香織が火傷した職人のところへ向かうと、中年の女性職人が作業場から少し離れたところで、左腕を水の張ったバケツに突っ込んで患部を冷やしていた。
「大丈夫ですか?」
「平気よこんなの、いつものこと……あたた」
女性は強がって笑おうとするが痛みで顔をしかめる。
「ああもう、無理しないでください。失礼します」
「え?ちょ、あんた?」
そう言うと香織は女性の静止する声を無視し、バケツから彼女の手を引き抜き火傷を診る。酷く焼けただれた腕が香織の目に入った。
「……っ」
「ああもう、若いのがこんなもん見るんじゃないよ……ほら、あたしのことはいいからさ」
「いえ……大丈夫です」
その光景は、彼女が連日見ていた悪夢を思い起こす。フラッシュバックしたことに一瞬ひるんだ香織は、しかしすぐに気を引き締める。
「今から治癒魔法をかけます。違和感を感じるでしょうけど我慢してくださいね」
「治癒魔法?そういや、あんた協会の服装でもないし、ここらじゃ見ない顔だねぇ……まさか、召喚された勇者の仲間かい?」
女性の疑うような声に香織は思わず彼女の顔を見る。女性は香織をにらみつけていた。
「もし、そうだってんなら助けはいらないよ。むしろこっちから願い下げだ」
そう言うと、女性は香織の手を強引にはがすと、じゃぽんっとバケツに腕を突っ込みそっぽを向く。
「……私達が、憎いですか」
香織の呟くような問いかけに女性はすぐに答える。
「ああ、とってもね。あんたらはハジメを、フウカを、あたしらの星を奪ったんだ。他のやつらがどう思ってるかは知らんけどあたしゃ許す気はちっともないね」
それはもっともな怒りだと香織は感じた。非戦闘職であったが、戦うことを選んだのはハジメ達自身だ。しかし、彼らを守れなかったのは香織たち戦闘職に非があるだろう。
ふと周囲を見回すと、女性と同じ目をした職人たちが彼女を見ていた。
彼らも、王国の上層部へ抱く気持ちは同じなのだろう。
しばし、静寂が流れる。気づけば誰もが手を止めて悲しみにくれていた。
「ごめんなさい……」
「いいよ、謝られたってあの子たちは帰ってこないんだ」
香織の口から漏れた弱弱しい謝罪に、女性は諦めたように返す。
しかし、その言葉は香織に力を与えた。
「大丈夫ですよ、ハジメ君たちはきっと、ううん、絶対に帰ってきます」
先ほどの謝罪とは真逆の、力強い声色に女性は香織の方をはっと見やる。
香織は、女性の目をしっかりと見ていた。
「あんた、何を言って……」
「約束、したんです。ハジメ君と風華ちゃんと私とで。知ってますか?ハジメ君、風華ちゃんとした約束は必ず守るんですよ?」
それに、と彼女は言葉を続ける。
「信じてますから」
「っ!」
「私は二人が生きてるって信じてます。だから、皆さんも信じましょう?」
「だ、だけど、何を根拠に……」
他の職人がそう言った。彼に向って香織は少し考える素振りを見せると、
「女の勘……ってこの世界にもあります?」
そう答えた。
再び作業場を静寂が満たす。それを破ったのは今度は女性の方だった。
「ぷ、くくく」
「?」
何かおかしなことを言っただろうか。そう問いかけようとした瞬間、女性は豪快に笑い出した。
「あっはははは!!!」
「っ!?」
それは香織だけでなく他の職人も戸惑わせる。そうしてひとしきり笑って落ち着くと、女性は指で涙を拭いながら香織に謝った。
「いやぁ、ごめんごめん。女の勘、ね。それなら十分信じられるわ」
女性はすっきりとした表情で職人たちを見渡す。
「確かに、今のあたしたちがすることはあの子たちが死んだことを悲しむことじゃない。生きてるって信じてやることだ」
「そうだよな……なんで俺らは簡単なことに気づかなかったんだ!」
「ああそうだ!」
女性の言葉に彼らは段々と活気を取り戻していく。
「あたしはエルヴィ。どうやら、あんたは他の奴らとは違うらしいね。あんたなら信頼できそうだ」
そう言ってエルヴィは香織の前に腕を出した。
「……ふぅ、これで大丈夫です」
「ありがとう。……勇者の仲間はすごいね。あたしらが知っているものと全然効果が違うわ」
香織の治癒魔法を受けたエルヴィは、しげしげと火傷があった箇所を眺める。彼女の腕はまるで火傷などなかったかのようにきれいな肌を見せていた。
「それでも、念のために薬を塗ってくださいね」
「あら、完璧に見えるけど?」
「今使ったのは火傷専門の魔法じゃないですから。きちんとした薬を塗ることをおすすめします」
「ふーん……ねぇ、あの子がやってたこと、気にならない?」
「え?」
エルヴィが何か提案をしようとしたとき、ウォルペンが雫たちを伴って調合した薬を持ってきた。
「すまねぇ、待たせちまった。次からは気を付け……」
「ねぇ親方!」
エルヴィはウォルペンの言葉を遮り、香織を抱き寄せる。
「この子、雇えない?」
「は?」
「えっ?」
その言葉に、ウォルペンと香織は少し固まった。程なくしてウォルペンは薬を香織に渡し、そばの椅子に腰かける。
「お前な……坊主は錬成師だったから雇えたが、その嬢ちゃんは治癒師だ。そいつを鍛冶場で雇おうってのはいくらなんでも無理がすぎるぞ」
「えー、でもこの子がいたら怪我したときに協会のやつらに頼る必要ないんだよ?それに、アシスタント二人欠員してるんだから人手ほしいじゃない」
その言葉にウォルペンは困ったように頭をかく。
実際のところ、エルヴィの言うとおり人手はほしい。それに、治癒師がいれば怪我をしたときにわざわざ協会まで行く手間を省けるのもありがたいことではある。
しかし、香織は魔人族と戦うために呼ばれた身。言うなれば国が管理していると言ってもいいだろう。その貴重な戦力をたかだか一つの工房のために遊ばせておくとは思えない。
「あの、私からもお願いします。ここで働かせてください」
そう言うと、香織は頭を下げた。
「嬢ちゃん……」
「ハジメ君がここで何をしていたのか知りたいし、こんなにもハジメ君のことを想ってくれる人たちの助けになりたいんです」
「ほら、本人もこう言ってるしさ。な!いいだろう?」
ううーんとウォルペンは唸る。本音を言えばほしい人材だ。しかし、どう交渉したものかと頭を悩ませる。
「もう勝手に来ちゃってもいいんじゃないです?」
そんなとき、美穂が面倒くさそうに呟いた。
「だって、今のあたしたちって訓練どころじゃなくてほぼほぼ自由じゃないですか。訓練させたいなら、まずは他の先輩方のメンタルケアどうぞってなりますし」
「それに、あの二人の最後のときは貴女も覚えているでしょう?あれで火に恐怖を覚えている人が何人かいるのよ。何か言われてもその人達のためって言えば大丈夫じゃないかしら」
雫の言うとおり、生徒たちの中には火を怖がる者も数名いるのが現状だ。目の前で人が火だるまになるというのは、いくらステータスの強い彼らでも心に恐怖を刻みつけるには十分すぎたのだ。
「じゃあそれでいっちゃおうか。てことで明日からよろしくね」
エルヴィはそういうと香織の頭をやや乱暴に撫でる。そのエルヴィの頭にウォルペンは拳骨を一発落とした。
「あだぁ!?」
「勝手に指揮ってんじゃねぇ、お前はさっさと薬を塗ってこい!」
怒られたエルヴィはぶつくさとぼやきながら火傷のあった箇所に薬を塗り始めた。
「ったく……おい嬢ちゃん」
「はい!」
ウォルペンは、それを呆れた様子で一瞥すると香織に声をかける。
「明日、朝の9回目の鐘が鳴る前にここまで来い。雑用くらいしかさせることはねぇが雇ってやる」
「ありがとうございます!」
こうして、彼女の工房での雑用生活は幕を開けた。
さぁて、次はいつになるのやら……