部分もある。
それほどまでに仲のいい人が出来たのだろうか、過去に戻ってまで救いたいと願うほど。
それほどまでに多くの人が沈んでいったのを見送ったのか、実力と呼べるものが身についていない私に縋るほど。
確かに。
教官達が沈む、すなわち死ぬ。
出来ることなら助けたいと思う。恩とかそんなのはわからないけど、やっぱり死ぬって分かっているならそうだ。
それは恐らく多少でも善良な人間なら、誰でもきっと思うこと。
そして自分の命と天秤にかけてまでは助けられないもの。
だと言うのに雪風は、救いたい、助けたいと心から思っている。
「……ちゃんと、戦えるようになれたら、ね」
「――はい! 大丈夫です! 雪風がついていますから!」
あぁやっぱり狂気的だ。
狂気的な人ばかりだから、きっと私にも感染ったんだ。
あぁ嫌だ嫌だ。
今のペースじゃ一月なんて足りなすぎる。
それでも。
「うん、約束だもん、ね」
約束破りには、なりたくないし、ね。