オルクス大迷宮第六十五層……からさらに下層へと至る大穴。
最後に誰かが落下して以来、しばらく来訪者のいなかった大穴を、二人の人影が大量の瓦礫を伴って落ちていた。
(くそっ届かない……!)
落下する身体を空気が叩き、声が出ないハジメは炎に届かないことに焦る。先に落下したのは風華であり、このままではどうやっても届かないだろう。重力を操る魔法でもあればこんな距離なんてすぐに縮められるのだが、そんなものハジメの知識には無いし、あっても使用できるかとても怪しい。
(どうすれば……!ん?)
彼の視界にあるものが目に入る。それは、自分たちと同じく落下する数々の瓦礫だった。そこで彼の頭にアイデアが浮かぶ。
必死に手足を動かし、どうにか瓦礫に接触した彼は身体にかかるGで潰れた身体から声を出して詠唱を唱える。
「錬……成……!!」
直後、錬成によって変形した瓦礫はハジメの身体を勢いよく射出した。
「ぐううううぅぅぅぅぅ!!!!」
先ほど以上に身体にかかる負担に思わず呻く。しかし、それに見合う成果は獲得できた。
燃える塊をハジメは抱き寄せる。そして、離さないようにしっかりと抱きしめる。
「っ!」
風華を燃やす炎がハジメの身体に容赦なく燃え移る。守護技能の発動判定に引っかかったのか、ハジメの耐久や魔耐が上昇するが、それは炎が生み出す熱と、燃え上がる
それは風華も同じだった。彼女の高い魔耐があってなお、剛火球を防ぎきることは叶わず、全身を被う炎が肌を、毛髪を焼き、ダメージを与えている。
風華を抱きしめたハジメは、自分を下にするように身体を反転させる。そうしたところで二人は流れていた滝に突入し、ハジメはそこで意識を失った。
その頃、奈落より上では、残された者たちが迷宮の内部を駆けていた。ハジメと風華が落下したことのショックで倒れた香織を鈴と恵理が二人掛かりで運び、メルドたち高レベルの騎士たちが前衛、光輝や雫といった生徒たちの中でステータスの高く、まだ戦える者たちが取りこぼしを相手していた。
休みなく駆ける彼らに交じり、剛火球を作り出した彼は、笑い転げたい衝動を抑えて、表情を悟られぬように顔を俯かせる。
ハジメたちが孤立し、なおかつ不慮の事故が起きても仕方ないと判断されるシチュエーションになったことで即興で思いついた作戦だったが、上手くいった。彼が何度も、何度も何度も脳内でハジメを殺すイメージしていたからこその成果だろう。
オルクス大迷宮に挑むまで、彼はストレスを満足に発散できず、ため込んでいた。香織に好意を寄せられて、見てるだけでムカついてくる南雲は訓練場での事故が落ち着いてからずっとどっかの工房に引きこもりっぱなしで邪魔のしようがなかったし、ならば自分に一撃かましやがった
あんな訓練だけで別次元の殺し合いをやりだす奴らを真正面から相手するなんて死んでもごめんだ。
目の前にいるのに何もできない苛立ち。それを代わりにいた根暗野郎(名前は忘れた)にぶつけてもそれは晴れない。やはり、恨みの対象に直接ぶつけなければ意味はない。
そんなときに天から舞い降りたような絶好のチャンス。自分が招いたおかげでもあるため、クラス中からはヘイトを集めていそうだが、土下座の一つでもすればあの勇者は許してくれるだろう。
そして、あいつらは奈落の底へと落ちていった。最初は南雲を燃やし落とすつもりだったが、クソガキがかばったおかげで外してしまった。まあ燃え上がる様は爽快だったし、南雲もその後を追って落ちていったため結果的には良いだろう。
彼にとっての幸運は二つ。一つは、彼の適正魔法が風であったこと。風魔法最大の強みは火や水と違い、視認しづらいことだ。加えて、適正があることで他の魔法よりも扱いやすかったおかげで、剛火球を作り出すことが出来た。火球は他の奴らも放っていたため、適正が風の自分は早々疑われることはないだろう。
もう一つは、
やった。自分は憎いやつらを排除出来たのだ。一瞬しか見えなかったが、熱に苦しむクソガキの表情と、それを必死になって追う南雲の表情は最高だった。
しかし、奴らが落ちたあとの香織の悲鳴。あの悲鳴から伝わってくる悲壮感だけが気に入らない。
自らが好意を寄せる少女の悲鳴が頭の中で再生され、彼はそれまでしていた笑みを抑える表情が無になることを感じた。
「ガハッ!?」
後頭部と背面に突如走った衝撃により、ハジメは意識を回復させた。周囲は暗く、流れる滝の水音が周囲に響いており、腕の中にはしっかりと抱きしめられる少女の姿が確認できる。
痛みに呻きながら上を見やると、流れ落ちる滝がそこにはあった。どうやらあの水流に運ばれてここまで来たらしい。
「っ!風華!」
彼は腕に抱く少女を見て言葉を失う。意識を失っているが、辛うじて息はある。落下の衝撃も、ハジメの守護技能が全て受け止めたため、落下によるダメージは無いだろう。
しかし、まだ無事と言えるのはここまでだった。
全身は酷い火傷跡に覆われており、焼け溶けた服が肌に張り付いているところもある。長く、美しかった黒髪は燃え落ちてチリヂリになってしまい、髪の長さも長くて今までの半分といったところだ。呼吸もしているとはいえ呼吸音が怪しい。
その少女をハジメは優しく、それでも力強く抱きしめる。
流れ落ちる涙が少女の焼けた肌に落ちる。
美しかった少女の面影はどこにも残っていなかった。
それでも、生きている。生きてくれている。
それだけでもハジメには嬉しかった。
ハジメは風華を背負い、奈落の底を歩き進む。
ハジメの荷物は、滝に流されても、さらにそこから落下したにもかかわらず幸運なことに残っていた。中の携帯食糧などはボロボロだし、水を入れていた水筒は砕けて使いものにならなかったが、何もないよりはましだろう。一方、風華の荷物は炭となって焼失してしまっていた。食糧は一人分、助けが来る保証はないが全てを風華に与えればどうにかなるだろう。
滝に流されたのは本当に幸運なことだった。それが無ければ風華は焼死していたし、自分も守護技能込みでも落下エネルギーに耐えることが出来なかっただろう。
今、彼が求めているのはとにかく絶対に安全だと言えるような休憩場所だ。この奈落の大迷宮にそんなところがあるかどうかは疑わしいが、探さなければ、見つけなければ風華が危険だ。
彼は魔物を警戒しながら進む。やがて、複数の道に分かれる分岐点に突き当たった。さて、どの道を進むか。正直どれを選んでも未知なことに違いはないのだが、彼は一瞬だけ考える。
直後、ハジメはどの道を選ぶでもなく、通路の端に身を隠した。
(何かいた何かいた何かいた!?)
視界の端で何かが動いた気がした。風もないここでそんなものは魔物以外ありえないだろう。それはすぐに姿を現した。ぴょこぴょこと跳ねる一羽のウサギ。しかし、その姿は人型とウサギの中間のようで、大きさも地球のものよりもはるかに大きく、地を蹴る発達した足は赤黒い色に染まっている。
見るからにヤバい魔物。そもそも、ここはベヒモスがいた第六十五層よりもはるかに下だ。下手したらベヒモスよりも強いやつがうじゃうじゃいることも考えなければいけないかもしれない。
ウサギはその場で何かを探るように鼻を動かし、周囲を見渡す。その様をハジメはじっと息をひそめて観察する。理想は、奴がどこかへと去ってくれることだが、いったいそれには何分何秒待てばよいのか。
やがて、通路の奥からウサギへと一匹の白い狼が襲いかかる。更に二匹、三匹目の狼が時間差をつけてウサギへと飛びかかった。明らかに劣勢のウサギ。捕食されるのは時間の問題だろう。しかし、ウサギは焦ることなく、不気味な足で地を蹴り飛び上がる。
そして、地球のウサギが発声しそうな可愛らしい声で一鳴きすると狼の頭部を蹴り飛ばし、狼の首をへし折り絶命させる。
ただでさえ地球の食物連鎖からは考えられない光景にハジメは目を疑うが、更に驚愕する光景を彼は目にする。
空中で狼を蹴り飛ばしたせいで、身動きが取れないはずのウサギはそのまま何もない空間を蹴り飛ばし、身体の向きを変える。そして、残り二匹いる狼を瞬時に一匹目と同じ末路を辿らせた。
空中蹴りを披露したウサギは満足気に着地した。あまりの光景に某大乱闘じゃねぇんだぞ、と毒づきたい気持ちを抑え、ハジメはじっと動かない。動けば、ウサギに自分がいることを悟られては自分はもちろん風華だって一撃だ。
そう思った直後だった。
「……ん……ぅ」
背中の少女からかすれた、けれどもしっかりと聞き取れる呻き声があがる。その声があがったところを聞き逃すウサギではなく、ハジメは自分の心臓が氷つく錯覚に囚われる。
最愛の少女の最悪のタイミングの目覚めだった。
ウサギの赤い目がハジメを捉える。その視線をハジメはただ受け止めることしかできなかった。
両者の間に沈黙が訪れる。
「……に…ぃ……どう、なっ」
そこへ、風華が状況を把握しようと焼けた喉から絞り出すような声で沈黙を破る。
直後、ハジメは風華を抱きしめて転がり、そこへウサギの足が地面を砕いて突き刺さった。
ハジメはそれを確認することなく一つの通路をひたすら走る。途中で壁を錬成して道を塞ぐが、それもウサギの障害にならないのか、破砕音が後ろから響く。
「……ッ!ッ!」
「口を閉じて!舌噛むよ!」
何かを言いたげな風華が必死に声を出そうとするが、ハジメはそれを制し、走り続ける。守護技能でステータスが上昇していなければ、とっくのとうに二つのミンチが大小そろって出来上がっていただろう
壁を錬成し、砕かれる。それを繰り返す鬼ごっこは、次第に
破砕音はすぐそこだ。ここまでか。そうハジメが思ったとき、突如壁を破砕する音が途絶えた。
「何だ……?音が、止んで」
「にぃ逃げて!!」
思わず足を止めたハジメは、風華の声と共にその判断が間違いだったことを理解する。
最後の壁が粉砕、いや、
切り裂いた主は、ウサギではなかった。
そこにいたのは、例えるならば熊が一番適切だろう。両腕に長い爪を持つ熊は、ハジメたちを追っていたであろうウサギを咀嚼しながらこちらを見やる。赤く染まったウサギを飲み込んだ熊は、ハジメたちに向けて腕を大きく振りかぶった。
ハジメはとっさに風華をかばい飛びのく。
直後、攻撃が当たったわけでもないのにハジメの左腕がキレイに切断された。
「が、ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
それは、彼の人生で一度も味わったことのない痛みだった。
自身を襲う予想外の激痛に、ハジメは地面をのたうち回る。それでも風華を離そうとしないのは兄としての矜持だろうか。
「支、援……!」
かすれた声で風華がハジメに支援をかける。最初に支援を行ったときのような、加減無しの魔力がハジメを襲う。その支援に、ハジメは反射的に地面に錬成をかけた。
彼が心からイメージするのは、ここから逃げること。すぐさま彼らの直下に穴が作られ、二人は落ちる。
暴走した錬成は、彼の心情を体現するように、穴を塞ぎ、別の穴をいくつも開ける。そのうちの一つを、ハジメは左腕を襲う激痛に耐えながら這ってでも進んでいた。
(腕が何だ、風華は、もっと、苦しい思い、をして、いたんだぞ)
(耐えろ、耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ!!!)
必死になって進む彼は、義妹のその身を案ずる視線に気が付かない。激痛に苦しむ彼の顔を、彼女は直視できなかった。
「……ごめ、な……い。……んな、さい……ごめんなさい」
かすれた声で風華の口から言葉がこぼれる。
逃げている道中で彼女は理解した。自分があそこで目覚めなければこんなことにはならなかったと。
やがて、小さな空間に彼らは出る。霞む視線で辺りをハジメは見やる。
周囲からは水がちょろちょろと流れるような音しか聞こえず、ここに入る道も、ハジメが作った穴しかなさそうだった。
自分が求めた安全地帯がここにあった。
そのことを理解した彼は張り詰めた緊張と、意識が遠くなっていくことを感じた。
傍らの少女が、自分のことを何度も呼んでいる気がした。
ファイアーボール君が想像以上にゲスくなってくれて、作者的には満足です。