光が晴れると共に、低空から地面に落とされた衝撃が彼らに走る。
ハジメは、とっさに抱いていた風華を解放し、周囲を見渡す。そこは、巨大な石造りの橋の上だった。橋、と言っても手すりも縁石も無く、ただの平べったい石と言ってもいいだろう。橋の両端にはそれぞれ上り階段と奥への通路が確認できる。
周囲からの環境音は一切聞こえない。彼らの武具がこすれる音と、緊張の息が聞こえるばかりだ。
水音が無ければ、水辺で感じるような湿り気も感じられない。橋から落ちた者は地面に叩きつけられて赤い華を咲かせるであろうことを、周囲を警戒する彼らに想起させる。
あるいは、奈落の底へ誘われるか。
いずれにせよ、生きてる保証は無い。
「……にぃ、ここ……」
「風華、絶対に離れないで」
ハジメには一つの確信があった。
ゲームにありがちな強制転移トラップ。まさか、転移しただけでおしまいなんてことはないだろう。
そう、この後よくある展開としては……。
「お前達、すぐにあの階段まで急げ!」
メルドの号令が生徒たちへ響く。彼らはそれに従おうと動き出すが、もう遅い。
橋の両端に魔法陣が展開される。
階段側からは、肉体を持たず骨だけで動く無数の魔物。
そして、通路側には、それらを呼び出した魔法陣よりはるかに大きい陣が展開される。
それは、四つの足で地を踏みしめる巨大な魔物だった。頭部には炎を放つ二本の剛角。鋭い爪と牙を持つ巨体は、彼らがこれまで見てきた魔物よりはるか数段上の警鐘を頭に響かせる。
「炎を放つ角、鋭い爪と牙を持つ巨体。ま、まさか……ベヒモス……なのか」
巨大な魔物を見たメルドの口から、絶望の混じった声がこぼれる。
「グルァァァァァアアアアア!!」
ベヒモスと呼ばれた魔物は、それに応えるかのように雄たけびを上げる。巨体に見合った通りの大きな咆哮は骨の魔物……トラウムソルジャーの方を見ていたものたちの視線を釘付けにし、恐怖を抱かせる。
その咆哮からいち早く我に返ったメルドは団員たちに指示を飛ばす。
「アラン!生徒たちを率いてトラウムソルジャーを突破しろ!カイル、イヴァン、ベイルは全力で障壁を張れ!光輝、お前達はアランと共に階段へ迎え!」
「メルド団長、俺たちもやります!あのでかいのが一番ヤバいはずです!だったら……」
「ダメだ!あれが本当にベヒモスだとしたら今のお前達どころか俺でも勝てん!やつは六十五階層に巣くう魔物。かつて最強と言われた冒険者ですら相手にならなかった化け物だ!さっさと行け!逃げるぞ!」
「それでも!」
メルドは光輝たちにも逃走の命令を下すが、光輝はそれに反対し残り、戦うことを決意する。
「まだわからんのか!お前達はここで死ぬわけには……ッ!!」
メルドと光輝の言い争いはベヒモスの突進によって遮られる。
橋を激しく揺らし、突進するベヒモス。その突進は彼らとの間に現れた障壁にぶつかり、止められた。
「――聖絶!」
騎士団員たちが詠唱を終え、障壁が張られる。魔法陣は現状用意できる最高級のもの。さらには三人が同時に使用することでそれは絶対の防御となる。
ベヒモスと障壁が衝突し、今まで以上に橋が揺さぶられる。その衝撃でベヒモスの足元が粉砕されるが、魔物は突進することを諦めず、再度突進を仕掛ける。
部屋全体に衝撃は再び走った。
「はあああぁ!」
美穂が放つ強烈な蹴りが、トラウムソルジャーの上半身を吹き飛ばし、動かぬ骨へと変える。
階段を目指す生徒たちは階段を目指して走る。
アラン一人では彼らの混乱を収めることは難しかったが、雫と美穂の二大戦力が前に出て魔物を倒すことで道を切り開き、その道を生徒たちが続くことでどうにかしていた。
しかし、状況は良いとはとても言い難い。彼女たちは確かに強いが、広範囲を攻撃する手段を持っておらず、目の前の敵しか倒すことができない。そして、彼女たちが倒す間にも倒し損ねた魔物たちは襲いかかる。
二人としては、自分たちが道を切り開き、周りを囲もうとする敵を倒してほしかったのだが、そう上手くはいかず、統率の取れない彼らでは敵を倒しきれていない。
せめてこっちに光輝がいれば。今、彼が持つ統率力と広範囲の攻撃力が最も必要なのだが、彼は依然として、メルドの元でごねている。この状況に気がつかない彼に雫の心の中で苛立ちがつのる。
そうこうしているうちに、道の中ほどまで来たところで彼女たちが危惧していたことが起こる。
トラウムソルジャーたちに周囲を取り囲まれてしまった。
「まずいわね……」
また一体の首を刎ねた雫が言葉をこぼす。
統率力は最低、最高戦力である勇者パーティも、戦っているのは雫のみで、香織と龍太郎は光輝の説得のためにここにはいない。
美穂か自分のどちらかが殿を務めるべきだった。そう後悔しても、今更遅いだろう。
トラウムソルジャーが一斉に剣を振りかぶる。
「錬成!」
直後、橋の縁にいた骨の塊が彼女らの視界から姿を消した。
魔物たちを排除したのは、ハジメの錬成による地形操作だった。
ハジメは、橋に手をつき、地形を操作してトラウムソルジャーを滑り落とす。風華の支援を受けたそれは、瞬く間に魔物を排除していき、やがて両サイドにいたトラウムソルジャー全てが奈落の底へと落とされた。
これで、生徒たちを取り囲む魔物は前方と後方のみとなった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ハジメは肩で息をする。支援込みでもこの範囲の錬成は厳しく、加えて風華がこの緊迫した状況で支援の強さの加減を少し多くしてしまい、それがハジメの身体に負担をかけていた。
「はぁ、はぁ、みんな、これで敵は前と後ろだけ!今だよ!」
風華から魔力ポーションを受け取りながら、息も絶え絶えにハジメは叫ぶ。
眼前の脅威が急激に減ったおかげか、生徒たちも次第に統率力を取り戻していく。
「……にぃ、ごめん」
ポーションを飲むハジメに風華が謝る。ハジメはそれに対して何でもないと軽く手を振る。
「大丈夫、それよりも次を頑張ろう」
「……ん」
トラウムソルジャーがどんどん倒され、残る脅威はあの
そう考えていたハジメの思考を、迷宮の悪意はあざ笑う。
再び展開される魔法陣。
その中から現れたトラウムソルジャーの群れに、生徒たちはまたもや絶望の淵へと落とされた。
(やっぱり、天之河くんが必要なんだ……!)
そう考えた彼は駆け出す。
一方、ベヒモスを食い止めるメルドたちは、そろそろ限界を迎えようとしていた。
障壁には至るところに亀裂が入っており、それを補強するためにメルドと、それを黙って見ていられなかった香織がフォローに入っている。魔力の量が生徒たちの中で上位にいる香織がいるおかげで、メルドが想定する以上に障壁は維持できているが、破られるのも時間の問題だろう。
「ダメ……そろそろ、限界……!」
「香織!俺も手伝う!」
「んなこと言ってる場合か光輝!今の俺たちじゃこいつの相手はできないって言ってるだろ!」
香織の悲鳴に、光輝が助けに入ろうとするが、それを龍太郎が止めようとする。
普段は光輝に従っている彼が反対するのは珍しい。
「でもそれじゃあメルドさんたちが!俺は誰一人犠牲を出してはいけないんだ!」
「それでもだ!なんのためにメルドさんが俺たちを逃がそうとしてるのかわからねぇのか!」
残ることを主張する光輝と逃げることを主張する龍太郎。二人の言い争いは平行線を辿る。
勇者は想う。誰も欠けず、笑顔でいることが自分の正義だから。
拳士は知っている。勝てないとわかっているモノと戦うことの恐怖を。
そして、第三者の声が両者の間に入る。
「天之河くん!」
その正体はハジメだった。その後ろには、ハジメを追いかけてくる風華の姿も見える。
「な、南雲!?なんでこんなところに……」
「ぐだぐだ言ってないで早く戻れ!」
光輝の言葉を遮り、ハジメは声を荒げて生徒たちの方を指さす。
そこには、多数のトラウムソルジャーに囲まれながら戦うクラスメイトの姿があった。僅かに混乱が治まったおかげかある程度戦うことができているが、物量に圧されてじり貧だ。
「あれがまだ見えないか!?みんなが無事に帰るためにはリーダーの君があそこに必要なんだ!」
それを見た光輝は呆然とし、すぐにはっとなって自分の役割を理解する。
「お前達、下がれ!」
しかし、それを理解したところで判断が遅い。
メルドの怒号と共に障壁が完全に破壊される。その衝撃がその場にいた彼らを襲う。それに吹き飛ばされた彼らは、丁度風華がいる位置まで転がっていった。
「にぃ!」
風華はハジメに駆け寄り、抱き起こす。幸い、ベヒモスから一番離れていたからか彼はすぐに立ち上がることが出来た。
しかし、最前線で障壁を張っていたメルド達は傷を負い、すぐには動けなさそうだ。とくに、メルドはとっさに香織をかばったのでその分傷も多い。
結果的にベヒモスから距離を取ることが出来たが、状況は全くよくなっていない。ベヒモスの巨体からすれば、数歩歩いて踏みつぶせるだろう。
「どうすれば……どうすればやつを止められる……!?」
「……僕があいつを押さえる」
「南雲くん!?」
眼前の絶望に光輝の思考が混乱状態に陥りかけたとき、ハジメは己が足止めすることを提案する。その自殺行為とも呼べるようなことに、香織は思わず叫ぶ。
「な、何を……」
「南雲くん死ぬ気なの!?私との約束忘れちゃったの!?」
光輝の疑問の声を遮るように、香織はハジメに詰め寄る。その目には涙が浮かんでおり、ここが死地真っ只中でなければドキッとするものだが、ハジメはどうにか冷静に香織の肩をつかみ、目を合わせる。
「僕は死ぬ気も無いし、忘れなんかするものか。白崎さん、理由ならちゃんとある」
そう言ってハジメはベヒモスを見やる。
「多分メルド団長たちに障壁を張る力は残ってない。天之河くんたちにはみんなのところへ行ってもらわなきゃいけない。だったら、僕が錬成であいつの足を止めるしかないんだ」
「じゃあ私も残る!私なら障壁を張るだけの魔力は残ってるよ!だから……」
香織は反対するが、ハジメは首を横に振り、言葉を続ける。
「白崎さんにはみんなを回復させてほしい。僕たちの中で、白崎さんが一番回復魔法を上手く使えるんだ」
「でも……」
彼女はそれでもと言葉を続けようとする。しかし、それは背後からの振動に遮られる。
「南雲……頼む」
メルドと一人の団員に肩を貸す光輝が近寄ってくる。すぐそこには龍太郎が光輝と同じようなことをしている。
彼女だってわかっている、選択肢がその一つしかないことを。
香織は、ハジメに抱き着く。唐突に来た女の子特有の柔らかさにハジメは流石にドキッとしてしまう。
光輝たちは撤退の準備を進めている。もう時間はない。
「香織!早く!」
「……約束、もう一つ増やしてもらうからね」
「……わかった」
その言葉を聞いて香織は抱擁を解き、最後に「死なないで」と言うとクラスメイトの元へと向かった。
「……にぃ」
「フウも、早く逃げるんだ」
「……嫌。あと、帰ったらお話し」
「……はい」
風華からの冷たい視線に、ハジメは頷くことしかできなかった。
最も、風華がいなければ無理だと思っていたのだが。
「それじゃあやるよ、全力でお願い!」
「ん!」
ハジメは地面に手をつき、風華がその背に手をそえる。
二人のいつもの構えに、ベヒモスは構わず突進を仕掛ける。
そして、ベヒモスがハジメたちの目前まで迫ったときだ。
「錬成!」
ハジメの詠唱と共に、ベヒモスの身体はずぶり、と橋に飲み込まれていった。
ハジメは、橋の強度を変化させることでベヒモスの足を埋める。ベヒモスは脱出しようともがくが、それは底なし沼のようで、もがけばもがくほど自重でどんどん埋まって行く。
しかし、階層主はただ埋まっているだけではない。
息を吸う動作をするベヒモス。その動きに嫌な予感がしたハジメは、即座に壁を作り、二人はとっさに耳を塞ぐ。
その直後、魔物は咆哮を上げた。
「グルァァァァァアアアアア!!」
超至近距離での爆音。それは先ほど戦ったロックマウントの比ではなく、壁越しで耳を塞いでいてもなお鼓膜が破れたのではないかと二人に錯覚させるほどの威力だった。
地面から手が離れ、錬成が止まったところでベヒモスは脱出しようと自らを拘束する橋に亀裂を入れる。その音を耳で感じた二人は、急いで錬成と支援を行い、再びベヒモスを拘束する。
他の生徒たちがどうなったのか、確認する暇などなく、二人は拘束を続ける。
そして、この攻防が何度も繰り返され、二人の魔力ポーションが尽きかけたときだった。
「もう大丈夫だ!二人共、急いで戻れ!」
メルドからの声が届く。どうやら、時間稼ぎはこれで終わりらしい。
その頃には、ベヒモスの身体は顔を含めた半分ほどが橋に埋まっていた。普通の魔物であればここまでやればそう簡単には出れないだろうが、相手が相手だけにハジメは油断することなく頭部を埋めている部分を特に強くする。
そこまでしてから、ハジメは風華の手を引き走り出す。その直後、ハジメの頭上を越え、数々の魔法攻撃がベヒモスに殺到する。
これならいける。
走りながら振り返りその様子を見てハジメはそう確信する。
後ろを振り向く。それが、彼が犯した失態だった。
ベヒモスに殺到する火球の一つがハジメへと向かう。それは、途中で風の魔法を取り込み、巨大な火球へと変化する。
ハジメがそれに気づいたのは、己へ迫る熱が強くなったときだった。
「え――」
ハジメへと迫る火球。回避はどうやっても不可能だ。
しかし、それに当たったのはハジメではなく、彼を突き飛ばした小柄な少女であった。
燃え上がる少女は、魔法が直撃した衝撃で橋の外へと叩き出される。
「風華ぁ!」
その後を追うように、少年は橋の下に広がる奈落へとその身を投げた。
直後、ベヒモスは頭部が埋まっていてもなお、鬱憤を晴らすように切り札である角の赤熱化を発動させる。
その衝撃で橋はとうとう崩壊を始め、ベヒモスもまた、奈落の底へと落ちていった。
「嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
この日最大の戦闘は、少女の悲鳴で幕を閉じた。
書いてるときに思ったこと。
「これ支援錬成で地面に穴開けてベヒモスだけ落とせばよくね?」
でもそれやると奈落行きフラグくんはバッキバキに折れると思います。